第15話 お礼と食事

「ま、まさか……あんなにあっさり勝っちゃうなんて」


 無傷で戻ってきた俺を見て、エレンは唖然とした表情を浮かべていた。


「まあ、意外とあんなもんさ」


 ガトーは弱いわけじゃない。家柄にも才能にも恵まれ、半端なやつが相手なら、力だけで完封できるだろう。しかし、それがやつの成長を止めていた。調子に乗らずに、日々厳しい鍛錬を積んでいれば、騎士団長にだって届き得る実力を手にできていただろうに――――。


「これでやつはあんたとの婚約を破棄する羽目になった……とりあえず、一件落着かな?」


「……本当にありがとう、アッシュ様――――」


「え?」


「あ、ま、間違えちゃった! ごめんね⁉」


 顔を真っ赤にしながら、エレンは自分の発言を否定する。一応俺は恩人ということになるわけだし、様付けで呼びたくなる気持ちも分かるが。


「そ……そうだ! お礼! 招待状についてだったよね!」


「ああ、早速で悪いけど、見せてもらえるか?」


「ごめん、今ここにはないんだ……。屋敷まで来てもらわないと」


「そうか……そりゃそうだよな」


 他人に見せてはいけないものを、わざわざ学園に持ってきているわけがないか。


「あのさ、アッシュくんがよければなんだけど……今夜、招待状を見せるついでに私の家でディナーしない……?」


「ディナー?」


「招待状を見せるだけじゃ、ちょっとお礼が足りない気がして……どうかな?」


 いきなり家に招待してくるとは、まさかこいつ、俺に惚れたか?

 多分そう。きっとそうだ。じゃなきゃ家に呼ぶわけないし。惚れられてしまったのなら仕方がない。ここは素直に乗ってやろう。


「分かった、伺わせてもらうよ」


「っ! やった……! じゃあ、待ってるね」


 心の底から嬉しそうに笑ったエレンは、屋敷の場所を伝えたのち、俺の前から去っていった。


◇◆◇


「ディナー、ですか」


「ああ、お礼ってことで誘われてさ」


 宿に戻った俺は、フランに事の顛末を話した。

 すべてを聞き終えたフランは、何故か訝しげな顔をしていた。


「どうした?」


「……そのディナー、お供させていただけないでしょうか」


「え? いや、無理してついてくる必要は――――」


「無理などしていません。常に主人のそばにいることが、メイドである私の役目ですので」


「あれ、でも学園には何も言わずともついてこなかったような……」


「それはそれ、これはこれです」


 なんか、色々と無理のある主張に思えるが……。


「まあ、いいか。分かった、ついてきてくれ」


「かしこまりました」


 心なしか嬉しそうなフランに首を傾げつつ、俺はカジノに乗り込んだときと同じスーツを手に取った。せっかくお呼ばれしたのだから、ちゃんとおめかししていかないとな。



 夕刻。エレンに指定された場所まで行くと、そこには立派な屋敷があった。

 ネクタイを直した俺は、そのまま屋敷の扉を叩く。


「いらっしゃい、待ってたよ」


 扉を開けてくれたのは、エレン本人だった。

 水色のドレスを身に纏った彼女は、制服を着ているときと雰囲気が違い、少々大人びた魅力があった。


「あれ、そちらの方は?」


「ああ、俺の使用人のフランだ」


「使用人……?」


 エレンが疑問に思うのも無理はない。没落貴族に使用人がついてくることなんて、本来であればあり得ない話だ。


「お初にお目にかかります。私、アッシュ=シュトレーゼン様と個人的な主従関係を結ばせていただいているフランと申します」


「な、なるほど……個人的な……」


 エレンが困惑しているのを見て、俺は苦笑いを浮かべた。


「悪い、今日のことを話したら、ついてくるって聞かなくてさ。食事の用意は大丈夫だから、入れてやってくれないか?」


「あ、うん。それは構わないよ」


 俺はホッと胸を撫で下ろす。そしてエレンに案内されるまま、フランと共に屋敷に足を踏み入れた。


「えっと……そう言えば、ご両親は?」


「ああ、今日は二人ともいないんだ。揃って商談に行っちゃってさ」


「マドレーヌ家は、確か宝石商だったな」


 マドレーヌ家は、庶民でも手に入りやすい安価な宝石を取り扱っている。それでいて質もよく、事業もどんどん大きくなっているため、近いうちに爵位の昇格が噂されていた。


「よく知ってるね。ほら、ここにあるものも全部、うちで扱ってる宝石なんだよ?」


 エレンが指差したものは、廊下の壁に飾られた無数の宝石たち。色鮮やかな宝石たちは、光に当たってキラキラと輝いている。とてもじゃないが、安価で手に入るものには見えなかった。


「素晴らしい輝きでございますね……」


「原石自体は、他の店と同じものを使ってるからね。それ以外のコストを削って、極限まで安価にしてるってお父様が言ってた」


「なるほど、企業努力の賜物というわけですか」


 フランが感心した様子で頷いている。クールで有能なメイドであるフランだが、実は甘いものに目がなかったり、装飾品が好きだったりと、可愛らしい一面を持っている。

 そういうところもまた彼女の魅力だと思うのだが、本人としては少し恥ずかしいらしい。


「食堂はこっち。うちの自慢のシェフが、腕によりをかけて用意したディナーが待ってるよ」


「へぇ、そいつは楽しみだ」


 案内されるまま食堂に足を踏み入れると、廊下と同じく煌びやかな輝きが俺たちを照らす。

 この部屋にある装飾品にも、数多の宝石があしらってあった。

 これなら、人を家に招くだけで、商売のいい宣伝になるだろう。


「そうだ、フランさんの分の料理を用意してもらうから、もう少しだけ待ってもらえる?」


「いえ、私の分は本当に必要ありません。お二人でお楽しみください」


「え、でも……」


 エレンが不安そうに俺を見る。それに対し、俺は首を横に振ってみせた。


「悪く取らないでほしいんだけど、フランは人の家で出されたものには口をつけないんだ。小さい頃に色々あったみたいでさ」


「……そうなんだ」


 エレンの同情を孕んだ視線が、フランに向けられる。

 小さい頃云々はともかく、フランが他人の出したもの食べないという話は、本当だ。暗殺者として生きるにあたり、余計なものを口に入れないようにしているらしい。まあ、スイーツを食べるためにその縛りは自分で緩くしたようだが……。

 エレンと向かい合うようにして席につくと、しばらくして前菜が運ばれてきた。前世じゃなかなかコース料理を楽しむ機会に恵まれなかったが、この世界では毎日のように食べていたおかげで、すっかり食べ方を覚えてしまった。


――――うっま。


 前菜は、トマトとチーズのカプレーゼ。口の中でトマトの酸味と濃厚なチーズが混ざり合い、見事な調和を生み出している。シュトレーゼン家のシェフも素晴らしい料理人だったが、この家のシェフは、それを遥かに凌駕しているかもしれない。


「お味はどうかな?」


「……うん、自慢のシェフって言うだけのことはあるな」


 感動のあまり飛び跳ねそうになったが、さすがに我慢した。


「よかった! ……あ、そうだ。早速で悪いんだけど、忘れないうちに見せちゃうね」


 そう言って、エレンは一枚の封筒を取り出した。

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