第6話【第二章】
【第二章】
意外なほど美味だったカレーを平らげ、俺と七原はヴィーナスに見送られることになった。
「こちらの資料、ありがとうございました。容疑者の外見が把握できて、心強いです」
俺が分厚いファイルを返すと、ヴィーナスは小さく頷いた。
「あたいはここまでしか見送れないのよお、ごめんなさいねえ」
「いえ、我々としても、博士の存在は秘匿しておきたいところです。お構いなく」
七原が無味乾燥な挨拶と共に、短く敬礼する。
「そんな気を遣わなくてもいいのよん? 生きていてくれさえすればね」
生きていてくれさえすれば――。俺にはその言葉が、ただの社交辞令とは思えなかった。今まで地球のどこかで、命を落としてきた諸先輩方のことを思えば。
「ほらほら、葉崎くんも! 緊張しすぎると、逆に身体が硬直して動きづらくなるわよん?」
「は、はッ!」
慌てて敬礼し直す俺に、穏やかな視線を向けるヴィーナス。この任務が終わったら、またカレーをご馳走になりたいところである。
「さあ、行くわよ葉崎! あたしが先行するから、後方の警戒、頼んだわよ!」
「了解だ、警部補殿」
腹が満たされて機嫌を直したのか。七原め、ちゃっかりしていやがる。
彼女は拳をぶつけ合い、俺は拳銃の状態を確かめる。セーフティはまだ外してはいけない。
※
ヴィーナスの拠点を出て、歩くこと五分。俺たちは別世界に飛び込んでいた。
「なんなんだ、これ……」
あまりの熱気に、俺は圧倒された。目の前でデモ行進が行われていたのだ。
飛び交う火炎瓶と煙幕弾が、大通りのビルの壁面を焼いている。橙色に照らし出された光景に、俺は『地獄』という言葉を連想せずにはいられなかった。
デモ隊の鎮圧任務に参加したのは、これが初めてではない。しかし、参加者の個人個人が持っている熱量が、今までとはまるで違う。
今目にしている人々には、明日の食べ物がなかったり、安全を保障されなかったり、教育を受ける権利を奪われたり、ということに対する怒りが込められている。
どこで拾ったのか、銃器で武装している者もいた。
これほど強烈で暴力性溢れるデモ行進は、見たことがない。
「葉崎、大丈夫?」
「お前こそ大丈夫なのか、七原?」
「あたしは大丈夫。あんたがちゃんと後方を警戒してくれればね」
「さいですか」
問題は、この大通りを横切らなければならないということだ。
もちろん、デモが終息してから渡るという手段もある。だが、それでは時間がかかりすぎる。
他の通りを横切ることはできないのか、と考えたものの、これまた却下だ。最短距離を辿ることが出来るのは、やはりここしかない。
俺は七原と肩を並べ、顔色を窺った。こちらをじろり、と見返す七原。
「大丈夫だってば! 葉崎、過保護っていうんだよ、そういうの」
「へいへい。よし、今だ」
「指示しないでよ!」
そう言いながらも、七原は機敏に人混みへと飛び込んだ。
身体を鍛えているとはいっても、俺も七原も小柄である。右に左にと人波に揉まれ、通りを横切るのはやはり困難だった。
ううむ、ここは件の『能力』を使うまでもない、ということか。
ふと、俺の胸を嫌な予感が走った。
万が一ではあるが、今この瞬間、俺たちが狙われているとしたら。強奪された光石によって強化・能力付与を為された民間人が、佐々木一人だけとは考えづらい。
俺たちに目をつけ、返り討ちにしようと爪を研いでいるやつらがいないとは言い切れないのだ。今この瞬間も。
それに三日間のタイムリミットを迎えても、強奪された光石があれば、また能力付与の恩恵を受けることができるという。
ヴィーナスの解説によれば、彼女が保有している光石は効力が弱まりつつあるらしい。これ以上、こちらの光石に頼ってばかり、という事態は避けたいところ。
どうしたものか――。
はっとして顔を上げると、目の前に七原の背中があった。
作戦中に気を逸らしてしまうとは、まったく俺は何をやっているんだ。
人混み中の周辺警戒を再開し、振り返ろうとした、まさにその時。
「ッ!」
敵の気配――俺の血を求めているヤツの臭いがした。
俺は拳銃を抜きながら、思いっきり肘を突き出す。しかし敵はすかさず後退。打撃を与えるにはいかなかった。
俺が呼ぶまでもなく、七原も異常を察した。
「葉崎、しゃがんで!」
反射的に膝と腰を折り、アスファルトに手をつく。すると、俺の上空を勢いよく七原が飛び越えた。
と同時に身体を無理やり回転させ、回し蹴りを見舞う。が、敵と思しき人影は既に人混みに消えていた。
喧騒は、俺が最初の一撃を回避した瞬間から何も変わりない。このまま敵の攻撃を許せば、デモ隊が鎮圧されるまでの間にずっと攻撃を受けることになる。
ちらりと見た瞬間のことを思い返す。敵の得物は、確か金属質な輝きを帯びていた。
ではナイフなのか? いいや、違うな。相手は斬りつけるのではなく、真っ直ぐに突き出すように武器を使っていた。
これは――。
「七原、敵の得物はアイスピックだ! 警戒しろ!」
「了解!」
俺たちは互いに背中を合わせ、周囲に目を凝らした。
今はまだいい。しかし、だんだん集中力が切れてくれば反応も遅くなる。そこでアイスピックを突き立てられたら。
「さっさとケリをつけなきゃな……」
それはいい。だが、背中合わせと言いつつも、七原は俺用のスポーツバッグを担いでいる。自動小銃が入っている袋だ。これのせいで随分動きづらくなって――ん、待てよ?
「七原、下ろせ」
「は?」
「スポーツバッグを下ろせ。急げ!」
七原に続き、俺もさっと屈みこむ。振り返ることなく背後に腕を伸ばし、差し出されたスポーツバッグをひったくる。
七原が四方に目を遣りながら、警戒してくれている。そのうちに、俺はバッグから自動小銃を取り出し、セーフティを解除。
銃口を真上に向け、叫んだ。
「警察だ! 全員伏せろ!!」
ズダダダダダダダッ! と目の覚めるような銃声が轟いた。
俺は撃つ。撃ち続ける。弾倉が空になるまで、宙に弾丸をばら撒き続ける。
拳銃ではびくともしなかったデモ隊の連中だが、自動小銃ではそうはいかない。流石にビビったようで、俺と七原を中心に皆が駆け出し、歪な円状の空白が生まれた。
引いていく人混みから取り残されるように、一人の人間の姿が露わになる。
「でやっ!」
七原の上段蹴りがそいつの手首を直撃し、得物を吹っ飛ばした。
キシシシッ、という甲高い呻き声を上げ、再びバックステップで後退する敵。
その容姿から、俺はさっきヴィーナスに見せてもらった容疑者リストを思い返す。そして、一人の男性に考えが至った。
「ジン・ロドリゲス……!」
細身の男性で年齢不詳。正規のルートでの入国記録がないことから、不法移民者の一人と見られている。
短く切り取られたシャツとダメージジーンズを着用し、やや腰を曲げ、両手に一本ずつアイスピックを手にしている。
俺たちが睨みを効かせると、にやり、と口元を歪め、右手のアイスピックを執拗に舐めて見せた。いかにも下衆、といった風情だな。
弾切れを起こした自動小銃をゆっくりと下ろした俺は、両手を上げて立ち上がる。――と見せかけて、拳銃を抜いて発砲。
ジンから見て、俺たちは場慣れしていない子供に見えているはず。だったら話は早い。その間違いを正してやるだけだ。
しかし実際、俺は自分が思う以上にガキだった。
シャッ! と短く喉を鳴らしたジン。その体躯は異様に柔軟で、腰を曲げた姿勢を取ると、弾丸など当たりやしない。
もちろんジンも、ただ体勢を低めただけではない。俺が呑気に引き金を引いている間にも、俺たちとの距離を詰めてくる。ぐんぐん速度を上げ、一歩一歩が大きくなっていく。
「チィッ!」
俺は拳銃を捨て、わざと転んで体軸を傾ける。躱すしかないと判断したのだが、しかし。
「ッ!?」
ついて来た。ジンが。殺意が。アイスピックがついて来た。
どんな追従性してんだよ、コイツ……!
「はあっ!」
七原が横合いからジンに接近。殺人級の拳を突き出す。が、その合間に、ゆらり、とジンが妙な足さばきを見せた。
「ぐっ!」
次の瞬間、七原がいるべきところには、アイスピックが刺さっていた。
野郎、アイスピックを投擲したのか!
なんとか波状攻撃を加えなければ。俺はナイフを取り出し、再び横転することで体軸を戻した。膝を活かして即座に立ち上がり、こちらもまたナイフを投擲。
一旦退くべきと思ったのだろう。ジンはアイスピックを再度投擲。身体を捻じりながら、大きく跳躍し、闇の街路へと姿を消した。
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