第12話 ご主人様

「──そろそろ私は帰らせてもらうよ」


 ノルがそう告げ、別れていった。


 いつの間にか、日が暮れてしまっていた。

 あれからブラウス達は街を巡り、楽しい時間を過ごした。

 大道芸人を眺めたり、そこそこいいレストランで食事をしたり。 

 そのたびに顔を煌めかせるアレシアを見て、ブラウスは少し嬉しくなったのは内緒だったりする。

 まあ、とても楽しい時間だった。


 最初はアレシアを引き取ることに特になんとも思っていなかったし、自分の呪いから解放されるため、という打算的な考えで引き取った。

 しかし、今は違う。

 奴隷だったアレシアが、人並みに笑い、幸せそうにするその姿を見て、ブラウスもまた嬉しくなってしまっているのだ。

 自分らしくない。

 そう思うが、まあ、こういうのも悪くないな。

 ブラウスはそう思った。


「日も暮れてきたし、俺たちも帰るか。アレシア」


「はいっ、ご主人様!」


 今日の事で、疲れてしまったのか瞼がうとうとしてしまっているが、それでも精一杯ニッコリ笑う。


 そんなどこか子供らしい仕草に、ブラウスは微笑んだ。

 しかし、その時、ふととある事を思いついた。


「なあ、なんで俺のことをご主人様と呼ぶんだ?」


「それは……」


 ブラウスにとってご主人様と呼ばれるのはどうも気恥ずかしい。

 別にアレシアはブラウスの奴隷ではないのだし、彼女がご主人様と言う必要は無いのだ。

 なんならタメ口をきく権利だってある。


 しかしながら、それでもアレシアはブラウスの事をご主人様と呼ぶ。

 なぜならば引き取ってくれたブラウスに対して感謝しているからだ。

 さらには引き取ってくれただけでなく、こんなにも良い待遇をしてくれた。

 普通、奴隷がこんな贅沢な事をすることはおかしい事なのだ。

 魔族は魔族らしく主人の後を付け、頭を下げねばならない。

 こんな良い服を着たり、レストランで食べたりするなど、過ぎたことなのだ。

 

 そう思うからこそ、彼女はブラウスに対して少し怖く思っていた。

 なにせどうして主人であるブラウスが奴隷であるアレシアにこんな待遇をしてくれるのか分からないからだ。

 普通のご主人様はこんな事は決してしてくれない。

 ゴミを見るような目で唾を吐きかけてくる。

 しかし、彼女の主人は、ただただ優しく接してくれた。

 無表情で何を考えているのか分からないけれど、それでもブラウスなりの精一杯の優しさである事は察していた。


 だからこそ、怖いのだ。

 どうしてこんなに優しいのか。

 そして、急に捨てられる事が

 この幸せな時間が終わるのが。

 

 ご主人様は急に捨てたりなんてしない。

 そんな事は分かっている。

 それでも何か裏があるのではとアレシアは怖く思ってしまうのだ。

 

「その……」


 しかし、そんな事を打ち明けるのは失礼だ。

 ご主人様の気を悪くしたら大変だ。

 そう思ったアレシアは、口籠る。


「そうか……まあ、言えないなら言えないでいい。別に無理に聞こうなんて思ってないしな」


 その答えを聞いたアレシアはホッとした。


 二人は歩む。 



「なあ、アレシア」


「はい、ご主人様」


「俺の娘になるつもりはないか?」


「!?」


 暫くの沈黙の後、ブラウスは衝撃的な事を言った。


 娘?

 つまりは、里子となるという事ではないか。

 奴隷だった身分で、ご主人様の家族となる?

 ご主人様は何を仰っているのだろうか。

 アレシアはただただ理解できなかった。


「私には過ぎた事です……ご主人様の子供なんて……」


 故に断る。

 

「いや、そう言う事じゃなくて……シンプルにお前を正式に家族として迎え入れたくてな。俺の役職的に、世間に示しを付けなくてはならんからな」


「え……?」

 

「それに、今日のお前を見て思ったんだ。アレシア、お前は普通の女の子だ。普通に笑うし、子供らしく興奮したりする。だからさ、俺はお前が育っていって、幸せになって……そんな未来が見たいんだよ」


 そう言って、ブラウスは照れくさそうに笑った。

 基本的に無表情に近いご主人様は、たまに笑うが、こんなに照れくさそうに笑うのは初めて見た。


 だからこそ、ずるいと思う。

 

「ご主人様はずるすぎます……」


 ポロポロと涙が落ちる。

 本当に、ご主人様は優しい。

 

 こんな身寄りのない奴隷の自分を拾って、こんな待遇をしてくれて、それだけでなく娘として引き取ってくれるなんて。

 

「ちょっと待って下さい」


 そう言って裏路地に駆け込む。

 こんな醜い顔、ご主人様に向けられないから。


 そして、次の瞬間視界が暗転した。

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