第4話


         ※


 こうして一悶着あった後、俺と七原はこの女性に従って、地下にある彼女の部屋へと歩み入った。


「ご多忙のところ、この馬鹿が大変ご迷惑をおかけ致しまして、誠に申し訳ありません。……ほら、あんたも頭下げなさい! あんたが触っちゃったんだから!」

「ぐえっ! す、すみませんでした……」


 足音で、女性が遠ざかっていくのが伝わってくる。


「まあまあ、顔を上げなさいな。人間たまには、ああいう阿保なことをやらかすもんよ」


 おいおい、あれは事故だぞ。それをどっからどう見たら、俺が阿保ってことになるんだよ。理不尽極まりねえな!


 ……などと言い張る気力もなく、俺はがっくりと肩を落とした。

 と思っている間に後ろ襟を引っ張られた。ああ、顔を上げろって言われたな。


「申し訳ありません、ドクター・ヴィーナス!」

「ん? まあ、二人が反省してくれてればそれでいいよ~ん」


 ドクター・ヴィーナス……。仮称というか仇名というか、コールサインみたいなものか。

 ヴィーナス、つまり金星。美と愛の神。古代の神話に基づいているのだったと思う。


 顔を上げると、ちょうどヴィーナスが振り返るところだった。マグカップを二つ手にしている。


「コーヒーでよかったかしらん?」

「あっ、えっと、お構いなく!」

「若いのが遠慮するもんじゃないの。毒なんて入ってないから、安心してお飲みなさいな」

「はい、あ、ありがとうございます……」


 ゆっくりと手を伸ばし、マグカップを受け取る七原。っていうかコイツ、緊張してるのか? だとすると、これって相当珍しい絵面じゃないか? 七原薫ともあろう者が、初対面ですらない誰かを前にして怯むとは! 


 俺は高笑いしたくなるのを我慢するのに必死だった。

 つまり、俺たちの助っ人たるこの女性、ドクター・ヴィーナスを味方につければ、七原に踊らされずに済むってことだ!


「……」

「あら? あなたはコーヒーお嫌いかしら、兵隊さん?」

「いえいえ! そんなことはありません! 有難く頂戴します!」


 ふふっ、とヴィーナスは含みのある笑い方をした。

 同時に、俺は自分の妄想が流出してしまったことを悟った。

 悟った理由? ない。ただ、この人には下手に近づかない方がいいだろうと判断したまでのことだ。


 七原と話しこんでいるので、俺はヴィーナスを観察した。

 細身で長身。女性にしては珍しく、百八十センチはあるのではないだろうか。

 ヴィーナスの名を冠するだけあって、起伏に満ちた体型をしていらっしゃる。

 髪は黒い長髪で、細い銀色の縁がある眼鏡を装着しており、その奥の瞳もまた細く、鋭い。


「七原さん、また警視庁からいらっしゃったのねえ。お疲れさん」


 話を終えたらしいヴィーナスは、キャビネットに寄りかかりながら腕を組んだ。

 口元には煙草。何なんだ、この違和感のなさは。ヘビースモーカーという猛者のオーラが漂っている。


「ちょいちょい兵隊さん、今は自己紹介の時間だよお? あなたのことは、あたいの顔には書いてないの。お分かり?」

「あっ、すみません!」


 ここぞとばかりに、七原が肘打ちを見舞ってきやがった。後で見てろよ、コノヤロウ。

 脇腹の鈍痛に顔を顰めつつ、俺は防弾ベストの胸ポケットからカードを取り出した。防衛省から直々に配布されている身分証だ。

 逆に言えば、これがなければ俺や七原は自分を定義できない。他人に対しても、自分はこういう者なのだと証明することができない。

 このカードは命の次に大事にしろ。――それが、何名もいる教官たちの一致した命令だった。


 そんな回想をぶった切ったのは、ヴィーナスの一言だった。


「はいは~い! これから《ヘキサゴン》で今起こっていることの説明をしま~す! 無用な夫婦漫才はお止めくださ~い!」

「ぶふっ!?」

「ぐむっ!?」


 俺も七原も、危うく吹き出すところだった。


「だっ、だだだ誰が夫婦ですか! ドクター・ヴィーナス、あなたの現状認識は、あまりにも真実からかけ離れています!」


 七原は前かがみになって、勢いよく言葉を速射した。


「お、俺だって勘弁ですよ、こんな嫁! ぜんっぜん俺のタイプと合致してません!」

「ふっ、はははははははは! 何やってんの、あんた方! いやあ、若いっていいわねえ!」


 よくねえ! どこがいいんだよ、おいコラ!


「まあまあ、気を取り直して! 奥の部屋へいらっしゃいな、あたいってば世話焼きなんだから!」


 俺と七原は、大きく溜息をついた。やれやれ、この期に及んでようやく意見の一致をみることになるとは。

 面倒な人に遭遇しちまったな……。警視庁の協力者リスト、いつかこの目で見てみたいもんである。


         ※


 再びヴィーナスについて行くと、隣の部屋は真っ暗だった。

 俺が目を細めると、しかしすぐに室内は明るくなった。問題は、その光源が不思議な物体だということ。


「何だ、ありゃ……」


 部屋中央に柱状の台があり、その上に光源が載っている。虹色に光を発する光石、なのだろうか。極彩色の光を発し、ミラーボールのように緩やかに回転している。再び目を細めると、ヴィーナスがその光石の反対側へと回り込んだ。


「七原ちゃんにはもう話したわよねえ。というわけで、葉崎くん!」

「は、はいっ!」

「この光石が、実は今回の懸念事項なの。原因といってもいいわねえ。見覚え、ないかしらん? あなたが防衛省に拾われる前、小さい頃にだいぶ話題になったはずだけれど」


 幼い頃のことを考えようとして、俺はふと違和感を覚えた。

 ヴィーナスの口ぶりからすると、彼女は俺が両親を亡くし、防衛省の関係者に世話になったことを知っているようだ。


「待ってください。ヴィーナス博士、あなたはどこで自分のことを知ったのですか?」

「ん~? まあ、その方がちょうどいいって上の人たちが思ったんだろうねえ。もちろん、これ以上は言わない。七原ちゃんに聞かれたくないことかもしれないし」

「そう、ですか」


 ううむ、この人との付き合いは、本当に一筋縄ではいかないな。


「で、本題に戻るけれど。いまから十二年ほど前のことだけど、月面に送り込んだ人工衛星から特殊な鉱物が発見されたのよ」


 ふっと昔のことが思い出された。確かに聞いたことがある。


「研究材料にはなるのだけれど、危険な光が照射される恐れがある。だから、政府主導でこの光石を扱う実験は完全に抹消されてしまったのよん」


 俺は頷きながら、顎に手を遣った。


「あれは嘘だ」

「嘘なんかい!」


 我ながら、なかなかの速度でツッコミを喰らわせてしまった。


「おい七原! 笑うなよ! 自分が博士と面識があるからって、初対面の俺をからかうな!」

「いやあ、ごめんごめん! ツボっちゃった……」


 やれやれ。女心というのはなかなか読み切れないな。

 

「で、博士。この光石が、月面で採集された特殊な物質の塊だ、と? それが秘密裡に研究の対照になり続けた、っておっしゃるのですか?」

「ユー・アー・ライト! その通り~」


 俺は光石を覗き込んだ。こうして置いてあるところからすると、危険性はないと判断されているのだろう。問題は、この光石と、今回の俺の任務にどんな関係があるのか、ということだ。


「うーん、ヒントは七原薫ちゃんと、さっき遭遇した佐々木瑠衣子さんのことだねえ。何か気づいたことはない?」

「ヒント? い、いや、そう言われても……。二人共、馬鹿みたいに強かった、ってだけで――」


 この二人が異常な戦闘能力を有しているのと、これらの光石と。

 戦ってばかりいたってのに、何に気づけというんだろうか。


「そうねえ、考えすぎかもしれないよお、葉崎くんは。二人が強すぎて、超人みたいな戦闘を展開できたこと。あんな力を地球人に授けるのが、光石の力なのよ」

「あ……?」

「あ、じゃないわよ! この石は、あたしやあんたに戦闘能力を与えてくれる! でなければ、あたしがコンクリートの壁面を殴打で割るなんて、できるわけないじゃない!」

「うむ」


 それもそうか。

 って、待てよ。さっきの七原と佐々木の戦いだが、佐々木だって七原と互角に戦っていた。ということは、佐々木も七原と同じく、光石から能力を貰っていると考えるべきだろう。もちろん、一般市民が知る由もない経路で。


 いや、待て待て待て。光石を使って身体を強化した人間が、この街に潜伏している、ということか? 力を有した彼らは、善良な市民か? それともとんだ大悪党か?


「これって――」


 相当ヤバい状態だよな。

 光石が主の心を覗いて、善良か否かを判定してくれる。――そんな都合のいい物体だとは限らないのだから。

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