第13話 恨みと怒り

 俺はそれを潜るようにかわし、ガトーから少し距離を取る。


「おい、落ち着けよ。俺は別にエレンを口説いていたわけじゃないって」


「それを聞いて、はいそうですかって納得できるわけがねぇだろ! 表に出やがれ、負け犬野郎! テメェには子分をボコられた恨みもあるんだ……その冴えねぇ面、今日こそグチャグチャにしてやる……!」


「……血気盛んだねぇ」


 ガトーのほうはやる気満々らしい。まあ、ある意味これはいい機会だ。散々これまで難癖と共に絡まれ、いいように言われてきた。今なら、その鬱憤を晴らすことができる。


「……お止めください、ガトー様」


 しかし、エレンが俺たちの間に入ったことで、俺たちは動きを止める羽目になった。


「なんのつもりだ! エレン!」


「こんなところで争えば、貴方が処分されてしまいます。相手の立場がどうであれ、ジェラード家の名に傷がつくでしょう」


「うるせぇよ……男爵家のくせに、俺様の前に立ってんじゃねぇ!」


「うっ!」


 ガトーの平手打ちが、エレンの頬を捉える。

 崩れ落ちそうになった彼女をとっさに支えた俺は、ガトーを睨みつけた。


「……婚約者に手を上げるのか、お前」


「お前……? 誰に口利いてんだテメェ!」


 ガトーが蹴った椅子を、俺は片手で払いのける。


「よりにもよって、こんな野郎にうつつを抜かしやがって……! いいか、エレン! テメェは男爵家の娘として、伯爵家であるうちに嫁ぐんだ! 俺様がテメェを娶ってやったんだよ! 俺様の言うことは絶対だ! 所有物は所有物らしく! 俺様の機嫌を覗いながら過ごしてりゃいいんだよ!」


 呼吸を荒げながら、ガトーはそう捲し立てた。相当プッツン・・・・しているようだ。周りから注目を浴びていることにも気づいていない。

 なんて幼稚な男なのだ。ただ婚約者が別の男と話していただけで、ここまでキレるものか?


――――まあ、キレてるのはこっちも同じだが。


「……なんだ、その目は」


 立ち上がった俺の目を見て、ガトーの額に青筋が浮かぶ。


「馬鹿なこと訊くな。言葉にしてやらないと分からないか?」


「没落野郎ごときが、この俺様に盾突くんじゃねえ!」


 ガトーが再び拳を繰り出してくる。俺はそれを絡め取り、一瞬にして床に組み伏せた。


「……は?」


 ガトーは何が起きたのか分かっていない様子で、目を丸くしている。

 冷静さを欠いた大振りの一撃なんて、今の俺には止まって見える。


「慌てんなって、伯爵サマ。さっきエレンが言ったろ? ここじゃ駄目だって」


「ぐっ⁉」


 俺はガトーに体重をかけ、完全に動きを封じる。

 この時点で、どう考えても俺の勝利だが、こいつは絶対に納得しないだろう。


「この学園は、ご立派な騎士を目指す場所だ。騎士を志す者同士、ここは正々堂々〝決闘〟で勝負をつけるってのはどうだ?」


「テメェと俺様が決闘だと……⁉」


 決闘、それは騎士同士が決まり事ルールに基づいて、譲れないものを賭けて戦う、一種の儀式である。俺たちはまだ学生の身分だが、学園自体に決闘制度があり、揉め事が起きた際はこれで解決することが多い。


「俺からお前に求めることは、金輪際エレンに近づくな、だ。もちろん、婚約も解消だ」


「なっ……どうしてテメェがそんな要求を……」


「……気に入らねぇからだよ。お前みたいなクズに、こんな美人な婚約者がいるってことがな」


 立場がどうであれ、女に手を上げるやつは、ただのクソ野郎だ。少なくとも、俺は女に対して手を上げたりしない。俺には恋人のひとりすらできないのに、こんなクズに婚約者がいていいはずがない。そうだろう?


 私情? ああ、そうだ。私情だ。世の中そんなもんだよ。


「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ……! それなら、テメェが負けたときは一生俺様の下僕にしてやる……!」


「いいぜ、それでやろう」


 上から退いてやると、ガトーはすぐに俺から距離を取った。


「すぐに決闘場に来い! そこでテメェに引導をくれてやる……」


 そう言い残し、ガトーは学食をあとにした。

 やつを見送った俺は、深くため息をつき、エレンに向き直る。


「悪かったな、勝手なことして」


「ううん、むしろちょっとゾクゾクしたよ」


「ゾクゾク……? ていうか、叩かれたところは平気か?」


「うん、こんなのへっちゃらだよ。こう見えて、痛みに強いんだよね」


 苦笑いを浮かべながら、エレンはほんのりと赤くなった頬を撫でる。

 そこまで腫れてはいないようで、少し安心した。


「驚いたな、まさかガトーの婚約者だったなんて……」


「あんまり言わないようにしてるからね。男爵家の娘が伯爵家に嫁ぐって、結構珍しいことだし……。中には嫉妬する人もいるからね」


「……いつもあんな感じなのか?」


「うん、まあね。婚約の話が来たのは去年だし、もう慣れちゃったよ」


 エレンの口から、ため息が漏れる。

 その顔には、どことなく疲労の色が見て取れた。


「本当なら、あんな人の婚約者なんて死んでもごめんだけど……仕方ないよね、ジェラード家に言い寄られたら、うちの家が断れるわけないし」


「じゃあ、俺があいつに勝てば、全部解決ってことでよさそうだな」


「……気持ちは嬉しいけど、相手はあのガトー様だよ? キミも成績は優秀って聞くけど、学年トップクラスの彼に勝てるとは――――」


「まあ見てなって」


「……」


 俺の自信満々な顔を見て、エレンは口を閉じた。

 実際、ガトーは優秀な生徒だ。剣の実力は、イグニアに次いで学年二位。座学に関しても、トップ3には入ってくる。あんなクズでも、正真正銘、天才の一角というわけだ。


「ねぇ、アッシュくん」


「ん?」


「先に訊いておきたいんだけど、どうして私のためにそこまでしてくれるの?」


「んー……あんたのためというより、俺のプライドのためっていうか……」


 俺は俺のやりたいようにやっているだけだ。ガトーの言動にムカついたから、叩きのめしたくなった。ただそれだけのことである。強いてひとつ、理由を挙げるとするなら――――。


「そうだなぁ……ここで恩を売っておけば、招待状を見せてくれるんじゃないかって思ってさ」


「……ぷっ、あははは! なるほど、確かにそれがあったね。分かった、いいよ。ガトー様に勝ったら、招待状を見せてあげる」


「ははっ、いいね。ますますやる気が出た」


――――言ってみるもんだな、マジで。


 なんとか招待状を見せてもらえるよう交渉しなければと思っていたが、まさかこんな綺麗に話が進むとは。これも俺の日頃の行いがいい証拠かもしれない。


「そんじゃ……ひとまずゴミ掃除と行きますか……!」


 俺は大きく腕を回しながら、ガトーを追って学食をあとにした。

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