第35話 餓鬼道

 魔法を知り、敵にも魔法を使うものが現れ。

でも、目の前には魔法をもってしても

対等になり得ない未知の存在がいる。

 身体中が痛む。

骨は破壊と再生を繰り返す。

肉は何とか筋で繋がっているだけ。

呼吸は荒く、心音が耳元で割れ鐘のようになり響く。

でも、頭は冷えきり、全てがクリアに見える。

 クレーターから、異形が飛び出した。

俺はギリギリ見えた影を追って駆け出す。

異形は俺を迎え撃つためか、

地面を蹴り砕き足場を崩す。

だが、俺の“神装”は飛行能力がある。

俺は走るのをやめて、

低空飛行でさらにスピードをあげた。

 突然、異形が砕いた地面の欠片を持ち上げ、

俺に投げつける。

砲弾サイズの岩が弾丸並みの速度でこちらに迫ってきた。

俺は“鐵鎖”の鋲を地面へ打ち込み、

直角に進行方向を変えて回避する。

 距離はかなり近づいた。

異形は走り続けるが、どこかに逃げる意思は見えない。

自分が有利に戦うための移動だ。

俺は鐵鎖を駆使して加速した。

 異形はそれを待っていたかのようにこちらに向き直り、

俺に向かって飛びかかってくる。

交錯する拳と脚。

筋力は彼女の方が上だ。

だから、俺は技で受ける。

 しかし、俺の拳が空振った。

異形の脚に着いてくる胴体。

彼女は更に回転までし始めた。

これは蹴りじゃない。

体当たりだ。

俺は動かせるだけ鐵鎖を束ねて地面へ鋲を打ち込み、

両足を地面に着けて体当たりを正面から受け止めた。

 インパクトのその一瞬で地面に打ち込んだ全ての鋲が抜けて、

踏ん張りきれず俺の足が地面から離れる。

俺は勢いそのまま撥ね飛ばされ、地面に転がった。

受け身はとったが、ダメージは逃げきらなかった。

俺は口から血を吐いた。

スライムヘルムから血が飛び出す。

だが、意識ははっきりしている。

重傷だろうが、まだ行ける。

まだ、往ける。

 俺は飛行能力も使い、飛び起きて体勢を立て直す。

異形は俺を撥ね飛ばしたところで動きを止めていた。

やっぱり彼女は笑っている。

俺は姿勢を整え、地に足を着けて大きく息を吐く。

 異形は俺に駆け寄ってくる。

今度は俺にはっきり見える速度で走っている。

絶対にただ走ってるだけじゃない。

俺はマントを翻し、

腕に巻いていた“鐵鎖”を全部ほどいて広域に展開する。

出せるだけ鎖を出し地面を這わせ宙を漂い、

俺を中心に半円形に隙間を敢えて作りながら広げる。

半径百メートルの鎖の結界だ。

鎖に触れたそこからからめ捕ってやろう。

 異形は笑って、そのまままっすぐ突っ込んできた。

彼女は鎖に触れるその瞬間、

人間にはできそうにない回転と旋回で

どの鎖にも触らず結界内へ侵入してきた。

咄嗟に近くの鎖を異形へ向けて伸ばすが、

彼女から見えないはずの角度の一撃すら紙一重で回避する。

 俺は当たらないことより、

その異形の無駄のない動きの機能美に見惚れてしまう。

蝶のように、羽のように、桜の花弁のように儚く。

でも、獣のように、嵐のように、雪崩のように荒々しく。

舞い踊るように、乱れるように、魅せつけるように

異形は俺との距離を詰めていく。

空港で、駅で、町中で、

愛しい人を見つけた恋人へ駆け寄るように。

溢れんばかりの笑顔で。

 異形が俺まで後十歩程度まで近づいてきた。

俺はすかさず、

結界の鎖を全て引き絞り、締め上げ捕える。

俺の両腕ごと巻き込んで、逃がさぬよう締め上げる。


 バキッ。


 壊れるはずのない鎖から、破砕音が聞こえた。

その音は連鎖し、どんどん大きくなる。

とうとう絡み付いた鎖が、

クラッカーのように飛び散る。

崩れ落ちる鐵塊。

その中心に、彼女は立っていた。

俺の目の前。

伸ばして鎖を絡めていた俺の両腕の間に、

まるで抱き締められるのを待つように立っている。

 刹那、俺の背中に激痛が走る。

“神装”ごと背中が大きく裂けて、血が吹き出した。

視界が滲む。

呼吸がままならない。

音が消えた。

肌は冷たい風だけを感じている。

口の中は血の味で、鼻も血の匂い。

両脚からせきを切ったように力が抜けて、

疲労が両肩にのしかかる。

だが、頭は冴え渡っている。

 “鐵鎖”はスキルの“触手”の代替品だ。

破壊不能オブジェクト、と言う説明だったが、

壊す方法がないとは書いてなかった。

壊れれば、

触手と同じで俺の身体にダメージが入るようだ。

傷を“神装”が即座に回復しているので、死にはしない。

だが、目の前の異形は回復を待ってはくれない。

 俺は突き出していた両腕を勢いよく引き戻し、

身体全体を捻って右肩からタックルを仕掛ける。

異形は逃げようとしたが、動けない。

地面がうっすら氷っていて、

手をホールドしていたからだ。

 そうだ。俺は一人で戦っていない。

ガーネットが仕掛けた氷の罠にかかり、

一瞬動きが止まる異形。

その一瞬で十分だった。

俺の全体重、全筋力をかけたタックルが決まる。

異形は、トラックに撥ね飛ばされたように宙を舞い、

地面に激突する。

 異形は今までと違い、

ゆっくり立ち上がり俺に向き直る。

今のタックルで手傷は追わせたが、

ちゃんとしたダメージにはなってなさそうだ。

 ふと、殺し合っている相手にこう思うのはなんだが、

彼女が今どう思っているのか知りたくなる。

楽しんでいるのか、怒っているのか。

喜んでいるのか、悲しんでいるのか。

その笑顔は無邪気で、瞳はまっすぐ俺を見つめる。

 異形は突然、くるりと縦に回転して頭を上にする。

今まで逆さまだった彼女の顔がしっかり見えた。

異形はゆっくりこちらへ歩いてくる。

俺も誰も警戒は解かない。

だが、その歩みをゆっくり待つ。

彼女は、俺の目の前で止まった。

 “神装”で巨体になった俺とまっすぐ視線が合う。

全体的に人間の寸尺じゃない。

頭が小さめのバランスボールくらいある。

だが、その姿は大理石の彫刻のように美しい。

透き通った白い肌は

どんなアイドルや女優でも到達できない域だ。

頭髪の無い綺麗な頭部がとてもエロティックに感じる。

近くに来てわかったが、頭髪だけでなく眉毛もない。

睫毛は長く、

複雑に光を乱反射させた不思議なグリーンの瞳は

まっすぐ俺だけを見ている。


「貴方、名前は?」


 静寂を破ったのは彼女だった。

その声は、どこまでも通るハスキーボイス。

だが、艶かしくしっとりとした声だ。

大きく熟れた唇が扇情的に感じる。


「櫻葉凉治。

貴女の名は?」


 俺は思わず聞き返した。

彼女は笑う。

俺は井戸の底を覗いた時のように、

堕ちそうになるのをこらえる。


「無いわ。

貴方なら、私のことを何て呼んでくれる?」


 逆に聞き返された。

だから、俺は名付けは苦手なんだ。

俺の頭が真っ白になる。

 異形は期待した顔で応えを待っている。

ガーネット、ネル。

宝石。緑。


「……スフェーン。

緑色の宝石、スフェーン。」

「とってもステキ。」


 俺の応えに満足したのか、彼女はまた笑う。

そして、くるりと逆さまに戻り、辺りを見回す。


「緑の肌の彼女たちは、貴方の“彼女”?」


 魔法で姿を消しているガーネットとネルのことが

見えている?

冷や汗が流れたが、

俺の顔はスライムで覆われていたので

気づかれることはなかった。


「藍色のローブを着たのがガーネット。

白いローブを着ているのがネル。

二人とも俺の仲間だよ。」

「そうなんだ。

じゃぁ、私が貴方の“彼女”に立候補しようかしら。」

「絶対許しませんからね?!」


 今まで聞いたことがないほど大声でガーネットが叫んだ。

ガーネットの頭にはいつかのように角が生えている。

ネルはすごい形相で拍手のように

ハンドクラップを連打して否定している。

それを見て、異形は楽しげに笑った。


「いい仲間ね。

ステキ。」


 異形はゆっくり歩いて遠ざかる。


「私はいつも山にいるの。

今日は変なのが入ってきたから、ここまで来たの。」


 金猿を見ながらスフェーンは言う。

変なの、とは金猿のことか。


「リョウジさん、これ連れ出してくれる?」

「それ、まだ生きてるのか?」

「そうね。

私も手心を加えたつもりはなかったのだけど、

かなり頑丈みたいね。」


 スフェーンはぼろ布のようになった金猿を

ゴミのようにつまみ上げて、

俺の方へ投げやった。


「ゴミ掃除を頼むみたいで、申し訳ないけど。

私はその扉から出られないの。

とにかく、これを外へ出してくれるだけでいいの。

お願いできる?」

「その猿は元より殺して連れ出すつもりだった。

手を貸してくれて感謝する。」

「いいの。

貴方が初めてだもん。

私が全力で相手して壊れなかったのは。」


 そう言いながら、スフェーンはまた笑った。

全力で、か。

俺の方が圧倒的に不利だったが、

その言葉を聞いて嬉しく感じる。


「私はあそこの山にいつもいるの。

今度はリョウジ、貴方だけで来てほしいなぁ。」


 お誘い、かな。

俺は思わず声を出して笑った。


「大変光栄だ。

今度は邪魔が入らないようにしたい。」

「もちろん。

お仲間のお二人もおいで。」


 スフェーンはお仲間、の部分を強調して言う。

ガーネットとネルが俺のところまで飛んできて、

俺の両腕にしがみついた。

同時に二人から回復魔法が俺にかけられる。


「今度はギタギタにしてやります。」

「ネル、頑張る!」


 そう言って睨む二人を見て、

スフェーンは声を出して笑った。


「えぇ、是非。」


 そう言い残して、彼女の姿は消えた。

俺たちは見逃されたのだろう。

思わずため息が出てしまった。

俺は足元で痙攣している金猿を見る。

 意識混濁、呼吸は浅い。

顔がつぶれていてよく見えない。

財前の爆弾で手の指が両方で三本しか残っていない。

足は無事だが、

下腹部の辺りがつぶれて、

比喩ではなく実際にお腹と背中がくっついている。

これは数分もすれば死ぬ。


「ネル、金猿を鑑定してくれ。

本体はまだいるか?」


 そう言いながら俺は俺の血で赤く染まったマントを脱ぎ、

金猿をくるむ。


「……まだ、います。

でも、逃げようとしてます。」

「ダンジョンの外へ連れ出す。

直接触らなければ、俺や皆に憑依することはないか?」

「憑依はできないと、思います。

この、身体の持ち主は、

産まれて間もない子どもの個体です。

自我が希薄だから、容易く憑依できます。

 でも、ある、アルジ様や私たちは大人です。

自我がしっかりあります。

抵抗されればどこにも行けず消えてしまいます。」


 なるほど、憑依とやらも万能ではないのか。


「この身体が死んだら本体はどこかに行くでしょう。

ネル、バリアで猿を囲って下さい。

私が死なない程度に回復させます。」


 ガーネットは金猿に回復魔法をかける。

見事に死なない重傷状態ができあがる。


「身体ごと封印できればいいのですが、

身体が封印されると死亡と同じ扱いになって

本体だけ逃げそうです。」

「“鐵鎖”でバリアごと簀巻きにしよう。

ダンジョンの外へ連れ出して、

生かさず殺さず監禁する。

その間に本体を消滅させる方法を探そう。」


 二人は手を叩いて金猿の周囲を警戒する。

俺は金猿を引きずって財前のところまで行く。


「……いつか見たものより、

すごいものはもうない、と思ってたのですけど。

あっっっさり、塗り替えられました。」


 頭を抱えた財前がそう言った。


「山か……。

調査時はあそこまでたどり着けなかったなぁ。

あんなのいるんだ。

勝てる気が、いや、逃げるのも無理だろうなぁ。」


 財前は遠い目をしてため息をつく。


「彼女があそこで手を引いてくれて、助かりました。

あのまま続けていたら負けています。」

「櫻葉さんでそうなら、

人類は誰も彼も勝てませんよ。

 魔王、一撃ですよ?

外であーだこーだ言ってる政治家たちが、

バカみたいだ。

既存のダンジョンの方が

魔王より恐ろしいモンスターを抱えてた、なんて。

報告しても無視されるだろうな。」


 財前は槍を杖のようにして、身体を支える。


「……腰が、抜けました。」

「……肩をかしましょうか?」

「いいえ。

今度は邪魔にならない程度にお助けできたと思ったんです。

でも、ダメでしたね。

 はははは……。

情けない。

自分が情けない。」


 力なく笑う財前。

俺にはかける言葉が見つからない。

藤堂ならなんと言うのか。

おじさんなら、笑うんだろうな。


「投てきのフェイク、素晴らしいものでした。

火薬でしたね。

今度うちでも扱いたいです。」

「ぶっちゃけまして、これ、

櫻葉さんの研究所からもらったんです。

今日の発表で櫻葉さんにもお渡しする予定だったモノですよ。」


 何やってんだ、あの人たち。

思わず俺の口が開く。


「これを使って投てきする単純な炸裂弾を作る予定って聞いてます。

ゆくゆくは重火器も、と意気込んでましたよ。

 この爆弾は魔王にも効果があったので、

大和桜はグロス単位で買います。」


 1グロスは12ダース、12の二乗倍の144個だ。

大口顧客だな。

念のため、俺から言っておこう。


「ご贔屓に、どうも。」


 財前はなんとも形容できない顔をして笑った。

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