第2話 犯罪理論
彼らは、犯行を4人で計画していた。
いくつか理由があるのだが、
「見張りに一人は必要ということで、4人以上というのは最低ライン」
「あまりたくさんだと、脚がつきやすい
「車一台に乗れるだけの人数」
などということを考えていくと、結局、4人という人数が、一番多くもなく、少なくもない、ちょうどいい人数ではないか?
それを考えると、結局は、この4人での犯行ということになったのだ。
一人が、主犯格である、
「真田」
であった。
真田は、ここで、どうしてもお金を作っておかなければ、
「自分が、殺されかねない」
ということになっていた。
真田は会社を経営していて、
「このままでは、会社を手放すことになってしまう」
ということで、
「借りてはいけないところから借りてしまった」
ということで、返済日もすぎて。いよいよ追い詰められていたのだった。
次に仲間入りしたのが、
「北条」
と呼ばれる男であった。
彼は、普通にサラリーマンをしていたのだが、彼も、今回のパンデミックの煽りから、会社が経営不振のため、解雇に近い形で辞めなければいけなかった。
さらに、彼は、読書が趣味で、特に、SF小説というものが好きだったようである。特に、未来に目を向けた、そういう小説だったのだ。
そして、三番目に加わったのが、頼光という男で、お互いに、共犯とはいえ、そこまで親しくないことで、それぞれの本名ではないだろう名前で呼び合っていた。
この頼光だけは、苗字というわけではなく、
「昔、大江山の伝説に出てきた、
「源頼光」
が好きなので、その名前にあやかっている」
ということだったのだ。
彼がこの一派に加わったのは、それだけ、頼光という男が、何にでも興味深げに感じているところからであったが、普通なら、いくら切羽詰まっているとはいえ、罪悪感なるものに抑圧されるかということであるが、頼光に関しては、勘の鋭さというものが、彼の中で幸いもするし、禍にもなるのだろうと考えるのであった。
そしてもう一人、この計画には、
「一番似つかわしくない」
といってもいい、沖田という男が最後に加わった。
「何が似つかわしくないのか?」
というと、沖田という男は、その性格は、見てすぐに分かると言ってもいいほどで、
「勧善懲悪」
というのが、よく似合う男性だったのだ。
「僕にとって、勧善懲悪という感覚はあるのだが、何もそれらがすべて、正しいということにはならないだろう」
という考え方であった。
今回の犯罪は、
「勧善懲悪だからこそ、参加した」
と言ってもいいだろう。
今回の事件は、
「世間が苦しんでいても、何もしようとせずに、保身ばかりに走る政府や国家、さらには自治体を見ていると、何を信じていいのか、分からない」
ということであった。
だから、沖田という男は、
「そんな世間を懲らしめて、本当に苦しんでいる
「不幸の第三者」
たちに、報いるためということであった。
しかし、実際には、苦しんでいる人を余計に苦しめ、政府には、まったく蚊に刺されたほどでもないというそんな事態にならないとも限らないのだった。
そういう意味では、彼らの犯罪は、少々の情状酌量の余地もあるかと、あくまでも、第三者として話を聴いた場合のことである。
しかし、実際には、やったことは強盗なのだ。
人に恐怖を与えて、そして金を奪い、自由を奪って逃走したのだ。この行為に関しては、どのような情状があろうとも、許されることではない。警察も、凶悪犯ということで、真摯に事件と向き合っているのだ。
犯人たちは、実に鮮やかに犯行を行い、事件現場から、見事に姿をくらまし、今はどこに潜伏しているのか、まったく分からない状態だった。
事件発生後、数か月が経っているのに、
「犯人たちの行方は、ようと知れず」
ということだったのだ。
それだけ、事件の最初に真田によって計画された事件の設計書が、よほど、用意周到だったということなのだろう。
犯人たちはまったく静かに犯行を行い、金を奪い、さらに、被害者を殺すことなく、行動したのだ。
さすがに殺人まで犯すというのは、リスクが大きすぎるということなのであろう。被害者を殺さずに、逆に生かしておいて、もし、捕まったとしても、被害者を必要以上に傷つけたわけでなければ、罪は幾分か、軽減されることだろう。
真田という男が、そこまで考えていたのかどうか分からない。むしろ、犯罪に対して、
「傷つけることは本意ではない」
と思っていたとすれば、実に紳士的な犯罪である。
そういう意味で、
「あとの三人は、被害者を生かしておくことに、反対はなかったのだろうか?」
ということである。
こういう強盗事件というのは、顔を見られたり、少なくとも一緒にいるわけだから、どこで足が着くか分からない。
今度の事件において、被害者がどこまで犯人について分かっているのか、実際ん位は何も分かっていないようだが、そのことを犯人グループが理解できているのかというのが、よくわからない。
犯行計画では、
「被害者側に自分たちのことは分かるはずはない」
ということだったはずだ。
実際に、襲撃相手は、
「自分たちと接点のない相手」
ということだった。
少しでも接点があるのであれば、
「生かしておくわけにはいかない」
ということになる。
犯罪事件において、被害者と加害者に接点があるのとないのとでは、どちらが多いのだろう?」
と思えてきた。
基本的に、
「復讐」
などであれば、相手は自分の関係者ということになる。
例外としては、
「復讐の目的が、犯人にとって大切な人を殺されたり、あるいは、ひどい目に遭わされたことによって、立ち直れない状態に陥ったりした場合」
など、
「被害者と犯人に接点はない」
ということもありえるだろう。
しかし、大切な人が被害を受けた時点で、被害者とは、
「復讐者と、復讐を受ける側」
という、切っても切り離せない関係になっているということになるだろう。
「復讐以外」
ということになれば、基本的に顔見知りでない方が、犯罪計画が立てやすいということであろう。
警察だって、まずは、いくら強盗事件であったとしても、動機の中に、
「復讐」
というのが考えられるということになるだろう。
「被害者が、一番恨みを買っているのは誰か?」
ということである。
刑事ドラマなどでは、「被害者は基本的に金持ちである。直接的な復讐でもなければ、金を強奪するのだから、金のないところに押し入るなど、本末転倒もいいところである。
しかも、単独犯ではなく、複数犯だ。
一人が復讐したいと思っても、他の人間には、関係のないことだ。
もちろん、犯人側四人が、
「被害者への復讐」
ということで、一致団結しているというのであれば、話は別である。
犯人にとって、
「どのように犯行を成功させるか?」
ということを考えると、復讐が絡むのであれば、犯人グループは、それぞれに、被害者に対して恨みを持っているということであり、
「かなりの悪党だ」
ということになるのではないだろうか?
ただ、今回の犯行は、誰も、
「被害者に対して恨みを持っているわけではなかった」
ということである。
しかし、評判はすこぶる悪い、どちらかという胡散臭い人間なので、
「勧善懲悪」
という意味では恰好の人物だった。
そういう意味で、沖田は乗り気だった。
そもそも、勧善懲悪というような性格の人間なので、被害者に対しての恨みを、直接的な被害者が叶えられなかった復讐を、
「この俺が行っているんだ」
ということを考えると、
「お金を貰うくらい、当たり前のことだ」
ということになり、沖田の内部では、自分にとっての、
「犯行の意義」
というのは、
「すでに存在していた」
ということになるのであろう。
他の三人は、本当に金銭的にどうしようもなかったので、被害者の選定は、沖田に任せたのだった。
難しいのは、金持ちの家である。
そこでは、そのあたりの警備の入ったビルよりも、警備体制はかなり行き届いていることだろう。
しかも、表向きは、善良な会社の社長であるくせに、実際には、裏で、悪行の限りを尽くしているといってもいいくらいの男で、裏の世界と繋がっていて、その世界をいかに牛耳っていくかということばかりを考えていたのだった。
ただ、彼らは、この被害者に恨みを抱きそうな人を探し上げて、買収することに成功していた。
奴らは、そもそも復讐というものを、
「できるならしたい」
と思っているわけである。
だから、敢えて、買収したといっても、
「復讐が果たせるなら、どんなことだってやりたい」
というほどの人間なので、その機会を与えてあげれば、金や憎悪による衝動で動くことなく、
「少々危険なことでも、飛び込んでくれる」
というものであった。
内部にかなりの、
「内通者」
がいれば、犯行は、そんなに難しくはない。
彼らに対しては、
「我々が実行すれば、君たちはまったく何も知らない」
ということで、しらを切っていればいいんだよ。あの連中には、もっともっと恨みに思っているやつもいるだろうから、内部からの手引きがあったということを、警察も分からないだろうから」
ということであった。
しかし、実際には、警察が捜査すれば、
「内通者」
というものがあることくらいは、すぐに分かるだろう。
だからといって、矢面にいる内通者に、
「気をつけろ」
などというのは、本末転倒である。
もしそれを言って、彼らが、気を引き締めてしまうと、外から見た時の警察の目から見てもバレバレであり、そのことを変に意識されてしまうと、こっちにまで捜査の手が及んでしまうと、すべての計画が、丸つぶれになってしまう。
あくまでも、内通者というのは、警察に知られてはいけない。
「内通者がいた」
ということも、知られるのはタブーである。
犯罪者とすれば、
「共犯者というのは、増えれば増えるほど足がつきやすい」
という。
だから、最初の事件から後、一人の事件関係者に被害者が出れば、その人物のことを、
「共犯者」
として、一度は疑ってみることだろう。
特に犯人と共犯者、
(ここでいう共犯者というのは、お互いに事件関係者に殺意を持った者同士という考えである)
ということを考えると、
「ある一種の犯罪というものが、リアルでは、不可能に近い」
ということが言えるのではないかと考えるのだ。
特に、
「ミステリー小説としては、見ることはあるが、実際にリアルな犯罪では聴いたことがない」
というものである。
この犯罪は、
「交換殺人」
と言われるもので、
「被害者が二人いて、それぞれの被害者に対して、一番怪しいと思われる人間には、鉄壁のアリバイがあるという、それぞれの被害者に接点はないという犯罪」
であり、
「犯行としては、第一の殺人の最有力な容疑者が犯人ではなく、実行犯はまったくの別人である」
ということが最初で、第二の殺人の場合は、
「前の犯罪で実行犯となった人物にとって、今回は、その人物が、犯人の最有力候補なのだが、こちらには、鉄壁のアリバイがある」
ということである。
お互いに、犯行を、
「たすきにかける」
という意味で、それぞれの犯罪に共通性さえなければ、警察にはどうすることもできず、それぞれで、迷宮入りする事件ということになるわけだ。
そういう意味では、
「成功すれば、完全犯罪だろう」
ということである。
「それぞれの期間をあける」
あるいは、
「まったく関係のない形で犯行を行う」
つまりは、
「犯行の共通性をあらわにしない」
ということになり、警察の捜査は、
「袋小路に嵌りこむ」
と言ってもいいだろう。
これらの犯罪をいかに成功させるかということは、
「従来の犯罪とはまったく違った発想が設けられる」
ということになるのだろう。
交換殺人には、
「完全犯罪ならしめない」
というものが存在する。
交換殺人のメリットとしては。
「被害者に対して、一番の犯行動機がある人間に、アリバイがある」
あるいは、
「実行犯は、動機の存在しない人物なので、容疑者として浮かんでくることはない」
ということであった。
だから、完全犯罪とするためには、してはいけないことという、
「見るなのタブー」
というものが存在するのだ。
そのタブーというものの一番大きなものに、
「それぞれの犯人同士が、知り合いだと思われてはいけない」
つまりは、それぞれの犯罪が単独犯で、それぞれに一切の関係性はないと思わせなければならない。
さらに、それぞれの場合において、一番の容疑者に、鉄壁のアリバイというものを持っていなければならない。例えば、
「海外にいた」
などというアリバイである。
そうなると、第一の犯行と第二の犯行は、まったく別タイミングで行わなければならず、それは、
「時間があけばあくほどいい」
ということになるのだ。
そして、やはり貫くべきは、
「最後の最後まで、二人の関係性が分かってはいけない」
ということになるだろう。
そうなると、基本的には、それぞれの犯罪では、
「共犯者を作ってはいけない」
ということである。
通常の犯罪であれば、共犯者は、殺人ほう助に問われ、犯人は、殺人罪というだけで、共犯者も、
「一蓮托生」
ということになる。
しかし、交換殺人において、共犯者の立場は変わりないが、犯人にとっては、
「殺人という実行犯」
および、
「殺人を依頼するという、殺人教唆という罪」
の二つを背負うことになる。
これは、主犯の方が明らかに不利であることから、
「共犯者に脅迫され続ける」
という大きなリスクを背負うことになる。
そして、元々完全犯罪にはなりにくいものだということであったが、今では、
「完全犯罪になりえない」
と言い切ってもいいのではないか?
と言われるようなことがあった。
というのも、
「今から約20年くらい前から、殺人のような凶悪犯に関しては、時効が亡くなった」
ということである、
完全犯罪のゴールは、今まで通り、15年であれば、時効が成立して、その時点で、犯人として捕まっていなければ、そこで初めて、
「完全犯罪の成立」
ということになるのだろう。
時効が成立しない今であれば、もし、交換殺人を、
「完全犯罪だ」
というのであれば、
「どの時点で完全犯罪となったのか?」
ということを教えてほしいというものだ。
時効が成立しない以上、死ぬか捕まるまで、自分が安穏な時間を得たといえるわけではない。
そのために、すべてのタブーを守らなければならず、それが、完全犯罪を不可能としていることになるのだ。
さらに、この犯罪の盲点は、
「パラドクス」
にあるのではないだろうか?
一種の、
「心理的矛盾」
と言えばいいのか、要するに、
「突き詰めれば、不可能にしかならない」
という発想である。
というのも、前述のように、交換殺人を、
「完全犯罪」
ということにするには、
「お互いの犯行が、ずれていなければいけない」
ということである。
つまり、最初の犯罪には、
「れっきとした犯罪動機を持った、殺人教唆」
の人間と、
「まったく動機が見つからず、関係性もまったくない実行犯」
による犯行である。
ということは、この時点で、
「お互いの立場の明確さは、歴然となっている」
ということである。
「殺人教唆」
と言っても、口で言ったことであって、どこまで通じるかということもあるのだろうが、
「あれは、冗談で言ったことであって、実行犯が真に受けた」
と言ってしまえば、乗り切ることもできるだろう。
そうなると、自分が殺してほしい人を殺してくれたことによって、
「自分は次の犯罪の実行犯になることはないんだ」
と言えるのではないだろうか?
同じタイミングで人殺しをしているのであれば、こういう関係にはならないが、必ずどちらかが最初ということになると、殺人教唆の方が立場は強いことになるのだ。
「俺は、死んでほしい人を君に殺してもらったので、もう俺はリスクを犯す必要はなくなったのさ」
ということである。
いくら相手が、
「話が違う」
と言っても、口約束だし、何なら、実際に殺人を犯した実行犯なのだから、それを警察に密告するとでもいえば、相手はどうすることもできないだろう。
片方は、
「自分が死んでほしい人には死んでもらい、しかも、警察に疑われることもないとなれば、まるで、顔のない死体のトリックのように、自分が死んでしまったかのように偽装するというトリックと似たところがあるだろう」
という人で、もう片方は、
「自分が死んでほしい人を殺してほしいと思いながら、相手の方が立場が強くなり、しかも、自分が実行犯ということになってしまったことで、実に立場的にも不利な形で、せっかくの完全犯罪ができなかった」
という人との、
「極端に違う二人」
が出来上がってしまうのだ。
そうなると、
「片方は完全犯罪でも、片方は、相手の罪まで背負うことになってしまうという、貧乏くじを引いた」
という形になるのだった。
「完全犯罪」
というものは、本当に両方が完全でなければ、成立しないといえるのではないだろうか?
それを考えると、この犯罪は、本当の、
「完全犯罪」
などではないということであろう。
「完全犯罪というのは、ありえない」
という言葉があるが、まさにその通りなのだろう。
今では、そんな完全犯罪というのは、成立しない。この時差があることで、どうしても、どちらかが優位に立ってしまうことで、片方が圧倒的に不利になるのだった。
このバランスが大きな問題で、人によっては、
「完全犯罪を、さらに工夫する形での、完全な完全犯罪を計画する」
ということができるのかも知れない。
もし、お互いに犯行を犯していた場合、どちらかが怖気づいてしまって、
「俺は、怖くなったから自首する」
などと言い出せば、その人だけではなく、自分にまで類が及んでくるに違いないのだ。
それは。もちろん、当然のことで、お互いに立場が同じだと、完全に、
「一蓮托生」
であり、それが、お互いに裏切らないということになるのだろう。
ということなのだろうが、逆に、相手に自分の罪まで押し付けて、こっちは、完全に隠れ蓑の中にいようと考えるとすれば、相手をすれば、
「裏切られてしまった」
ということになるのだということである。
それをするには、かなり難しいところがあるが、完全犯罪をほのめかした時点で、いかに相手に、
「こちらの作戦を、完全犯罪だ」
と思わせることが大切で、それができてしまえば、
「自分は隠れ蓑に隠れて、行動することができる」
ということになるのだろう。
そういう意味で、
「交換殺人は、パラドックスであるが、企んでいる人間からすれば、これほど完璧な犯罪を犯すことができるか?」
ということになるのだ。
だから、この完全犯罪は、
「交換殺人」
ということに特化しているのだ。
そもそも、「交換殺人」
や、
「一人二役」
などという犯罪は。本当は、
「相手に最初に分かってしまっては、うまくいかない」
と言われている。
しかし、逆に言えば、最初から分からせることで、
「完全犯罪の、さらなる完全犯罪」
を完成させることができるというものだ。
しかし、そのためには、少なからずのリスクが存在し、そのリスクを分かったうえで、乗り越えられるだけの何かを持っていないといけないのではないだろうか?
犯罪には、いろいろな種類のトリックであったりパターンがある。
「そのほとんどは出尽くしていて、後は、バリエーションの世界だ」
ということではないだろうか?
それは、犯罪の種類にも言えることで、トリックが、本来であれば、最後まで分かってはいけないものであっても、それを逆手に取るということだってできるのではないだろうか?
ということである。
やはり、完全犯罪というものは、基本的にはありえないことで、それこそ、
「密室トリック」
のようなものではないか?
「ノックスの十戒」
と呼ばれるようなものと同じで、必ず、ミステリー小説の中には、
「タブー」
と言われるものがある。
いわゆる、
「それらを忠実に守りながら、いかにトリックを完成させていくか?」
ということが問題となるのだった。
ただ、今回のように、自分の考えをさらに裏をかく形でいけば、さらなる、斬新な考えが生まれてくるのではないか?
ということになるのである。
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