第17話 夜会と転移

「アッシュ様のご指示通り、エレン=マドレーヌの身辺調査を行いましたが、特に彼女の歪みの原因となる情報は手に入りませんでした」


「そうか……ご苦労だったな」


 フランの報告を聞いて、俺は小さくため息をついた。

 あれから数日。夜会の時間が刻一刻と迫る中、俺は大きな不安を抱えていた。

 その要因は、もちろんエレンである。あの歳であの歪みっぷりは、何か大きなきっかけがあるに違いないと予想していたのだが、当てが外れた。


 優秀なメイドであるフランは、諜報活動すらもお手のもの。ただ、それでも調べられることには限界がある。調べきれなかった部分に歪みの原因がある可能性は捨て切れない。ていうか、そうであってほしい。あれが天然モノだったら、あまりにも恐ろしすぎる。


 何はともあれ、これで彼女はますます得体の知れない存在になってしまった。仲間に加えるなど論外。たとえあの首輪が本物だったとしても、手に負える気がしない。


「アッシュ様、夜会は今夜ですが、私はいかがいたしましょうか」


「ひとまずは待機だ。夜会には俺だけで乗り込む」


 一応、エレンもいるけど。


「夜会がインヴィーファミリーに仕切られていたら、参加者はそのままオークションにかけられているはずだ。状況によっては、俺がそのまま売られる可能性もある。そのときは、お前がオークションに参加して俺を買え」


「承知いたしました」


 さて、ここまで話し合っておいてなんだが、そもそも俺は夜会に参加できるのだろうか?


――――ま、行ってみてのお楽しみだな。


 俺の名前で複製した招待状を手に取り、ニヤリと笑った。



 学園に登校した俺は、特に何事もなく放課後を迎えた。

 それから図書室などで時間を潰して、のんびりと夜を待つ。


「すっかり夜だね。こんなに遅くまで残ったのは初めてだよ」


「ああ、俺もだ」


 人気のない廊下を、エレンと共に歩く。

 学園内には、もうほとんど人の気配がない。この調子なら、誰とも鉢合わせず裏庭に行けるだろう。


「私、今日はかなり気合入ってるんだ……絶対、アッシュ様の役に立ってみせるからね!」


「気合が入ってるのはいいけど、様はやめろって……」


 ため息をつきながら、俺はそう釘を刺す。

 あの日以来、エレンはずっとこんな調子だった。何度指摘してもやめてくれないため、もはや俺も諦めつつある。


「……ん?」


 期待した通り、誰にも会わずに裏庭まで来ることができた。しかし、そこには何もない。

 誰かが待っていることを期待したのだが、人どころかヒントになるようなものもなさそうだ。


――――勘付かれたか……?


 そんな考えが脳裏をよぎる。俺がついてきたことを知って、撤収した可能性もゼロではない。ただ、それなら何かしら物音や気配がしてもおかしくないはずだが……。


「いや……変だな」


「変って、何が?」


「この空間って言えばいいのかな……とにかく、違和感があるんだ」


 そう言って、俺は周囲を見回す。それは、自分の部屋のものを勝手に動かされていたときのような、ほんの小さな違和感でしかない。


――――けど、そういうものから危険を察知しろって、フランから教わったんだよな……。


 俺がフランから叩き込まれたのは、殺し屋としての戦闘技術、そして自身を危機から守るために大切な〝感覚〟だった。


『たとえ微かな違和感であっても、それには必ず理由があるはずです。そういうときは感覚を研ぎ澄まし、違和感の元を探してください』


 フランのありがたいお言葉を思い出しながら、俺は裏庭を歩き回る。


「わぁ……雑草が伸びっぱなしだ。裏庭って、ほとんど来ることないよね」


「ああ、何かあるわけでもないしな」


 裏庭は、庭園のようになっている。レンガで道が作られていて、その周りをたくさんの緑が囲んでいた。ただ、利用者が少ないせいか手入れが行き届いておらず、フランの言う通り、雑草が伸び放題になっている。廃墟のような、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。


 道なりに沿って歩くと、六角形のガゼボが見えてくる。

 ここだ。感覚的に、俺はそう思った。


「この場所がどうかしたの?」


「少し違和感があってな……」


 俺はガゼボの床に伏せ、よく観察する。ここにあるのは、魔力の気配だ。誰かがここで魔法を使ったのは間違いない。床をくまなく見ていくと、まるで何かでこすったような、線状の汚れがついている部分があった。全体を見ることができる位置に立ってみると、その線は何かの模様のようにも見える。


「……なるほどな」


「何か分かったの?」


「エレン、招待状を出してみろ」


「う、うん……」


 エレンが懐から招待状を取り出すと、突然床が光り始める。そしてそれに呼応するように、エレンの持つ招待状も輝き始めた。


――――俺のは……まあ、ダメだよな。


 一応複製した招待状を取り出してみるが、特に何も起きなかった。俺の〝|鏡の国の暴君《クローン・オブ・アリス〟は、あくまで見た目を変える力。オリジナルに備わった機能まで使えるようになるわけじゃない。


「アッシュ様、これって……」


「おそらく、転移魔法だな」


 転移魔法とは、魔法陣によってマーキングした場所同士を、一瞬にして移動することができる高等魔法の一種。マーキングという工程と、高度な魔法理論を正しく理解していなければ使えないという難易度の高さから、使用者はかなり限られている。


――――少なくとも、敵陣には転移魔法が使えるレベルの魔導士がいると考えていいな。


 俺は警戒心を強めながら、エレンと目を合わせる。


「このまま楽しい夜会に直行ってか。なるほど、どうりで誰も失踪者の姿を見てないわけだ」


「こんな複雑な行き方、普通分かんないよ」


「そこも含めて確かめてるんだろうな。招待されるに・・・・・・ふさわしいか・・・・・・どうか・・・


 光が俺たちを包み込み、やがて視界が白く染まる。

 それらが収まったとき、俺とエレンは、裏庭とはまったく別の場所に立っていた。


「ここは……」


 俺たちは、薄暗い小さな部屋の中心にいた。四方の壁にはろうそくがあり、その微かな明かりのおかげで、申し訳程度に視界が確保されている。

 目の前には、開きっぱなしの扉があった。どうやらここを進めばいいらしい。


「なんか、ワクワクするね!」


「そうかい……」


 目を輝かせているエレンを見て、俺は苦笑いする。エレンの目の中に、恐怖の色は一切ない。俺にとっては、それが逆に恐ろしかった。


「ま、とにかく進むか」


 気を取り直して、廊下に足を踏み入れる。

 想像以上に長い廊下を進むと、大きな扉と、それを守る黒服の男が見えてきた。


「……招待状を」


 低い声でそう言われた俺たちは、招待状を見せる。


――――さて、どうなるか。


「……エレン=マドレーヌ様と――――アッシュ=シュトレーゼン様ですね。お待ちしておりました。それでは、夜会会場へどうぞ」


 何も疑われることなく、黒服は会場の扉を開けた。

 俺は微笑みを浮かべながら、エレンと共に扉を潜る。


「……おや、今日来るのは三人と聞いていたのだが」


 部屋に入った途端、先に中にいたひとりの老人が口を開いた。瞬間、緊張が走る。しかし、ここで動揺してはいけない。何も知らない学生を装うことが、この状況における最善のはずだ。


「……まあ、全員招待状を持っているわけだし、ただの伝達ミスか。君たち、そんなところに突っ立ってないで、ここに座りなさい」


 老人に会釈しながら、俺たちは部屋の奥へと進んでいく。長いテーブルの前には、すでに二人の生徒が座っていた。ネクタイの色からして、片方は一年、もう片方は三年のようだ。

 この二人も、おそらくあの名簿に名前が載っていることだろう。


「うむ……時間だな。では、そろそろ夜会を始めるとしよう」


 先ほどの黒服が、入口の扉を閉める。部屋の中には、老人と俺たちだけになった。

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