第3話
※
さて、もちろん警察が裏口を押さえていないはずがない。
踏み台にした車から飛び降りるや否や、複数のダットサイトから放たれる赤い光線が、俺たちを捉えた。
ここで警官たちが引き金を引けば、回避は絶対に不可能。幸いなのは、正面よりも裏手の駐車場に配備されていた警官たちが少人数だったことか。
俺は七原に、半ば転がり落とされるような格好で解放された。直後に響く、『動くな』『手を上げろ』という決まり文句。
銃器を装備している警官は二名、さらにやや後方に二名。合計四名だ。
さて、どうするか。……などと俺が思案する間に、七原がいきなり飛び出した。彼女の脚力に耐えられなかったのだろう、クッションに使った車は真っ二つに。所有者にはとても見せられない。
そんなことより、問題は七原だ。俺がはっとして声をかけると、こんな答えが返って来た。
「ここは任せて!」
いや、任せてって言われてもな。敵の得物は拳銃か自動小銃だ。とても白兵戦に持ち込めるようには見えない。
だが、実際のところは七原の圧勝だった。
車の屋根から前方へ、勢いよく飛び出した七原。着地と同時に、ぐっと膝を折ってしゃがみ込む。
するりと警官の懐に入り、正拳突きを見舞う。一名ダウン。
そこからは一瞬だった。気絶した警官の身体を盾にしながら、二人目の下へ直行。そして最初の警官の頭部を掴み込む。
まるでスポーツ用のボールのように持ち上げ、射撃を躊躇う二人目の脳天に叩きつけた。二名ダウン。
「葉崎っ!」
ああ、やっとか。俺の方へ拳銃が放られてきた。二十二口径。
七原のやつ、まさか敵を殺さないようにするために威力の低い拳銃を選んだのか?
いや、そんなことはどうでもいい。俺は今度こそ、敵の脚部に銃弾を見舞った。
簡単なことだ。警官二人は、七原の回し蹴りから着地、それからまた回し蹴りというコンボで完全にのされてしまった。
《朝倉隊、どうした? 応答せよ! 朝倉巡査部長!》
喚き続ける無線機を見下ろし、俺はそれを蹴りつけた。するするとアスファルト上を滑っていく無線機。それが停止したのは、七原の足元だ。
俺が頷くと、七原は頷き返して勢いよく無線機にブーツの裏を押しつけた。一発で、無線機は原型をとどめないほどに粉砕された。
ふむ。言葉がなくても、七原との意思疎通はある程度可能らしい。毎回こんなふうに通じてくれると助かるんだけどな。
俺は自動小銃を忍ばせたスポーツバッグを背負い直す。すると、折悪しくエントランス組の警官たちが駆けてくるところだった。機動隊までいる。
さて、ここから先は裏道で、大通りに出るのは容易だ。しかしなにぶん、俺には《ヘキサゴン》における人脈がない。今後の展開は、七原の一存に頼ることとなる。
部屋にいるうちに、さっさと七原に聞いておけばよかった。伏せながら悔やんでいると、同じく腹這いになった七原がハンドサインを出すところだった。どうやらアテがあるらしい。
俺はすぐに、先行するようにとハンドサインを返し、自分の胸元から筒状の武器を取り出した。閃光音響手榴弾だ。
タイマーを五秒にセットして、俺は自分の頭部を腕で守った。
バン、という破裂音が響き渡る。真っ白な光が、瞼を閉じた俺の目にまで入ってくる。
だが、俺は既に七原の居場所を確認している。
俺は立ち上がり、しかし頭を下げた状態で、七原の気配のあった廃ビルの隙間へと駆け出した。
※
薄暗いビル群の間を抜けること、約二百メートル。流石に直線距離での移動はできなかったので、三百メートルくらいにはなっているかもしれない。
七原に追いついた俺は、軽く肩を叩きながら静かに声をかけた。
「お前、どこか行くアテがあるんだな? 俺よりはこの街に馴染んでいるようだけど」
「やりようはあるわよ。あなたのことも、きちんと理解しておきたいし」
今日何度目かの溜息が、俺自身をがっくりと項垂れさせる。
「だからそんな仲良しごっこは止めろって――」
「ほら、もう大通りに出るわよ。さあ」
そう言って、七原は俺の手を引いた。ほとほと呆れまくったせいか、一周回って不快感はそれほど感じてはいないんだが……。場違いな感じは拭いきれない。
まあ、脳内シミュレーションでもしておくか。
俺の所属部隊では、市街地戦を中心にしながらも、野戦を想定した訓練も行われていた。
ある程度なら俺だって、いろんな環境で戦える。だが、市街地戦が最も自分に適しているという実感があるのも事実。これは、この作戦で俺自身が、自らに対して明らかにしていく事柄だ。
「七原、俺がお前を見失う可能性は低い。このまま先行してくれ。俺は拳銃でお前を援護しながらついていく」
「あれ? 珍しいわね、あなたがそんな素直に事態を受け入れてくれるなんて」
「合理的な手段を選んだだけだ。気を緩めるな」
「へいへい」
《ヘキサゴン》における夜間の大通りというのは、なんとも不思議な空間だった。その猥雑さ、秩序のなさに、冒険心をくすぐられる人もいれば、唾棄したくなる人もいるだろう。
そこに、初期のメガフロート建造時には予想し得なかった様々な要因がある。それこそ、治安の悪さとか。
三十八口径を背中の帯に差しながら、七原は人混みを巧みに切り抜けていく。
俺も一旦、ホルスターに拳銃を戻す。残弾数が気になるが、まだそんなに撃ってはいないはずだ。
「もうすぐ着くわよ、驚かないでね?」
「あ、ああ」
肩がぶつかりそうな通りを抜けると、そこはまさに大都会、というべき世界が広がっていた。同型モデルの高層ビルが立ち並び、圧倒的なインパクトはある。が、オリジナリティーを感じさせるものではない。
飽くまでも機能性だけを重視した、冷たい感じがする。ネオンがあちらこちらで輝いて、こっちの目までチカチカしてきそうだ。
こんなところに、本当に警視庁に通ずるものがあるのだろうか? まあ、これほど平和ボケした日本が統治するのだから、大したものではないと思っていた。武装は俺たちよりも優秀かもしれないが。
俺は密かに、拳銃のセーフティを解除した。いつどこから、敵対勢力に属する輩に奇襲されるか分からないからだ。
「葉崎、こっちへ。あたしが先に行くから、この地下道まで下りてきて」
「ああ、分かってるよ……」
と言いながらも、俺は七原ではなく、自分を中心に置いて周囲の状況を探っていた。
喧騒の中、不可解な金属音はしないか、火薬の臭いはしないか、その他何でも異常はないか。
尾行はされていないようだと俺が判断する頃には、七原は階段を下りきっていた。
「何やってんの! さっさと来なさいよ!」
「お前が無頓着すぎるんだよ、周囲の状況に!」
「そんなもん、どうやって察知するのよ!」
「……」
そうだな……。こればっかりは、習ったからとか経験だとかで上達するものではあるまい。
強いて言えば、周囲の状況を察知するのは戦闘におけるセンスだ。先天的なもの。後天的に鍛えるのは厳しいだろうな。
階段を下りきると、左側にスライド式のドアがあった。見た限り、立派な耐震・耐弾仕様。遮音性や耐火性も高いだろう。
しかし、こんな場所に誰がいて、何をしているというのだろう?
振り返ってみると、監視カメラが備え付けてある。俺たちがここにいることは、ドアの向こうの誰かさんにはとっくに気づかれているはずだ。
にも拘わらず、向こうが反応を示さないとなれば。
「でやっ!」
俺は思いっきり自分の右肩を突き出し、ドアに突進。ぶち破ろうと考えた。だが、自分が矛盾していることに、すぐさま気づかされた。
さっきあれほど、このスライドドアが厳重であると分析していたのは、他ならぬ俺である。
通常の人間が頑張ったところで、どうにかなるものではない。それは明確じゃないか。
「なあ七原、お前の鉄拳で破れないのか? このドア」
「ふーむ……。厳しいわね」
七原がそう言うのだったら仕方がない。彼女の拳は、極めて高い破壊力を秘めている。それがここで使用不能になったら目も当てられない。
「どうしたもんかな……」
俺はドアの方へ向き直り、ノックしようと腕を振り上げた。その時。
むにゅ。――といって、ドアに非ざる柔らかい物体が、俺の手に触れた。いや、触れたなんてもんじゃない。俺の手が掴んでしまったのだ。
「……」
「あー……。どうもすみません……」
俺の右腕の拳は、ものの見事に、その人物の谷間に近いところにぶつかっていた。
「あらあら、可愛いお客様だと思ったら、威勢がいいのね! 後で半殺しにしてあげますわ!」
……まーたキャラの濃いヤツが出てきやがったっ!
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