閑話“悪夢”
これは、昔の私だ。
すぐに分かった。
薄暗い洞窟の奥。
呼吸ができないくらいの悪臭。
そして私を嘲笑い、いたぶり、物のように扱う同族。
“ゴブリン :
ヒューマン型モンスター。
醜く狡い通称小鬼。
森または山岳地帯に主に生息。
数百メートルから数十キロの洞窟を堀り、巣にする。
雄は他種族の雌と交配し、子を産ませる。
産まれるのは必ずゴブリンで、雑種はできない。”
ゴブリン達は私の口へ汚物をねじ込む。
拒絶しても私の力では敵わない。
“ゴブリンの練り餌 :
ゴブリンが捕らえた雌に与える餌。
主成分はゴブリンの盲腸便。
栄養価は低く、臭く、不味い。
ゴブリンの雄は食べない。”
来る日も来る日も行われる行為。
何度抗おうと敵わない。
聞きたくない事ばかり頭に入ってくる。
“ゴブリンの生殖 :
行為自体はヒューマンとほとんど同じ行為。
他種族の生殖器へゴブリンの生殖器を挿入、
射精すると完了する。
ゴブリンの雄は他種族であれば
どんな種族が相手でも必ず孕ませることができる。
生殖行為と言うより、侵食に近い行為。
ゴブリンは一度に十から五十匹の群で生殖行為を行う。
耐久力が低い種族は大半行為中に死亡する。
耐久力が高くても出産時子供のゴブリンに母体の腹部、
生殖器等を破壊されて死亡する。
例外として、
ゴブリンの雌は雌なので雌と生殖行為ができない。
また、ゴブリンの雄はゴブリン雌を生殖行為の対象にするが子供はできない。”
酷すぎる行為と扱いのせいか、
頻繁に意識が失われる。
“魔力枯渇 :
ギフトや魔法等を使用して魔力を所有量以上使用した場合、
もしくは、ドレイン系、ロスト系の呪いやギフト、
魔法で他者により奪われ失われた場合に起きる生理現象。
意識混濁、昏睡状態になり魔力が完全に回復するまで覚醒できない。”
何もしてない。
“パッシブギフト :
常時発動型のギフト。
使用者の意思と関係なく発動し続ける。”
私にギフトはないはず。
“賢者 :
ギフトの一つ。
パッシブギフト。
演算、記憶、解析を使用者に代わって実施する。
使用者の知力を大幅に上げる。
また、アカシックレコードへの一部アクセス権を所持しているので、
使用者の知識を補完できる。
ゴブリンの雌に必ず付与される。”
ずっと頭に直接声が響く。
この声は知りたくもない、見たくもない、
この現状を事細かに解説する。
“凌辱 :
1 相手を傷つけるような言動をして、
恥をかかせること。
2 暴力で女性を犯すこと。”
“鬼畜 :
鬼と畜生。
転じて、残酷で、無慈悲な行いをする者。”
やめて。
“恥辱 :
体面・名誉などを傷つけること。はずかしめ。”
“強姦 :
暴力・脅迫などによって、強制的に婦女を犯すこと。
暴行。”
嫌だ。
“射精 :
性的興奮が最高に達したとき、
男性性器から精液が射出されること。”
時々、知らない人達が同じところに連れてこられる。
私より大きい人や、肌に鱗がある人、髭の人。
“ヒューマン :
知能の高い種族。
主に道具や概念を作り集団で生活する。”
“ドラゴニュート :
身体能力が高い種族。
知能は低くないが、
手先は不器用で道具を作ったり使うことができない。
家族単位で生活する。
縄張り意識が強く、
他種族だけでなく同種族でも
家族以外が縄張りに入ると攻撃する。”
“ドワーフ :
手先の器用な種族。
道具を作ったり、使ったりするが、
知能が高くない。
更に個々人のこだわりが強く、
個人のルールを勝手に定めているので家族間ですら
仲違いする。
基本的に個人で生活しているが、
子育ての時だけ家族で暮らす。”
皆私と同じように酷い扱いを受ける。
私は何度も助けを求めたり、助けようとしたが。
「ゴブリンめ!」
皆一様にそう言って私を拒絶した。
聞いたことのない言語なのに、
頭の声がその意味を私に押し付ける。
罵詈雑言を浴びせられ、侮蔑の目で睨み付けられる。
そして、皆苦しんで死んでいく。
皆怨めしそうな顔を私に向けて死んでいく。
私は何もしてないのに。
私は何もできないのに。
日も差さず、代わり映えしない、悲痛な日々。
何日? 何年? 分からない。
“15年4ヶ月21日20時間45分です。”
意識がある内はどうやったら死ねるか考え続けた。
あの岩に頭をぶつければ死ねるか。
“不可。筋力が足りません。”
床に溜まった汚水に顔を埋めれば、
溺れることができるか。
“不可。乳房が大きいため、
あの量の水溜まりでは顔も濡れません。”
何とか洞窟から逃げられれば、
他の種族に殺されれば。
“不可。身体能力が低く、
魔力枯渇を頻繁に起こすため、
長時間の活動ができないため脱出不可。”
じゃあ、何故私はここにいるの?
何故こんな目に遭わないといけないの?
“ゴブリンの雌は呪怨の魔王になる素体のためです。”
え?
“産まれながらにすべてを奪われ、汚され、辱しめられ、唾棄され、怨まれ、最後に怨みそのものになるためです。”
そんな……。
“自分の置かれた状況を理解できるよう
高い知能を与えられ、
怨みを忘れぬようギフト賢者を付与させます。
また、賢者によって状況を更に詳しく理解させます。”
……。
“頭より大きな乳房とモンスター足り得ぬ筋力。
更にパッシブギフト賢者により、
抵抗させないよう縛り、
逃げることも自死することも許されず。”
あ……。
“貴女はそう言うようにデザインされ、
そうなるためにここにいます。”
あぁ……。
“この世界の理によって、
貴女はすべてを奪われ尽くすのです。”
嫌だ!
“貴女はすべてを怨み、呪い、
破壊するためにここにいます。”
頭の声すら、敵であり。
世界から貶められている。
救いは、ない。
更に時間が経った。
もう何もしたくない。
何もできないなら、
死ぬことすら許されないなら、
その辺の石になりたい。
飽くことなく繰り返される行為。
浴びせられる罵詈雑言。
来る日も来る日も汚物を口に詰められ、
私自体が汚物になっていた。
もう、尊厳も意思も
生存本能すらなくなりかけていた。
その時だった。
目の前に光が見えた。
産まれて初めて見るまばゆい光。
水のようにたゆたうそれは、
地べたに投げ捨てられた私の目の前にあった。
私に群がっていたゴブリン達は怯えて飛び退く。
これは何?
“……。”
いつも頼んでもいないのに聞こえる声が聞こえない。
何となく分かった。
これは、この声もアカシックレコードも
知らない何かだ。
残った搾りカスの体力で、私は光に飛び込んだ。
死ねるかもしれない、そう思って飛び込んだ。
まばゆい光が私を包み、
感じたことの無い浮遊感で身体がすくむ。
着地した先はいつもと似た石の地面。
よろめきながらも立ち上がって周りを見回した。
洞窟だった。
ただ、洞窟なのにとても明るい。
さっきの光ほどではないが、
路の先までよく見えるほど明るい。
今までと違う洞窟。
“……。”
相変わらず声は聞こえない。
ここが何処か教えてくれない。
握りしめていたボロ布を身体と頭に巻いて、
千鳥足で歩き出す。
気を失うまでは、歩いて行こう。
本の僅かな希望が私の胸に灯る。
助かるかもしれない。
死ななくても良いのかもしれない。
誰にも害されず、侵されず。
誰にも怨まれず、罵倒されず。
少し距離はあるが、何かがこちらに向かってくる。
匂いも何も分からないのに、それが何かはっきり分かった。
ゴブリンだ。
嫌だ!
気づけば走り出していた。
もつれる足。息が切れて胸が痛む。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
もうあそこには戻りたくない!
戻るくらいなら、いっそ死にたい。
すぐ疲れて動けなくなるのは知っている。
でも、走らない訳には行かない。
世界のすべてが私を貶めるためにある。
なら、今の状況はどうか。
変わらず声は聞こえない。
怖い!怖い!怖い!怖い!
もたつく足を何とか走らせ、角を曲がる。
そこには、異形と呼べる何かがいた。
思わず足を止める。
見上げるほどの巨軀。
黒ずくめの身体に鉛色の手足。
頭は緑色の球体で、表情も何も見えない。
二足歩行で、巨木の様な脚。
これは何?
産まれて初めて、
自分から頭の中に聞こえる声に訊いた。
でも、何も返事はない。
助かるかもしれないと思っていた。
その僅かで初めての希望は一瞬で吹き飛んだ。
あれは、死神?
死を司り、今際の際に現れる神。
そうか、死ぬのか。
そうと分かれば、何も怖くはない。
やっと、やっと、やっと終わるのだから。
地獄が、悪夢が、すべてが終わるのだから。
気づけば私は死神に向かって走っていた。
嬉しくて嬉しくて涙が出た。
その脚にしがみついて、懇願する。
「殺して! 速く!
終らせて! お願い!」
声の限りそう叫んだ。
すると、死神はゆっくり膝を折り、
知らない言葉で話しかけてきた。
壁際に行くように言っていると思う。
気づけばゴブリンの群がすぐそばに来ていた。
私は指示されたとおり壁際へ行き、
屈んで頭を抱えて可能な限り小さくなった。
すぐに轟音とゴブリンの悲鳴が響き渡る。
聞いたことない咆哮と血の臭い。
今まで求めいたが身近に感じたことがなかった
“死”がすぐ後ろにあった。
私は恐ろしくてたまらなかった。
数秒前まで死にたいと、言っていたにも関わらず、
今は死が恐ろしくてたまらなかった。
また少しすると静かになった。
自分の呼吸音と鼓動しか聞こえない。
血の臭いも無くなった。
トントン、と肩を叩かれた。
飛び上がって振り返る。
そこにはさっきと同じように膝を折って屈む死神がいた。
彼は顔に手を掛けた。
緑色の中から男性が出てきた。
ヒューマンだ。
こんなに近くでヒューマンの男性を見たのは初めてだ。
彼は何か話している。
いつもなら頭の中に声が聞こえて、
勝手に翻訳してたのにずっと何も聞こえない。
私は彼が何を言っている知りたくてたまらなかった。
よく分からないまま、肯定していく。
すると、彼は懐から一枚の紙を取り出した。
そこには、いろんな文字て書かれた同じ文言があった。
“契約者は櫻葉 涼治を主とし、
死別するまで心身を主に従属する。”
従魔の契約だった。
これは知っている。
契約した相手を意のままにできるものだ。
だが、様子がおかしい。
この紙を私の身体に押し付ければ、契約が成立する。
なのに、彼は紙をこちらに掲げて何か話している。
もしかして、同意を求められた?
彼が優位だ。
なんたって私を助けたのだから。
それにこの紙は従者の意思に関係なく
身体に押し付けられれば成立して拒否できない。
契約してしまえば、命令は絶対だ。
命令に反する行動はとれなくなる。
でも、私に同意を求めている。
分からない。
分からないが、彼を逃してはいけない。
直感だった。
押し付けられたあの地獄より、
自分で選んだ地獄の方がいい。
意を決して私は契約書に私の意思で手を押し当てた。
契約してからは、
自分でも信じられない生活が待っていた。
安全で清潔な寝床。
綺麗な水は独り占め。
木の実やキノコは食べ放題。
それだけじゃない。
汚物同然の私を、彼は嫌な顔せず洗ってくれた。
絡みこじれて痛む髪を整えてくれた。
綺麗な服を着せてくれた。
美味しい食べ物をくれた。
私が魔力枯渇で眠ってもそばにいてくれた。
神様だ。
死神なんかじゃない。
この人は神様なんだ。
いまだに命令は一つもされない。
ただ居ることを許してくれる。
私が産まれたのは、今だ。
いままでの私は死んでいた。
この人に、主に会って、私は産まれたんだ。
ガーネット。
名前をくれた。
後で宝石の名前だと知った。
テレビで見たその宝石は、とても綺麗だった。
お話ししたい。
お礼を言わなきゃ。
初めて意識して“賢者”を発動し、言葉を覚えた。
声に出して話してみると、頭を撫でて褒めてくれた。
初めて、誰かに褒められた。
ピカピカ光る何かが、私の中に溢れた。
そんな時、不穏な事を聞いてしまった。
私を助けた後で、主は怪我をしたと。
私はまた意識して賢者を発動した。
いままで憎くて憎くてしかたがなかった賢者が、
今では頼りになる力だ。
どうやら私は魔法が使える。
そのなかに怪我を回復させるものがあった。
お礼を言って魔法の話をしようとしたが、
お礼を言った時点で魔力枯渇してしまった。
目が覚めた次の日にはちゃんと伝えることができた。
アルジ様は私の言葉をちゃんと聞いてくれた。
とても嬉しかった。
黙れと叫んで止めたりせず、最後まで聞いてくれた。
何となくここが私のいた所とかなり違うことは
肌で感じている。
そんな私の話を信じてくれた。
その上で色々計画して、
命令じゃなく提案して実行してくれた。
寝床に戻されて喚ばれるのを待っている間、
眠って待つと言ったが興奮してなかなか眠れなかった。
喚ばれた所は洞窟とはちがう、
見たことのない所だった。
「金色を討伐するとドロップアイテムを落とす。
銀色はレベルが上がる。
ガーネットには、
銀色のスライムを討伐してもらいたい。」
渡されたナイフが魔道具だと分かった。
こんな希少なものを、私なんかに渡してくれた。
責任感がナイフの重さを更に重くする。
アルジ様は優しかった。
貧弱な私にアルジ様の手の一つを巻き付けて動きを補助してくれる。
洞窟にいてゴブリンに身体をまさぐられたときは、
おぞ気がして全身に鳥肌が立ち嫌悪感しかなかった。
でも、アルジ様に包まれていると、
なんだか嬉しくてドキドキした。
「ガーネット! 今だ!」
私は必死にナイフを振った。
当たった!
レベルが上がり、嬉しかった。
だが、アルジ様を見るとかなり具合が悪そうだ。
「アルジ様、今日はこれで一旦帰りましょう。」
「はぁ……はぁ……はぁ……。
いや、少しやすんで、もう二匹。
今の内にガーネットも食べておくといい。」
チョコレートを貰った。
甘くて美味しいのに、
アルジ様を見ているとイマイチ美味しくなかった。
アルジ様は狩りを継続する。
しばらくすると、また銀色がいた。
しかし、アルジ様は気づいていない。
「アルジ様!」
私の声に反応して、
銀色のスライムを認識したアルジ様。
すぐ私がスライムを両断する。
「やりました!
レベル4に上がっています。
魔力の減る早さがとても遅くなりました!
……アルジ様!?」
喜んでいた私はアルジ様を見て頭が真っ白になった。
両腕を地面につけ、額を地面に押し当て、
両ひざをつき全身で呼吸しているアルジ様。
知っている。
これは人が死ぬときにする呼吸だ。
筋肉が呼吸だけに使われている。
背中が大きく上下しているが、呼吸できていない。
洞窟で何度も見た。
だから知っている。
これはダメなやつだ。
私は口から意味のない叫びを上げながら、
アルジ様に駆け寄った。
アルジ様はこちらを見た。
何故か私を見て心配そうにしている。
嫌だ。
嫌だ!
死なないで! お願い!
まだ、話したいことがある!
伝えたい事が山ほどある!
突然、賢者が頭の中でささやく。
“現在の魔力の総量を回復魔法に使用すれば、
完治はしなくとも一命は取り留められます。
魔力の即時回復をおこない、魔力を用意してください。”
私は泣きながら言われたとおりアルジ様のバッグからチョコレートを取り出した。
包みを破り捨てとにかく飲み込む。
味なんかしない。
吐き気すらする。
でも、飲み込まなければ、助けられない。
すべて嚥下し回復した魔力を
初めて使う回復魔法にすべてつぎ込む。
私は一分でも一秒でもアルジ様より先に死ぬ。
私の身体はアルジ様の盾に、
私の力はアルジ様の矛に、
私の心はアルジ様の癒しにすべて使う。
決めた。今決めた。
渾身の回復魔法は、成功した。
搾りカスになった私は立っていられず、
倒れ込んだ。
アルジ様はそれを抱き止め、抱き締めてくれた。
私の顔を覗き込むアルジ様の顔には生気が満ちていた。
「ガーネット! どうした!
何をした?!」
「アルジ様……お加減は……?」
「回復魔法と言うのを使ったのか?」
「アルジ様、……申し訳……ありません。
完治は……させられなかった。
もう一つ……レベルがあれば……。」
「喋るな。今ゼリー飲料水を……。」
「いえ、また眠るだけ……です。
はぁ……。よかった……、アルジ様……お元気に……。」
「ガーネット、おい、何で。」
「……アルジ様。
わがままを……一つ聞いてください。」
「何だ? 返送した方がいいか?」
「いえ……。眠るまで、そばに……いてください。
次は……あすには、……起きられるので……。
ご心配は……。」
「分かった。話すな。
そばにいるから、安心してくれ。」
アルジ様の胸の中はいままで感じたことの無い
大きく暖かな安心感とたくましい優しさがあった。
薄れ行く意識のなか、多幸感に満ちた私は世界の何よりも幸せだった。
……。
…………。
……………………。
“災悪の芽の発芽を確認。
システムに基づき、
アドミニストレーターへ進化を要請。”
“send …………。
タイムアウト。
再試行します。”
“send …………。
タイムアウト。
再試行します。”
“send …………。
タイムアウト。
再試行します。”
“send …………。
タイムアウト。
再試行します……。”
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