第28話 突入と乱闘

 イグニアと共に歩いていると、すぐに目的地にたどり着くことができた。

 バー〝ベリアル〟。そう書かれた看板の下には、地下へと続く薄暗い階段があった。

 俺は、自分がなんとなく緊張していることに気づく。思えば、前世からこういう店には縁がなかった。飲み会はいつも大衆居酒屋だったし、ひとりで挑戦する度胸もなかった。


――――せめて一回くらい行っとけばよかったな……。


 そんなことを思いつつ、俺はイグニアと共に階段を下りる。奥には扉があり、それを守るように黒服の男が立っていた。この状況、夜会に参加したときとよく似ている。


「……会員証を」


 男は俺たちに対し、低い声でそう告げた。

 途端、イグニアの表情が固まる。そりゃそうだ。会員証が必要なんて話を、彼女が知っているはずがない。


「アッシュ……! ど、どうする⁉」


 目を泳がせながら、イグニアが小声で訊いてくる。俺はイグニアを安心させるべく、その肩に手を置いた。


「大丈夫、ここは俺に任せろ」


「え?」


 俺は懐から一枚のカードを取り出した。それは、ダケットの部屋で見つけた〝ベリアル〟のカード。一度あのカードに触れたことで、すでに〝祝福ギフト〟の条件は満たしている。最初から会員証が必要になることを見越して〝鏡の国の暴君クローン・オブ・アリス〟で複製し、名前の部分だけを偽名に変えておいた。


「ほら、会員証だ」


「……確認した」


 低い声でそう言いながら、男は扉の前から退く。上手く騙されてくれたようだ。

 店の中に入ると、まずカウンターが見えた。そのうしろにはバーテンダーらしき男と、壁一面に用意された酒が見える。客は三人ほど。全員ガラの悪いゴロツキといった風貌だ。おそらく、マフィアの下っ端か何かだろう。談笑していたようだが、俺たちが入ってきた途端ぴたりとやめて、警戒の視線を向けてきている。


「いらっしゃい。何か飲むかい?」


 店に入ってきた俺たちに、バーテンが声をかけてきた。普通の接客のように思えるが、このバーテンからも強い警戒心を感じる。もはや、いつ襲い掛かってきてもおかしくない状況だ。

 イグニアと共にカウンター席に座り、俺はバーテンの背後にある酒を眺める。この世界は、日本と違って成人という概念がない。酒を飲みたきゃいつでも飲めるし、タバコや葉巻だって、何歳から吸ったところで咎められない。

 何はともあれ、注文くらいはするべきだろう。


「じゃあ、エールを二つ」


「……エール二つね」


 エールとは、言ってしまえばビールのことだ。前の世界でエールと言えば、ビールの中の一種だったが、逆にこっちの世界にビールという概念はなく、エールというよく似たものしか存在しない。


「お、おい……私は酒など飲んだことないぞ……?」


「大丈夫だ。ていうか、一応ここは敵地かもしれないんだから、絶対飲んじゃダメだぞ」


「……確かにそうだな」


 フッと笑ったイグニアは、そのまま目を伏せた。


――――なんでがっかりしてんだよ、こいつ……。


 そんなに飲んでみたかったのかな、酒。


「はい、エールね」


 エールを受け取った俺は、そのまま飲むふりをする。このとき、違和感がないように、わざと喉を鳴らすのがポイントだ。

 俺の行動を真似て、イグニアもエールに口をつける。そのとき、勢い余ってエールが口に入ってしまったようで、一瞬ものすごく渋い顔になった。どうやら、イグニアに酒はまだ早かったらしい。


「……さて」


 俺はそう一言つぶやき、意識を切り替える。

 中にいる人間を除けば、ここはただのバーでしかない。しかし、店内の奥まったところに見える扉が、どうにも怪しい。なんとかあの向こうに行きたいところだが、まずはこいつらを片付けなければならない。できれば、一瞬で片をつけたいが――――。


「おい、テメェら」


 そんなことを考えていると、テーブル席で飲んでいた男たちに声をかけられてしまった。

 俺たちに訝しげな視線を向けながら、三人の男たちはゆっくりと俺たちに詰め寄ってきた。立ち振る舞いからして、それぞれ背中に武器を隠している。ナイフや短剣といったところだろう。


「見ねぇ顔だな。新参か?」


「新参? なんの話だ?」


「とぼけんじゃねぇよ。この店は俺たちの・・・・関係者しか入れねぇ場所だ。会員証を持ってるってことは、最近ファミリーに入ったんだろ?」


「ああ、まあ……そんなところだ」


「……おかしいな。今日は新人が来るなんて話は聞いてねぇが」


「ははっ、あんたらが聞き逃しただけじゃないのか?」


 俺の返答に苛立ったのか、声をかけてきた男の額に青筋が浮かんだ。やはりここは、マフィアの根城だったようだ。この状況は、むしろ好都合。向こうから喧嘩を売ってきてくれるなら、こっちも気軽に買いやすい。


「おいおい、こいついい女連れてんな」


 声を高くしながら、連中のひとりがイグニアの顔を覗き込む。


「なあなあ、この野郎ぶっ殺して、女もらっちまおうぜ。どうせこんな新参がいなくなったところで、上は文句言わねぇだろ」


 鼻息を荒くしながら、男はイグニアを舐め回すように眺める。その視線に嫌悪感を抱いたのか、イグニアは顔をしかめた。


「まあ待てや。おい、新参野郎。この女を置いてとっとと消えるなら、命だけは助けてやる」


「……俺が消えたとして、彼女をどうするつもりだ?」 


「んなもん、壊れるまで遊んでやるに決まってんだろ?」


 男たちがゲラゲラと笑い始める。


――――聞くに堪えねぇな……。


 拳を握りしめたそのとき、イグニアに迫っていた男が突然大きな声を上げた。


「あー! もう我慢できねぇ! おい女! ちょっとこっち来い!」


「っ!」


 薬物でもやってるのか、男は血走った眼をしてイグニアの腕を掴んだ。

 刹那、俺の中で何かの糸が切れる。


「……おい」


「あ? かっ――――」


 流れるように繰り出した拳が、男の顎を的確に打ち抜く。たった一撃で意識を奪われた男は、糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。


「あ……アッシュ?」


「おっと、つい」


 仲間がやられたのを見て、残った男たちは顔を真っ赤にしながらナイフを抜いた。


「テメェ……! ぶっ殺すッ!」


 ナイフを振り上げ、前にいた男が俺に飛びかかってくる。俺はそれを潜るようにしてかわし、胴に肘を一発。男が息を詰まらせ前のめりになったところを狙って、拳で顎をかち上げた。瞬時に意識を失った男が崩れ落ちるのと同時に、俺はもうひとりの男に接近。驚いた男がナイフを振るよりも速く、俺は男の顎を蹴り上げた。


「ごっ」


 他の連中と同じように意識を失った男は、そのまま仰向けに倒れる。


「っ! く、クソっ……!」


 残すはバーテンだけ。バーテンは増援を呼ぶために、入口のほうへ走り出す。それに反応したイグニアは、すぐにバーテンの前に割り込み、その顎を鷲掴みにした。ヴィゴーレのときと同じような骨の歪む音がして、バーテンの顔が痛みと恐怖で青ざめていく。


「悪いが、寝ていてもらうぞ」


 イグニアは、力尽くでバーテンの頭をテーブルに叩きつける。

 テーブルは派手な音を立てて壊れ、バーテンは見事に意識を失った。


「おい……そんな音を立てたら……」


「……あ」


 バーの入口が開き、先ほどの黒服が中に飛び込んでくる。


「何ご――――」


「寝ておけ!」


「がっ!」


 イグニアが床に転がっていた酒瓶を投げつけると、それは黒服の頭部を直撃した。

 白目をむいた男は、フラフラとしながらやがて床に倒れ込む。


「「……ふぅ」」


 俺とイグニアは共に息を吐き、額に滲んだ汗を拭った。 

 やれやれ、ごり押しでも意外となんとかなるもんだな。

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