第5話 奇妙な生活
いつもの時間に目が覚めた。
昨日タクシーから降りて家に着いたら、
買い込んでいたゼリー飲料をいくつか飲んで鎮痛剤を服用し、
着の身着のまま布団に倒れこんだ。
何時間寝ったかわからないが、まだ身体が痛む。
確認するまでもなく、
切られた触手からも痛みが伝わってくる。
頬に触れると、顔がむくんでいる。
とりあえず水分を採って、
シャワーで良いから身体を洗おう。
俺は這うように起き上がり、
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
蓋を開けてペットボトルのままあおる。
普段気にしていない水を味を感じて、旨いと呟いた。
服を脱ぎ捨て、風呂場へ向かう。
洗濯は後だ。まだ日も昇り出したとろこだし。
熱いシャワーを頭から浴び、生きていることに喜ぶ。
生き延びた。
頭から下へ順に洗っていく。
こびりついていた血の汚れが流れていった。
ダンジョンのモンスターの血液は、
例えハンターが頭から被ったとしても
死体が消えると一緒に消える。
なので、この血はすべて俺自身の血だ。
ダンジョンでは気づかなかったが、
身体中あちこち小さな切り傷や擦り傷ができている。
内出血している箇所も多数見つけた。
全身打撲と言っても過言じゃない。
特に両太ももに喰らってしまった傷は腫れており、
動く度痛む。
ここの骨が折れてないと思いたい。
ただ、スライムヘルムのお陰だろう、
頭から首の付け根にかけてはキズ一つ無い。
シャワーを終えたらまた鎮痛剤を飲もう。
薬を多用したくないが、
今日に関しては必要だと判断した。
シャワーを浴び終え身体を拭き終えたら、
裸のまま台所へ向かう。
ゼリー飲料だけでは身体がもたないので、
鍋に冷凍していた白米を入れて水を入れた。
コンロにかけて、弱火で煮る。
お粥だ。
消化に良く、糖質で栄養価も高い。
オートミールも良いが、
粉っぽい口当たりが俺は好きになれない。
服を着ながらあのゴブリンを思い出した。
パーソナルスペースがどんな場所かわからないが、
無事だろうか。
時計を見るとまだ五時前だった。
もう少ししてから、呼び掛けてみよう。
とりあえず玄関に放置していたキャリーバッグを雑巾で拭き、
中から魔石を取り出す。
大きな袋はそのまま金庫へしまいこんだ。
小さい袋とウエストバッグ等に入れた分は、
予備の大きな袋へまとめて金庫へ入れる。
この金庫は大家さんに許可を得て
クローゼットの中の壁と床に固定した大きなタイプのものなので余裕で収納できた。
次にドロップアイテムを確認する。
三度目のドロップだ。
ハンターになって二週間程だが、
ドロップ率がべらぼうに高い。
まぁ、その分討伐数もべらぼうに多いが。
タオルで巻かれたナイフをウエストバッグから丁寧に取り出して、
テーブルの上に置く。
タオルをほどき改めて見たが、
やはり美容師のカミソリみたいだった。
刃は鋭く、厚みがある片刃。
刃の切っ先と背が丸くなっており、
突き刺す事は難しい。
刃と柄は一体化しており、柄部分は溝が彫られている。
刃を内側に少し“く”の字に曲がっているので、
やはりカミソリだと思う。
ただ、その切れ味は恐ろしく、
コンビニの割り箸を軽く刃に当てるだけで
真っ二つに両断した。
形状的にやはり剃ったり削いだりが用途だ。
ニッチすぎて売却するか悩む。
そもそも売れるかどうか、判断しづらい。
自分で使用するにしても、
小さすぎてどうしたものか。
これで髭を剃ったら顎ごと両断しそうだ。
タオルを巻き直して、これも金庫へしまいこんだ。
どうするか、判断を保留する。
さて、問題はここからだ。
破損した防具を取り出した。
左腕のスーツの部分は完全に裂けて無くなっている。
ガントレットだけ無事だ。
他の部分もかなり痛みがあり、
よれたり伸びた部分が見てとれる。
もうダメになってしまったのか……。
高かったんだが……。
俺は大きなため息をついて、
防具をもう一度キャリーバッグへしまいこんだ。
修理可能かだけ、問い合わせてみよう。
そうこうしていると、お粥ができた。
どんぶりにお粥を入れて、塩昆布、自作の小松菜の浅漬け、出汁をとった後の鰹淵と昆布を甘辛く炊いたものを冷蔵庫から取り出した。
テーブルへ並べて、食事を始める。
意識してゆっくり噛んで飲み込む。
回復に体力が必要だが、
消化吸収にもまた体力が必要だ。
その消化にあたり、
良く噛むことで少しでも必要な体力を小さくしておく。
ゆっくり食事を済ませ鎮痛剤を飲んで、一息つく。
時間はいい具合になってきた。
あのゴブリンに声をかけてみることにした。
「おはよう。そちらはどうだ?
怪我はないか?」
耳の奥にゴブリンの驚いた声が聞こえる。
続いて、肯定のハンドクラップが耳に飛び込む。
ダンジョンの外でも意志疎通できた。
さて、次は呼び出しできるかどうか。
召喚できたら、と考える前にあの臭いを思い出した。
昨日のままだとしたら、かなり臭いはずだ。
呼べるならついでに洗ってしまおう。
「お前の身体を洗おうと思うんだが、
水やお湯は浴びて問題ないか?」
少し考える間があり、ハンドクラップが聞こえる。
俺はまさかと思い、質問を追加する。
「水、お湯、が何か知ってるか?」
また少し間が空き、
弱めのハンドクラップが二度聞こえた。
否定は二度手をたたくのか。
とにかく、呼び出せるか試して、
いけそうなら洗ってしまおう。
俺は大きいフリーザーバッグを台所から何枚か用意し、
風呂場へ移動した。
大きいタライを用意し、そこへ湯を張る。
ボディソープとシャンプーをすぐ手の届く位置へ移動させて、
換気扇の電源をつける。
よし、呼んでみよう。
「召喚。」
そう唱えると、目の前に光の玉が現れた。
窓のようなその光からゴブリンが出てくる。
出てきたとたん、悪臭が鼻を突いた。
「よう。早速だが、身体を洗おう。」
俺がそういうと、ゴブリンは頷いて手をたたく。
「その布を脱いでタライに入ってくれ。」
ゴブリンはまた頷いて手をたたく。
布を脱ぎ、俺に手渡した。
タライが何かは良くわかっていなかったようなので、
タライの縁を叩いて指示する。
恐る恐るお湯に足を入れるゴブリン。
お湯に初めて触れるため、
ガチガチでタライの中に棒立ちになっている。
俺は受け取ったボロ布を畳み、
フリーザーバッグに入れて空気を抜いて封をする。
その袋を更に新しいフリーザーバッグに入れて、
また空気を抜いて封をした。
多分ただのボロ布じゃない。
念入りに保管することにする。
俺はゴブリンの方に振り返り、
ちゃんとゴブリンの身体を視認して驚き戸惑う。
「……お前、まぁ。
うん、そうか……。」
彼女はキョトンとした顔でこちらを見る。
その胸部には、
頭より大きくたわわに熟れた乳房がぶら下がっていた。
背丈こそ小さいが
胸、腰、臀部は直視を躊躇うほど熟れきっている。
だが、腰まで伸びた髪はからまり、汚れが絡んだところで凝固している。
顔をおおっている髪のせいで顔が良く見えないが、
大きくこぼれそうな瞳はまっすぐこちらをみている。
ゴブリンの、雌個体。
昨日の出来事と繋がる。
あのダンジョンにいるゴブリン達は雄個体のみ。
そこに、どういうわけか雌個体が現れた。
雄個体の群れは雌の気配か匂いに気づいて活発に動き周り、
ハンターそっちのけで雌個体を探していた。
だから正午まで遭遇数が少なかった。
そして、俺がゴブリンに追われるゴブリンを見つけた。
それを助けたから、
行き場がなくなった雄個体のゴブリンの群れが
他の群れと合併し、
あの大群になった。
後、俺が彼女を助けた時に
彼女が俺の足にしがみついた。
その時、匂いか何かが付いていたから、
俺はゴブリンの大群に狙われた。
俺は思わず大きなため息をついた。
運がない、と思ってたが、
実は全部自業自得だったのか。
目の前で次の俺の指示を待つゴブリンを見て、
気を取り直す。
だが、取り直した気を取りこぼしそうになる。
洗う?
俺が?
これ犯罪じゃないか?
俺自身過去に色々あって、
人間性が欠落している自覚がある。
それでも通常の男子高校生と同等の性欲はある。
そんな俺が? このムチムチに触るの?
理性が大きく揺らいだが、
悪臭が鼻から現実を叩き付けてきた。
そうだ、これだ。
思い切り息を吸う。
吐き気すら感じる悪臭が、
本能を萎えさせ理性を立たせる。
「よし。洗おう。」
ゴブリンは始めシャワーとボディソープに怯えたが、
害がないことに気づいてからは目を細めて気持ちよさげにしている。
なんだこれは。
もっちり、むにっと。
柔らかいのに張りと弾力があり、手が吸い付く。
手から伝わる触覚と、
されるがままに揺れてたわむ視覚を
可能な限り無視して作業を進める。
何度か理性が揺らいだが、
洗髪を六回、洗浄を七回行った。
始めタライのお湯が黒く濁った時には、
このまま排水していいか悩んだが、
今さら遅いと思いきって洗いきった。
目の前には綺麗な緑の肌で自分の身体をしげしげと眺めるゴブリンがいる。
いや、彼女をゴブリンと呼ぶことに拒否感が出てきた。
何だこの美少女。
大きくつぶらで赤い瞳、通った鼻筋。
耳は大きく尖っていて口は大きいが、
笑うと牙なのか八重歯なのかがちらりと見えてえくぼが窪む。
個人的に見ても、多分世間的に見ても可愛い。
ただ、髪は何度洗ってもどうにもならなかった。
何とか櫛やコームを使ったが、
絡まったところで汚れが凝固し、一体化している。
今は後ろに撫で付けて一旦置いているが、
毛根から大体15センチくらいで切ってしまう必要がある。
「髪を切りたい。問題ないか?」
俺は彼女にそう聞いてみたが、
理解できなかったようだ。
仕方ないので、
俺は洗面所から髪を切るハサミを持ち出し、
彼女の前で切っても問題なさそうな前髪の一部を切って見せた。
彼女は頷いて肯定のハンドクラップをする。
どうやら理解してくれたようだ。
俺は髪もあの布と同じく、
袋へ入れて封をする必要があると思い
フリーザーバッグを用意した。
そして、ハサミを思いきって入れてみると、
嫌な音がして刃こぼれした。
すっかり忘れてたが、彼女もモンスターだ。
ダンジョン仕様のハサミを用意する必要があるのか。
俺は壊れたハサミをチラシでくるんで
埋め立てごみの袋へ入れる。
ふと、さっき金庫へしまったドロップアイテムのカミソリを思い出した。
ゴブリンに少し待つよう伝え、
金庫からカミソリを、
キャリーバッグからちぎれた左腕のガントレットを持ち出した。
このカミソリだと自分の手も切ってしまいそうなので、
左腕はガントレットを装着する。
ゴブリンにタライにうつぶせに寝転ぶよう指示する。
タライの縁にタオルを巻いて、
その上に頭を置いて貰った。
お湯に浮かぶ二つのスイカ大の胸が視界にチラチラはいるが、
見ないよう心がける。
タライから出た髪はそばにある風呂桶に入るようたらし、
もう一度櫛をかけてからカミソリで切り落とす。
さすがの切れ味だ。
何の抵抗も感じない。
ただ、ハサミじゃないので思ったように切れない。
とりあえず、今は絡まった部分を切り落とし、
少し伸びてからダンジョン仕様のハサミを買って整えよう。
俺は切った髪をフリーザーバッグへ詰める。
軽くシャワーで髪をすすぎ、
落ちた髪も拾って同じフリーザーバッグに入れた。
排水溝も念入りに確認して、髪を拾って封をした。
次に俺は風呂からゴブリンを連れ出し、
タオルで拭いていく。
タオルはハサミと違って破損はしなかったが、
何回も洗濯したみたいにゴワゴワになってしまった。
服もダンジョン仕様でなければすぐ破れそうだ。
彼女の頭をドライヤーで乾かし、
コームで整える。
何度も通していると、
コームも櫛が何本か折れだした。
汚れで茶色かった髪だが、
綺麗になると真珠やシルクのように淡く輝く乳白色の髪だった。
カミソリでカットしたので、ざんばらになっている。
同じくシャンプーを使ったはずなのに、
鼻をくすぐるこの匂いは別のものに感じる。
さらさらの手触りは本当に絹のようだ。
落ち着け、俺。
自分の頬を張り、
大きく息を吐いて気合いを入れる。
意を決して、俺は巻き尺を取り出す。
大きいサイズの服を探す際、
自分で良く使う長めの巻き尺だ。
これを使ってゴブリンの頭、首、肩幅、肩口、腕、
バストトップ、アンダーバスト、
ウエスト、ヒップ、股下、太もも、足まで細かく計る。
悪臭がなくなったせいで理性がノックアウト寸前だった。
とりあえず俺の肌着のシャツを彼女に着せて、
端を巻き上げて縛り、動きやすくする。
服を着ても存在感のあるバストに目がいってしまう。
これが藤堂がいつか話してた彼シャツ、というものか。
藤堂、あの時の俺は微妙な反応だったが、
今はお前が熱く語ってた理由がわかったぞ。
彼女の服を用意する必要がある。
ダンジョン仕様の装備の下に着るアンダーウェアにも、
ダンジョン仕様のものがある。
普通の服とダンジョン仕様の装備を装着すると、
普通の服が劣化しやすくなるためだ。
もちろん、女性ハンターのものもある。
いよいよ呼び名がゴブリンでは落ち着かない。
なんとか彼女の名前を確認できないか。
着た服を嬉しそうに眺めたり、
恐る恐る触る彼女を見る。
やはり初めて会ったときもだが、
大きく赤い瞳が印象的だ。
「なぁ、名前はなんだ?」
ゴブリンはこちらをみて頭を傾げ、
少し考えてから首を横に振って手を二回たたいた。
「名前、ないのか?」
ゴブリンは大きく頷いて、手をたたく。
ないのか。
「俺が考えて、名付けていいか?」
こう言うと、ゴブリンは嬉しそうに何度も頷いて手をたたく。
言ってみたが、
俺は何かに名前をつけた経験があまりない。
数度やったRPGゲームもデフォルトの名前か、
自分の名前をつけた。
何か案がないか。
期待に満ち溢れた目でこちらを見つめるゴブリンの圧に気圧される。
そう言えば、漫画家さんがキャラの名付けに花の名前や駅の名前をつけると聞いたことがある。
ゴブリンと初めて会ったとき、
赤い瞳がまるで宝石の様だと思った事をあわせて思い出す。
「……ガーネット。お前の名前はガーネット。
どうだ?」
彼女はまた嬉しそうに何度も頷いて、
手を強くたたいた。
念のため俺のステータスを開いてみると、
スキルにある従魔の項目が書き変わっている。
“従魔(ゴブリン:ガーネット)”
ガーネットを見ると、
さっきからがーがーと言っている。
多分、ガーネットと言ってみようとしてる。
可愛い。
ガーネットを眺めていると、
彼女のお腹が鳴った。
時計を見ると昼前。
今から作れば丁度良いか。
俺はガーネットを居間に連れてきて、
テレビの電源を付ける。
チャンネルは幼児向けの番組にあわせた。
これなら言葉がわからなくても見てられるだろう。
ガーネットを見ると、
目を輝かせてテレビに食い付くように見ている。
ガーネットにもう少しテレビから離れるように指示して、
俺は台所へ移動した。
箸やフォークの使い方をガーネットに教えるより、
素手で食べられるものがいいか。
そう考えながら、
俺は冷蔵庫とキャビネットを確認する。
丁度一斤の食パンがある。
サンドイッチがいいか。
俺はキャビネット食パンを取り出し、
パン切りナイフを用意した。
薄めに四十枚に切りわけ、パンの耳を落とす。
落としたパンの耳は調理バッグに入れて、
生クリーム、牛乳、卵、ハチミツを
混ぜた卵液に浸け置く。
15時のおやつにこれにバニラエッセンスを入れて、
フレンチトースト風に焼こう。
俺は調理バッグを封を閉じ、冷蔵庫へ入れた。
そのまま冷蔵庫から葉野菜、ハム、魚肉ソーセージを取り出す。
続いて、キャビネットからツナ缶と焼き鳥の缶詰めを取り出した。
野菜はざっくり素手でもぎ、ちぎって洗い、
ボールに張った水に浸す。
いつもならジャガイモを湯がいてポテトサラダを作って挟むが、
今日は机にあったポテトチップスを粉々に砕いて
お湯でといたもので代用した。
ツナ缶はマヨネーズとワサビで味付け。
焼き鳥の缶詰めは開けたら皿に移した。
ハムと魚肉ソーセージは薄くスライスする。
ゆで卵のサンドイッチが好きだが、
今丁度冷蔵庫に一昨日浸けた味玉があるので
ボールに開けてざっくり潰す。
俺は居間をちらりと確認したが、
ガーネットは変わらず熱心にテレビにかじりついていた。
俺は調理に戻る。
野菜を水から取り上げ、
サラダスピナーに入れて念入りに水を切って皿に移す。
冷蔵庫からバターを取り出し、
ホットサンド用のフライパンを用意した。
フライパンをコンロへ置き、
上下の鉄板へバターを塗る。
食パンをフライパンの下の鉄板に置き、
軽くバターを塗って適当に用意した具材を置いていく。
詰めすぎると挟めないので注意だ。
もう一枚食パンを置いて、
フライパンの上の鉄板を閉じる。
火にかけて、両面丁寧に焼き上げる。
焼けたらバットへ置いてあら熱を取る。
あとはこれの繰り返しだ。
二十個のホットサンドができあがったころには、
時計はお昼をさしていた。
俺はサンドイッチを皿に乗せ、
居間へ持っていく。
まだテレビに夢中のガーネットに声をかけ、
机に皿を置いた。
ガーネットのお腹が大きく鳴る。
いい匂いだ。
俺はサンドイッチを一つ手に取り、
ガーネットに見せるようにかじりついた。
そして、ガーネットにも食べるよう促す。
恐る恐るサンドイッチをかじるガーネット。
一口食べたとたん、大きく瞳を見開いた。
「好きなだけ食って良いから、ゆっくり食べろ。」
俺がそういうと、
ガーネットは何度も頷いてサンドイッチを食べ始めた。
ガーネットが食べる姿を見ながら、
俺は手にもったサンドイッチを食べる。
実は自分の料理を他人に振る舞うのはこれが初めてだ。
これだけうまそうに食べて貰えるなら、悪くない。
ガーネットが八つサンドイッチを食べた。
残りは俺が食べた。
コップに水を入れて飲み方を教える。
一度飲んで見せて、簡単に指示するだけで理解した。
やはりゴブリンが、というより、
彼女の知能が高いらしい。
「ご、ごーち、さま。」
ガーネットが両手を胸の前であわせてそう言った。
俺は思わず飲みかけた水をこぼしそうになった。
絶対“ごちそうさま”と言おうとした。
俺は教えていない。
元々知っていた、もしくは似た習慣があったとしても、
あまりにも日本語に近過ぎる。
ガーネットを見ると、
まだ“ごちそうさま”と格闘してる。
その声は少しずつだが、
確実に日本語に近づいていく。
「ごち、そー、さま。」
見るまに言えるようになった。
ガーネットは言えたことに満足したのか、
俺の顔を覗き込んだ。
誉められ待ち、と言うやつだろう。
ゴブリンなのに、
ブンブン振ってる尻尾の幻が見える気がした。
俺は苦笑しながら、ガーネットの頭を撫でて誉めた。
ガーネットは大喜びだ。
ふと、ついたままのテレビが目に入った。
まさか、幼児向けの教育番組で覚えたとか?
あり得ない話ではない。
異国の言語習得にその国の幼児向け教育番組を見る、
というものもあるらしい。
それが彼女に合っていたにしても、
習得までが短時間過ぎる。
ガーネットを見ると、
眠そうに船を漕ぎ出していた。
詳しくは後だな。
先ずはガーネットの服を用意したい。
もろもろの検証はその後だ。
「ガーネット。
眠いなら、向こうへ返送しようか?」
俺が聞くと、
ガーネットは眠そうにしながらも首を横に振って
手を二度たたく。
仕方ないので座布団を並べてタオルを敷き、
その上で寝るよう促した。
ガーネットは言われるがまま座布団に寝転がり、
すぐに寝息を立てはじめる。
俺はスマホを取り出し、
武具屋のサイトにアクセスしてガーネットの服を取り寄せる。
店舗受け取りが必要なので、
魔石の換金も兼ねてこの前藤堂と行った所に発注した。
ガーネットの体型的に下着はあったが、服がない。
どうしようかと考えていると、
藤堂に借りたアメコミの漫画本が目に入る。
ローブ……か。
ポンチョ型で袖を付けなければ、
俺でも作れそうだ。
ダンジョン仕様の布を数メーター注文した。
大きなサイズの服は貴重なので、
俺は俺自身の服をよく手直しする。
服自体が大きいので、
手直しを業者に依頼すると
新品を買うのと同じくらいの額になることがあるからだ。
直す際に藤堂のおばさんに貰ったお下がりのミシンを使う。
布から服を作った事はないが、
簡単な縫製ならできるはずだ。
スマホで軽くポンチョやローブで検索してみると、
いくつか型紙が無料で公開されていた。
メモしているガーネットの体型を確認しながら、
簡単にできそうなものを選ぶ。
目星を付けたいくつかの型紙をスマホからプリンターで印刷した。
俺はスマホをポケットにしまい、
金庫へ向かう。
さっき使ったカミソリを金庫へしまい、
かわりに魔石の袋を取り出した。
明日も休んで魔石の換金へ行こう。
売却数を誤魔化されないよう、
先に数を数えて確認しておく。
これはこれで仕事だな。
痛む身体を休ませながら、一つ一つと数えていった。
●
15時を過ぎたので、
卵液に浸していたパンの耳にバニラエッセンスをふり、
フライパンで焼いていく。
俺が側で色々作業していたが、
ガーネットはずっと眠ったままだった。
パンの耳に焦げ色がついたら皿にあげる。
ふんわり甘い香りが漂う。
冷凍庫から冷凍フルーツを取り出し、
パンの耳の側に盛り付けた。
メープルシロップをかけて、
ホイップした生クリームを添えると
おやつのできあがりだ。
俺が皿を持つと、
居間からガーネットがこちらに小走りで出てくる。
匂いにつられたのか、視線は皿に向いている。
「おはよう。おやつができた。
居間に戻ってもう少し待っててくれ。」
「あい!」
ガーネットはそう応えて手をたたく。
今、確実にはっきり日本語を話したぞ。
居間のテーブルに皿を置いて、
フォークを持ってガーネットのとなりに腰を下ろした。
「今度はフォークを使って食べる方法を教えよう。
一つの方を握って、
三つに分かれてる方を食べ物に突き刺して、
フォークごと持ち上げて口に運ぶ。
口に入れたら、口を閉じてフォークを引き抜いてから、
食べる。
やって見せるから、よく見てくれ。」
コップで水を飲む時と同じように、
口頭で話してから実際にやって見せた。
ガーネットは頷いて手をたたく。
彼女は一度見ただけで
ほとんど完璧にフォークを使いこなした。
やっぱり知能がべらぼうに高い。
ここまで来ると、人間より高いかも知れない。
口の周りに生クリームを付けて
至福の顔でおやつを頬張るガーネット。
仕草はまだ幼い子供のようだが、
スポンジが水を吸うように知識を付けていけば、
末恐ろしい存在になるだろう。
いや、スポンジどころかオムツに水だな。
一つの皿に盛ったおやつは
あっという間に彼女の腹に収まった。
「ごちそうさまでした。」
ガーネットは胸の前で手を合わせ、
今度はっきり、しかも丁寧語で言いきった。
俺はお粗末様でした、と応える。
またガーネットは誉められ待ちの体勢になったので、
彼女の頭を撫でる。
俺が皿を食洗機へ入れて居間に戻ると、
ガーネットが話しかけてきた。
「こえ、見る!
こぅえ、見る!」
そう言う彼女はテレビを指差している。
数分の学習でここまで話ができれば、
もういっそ日本語で意志疎通できるようになって貰おう。
そう思った俺はわかったと彼女に応え、
テレビの電源をつけて幼児向けの教育番組にチャンネルを合わせた。
ガーネットはまた食い入るようにテレビを見る。
俺は少しはなれたところに腰を下ろして、
タブレット端末を取り出し、
図書館のサイトにアクセスした。
住んでいる市の図書館では、
オンラインで電子書籍を貸し出している。
俺は幼児向けの知育本を、
特に“話す”、“書く”を意識している本を借りた。
幼児向けの番組が終わったら、
このタブレットを見せてみよう。
俺はスマホのSNSで藤堂に小学校の頃の教科書があるか尋ねた。
一年生の分があれば借りたい旨も伝える。
メッセージの既読マークすぐは付いたが、
返事がないので探してくれていると思う。
少しすると藤堂から返事か着た。
教科書は無いらしいが、
いい動画かあったとリンクを送ってくれた。
俺が虐待されていた期間の勉強を
中学で教えてくれたのは藤堂だった。
藤堂は頭がいいだけじゃなく、教えるのも上手い。
一瞬藤堂に協力して貰おうかとも思ったが、
ハンターじゃない人間を巻き込むのはどうかと思う。
もし、巻き込んだとしても、
知ってるか知らないかの違いは大きい。
藤堂には話さずにいることにした。
だが、多分今後もお世話になるおじさんには、
言った方がいいだろう。
おじさんには藤堂と別で直接話せないか、
SNSでメッセージを送ることにした。
すると、藤堂から教科書を何に使うのか尋ねられた。
少し考えて、ハンターの仕事で使うとだけ答える。
そこへ藤堂のおじさんから電話が掛かってきた。
受電して、スマホを耳に当てる。
「もしもし、涼治君。
突然の電話ですまない。
今、話せるかな?」
「こんにちは、おじさん。
問題ありませんよ。
ハンターになってからの近況もお話ししたいですし、
電話よりお家へお伺いしましょうか?」
「ありがとう。
すまんが、仕事が立て込んで、
しばらく家に帰れてないんだ。
今も事務所にいるんで、電話したんだよ。」
「お疲れ様です。
なんなら、日を改めましょうか?」
「いやいや、大丈夫。
健治からも少し話を聞いたんで、
そろそろ連絡をくれると思っていたよ。
あと、君が通っているダンジョンが突然閉鎖したって、今情報が届いたんだ。
それで、心配してたところに声をかけてくれたんで、
渡りに船だよ。」
いつものダンジョンが閉鎖?
眠ってる間になにがあったのか。
考えるまでもない。
ゴブリンの異常行動が原因だろう。
俺以外にも被害者がいたのか。
そう言えば、
昨日ダンジョンを出たら人だかりができていた。
あれがその騒ぎだったのかもしれない。
「お心遣いありがとうございます。
そこも含めるとするなら、
今からするお話しはあまり他人に聞かれたくないのですが、
いかがでしょうか?」
「今私は事務所の私の個室にいる。
防音もあるし、盗聴の恐れも低い。
私の家の次に安心だと思うよ。」
「ありがとうございます。
では、近況をかいつまんでお話しします。」
俺はハンターになってからの出来事をざっくり話した。
スライムの色違いや今の俺のレベルについては伏せて、
ゴブリンの大量発生とガーネットについてはお話しする。
俺が話している間、
おじさんは相づち以外口を挟まなかった。
ただ、最後の方になると相づちは
唸り声になっていった。
「……何やってるの?」
「私としても不本意でした。
安全第一、とまでは言いませんが、
できうるリスクマネジメントはやってたんです。
その結果がこれです。」
「二週間足らずで起きた出来事に聞こえないよ。
とにかく、身体はどうなんだ?」
「骨は大丈夫だと思うので、
鎮痛剤を服用しながら安静にしています。」
「お医者に見て貰えれば良いんだけど、
こればっかりは難しいね。
弁護士の私が言うのもあれだけど、
モグリの医者とかいないの?」
「今手元にある魔石を売れば、
モグリの医者に診察して貰えるだけ稼げます。
明日には売却したいと思ってます。
伝手はありませんが、
ダンジョンの側にはモグリ医者が必ずいます。
探せば見つかるかと思います。」
「そこは伝手が欲しいところだね。
私には用意できないから。
今までの話、
全部公開しない、したくない、ってことでいいかな?」
「はい。
申し訳ないですが、
藤堂にも言わないでおいて貰えると嬉しいです。」
電話越しに大きなため息後聞こえた。
「聞いちゃうと、色々ありそうだしね。
わかったよ。
とりあえず、しばらくは身体を休めて。
何か情報があれば教えるよ。
後、魔石の売上はちゃんと税理士さんと
後見人のタカミさんに報告しなさいよ。」
「わかりました。
相談料とか、またお渡しします。」
「今回はさ、
それ受け取らない方がいいと思うから、
無しで。
相談もしてない、って体でいよう。
秘密というより、言ってない、無かった扱い。」
「そう言って体よく断るの、上手いですね。」
おじさんは笑って、
じゃ、とだけ言って電話を切った。
絶対今度現金を押し付けてやろう。
俺はそう強く心に誓って、小さく息をついた。
気がつくと、
いつの間にかガーネットが俺の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
彼女の口から、そうはっきり発される。
俺は想定外の出来事過ぎて頭が真っ白になった。
可愛い声だな、と頭に感想だけ浮かぶ。
ふと、テレビが視界に入る。
いつの間にか幼児向け教育番組が終わり、
夕方のニュースになっていた。
もしかして、これを聞いて覚えたのか?
「体調が優れない、と聞こえました。
大丈夫ですか?」
ガーネットがそう続ける。
はっきりくっきり、しかもかなり丁寧に話す。
更に、俺とおじさんの会話を聞いていたようだ。
俺は何とか思考を再始動して、応える。
「あ、あぁ。大丈夫。
心配いらない。
……それより、俺の話してることが分かるのか?」
「はい!
いっぱい勉強しました!」
ガーネットが満面の笑みでそう応える。
いや、いっぱいじゃないよ、
と口からこぼれそうになったがこらえた。
確かに俺はおじさんと話し込んでしまったが、
一時間程度の話だ。
一時間でほぼ完璧に日本語を話している。
困惑する俺に気づいたのか、
ガーネットは自分のステータスを開いて
俺に見せながら言う。
「私のステータスです。
私はスキル“賢者”を持っています。
このスキルのせいで、
私は自分の周りを良く理解できるようになってます。」
いくらか言い回しがおかしいが、
ガーネットの話はしっかり成立した文章だ。
ガーネットは俺に向き直ってまっすぐこちらを見つめた。
「主、サクラバ リヨウジ様。
昨日の事、今日の事。
全てについて、お礼を言いたいです。
お礼を言いたいから、勉強頑張りました。
ありがとう。ありがとう、ありがとう!
あなた様は私の神様です!」
彼女はその綺麗な赤い瞳から涙を流しながら、
何度も何度もありがとう、と言う。
少し冷静なってきた俺は、
とりあえず落ち着くようガーネットをなだめた。
なだめるのに時間が掛かったせいか、
“頑張った”と言うのは限界以上の頑張りだったのか、
泣き止む頃に彼女は眠ってしまった。
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