第7話


         ※


 ジンを退けてから、約十分。

 俺たちは、随分とスカスカになったデモ隊の間をすり抜け、とある街路を歩いている。

 

 デモ行進の喧騒は、意外に思えるほど遠いものになっていた。

 しかし、一キロほど離れて臨海部までやって来ても、振り返ればこれが異様な現状なのだと思い知らされる。


 自分で言うのもなんだが、さっき俺が『地獄のようだ』と表現したのは的を射ていたらしい。火炎瓶で舞い上がった黒煙が、地上の火災の色を反射している。

 そこに禍々しさを覚え、俺は僅かに首のあたりを震わせた。


「なあ、七原」

「何、葉崎?」

「この任務、何かがおかしいと思わねえか?」

「おかしい、って、例えば?」

「それこそ俺たちの進む先だよ」


 俺は一旦立ち止まり、七原が振り返るのを待った。


「七原の前任者はいたんだろう? 光石強奪事件じゃなくて、《ヘキサゴン》に駐在するってことで」

「ええ」

「だったら、前任者の記録は開示されたのか? 今回の任務のために?」

「いえ、特には」


 俺は両手を腰に当て、天を仰いだ。参ったな、こりゃ。


「ど、どうしたのよ、急に?」

「俺が聞かされたところだと、警視庁の人間がある程度情報を掴んでいるから、二人でよく検討するようにって話だった。けど、今考えてみれば怪しいよな」

「何? あたしを信用してくれないの?」

「そう言う意味じゃねえよ」


 訝しげな七原に対し、俺は視線を外さない。考えをまとめながら、しかし口早に言葉を送り出す。


「ちゃんと前線で身体張ってる俺たちを、なんの意図もなく敵地のど真ん中に放り出すわけはない。俺たちがやられたら、組織として無駄金を使ったことになっちまう。お前の格闘能力だって、俺の銃撃能力だって、タダで手に入れたもんじゃない。だよな?」

「それは、確かに……」

「相応の訓練が必要だし、そもそも俺たちを食わせるだけでも金がかかってるはずなんだ」


 俺たちを育てる目的で、今までいくらかかったかは知らない。だが、俺たちは実戦部隊の一員として厳しい訓練を受けてきた。

 訓練である以上、偶発的な事故というものも発生する。ごく稀だが、死者が出ることだってある。


 それらを未然に防ぐ。あるいは、防げなかった場合の責任問題を解決する。

 報道されないだけで、金なんてあっという間に飛んでいくだろう。それだけのリスクを覚悟で、俺たちは育てられた。少なくとも俺はそう見ている。


「なあ、七原。もし俺たちが――」

「あたしたちが?」

「……」


 この先は口にできなかった。

 俺もお前も、何らかのでかい作戦のための捨て石にすぎない。


「言えるわけねえよなあ、こんなこと」


 七原は怪訝そうな顔をして俺を一瞥し、また振り返って歩み出した。


         ※


「ふう。ここまでくれば大丈夫そうね」


 ある建物の前で、腰に手を当てる七原。

 彼女の眼前にあるのは、背の高いマンションビルだ。外壁は茶色で塗装され、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 こんな建物が、あの野蛮なデモ行進が行われているのと同じ街に存在していることに、俺は大きな違和感を覚えた。


 しかし現在、俺たちがそのデモから抜け出して計三十分ほどが経過している。ここからはあの地獄のような光景は見えないし、逆に向こうからアイスピックが飛んでくることもない。


 一言で言えば、平和なのだ。


「ほら、葉崎! あんたどうしたの? さっきから注意力が散漫なんじゃない?」

「ああ、分かってる。悪い」


 ちらっと目を上げると、七原が俺を訝しげに――。ん? いや、違うな。

 眉を下げ、僅かに首を傾げている。訝しげでいるのとは、だいぶ表情が違う。

 強いて言えば。


「心配してくれてるのか? 俺のこと」

「え? なな、何ですって?」

「だから、七原が俺のことを気にかけてくれてるのかと」


 すると、七原は顔を真っ赤にして手先をすりすりし始めた。


「ちょっ、そ、そりゃあバディだし? あんたがいないと、飛び道具を使う相手とは戦えないし? あんたの【射撃】の能力付与がされた腕前は、どうしても必要なの!」


 俺はずいっと前に出て、七原の右手を取った。


「なっ! 何するつもりなのよ、あんた!?」

「ありがとな、七原」

「……へ?」

「俺、あんまり人に心配されることってなかったからさ。でも、ちっとは心が軽くなった、って言うか、なんて言うか……。とにかく、ありがとう。……七原?」


 すると七原は、がばりと顔を上げて俺を真ん丸な瞳で睨みつけてきた。


「さっ、最初からそう言えばいいのよ、最初から!」

「あー、あんまり言い続けると、お前の顔が赤くなりっぱなしになるんじゃねえかと思って。迷惑、だったか?」

「あんたのことなんか、もう知らんわ!」


 ぷいっと顔を逸らす七原。

 いやまあ、俺だって自分が不躾な人間だとは自覚しているから、七原が怒るのも無理はないと思うんだが。


「ほら、コンビニ寄って、水分補給するわよ!」

「了解だ、警部補殿」


 もう少し進むと、マンションの一階に併設されたコンビニが見えた。ちょっとは涼めそうだな。

 俺はホルスターに軽く触れてから、先行する七原に歩調を合わせた。


         ※


 コンビニと一口に言うが、この《ヘキサゴン》に進出してきた店舗の快適さには驚かされる。なんと、個室があるのだ。この店舗には四つ。


 外見は、カプセルホテルの個室を縦にしたような形をしている。もちろん、一つの個室に入れるのは一人まで。


 さて、俺はようやく七原がここまで歩いて来た理由に察しがついた。

 一つ目は、デモ行進の現場から離れたところで、水分補給ができること。

 もう一つは、個室で武器の整備ができることだ。


 俺は七原から、自動小銃の入ったスポーツバッグを受け取った。銃火器を詰めておいたやつだ。ジンとの戦闘で使用した武器を取り上げ、分解・清掃を行う。あと、残弾を確認してから弾倉の交換も。


 今は自動小銃と拳銃(二十二口径)の二つ。極力音を立てないよう、ゆっくりと作業したが、誰にも気づかれることはなかった。


「ふう……」


 軽く額に浮かんだ汗を拭うと、軽く異臭がした。うげ。

 まあ仕方ない、汗をかいたのだから。だが、それに加えて火薬臭さも混ざっている。ううむ、こんな状態で誰かに会うのは、できれば丁重にお断りしたいところである。そうはいかないんだけど。


 ああ、ここで制汗剤を購入すればいいのか。俺は銃火器をさっさとスポーツバッグに再収納し、カーテンを開けて売り場に向かった。


「消臭、香水、制汗剤……」


 すぐに見つかったはいいものの、種類がある。どれがどう違うのか、さっぱり分からない。

 ふと目を上げると、男性アイドルグループの写った派手なポスターが吊るされていた。

 

 俺は、自分と同じ年頃の若者が何を欲し、何を目指しているのか、よく分からない。

 それでもきっと、俺よりは『人間らしい』人生を送っているのではあるまいか。


「ん、待てよ……」


 俺は今、そんな『普通』で『人間らしい』生活に憧れているのだろうか?

 確かに、国内で任務に就く時は、どこか自分と彼らを照らし合わせている節があるのかもしれない。

 だが、それは今の俺には望むべくもないことだ。日頃、他者に対して殺傷行為を働いている俺には。


 ということは、七原も同じようなことを考えたり、羨んだりしているのだろうか?

 ううむ、バディではあるが分からないことだらけだな。


「何見てるの?」

「ああ、こんなに臭いんじゃバディに嫌われちまうんでな。ちっとは洒落っ気のあるところも見せねえと」

「え、ああ」

「ところで、今俺に話しかけてるあんたは誰だ?」

「バディよ」

「ほう、道理で聞き慣れた声していやがるな。あれ?」


 俺が首を傾げた瞬間、ぐわっ! と一組の掌が俺の頬を掴み込んだ。そのままくいっと首を捻じられる。


「おお、バディ様とご対面~……」

「馬鹿言ってないでさっさと選びなさい! えーっと、ほら! これがお薦めだから!」


 選びなさいって言いながら、お前に決定権があるのかよ。


「ま、助かったぜ。ありがと――って、おい!」


 すさささっ、と素早く後退りして、七原は自分用の個室に引っ込んでしまった。

 何を考えてるんだか、本っ当に読めないヤツだな。やれやれ。


 俺もさっさと個室に引っ込むか。

 追加で購入したタオルで全身を軽く拭って、制汗剤を噴霧。再度装備を確認してから、颯爽とコンビニの入り口に向かった。


 近所にファミレスがある。市街地中心部での騒動には無頓着に、そして無関係に、深夜営業を続けている。


「徒歩で三、四分ってところか」


 落ち着いた場所で、早急に、どうしても七原と話しておきたいことがあるのだ。

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