第3話 神崎村の正体

 四人の強盗犯は、逃走計画通り、調度、3つの県がまたがるあたりに、田舎の峠のようなところがあり、そこが昔、犯罪者が送られたり、強制労働に従事させられたり、処刑場になったりするという、実に不吉なところであった。

 しかも、それぞれの境のところが、実は昔から変わっておらず、それぞれの県に所属する村の、

「それぞれの役割」

 ということであった。

 峠というくらいなので、山の中というわけでもない。実に田舎なのではあるが、今でも、普通に歩ける道で、山に入れば、登山道にはなっているが、普通に歩く分には、そんなに厄介なところではなかったのだ。

 そこの、ちょうど入り口のところに、

「神仏祠」

 と呼ばれる場所があった。

 そこは、ちょうど、三つの県の境になるところに建っていて、その状況は、偶然作られたわけではなく、昔からそこに存在していることで、

「この三つの国の境目を変えることはまかりならない」

 という先祖から受け継がれた言葉の下に、それぞれの境界を変えるということは絶対にしなかったのだ。

 この、

「神仏祠」

 というものが建てられたのが、今から800年前ということで、ちょうど、鎌倉年間ということになるだろうか。

 時代は武士の時代になっていて、封建制度で成り立っていた時代だったので、

「当時一番大切なものは何だったのか?」

 というと、

「領主に保証してもらえる土地」

 だったのだ。

 だから、その土地の、

「守り神」

 ということで、土地の庄屋が建てたのだというが、その当時、庄屋というものが存在したのか分からないので、

「農民にとっての領主」

 という人物が建てたということになっているのだ。

 だから、土地を一番大切なものとする武士や、当時の農民は、この祠を実に大切にした。

 というのも、ここに祠が建ってから、ほとんど大きな被害に遭っていない。

 江戸期にいくつかの大飢饉というものがあったが、この場所を中心とする農家は、どこまでひどい飢饉に見舞われることはなかった。

 干ばつに襲われた時も、不思議と水に困らなかった。大洪水が川の氾濫を招いた時も、このあたりまで、暴れ川の影響を受けることはなかったのだ。

 そんな村には、他にも言い伝えがあり、

「県の中心に祠を建て、それぞれの村から隣村に抜けるところが他に3つあるのだが、そこに、お地蔵さんを祀り、それぞれの祈願を怠りなく行うことで、五穀豊穣を祈る形を取ることで、村は平和になる」

 というのが、前半だった。

 そして、その続きというのは、

「神仏祠を含めた地蔵のある峠から向こうには、決して、世俗的なものを持ち出すということをしてはいけない」

 と言われていた。

 要するに、

「村にとって、大切なものを、他に移すということをするようなことをしてはいけない」

 ということになるのだった。

 そんな言い伝えがあることは、真田は知っていたが、それ以外で考えると、

「この村ほど、安心できる村というのは、どこにもない」

 ということだったのだ。

 他の三人は、それら昔の言い伝えなど一切知らない。潜伏地については、真田の計画の一環だったので、潜伏地を探してくるのも、真田の考え一つだったのだ。

 真田がどこでこの土地を知ったのかということは正直分からない。だが、偶然ではなかったということであろう。

 ここは、神崎村というところで、それぞれ、F県、S県、K県とにまたがっているのだが、村の名前は一つだった。

 しかし、実際には、それぞれ3つの違った村が存在するのは確かで、それぞれの県で管理されていた。

 だが、村人にはそんな意識はなく、ただ、県として用事がある時は、それぞれの管轄の県庁に赴くということであった。

 そして、実際に村を統括しているのは、それぞれの県の隣接している市であり、実際に何度か、

「市町村合併」

 という話もあったのだが、実際に、合併する市の側からも、その話があったわけではない。

 というのも。村を合併しても、人口があまりにも少ないことで、市側おメリットは何もないし、村人からの反発も、想像以上にあったようだ。

「昔から続いてきた、神崎村を一部でもこの世から消そうものなら、ご先祖様の祟りがある」

 ということであった。

 村人がどこまでそれを信じているのか分からないが、一度、峠のあたりで事故が遭った時、その被害者の死体が、ちょうど、神仏祠の目の前まで流れ着き、その被害者が、

「実は、数年前に起こり、全国的に有名になった事件の犯人だ」

 ということが分かったからで、その時は、

「それまで犯人は分かっていて、全国に指名手配していたにも関わらず、約3年ちょっとという間、まったく見つかる気配もなく、迷宮入りになっていた」

 のだった。

 結局、被疑者死亡という形で、事件は落着したのだが、それまで、この男がどこにいたのかということは、捜査が行われたが、結局分からなかった。

「村に潜伏していたのだろう」

 と言われていたが、村人は、警察に対して完全に、非協力的であり、何を聴いても、まともに答えるという感じではなかったのだ。

 それを分かっているのか、警察も必要以上には聴かない。

 といっても、すでに被疑者は死亡しているわけなので、切羽詰まっているわけではないので、これ以上、聴くことはなかったのだ。

 ただ、

「この村には、昔からどこにでもあると言われる祟りのようなものが存在している」

 と言われるようになり、

「あまり村に立ち入ったり、村人を刺激するようなことはしてはいけない」

 ということになったのだ。

 この村にある、

「神仏祠」

 には、あまり知られていないが、

「役病退散」

 というご利益を持った神様が祀られているということだった。

 それを知っている人は実にごく一部であり、村人とて、皆が皆知っているわけではなく、それだけに、今回の、

「世界的なパンデミック」

 でお参りに来る人も、まばらであった。

 しかも、このことは、

「口外してしまうと、ご利益というものには恵まれない」

 と信じられていただけに、知っている人だけが、こっそりとお参りにくるくらいだった。

 だから、何も知らない人からすれば、

「今回のパンデミックの間に、この村に来る人が増えた」

 などということをいう人は誰もいなかった。

 実際にそんなこともなかっただろうから、普段と変わらない村だったのだ。

 ただ、

「神仏祠」

 のご利益だけは本物で、

「何かをやった人間に対しては、祟りがある」

 と言われて恐れられていたのだ。

 だが、今回の強盗事件は、

「このパンデミックにて、政府も自治体も、自分たちを見殺しにしたようなものだから、仕方なく、生きるためにやったことであり、実際に、人を殺したりもしていないので、そんな祟りなどはない」

 と、真田は信じていたので、共犯者である他の三人には、神崎村に伝わっている話をすることはなかったのだ。

 神崎村というところは、普段は完全に、他の土地から、隔絶されていると言ってもいいかも知れない。

 同一の県の神崎村に隣接している県から、隣の県に入る時、神崎村を大きく迂回するようなルートで向かうのだ。

 基本的に、神崎村に何かの用があったり、神崎村の人が他の土地に赴いて帰る時以外は、まずこの村に入ることはない。

 道にしても、車が通るようなところは、村にはほとんどなく、あったとしても、村の中心部で断絶しているのであった。

 だから、バスにしても、それぞれの村の入り口に一か所バス停があるだけで、村の中に入り込むということはないのだ。

 道がそのように作られているのか、それとも、道に対して村の境界線ができたのかという昔のことは定かではないが、ハッキリと、決まっているというわけではなかったのだった。

 この村において、犯人たち4人が潜伏できるところはあった。

 村の奥に、少し大きな森があり、そこには、空き家になったところがあった。

 そこは、村の人は知ってはいたが、決して近づこうともしないところだった。

 子供たちには、

「その場所へは立ち入ってはいけない。祟りがある」

 と言っていたのだが、その場所が、かつて死体で見つかった犯罪者が使っていたところだったということで、

「祟りがある」

 という言葉にも、まんざらでもないといえるのだった。

 実際、

「祟り」

 だったといえるのかどうか、誰にも分からない。ただ、祟りを恐れる人がおおいのも事実であった。

 神崎村の歴史については、いろいろ言われている。

 一番よく言われているのが、

「かつての平安末期において、平家が壇ノ浦で滅亡したと言われているが、その落人が存在し、全国に散った」

 と言われることで、各地に、

「平家ゆかりの土地がある」

 とされてきた。

 このあたりには、そういうウワサはなかったので、

「実は、神崎村がそうではないか?」

 と言われるようになった。

 ただ、実際には、神崎村内部にもそういう話が伝わっていて、村を四分割しているのも、その時の四人の中心人物がそれぞれに、ここでの勢力を持っていたからだと言われている。

 その4人は、この村を最初から、4分割するというつもりはなかったようだ。

 どちらかというと、

「4人一緒になって、一つの村を経営していく」

 ということであったが、彼らがこの村で落ち着けるようになったのは、

「軍資金」

 を持っていたからだ。

 そんなものがなければ、村人が命を懸けてでも、自分たちを守ってくれるはずもなく、落ち武者狩りに突き出されて終わりだっただろう。

 少々の貯えであっても、貧しい村にとっては、

「目がくらむ」

 というだけの金であったことは間違いなく。

「俺たちの居場所はここしかない」

 と、落ち武者に悟らせるだけの効力は十分だった。

 何度かやってきた落ち武者狩りの連中も次第に来なくなり、落ち武者たちは、ここに、

「安穏の地」

 を見つけたことになる。

 世間はいまだ戦が続いている。

「あんな俗世には戻りたくない」

 と、落ち武者連中は、毎日、畑を耕し、ニワトリや牛を飼って、自給自足の生活をしていた。

「今までみたいに、朝廷から給与を貰ったり、荘園から取り立てたりしていた時代が、恥ずかしい」

 と思えるほどだった。

 彼ら、下級の武士は、その存在は中途半端なものだった。

 領主である武士でさえ、

「俺たちは、公家や貴族から、完全に下に見られ、警護などという厄介な仕事を押し付けられていた」

 という立場であり、さらに、武士としては、最下層に近い自分たちなどは、ただの兵卒にすぎないということでしかなかったのだ。

「死のうが生きようが、世間ではまったく関係のない存在」

 なのであった。

 だからこそ、まわりから何かを言われることはないが、存在的には、

「ただの石ころ」

 だったのだ。

 そこに存在してはいて、見えてはいるのに、その存在ということになれば、まったく意識があるわけではない。

 それを思うと、

「俺たちのような、捨て駒は、結局、細々と生きていて、その存在すら認識されていないのだから、ただいかに、死なないように生きていくかということだけを考えればいいのだった」

 そんなことは分かっている。

 それでも、やつらは、本隊とはぐれ、平家の血は受け継いでいるといっても、

「遠い親戚」

 という感じであろう。

 彼らは、屋島に取り残され、壇ノ浦にいくことはできなかったが、そのおかげで、助かったといってもいいだろう。

 源氏の連中は、取り戻すことを必須と言われた、

「三種の神器」

 のうちの

「村雲の剣」

 が海中に沈んでいるので、それを引っ張り出すことに必死で、落ち武者捜索など、ほとんど、

「あってないようなものだ」

 と言えたのだ。

 彼らは、その隙に屋島を抜け出し、この山中に潜んでいる間に。何とか、村で息を吹き返した。

 すでに彼らは、村人の仲間入りということだったのだが、そのうちの一人が、

「村からの脱走を企てた」

 ということであった。

 村に潜んで息を吹き返すところまではよかったのだが、その時、一緒に武士としての魂までもがよみがえってきたのだった。

 その人は密かに村から金を奪取して、武士団を形成するつもりだったという。

 お金も使わないのでなくなることもなかったが、農業と牧畜で得た収入が少しずつ貯蓄に繋がっていき、そのお金が溜まってくると、そのまま誰も手を付けていなかったので、一人で何かをするには、結構な貯蓄となっていた。

 彼らは、

「俺たちの子孫がこの村で生きていく時のためのお金」

 ということで、手を付けることなく、子孫のために、貯蔵していた。

 ここから抜けようとしている人も、

「幹部の一人」

 なので、もちろん、その場所も分かっていた。

 そして、時期がくるのを待って、そのお金を強奪して、武士団の形成をもくろんでいたのであったが、その計画が、他の三人に分かったのであった。

 結局、企みは、未然に行われることはなかったのだが、企てた男は、

「武士の情け」

 ということで、切腹ということになったのだという。

 その男の亡骸を供養するということで、立てられたのが、

「神仏祠」

 だったのだ、

 この場所には、以前から、小さな祠のようなものがあるにはあったが、そもそも何のために作られたのか分からないということもあって、3人は、そこを大きな祠に作り替えて、かつての仲間を葬ることにし、供養を、行うということを決めたのだ。

 実際に、彼の命日には、盛大な祭りが行われるようになったのだが、それは、この村での唯一の祭りであり、4つの村が合同で行うものだった。

 それも、この時だけのことである。

 この村において、

「入出に関しては、結構厳しいのだが、一度村に入っていた人を追い出したり、差別をしてはいけない」

 ということを言われてきた。

 それをしてしまうと、昔からの言い伝えで、

「祟りがある」

 と言われていたのだ。

 だから、

「一旦この村に侵入さえできれば、ここほど安全な場所はない」

 ということになるのだ。

 村人にとっては、

「厄介な者を抱え込んだ」

 ということになるのだろうが、村人としても、昔からの、

「島国根性」

 のようなものがあり、外部との確執は、

「かなりのものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 それを思うと、

「真田がこの村を選んだのは、このあたりに理由がある」

 ということである。

 しかし、なぜ真田がこの村のことをここまで詳細に知っていたのかということは謎である。

「ひょっとして、この村の出身では?」

 とは、皆思っただろうが、

 もしそれなら、二つに一つ。

「訳を言えば、普通にかくまってもらえるか?」

 あるいは、

「見つかったら、殺されかねないので、最初から、この村を隠れ家にしないか?」

 ということであろう。

 しかし、そのどちらでもないということから考えると、

「真田とこの村とでは、直接的な関係はないのではないだろうか?」

 ということだったのだ。

 真田に付き従ってきたまわりの連中は、

「しょうがない。このまま、真田についていくしかないか」

 ということしかなかった。

 真田を信じるかどうかは、それぞれで考えは違うだろうが、真田の言う通りに強盗をやってしまったのだから、ここで引き下がるというわけにはいかない。

 それが、他の三人の考え方だった。

 真田にとって、

「この村で、生き残っていくには、どうすればいいか?」

 というノウハウがどこまであるのか分からない。

 真田は、どこかから、いつも食料を持ってくる。

 実際には、ここで、田を耕したりして、

「自給自足」

 を行っているが、食料も最初の頃は、穀物もないので、調達してくるしかなかった。

 それでも、しばらくすると、すぐに食べれるものも徐々にできてきて、次第に、落ち着いた気分になれるものだった。

「どうやら、村の誰かに恵んでもらっていた」

 ということのようで、

「いずれは、お礼をしなければ」

 と真田は言っていたという。

 この村でも、逃亡生活は、

「逃亡している」

 という立場にしては、結構いい暮らしができていた。

「俺たちがここで暮らすようになってから、村人は寄り付きもしないけど、皆どんな気持ちで俺たちを見て言うんだろうか?」

 と、北条が言い出した。

 北条は、主犯が真田であれば、

「共犯者」

 としての立場として一番強いのが、彼ではないだろうか?

 犯行の下見や下準備も滞りなく行い、一人ではできないところは、頼光に手伝ってもらうという形をとっていた。

 沖田は、勧善懲悪という意識が強いので、

「強盗などせずに、何とか自分たちの立場を回復させるということを中心に、いろいろ考えていたようだ」

 しかし、実際には、

「誰かの手助けがなければ、どれも成功しない」

 ということで、考えられることすべてを検証してみたが、どうにもしっかりと考えられることはなかったのだ。

 それを考えると、

「真田さんの考えに従うしかないのか」

 という結論に達し、それ以上は、何も考えられなくなった。

 それを真田に話すと、

「そうだろう、結果そうなるよな。俺も少しはお前が何かいいアイデアを出してくれないかと期待もしたが、俺も分からなかったんだから、他の人に分かるはずはないという考えなので、戻ってくることになるだろうとは、感じているよ」

 ということであった。

 結局。この4人は、どう転んでも、お金を手に入れるとすれば、この方法しかないということになるのだろう。

 そんなことを考えていると、いよいよ4人の立場が決まっていき、事件計画の骨格が見えてきたのであった。

 そのために、真田は、

「自分なりに、いろいろな切り口からの事件の青写真を描いていた」

 真田にとって、

「とにかく、まずは、金を手に入れることだ」

 ということで、皆の計画を、

「お金を手に入れるところまで」

 と定めたが、さすがに、

「それから先はどうするんだ? お金を得ても逃げられなければそれまでだぞ」

 ということであった。

「ああ、そのことなんだが、私の一存に任せてくれないか。田舎に恰好の隠れ場所があるんだ」

 といって、

「神崎村」

 という地名を教えてくれた。

 調べてみると、

「何とも歪な村なんだ」

 ということであった。

 しかも、今の時代に、村というものはまだ孫座はしているだろうが、世の中にどれくらいの村が存在するのかということは、よくわかっていなかったのだ。

 神崎村にやってきた皆は、

「こんな村にどれだけの間いなければいけないんだ」

 ということを考えていた。

 しかし、そのことについては、真田はノーコメントだった。

 なぜなら、真田にも、

「いつまでいればいいのか?」

 ということを分かってはいなかったからだ。

 下手に思い込ませて、それが違ったということで、変に、空気を悪くすることだけは、逃亡者という身であることから、

「やってはいけないことだ」

 ということであった。

「ここから先は、半分は運任せのようなものだ」

 ということになるだろう。


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