第33話 蜘蛛と死神

 この世界に、銃という概念はない。故に、ルピンはこれが武器かどうかすら分からないはずだ。しかし、それでも何かを感じ取ったようで、ルピンはとっさに頭と胸を曲剣の腹で隠した。その瞬間、耳がキーンとするような甲高い金属音が響く。


「何かと思えば……弓みたいなものネ」


 ニヤリと笑ったルピンを見て、俺はため息をついた。

 さすがはマフィアのボス。一撃で終わるなんて甘い話はなかったか。


「ま、そうじゃないと面白くないけどな」


 そう言って、俺は再び引き金を引いた。


◇◆◇


 飛来するナイフを、フランは同じくナイフで弾く。

 攻撃を仕掛けたブルトンは、舌打ちをした。


「メイドごときが……さっさと退け……!」


「私はあなたを自由にさせるつもりはございません。どうしてもと言うのであれば……どうぞ、力尽くでも構いませんよ」


「……そうか。では、死ねッ!」


 ブルトンは、フランに向けて無数のナイフを投げつける。


「芸がありませんね……」


 フランは蝶のようにふわりと跳び上がる。そして、空中からブルトンに向けてナイフを放った。


「芸がないのはお前もだろう……!」


 先ほどのお返しとばかりに、ブルトンはすべてのナイフを弾いてみせた。


「そう言う割には、すべて防げなかったようですが」


「っ……!」


 一本のナイフが、ブルトンのズボンの裾を地面に縫い付けていた。そのナイフが、一瞬ブルトンの動きを止める。フランはその一瞬を見逃さず、懐に飛び込んで掌底を放った。


「ぐっ⁉」


 ブルトンは、とっさに両腕を交差させて防ぐ。しかし、その外見からは決して想像できないほどの威力で、ブルトンの体は後方へ大きく吹き飛ばされた。


――――なんだ……⁉ この威力は……!


 ブルトンの額に冷や汗が浮かぶ。フランの掌底の威力は、イグニアのような怪力から生まれるものではない。それは体の使い方。人を破壊するために最適化された、肉体に染みついた技である。


 吹き飛ばされつつも、ブルトンは投げナイフを手に取ろうとする。ただ、その腕はひどく痺れていた。踏ん張りが利かない状態で、フランの掌底を真正面から受けたのだ。腕が痺れるのも当然である。


――――なんとか回復を……!


 そう思って、ブルトンは大きく距離を取ろうとする。


「距離を取って回復を……なんとも分かりやすい思考ですね」


「なっ……⁉」


 気づけば、ブルトンの眼前にはフランがいた。フランはブルトンの胸ぐらを掴むと、そのまま地面に叩きつける。


「がはっ……」


 肺の空気を吐き出しきってしまったブルトンは、激しく咳き込む羽目になった。それでも、ブルトンは優秀な殺し屋。何度も修羅場を潜り抜けた実績と経験がある。追撃を避けるべく、ブルトンはすぐに体を起こして離脱を図った。


「……何故、追撃しない」


 ブルトンはフランを睨む。ブルトンの呼吸が整うのを、フランは何もせず待っていた。

 それは、明らかに余裕の表れだった。


「アッシュ様の戦いがまだ序盤のようだったので、こちらもそれに合わせようかと」


「なん……だと……」


 ブルトンは、フランがチラチラとアッシュのほうを見ていることに気づいた。戦闘中に、視線を外されるという屈辱――――。腹の底から湧き上がる怒りに任せ、ブルトンはナイフを手に取った。


「殺す……!」


「あなたには無理です。〝蜘蛛ラーニョ〟」


「っ! な、何故その名を……」


「私も裏の界隈にいたもので、同業者・・・の名前や手口はよく耳に入るのです」


 あなたは私をご存じではないようですが――――。


 そう言いながら、フランはブルトンを見下す。殺し屋の情報とは、目撃者から広がっていくもの。名や手口が知られている殺し屋は、二流である。

 屈辱で顔を歪めたブルトンだったが、ひとりだけ、ここまで圧倒的な強さを持つ殺し屋に心当たりがあった。


「まさか貴様……〝死神モルテ〟か……⁉」


 ターゲットが誰であろうと正面から堂々と現れ、その場にいた者たちを皆殺しにする。現場には数多の武器が使われた痕跡が残っているが、あまりの種類の多さに、ほとんどの者が〝死神モルテ〟をチーム・・・だと思っていた。


「……そうだと言ったら?」


「っ……そうか。くくくっ、まさか伝説を相手取ることになるとはな……。血沸き肉躍るではないかッ!」


 ブルトンがナイフを投げつける。あっさりとそれをかわしたフランは、真っ直ぐブルトンとの距離を詰めにいった。しかし、彼女はすぐにその足を止める。


「ふっ、さすがは死神モルテ……私のとっておきの糸すら見破るか」


 フランの前には、いつの間にか無数の糸が張り巡らされていた。このまま突っ込めば、サイコロステーキのようにバラバラになっていたことだろう。

 その糸は、ダケットの屋敷で見せたそれよりもさらに細かった。フランが足を止めたのも、ほとんど予感のようなものである。


「これは魔導士と職人を脅して作らせた最高傑作の糸でね。あまりにも細すぎて、一度使うともう回収できない代物なんだ」


 フランが動かないのをいいことに、ブルトンはガラクタの山に向けてナイフを投げる、その柄には、当然糸が結び付けられていた。


「この糸を使うのは、相手が特別中の特別だったときだけだ……。さあ、どうする死神モルテ。すでにここは私の巣と化した。貴様とて、この糸をすべて掻い潜ることは不可能なんじゃないか?」


「はぁ……まあ、そうですね」


 フランはどこか退屈な様子で、ボヤッと返事をした。

 その態度は、当然ブルトンの怒りを買った。


「この私を……舐めるなァ!」


 フランに目掛け、再びナイフを放つ。先ほどと同じように、跳び上がってそのナイフをかわすフランだったが、それを見たブルトンは狡猾に笑った。


「これまで貴様にかわされた幾本ものナイフ……そのすべてに糸が繋がっていると、貴様は気づいていたか?」


 両手から伸びる糸に、ブルトンは魔力を流す。すると、糸の先にあったナイフたちが浮かび上がり、その先端を空中にいるフランに向けた。


「〝スレッドヴァイツ〟!」


 ナイフが、一斉にフランを襲う。しかし、間近まで凶器が迫っているというのに、フランの退屈そうな表情は変わらなかった。


「〝淑女の嗜みファーストレディ〟」


 フランが〝祝福ギフト〟を発動すると、その手には巨大な鎌が握られていた。かなりの重量があるそれを、フランは軽々と振り回し、ナイフを打ち落とした。


「チィ! 〝祝福ギフト〟持ちか……!」


「そろそろ、フィナーレと参りましょう」


 着地と同時に、フランは地を蹴ってブルトンに飛びかかる。


「バカな……! 私の巣に正面から突っ込んでくるとは――――」


「よほど糸の細さに自信があるようですが、あると分かっていればかわすのは容易です」


 フランの動きは、まるで舞のように優雅だった。ときに力強く、ときに柔らかく、そしてしなやかに――――。確かに、ブルトンの糸はひどく細く、光の反射でもほとんど視認できない。故にフランは、ブルトンの思考を読んだ。どこに糸があれば敵が引っかかるか。そのセオリーを読んだのだ。

 糸と糸の隙間を縫うように、確実に近づいてくるフランを見て、ブルトンは自身が恐怖を抱いていることに気づいた。


「来るな……!」


 ブルトンが一歩後ずさる。すると、背中に鋭い痛みが走った。


「いっ……」


 背中を伝って、血が流れる。ブルトンは、自身で仕掛けた糸に触れてしまったのだ。糸使いとして、最悪の失敗である。


「自ら仕掛けた糸に当たってしまうとは、なんとも情けないですね」


「ひっ……⁉ や、やめろ……!」


 ついにフランは、ブルトンの眼前に到達した。彼女は優雅にお辞儀をしたあと、持っていた鎌を構える。


「では……これにて」


 体の回転と共に、フランが鎌を振る。恐怖で身動きひとつ取れなかったブルトンの首は、呆気なく胴体に別れを告げた。

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