第5話 クチバミツル号

 おかしい……給料日迎えたのに九万円もないぞ。俺の計算では十万を超えているはずなのに……。

 オカンがいきなり弁当作りだしたのが痛いな。あれのせいで、昼食代を浮かせる戦略が取れなくなってしまった。

 しかも『バイトするなら小遣いいらないでしょ?』とか言い出しやがって……。

 いや、だとしても本来なら九万七千円あるはずなんだよ。本来なら。


「充兄さん! 今日のは自信作ッスよ!」


 こいつにさえ……難波七海なんばななみにさえ出会わなければ……。


「ナナ、昨日も同じこと言ってたぞ」


 もう関わることもあるまいって思ってたのに、いつの間にかあだ名で呼ぶぐらいの仲になってしまったんだよ。そのおかげで、金が凄い勢いで減っていく。


「兄さんのおかげで日々成長してるんスよ」


 成長してるなら解放してほしい。もう俺の助けはいらないだろ。

 実際、初日よりはまともな味になっている。値段相応には程遠いが。


「……そうか、偉いぞ」

「えへへぇ」


 この笑顔、人懐っこさがずるいんだよな。ついつい財布の紐が緩くなってしまう。

 でもなぁ、俺は借金まみれなんだよ。そろそろこいつを見放さないと、利息地獄に陥ってしまう。


「悪いけど、俺はバイトがあるから……」

「え……食べていかないんスか?」

「すまん! 焼けるのを待ってる暇はないんだ」


 否、バイトがあるのは事実だが、たこ焼きを食べる時間ぐらいはある。でもそれを確かめるすべをこいつは持っていない。嘘だとバレなきゃ嘘じゃないんだよ。


「そうッスか……今日のは本当の本当に自信作なんスけど……めっちゃ手間暇かけて仕込んだんスけど……バイトなら仕方ないッスよね……」


 めっちゃ罪悪感煽ってくるやん、この人。どうしよ……。

 いや、甘さを捨てろ。この短期間で一万円近く使ってんだぞ? こんな大して美味しくもない物に。ここは心を鬼にしてだな……。


「アタシみたいな中卒のバカが、充兄さんの時間を奪おうなんておこがましい話なんスよね……ホスト狂いになって家庭無茶苦茶にしたバカ女から生まれたバカ娘が、人並みに生きようなんておこがましい話なんスよね……」


 ……………………。


「たこ焼き十六個……大急ぎで頼む」

「兄さん……!」




 平日のバイトは割にあわんなぁ、たった三時間しか入れないし。

 三千円ぽっち稼いでも、しょうがなくね? だって利息一万五千円だぞ? 一日辺り千五百円だから、半分しか残らないって計算だぜ?

 平日は三日しかバイトに入らないから、バイト代が九千円で、五日分の利息が七千五百円。ってことは、たった千五百円しか余らないのか。

 んで平日は、ほぼ毎日たこ焼き買わされるから……最低でも四千八百円の出費。赤字だねぇ! 待て待て、土日がある。土日は基本的に片方しか出ないけど、フルタイムだぞ。

 ……バイト代が八千円で、二日分の利息が三千円、差し引きで五千円。平日の余り千五百円と合わせれば六千五百円。たこ焼き代を差し引くとプラス千七百円で、一ヶ月を四週間と見た場合、六千八百円か。

 いや、返済まで二年くらいかかる計算になるんだが? 給料は日払いじゃなくて月払いだから、その分利息も膨らむわけで……そうなると二年を超えるよな?

 ま、まあ……手元に八万円以上あるし、そう考えると……。


「新入り! 集中しろ!」

「あっ……すいません!」


 ちっ、うるせぇなあ。ちゃんと手を動かしてんだから、怒んなよ。こっちは必死なんだよ。たかが時給千円のバイトで、なんで怒鳴られなきゃいけないんだよ。

 いくら働いたって、借金返済で持っていかれるんだぞ? そんな状況で二年も働いてられっかよ。そもそも受験あるし……もうギャンブルで勝つしか……。いや、今はまだ働きさえすれば少しずつ減らせる程度の額だし……安全圏に入るまでは真面目に働いて……。


「ポテトあがってんぞ! 音聞こえねえのか!」

「あっ……」

「やる気ねえなら帰れ!」


 …………ギャンブルするしかないな。さっさとこんなクソみたいなバイトを抜け出さないと。

 そうさ、こんな牛馬みてぇな生き方しちゃいけない。俺は人間なんだ。人間として生きるために、俺は戦う。生きるってのはそういうことだ。

 堅実にいくなら手持ちの金で借金の元金を減らして利息を浮かせるべきだろう。だけど、勝負師が堅実志向じゃダメだ。むしろ逆! 豊富な軍資金があるうちに勝負するべきだ!




「シッピン!」

「お! 俺はアラシだ!」

「おいちょ、ギリ俺の勝ちだな」


 ぜ、全負け……しかもそのうち二人は役を出しやがった……。

 バカな……どうして俺ばかりこんな理不尽な目に……。

 札を配ったのは俺だ……イカサマはありえない……。純粋な不運、不ヅキ……。

 おかしい、たった一時間で三万近くも失ったぞ。

 これはアレだ、今日は勝てない日なんだ。やればやるほど負ける日に違いない。

 子で一回張って帰るか……どうせ勝てないだろうけど。


「お……?」


 一枚目が三で三枚目も三……場に三は出ていない……これはもしや……?


「アラシ! 三倍づけ!」


 あれ? 来てる? 勝ちの流れ来てる?

 そうだよ、来てるよ。下り坂を完全に下りきって、後は上るだけだよ。この前から負け続きだったし、向こう数ヶ月分の負けを前払いしたってことだな? つまり、ここからは勝ち続けるってことだ! その証拠にアラシだぜ? 言ってしまえば三連勝したのと同じだぜ? ここで降りたらバカだろ!




 おかしい、何回数えても一万二千円しかない。

 つい三十分前まで十万近くあったのに……なんで?

 えっと、二十三日の利息は一パーセントにまけてもらってるから、千五百円か。それ払ったら一万とんで五百円?

 来月の三日に払う利息用意できないじゃん。十三日も払えないし……。

 ってことはどうなる? 三日の利息一万五千円に対して一万五百円払うから、足りない四千五百円が元金に乗って……十三日の利息が一万五千四百五十円で……一円も払えないとなると元金が十六万九千九百五十円……二十三日に給料から三万五千円ぐらい払えば元金十五万になるのか。で、そっから給料日まで二回利息が回るから十八万ぐらいに……。


「ダメだ……返せる気がしねえ……」


 ナナのところに通うのをやめるのは確定として、それでも全然足りないな。再来月から給料満額貰えるし、徐々に減っていくといえば減っていくんだが……返済しきるまでバイト続けられるか? 俺は無理な気がする。

 ……とりあえず二十三日分の利息を先に納めておこう。で、余った金でギャンブルしてワンチャン狙おう。それしかない。それがベストのはずだ。よし、明日のギャンブルは絶対勝つぞー! おー!




「で? 今度はいくら貸してほしいの?」


 土下座一つで俺の言いたいことがわかるなんて、さすが烏丸先生だ。こんな形で人との絆を感じたくなかった。


「……十万円です」

「現時点で十五万借りてるのよ? そもそもの話、給料日迎えたんだからお金あるはずでしょ?」

「……見事にスりました」


 最初は浮いてたんだよ? 勝ってるところで切り上げろよって意見もあるかもしれんけど、もう少しで借金返済ってなったら突っ込むだろ? 誰だってそうする。俺もそうする。


「だとしても、なんで追加で十万なのよ? まさかまたギャンブルに注ぎこむ気?」

「……いや、注ぎこんだんだよ」

「は?」

「オカンのヘソクリと妹の貯金、親父の五百円玉貯金から拝借しまして……」

「で、負けたと」


 給料で返すにしても、二ヶ月はかかる。その間にあの三人が金を改めないとは考えにくい。一刻も早く返さないと家族会議が始まってしまうだろう。


「頼む! 給料の九割を差し押さえてくれて構わない! だから……」

「これで二十五万よ? 利息さえ払えきれないと思うけど」

「わかってる……でも、どうしても金がいるんだ」

「……まあ、いいわよ」

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 女神! マジ女神!

 そりゃ利息吸い続けられるんだから、向こうとしては美味しい話だ。だが、それは俺がバイトを続ける保証があってこそだ。貸し倒れのリスクを考えると、二つ返事で承諾できないってのが普通だろう。

 やはり女神……俺に全幅の信頼を……。うぐっ!?


「な、何を?」

「何って、お馬さんごっこだけど?」


 いや、それはわかるよ。理由を聞いてるんだよ。膝が痛いんだが……。


「このまま廊下を這いつくばりなさい」


 え? 冗談だろ? 放課後とはいえ、まだ生徒残ってるぜ? それに膝ももたないだろ。幼稚園児ならまだしも、女子高生を乗せたまま硬い廊下を四つん這いなんて無理に決まってる。

 身体的にも無理だし、尊厳的にも無理! 俺は人間だ! いくら借金漬けでも、人間としての誇りは、おいそれと捨てられぬわ!


「私がいいと言うまで走れば、利息を来月の十五日スタートにしてあげるわ」

「ヒヒーン!」

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