第29話 思惑通りと計画通り
「まったく……戦うなら戦うでちゃんと言ってくれないと困るぞ」
そう言って、イグニアは頬を膨らませた。
「悪い、ちょっと許せないことがあったもんで」
「……?」
女をもののように扱ったり、乱暴したりするやつを見ると、どうにも怒りが湧いてくる。
思わず手が出てしまったのも、そのせいだ。
「とにかく、一応はなんとかなったんだ。さっさと奥の部屋を調べてみよう」
「……そうだな」
俺たちは、怪しげな扉を見つめる。
――――さて、この先に一体何があるのやら……。
扉を調べると、当然のように鍵がかかっていた。
「……仕方ない、バーテンが鍵を持ってたり――――」
「ふっ!」
カウンターのほうへ鍵を探しに行こうとすると、イグニアが扉を前蹴りで吹き飛ばしてしまった。唖然としている俺の前で、イグニアはドヤ顔をする。
「ほら、開いたぞ」
「お、お前ぇ……」
「こっちのほうが手っ取り早いだろ?」
イグニアが首を傾げたのを見て、俺は頭を抱えそうになった。
言いたくないが、この脳筋っぷりでよく騎士が務まるもんだ。確かにこのほうが手っ取り早いし、ここまで暴れてしまった以上、コソコソする意味ももうないのかもしれないが――――。
まあ、さっき最初に手を出してしまったのは俺だし、人のことは言えないか。
「……じゃあ、行こうか」
「うむ」
扉の向こうは、薄暗い廊下だった。
この雰囲気は、夜会会場に転移したときの廊下とよく似ている。
奥には扉があった。どうやらこの扉には鍵がかかっていないらしい。俺は再び蹴破ろうと足を持ち上げたイグニアを止めて、ゆっくりとその扉を開けた。
「っ……ここは」
俺はそこに広がる光景を見て、目を見開いた。
「知っているのか?」
「ああ……まあな」
この場所は、どう見てもあのときの夜会会場だ。会場の奥には、もうひとつ扉がある。ちゃんと覚えている。あの扉の先には、転移魔法陣があるはずだ。
これで、バー〝ベリアル〟とインヴィーファミリーの関係は確実なものとなった。しかし、肝心の胴元に繋がる情報がどこにもない。
「……困ったもんだ。これじゃただの
「え?」
俺がそうつぶやくと、店のほうから人の気配がした。
イグニアが剣に手を伸ばしながら、店側を警戒する。すると、俺にとっては三度目の対面となる男が、ゾロゾロと仲間を引き連れながら現れた。
「昨日ぶりだな。会いたかったぞ」
その男、ブルトン=アーモンドは、俺たちの顔を見てそう言った。
「俺たちは誘い込まれたってわけだ」
「貴様らが掴んだ情報がここに繋がっているとは限らなかった。だから念のため、この近辺で張り込んでいたというだけの話だ」
ブルトンは肩を竦める。まさか、こんなに上手くいくとはとでも言いたげに。
そのとき、イグニアのほうから、ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「ここで会ったが百年目というやつだな……今度こそ逃がさん。騎士団の名のもとに、貴様を拘束する」
「くくっ……非番のくせに、私を捕まえる権利があるのかな?」
「なっ……何故それを」
驚くイグニアの前で、ブルトンは大声で笑ってみせた。
「まったく! 愚かなやつらだ! 騎士団にも、国の上層部にも! 我らマフィアに情報を提供する者はいくらでもいるんだ! それだけじゃない! 国の深い深いところまで、我々の手は伸びている! 貴様らのような一個人がどうにかできるようなものではないのだ!」
「……そんな」
衝撃のあまり、イグニアは数歩あとずさった。イグニアは、良くも悪くも純粋すぎる。
自分が所属する団体を、盲目的に信じてしまっている。だが、それは責めることじゃない。騎士団は、彼女が心の底から尊敬する父親が従えている団体だ。たとえ疑えと言われたとしても、そう簡単に切り替えられるほど、心というものは簡単じゃない。
「……ただ、騎士団の力も借りずここまで来たのは称賛に値する。喜べ、愛しきクソガキども。我がインヴィーファミリーのボスが、貴様らの顔を見たいと仰った」
「ボス……だと」
「貴様らに与えられた選択肢は、二つ。ここで死ぬか、それとも、ボスの前まで大人しく連行されるか……さあ、選べ」
いつの間にか、部屋中にブルトンの糸が張り巡らされていた。ここまで準備万端で来られると、さすがに分が悪い。
「くっ……上等だ! 無様に捕まるくらいなら、ここで――――」
「待て、イグニア」
「臆したか、アッシュ! 何故止める⁉」
「そうだ、臆したんだ。ここで戦っても、何もできず死ぬだけなんだからな」
「っ……」
「なあ、イグニア。まずは冷静になれ。俺たちは完全に嵌められたんだ。今は向こうのペースなんだよ。ここでいくら戦っても、意味がないんだ」
「……分かった」
イグニアが再び奥歯を噛み締める。散々脳筋だのなんだのと言ったが、イグニアは決して頭が悪いわけではない。ちゃんと説明すれば、こうして分かってくれる。
「ふっ……没落貴族のドラ息子にしては、頭が切れるようだな。思えば、貴様にはずいぶん出し抜かれたもんだ」
ニヤニヤとゲスな笑みを浮かべながら、ブルトンは俺のもとまで歩み寄る。
「貴様だけは、必ずこの手で切り刻んでやろうと思っていたが……ボスの命令だ。今しばらくは生かしておいてやる」
「……そいつはどうも」
ブルトンが腕を振る。すると、俺の頬に一筋の傷ができた。
「こうして貴様を運んでやるのは二度目だな。前回もどうせ起きていたんだろう?」
「はは、どうかな……」
「ふんっ……こいつらを拘束しろ」
ブルトンが従えている男たちが、俺とイグニアの体を縛る。
そうして俺たちは、外へと連れ出された。
――――参ったな……。
ああ、本当に参った。まさか、こんなに
◇◆◇
グランシエル王立騎士学園の旧図書室。数多の本に囲まれた少女、ノワール=クロフティは、ページをめくる手をぴたりと止めて、本を閉じた。
「……主様のお使い?」
「話が早いようで助かります」
小さな窓から滑り込んできたフランが、ノワールの前に着地する。
「私に会うためにわざわざ学園に侵入するくらいなら、エレンが来ればよかったんじゃない?」
「わざとらしい質問でございますね。アッシュ様の記憶を読み取っているあなたには、すべてが伝わっているのでしょう?」
「……さすが、よく気づいたね」
アッシュは、すでに〝
学園に自由に入れるエレンではなく、わざわざ
「じゃあ、教えればいいんだね、アッシュの居場所を」
「はい」
「まったく……私を巻き込む前提で、自分をわざと攫わせるなんてね」
――――〝
そうつぶやいたノワールは、アッシュの記憶が刻まれた本を開く。〝
「アッシュは今、馬車に乗せられてるね。スラム街のほうへ移動してるみたい」
「スラム街ですか……分かりました、ありがとうございます」
用は済んだとばかりに、フランは入ってきた窓まで軽やかに跳び上がる。
「ねぇ、また遊びにおいでよ」
そう声をかけられたフランは、訝しげな視線をノワールに向ける。
「何故?」
「あなたの記憶も面白そうだから」
「タダで記憶を読み取らせるほど、お人好しではないのですが……」
「じゃあ、アッシュの情報と交換しない? 女の子の趣味とか、色々知ってるけど」
「――――考えておきます」
その解答に、ノワールはクスリと笑う。そうして一瞬意識が逸れたときには、もうフランの姿はどこにもなかった。
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