閑話“黄泉路”
激しい吐き気と強い倦怠感が襲いかかってきた。
魔力枯渇の症状だ。
私は立っていられず、地面へ崩れ落ちた。
雨と涙で視界がにじむ。
なんとか意識を保ち、アルジ様を見る。
アルジ様はよろよろと、
だが戦意に満ちた顔でたちあがる。
ドローン隊が蛇の群れへ体当たりして、
蛇がアルジ様に近寄らないよう牽制している。
ただ、水でできた身体の蛇には、
せっかくの外装のタックルでもなんの痛痒も与えられていない。
角の生えたガーネット様はドクロ男とドラゴンに邪魔されて、
アルジ様へ近寄ることができない。
無線越しに研究所の皆さんの声が聞こえるが、
パニック状態だ。
私なら、なんとかできる。
でも、力が沸かない。
いつかのような無尽蔵に溢れる力は、もうない。
今ほどあの力を欲したことはない。
“呪怨”。
この力こそ、私の本来のもの。
怨みの念が力になる。
だが、今一番怨めしいのは、
無力な自分だ。
なんとか怨もうと、憎もうとしても、
あの輝かしい生活(宝物)が思い浮かぶ。
名を貰い、服を貰い。
食べ物も安心も、温もりも教えて貰い。
怨むことが、どうしてもできない。
涙があふれでてくる。
また、見ていることしかできない……!
嫌! 嫌だ!
もう、見ているだけなんて、嫌だ!
“もう、見ているだけなんて、嫌だ!”
女の人の声がした。
何故か少し懐かしい声だった。
周囲の景色が、遅くなっていく。
まるで、スローモーションのようだ。
“代わりに、私がやる。”
やっぱり声がする。
私の背後から無数の鈴の音が聞こえる。
振り返ろうとしたが、身体が動かない。
それは近づいてきて、私の前に出てきた。
赤を基調にした生地を、
十二単のように、着物のように重ねて身に纏い。
背の高い一本歯下駄で、歩いて行く。
艶やかな黒髪を王冠のように結い上げ、束ね、
盛り上げていて。
それでも、なお地面に引きずりそうなほど長い髪。
それは、頭の大きさより大きく、
揺らめく黒い炎の形になっていた。
服と髪のあちらこちらに金色の鈴が結われており、
彼女が動く度、音が鳴り響く。
後ろ姿しか見えないが、美しい。
花魁とポンパドールを掛け合わせたような、
派手で、優雅で、でも、うるさくない。
雑に合わせたようにも見えるのに、
全てが計算された精密機器の中身のような。
超絶技巧の美しさを感じる。
“ありがとう。
でも、貴女の方が美しいと思うよ。
私なんかより、ずっとずっと、ね。”
その声は見た目のものより幼く感じた。
振り返った女性の顔が見えた。
彼女の本来顔がある場所が、岩窟の岩肌になっている。
比喩ではない。
目や鼻、口などがあるはずの顔の部分だけ、
岩窟の壁が張り付いていた。
“私は醜い。
うんと、うーんと、醜いの。
でも、私はそれを自分で選んだ。
……復讐のため。”
下腹部に沸き上がる、どす黒い泥のような感情。
懐かしいが、これは、私のものじゃない。
“今の私には何もできない。
手も足ももうない。
心も残滓のようなもの。
でも、貴女の代わりに怨むよ。
憎むよ。呪うよ。
だって、そこにいるんだもの。
憎い憎い、仇が。”
美しい所作とは裏腹に、おぞましい殺意を感じる。
“私を、私たちを玩び、嗤い、唾棄したアイツら。
それを止めない、助けもしない、国と権力者。
何もかも全てが憎い。”
彼女が高ぶるほど、
私の力が沸き上がり、頭が冴えてきた。
そうだ。
ガーネット様は彼女に話しかけていたのか。
そう思うと、彼女は残念そうに首を横に降る。
“ガーネットさんは、私とは違う人を思って話してた。
同じではあるのだけど、私と彼女の言うあの人は別人。”
でも、近いなら、貴女は“賢者”さん?
“……えぇ、そう。
貴女を貶めた、張本人。
貴女のことは誰より知ってる。”
悲しそうな彼女を見ても、
私はちくりとも憎く思わない。
むしろ、感謝している。
貴女がいたから、
あの洞窟から抜け出す作戦ができた。
貴女がいたから、
私はアルジ様たちの力になれた。
“……そう言って貰えると、嬉しいな。”
わかりました。
私の身体に魔力が戻り、頭の回転が平時と同じになる。
貴女の憎い人は“勇者”ですね?
“……そう。
あの鬼畜外道どもを、悪鬼羅刹どもを、
殺しても足りない程憎んで。
憎んで、憎んで、憎んで。
結局、私も外道に堕ちて。
その結果、私たちは居場所がなくて。
貴女の中に逃げ込んだ。”
どんどん魔力が沸き上がる。
いつかの私のように、
止めどなく怨みと憎しみが沸き上がってくる。
でも、これは私のものじゃない。
彼女のものだ。
“……そう。
でも、もう何もできない。
お話しできるのも、これが最後。
だから、謝りたかったの。
ごめんなさい、ネル。
そして、ありがとう。
お詫びに、この怨みを、憎しみを置いていくから、
好きに使って?”
ダメです。
“……どうして?”
貴女も一緒です。
“……え?”
私は、その怨みを、憎しみを請け負いました。
その怨讐を果たすのは私です。
だから、貴女はここでこの顛末を見ててください。
“……なんだか、昔に見た時代劇みたい。
でも、もう私の力が残ってないの。
私はもう残滓のような状態だから。”
大丈夫です。
私は貴女の名前を知っている。
“……そうなの?”
はい、行きましょう。
ミタニ様。
一緒に、やっちまいましょう。
今度は岩窟に閉じ込めるなんて生っちょろいことを言わず、
思い切りやっちまいましょう。
私は彼女に手を差しのべた。
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