第38話 まるで青空に羽ばたいているよう

 試合中だというのに、フェリックスの意識は落ちていた。

 全身が痛い。魔力が少しも沸いてこない。


(俺は、負けたのだな……)


 実際に戦ったセレストは、想像していたよりも遙かに強かった。

 霊体剣の間合いと切れ味は相変わらず強力だし、スカートの中から出てきたナイフは反則的だ。

 あれらを前に、むしろよくここまで食い下がったと我ながら思う。

 自分は最初から、セレストに勝てる器ではなかったのだ。


 フェリックスは諦めの境地で瞼を開いた。

 すると青々とした葉が視界に広がった。

 今は冬と春の境目。この時期に葉があるのは常緑樹である証。

 そしてアカデミーの敷地で、これほど見事な常緑樹は一つしかなかった。


 古くから『伝説の樹』と一部の生徒たちに呼ばれてきた樹。

 その下で結ばれたカップルは、生涯幸せになるという。

 噂を聞いたとき、どうせ告白するなら伝説の樹でしようと思った。何十年も語り継がれている噂となれば、人々の想いが集まり、土地に魔法的な力を与えているかもしれない。

 最初は軽い気持ちでそう決めた。

 だが、次こそはセレストを倒して告白しようと何度も挑んでいるうちに、伝説の樹の下で告白するのを夢に見るようになった。

 もはや噂とは無関係に、フェリックスにとって執念の場所と化していた。


「こんな無様な姿、セレストに見せられるか……!」


 振り絞っても、力は湧いてこないはずだった。

 なのに自分がどこにいるか知った途端、フェリックスは立ち上がった。


 もう戦えないのは自分でも分かっている。小突かれただけで倒れるだろう。

 それでも、これからトドメを刺しに来るであろうセレストを、寝そべったまま迎えたくなかった。


「……ようやく来たな。さあ、決着のときだ」


 目の前に現われたセレストは、やはり美しかった。

 戦いによってドレスは裂け、髪の先端は焦げている。皮膚もあちこち火傷と凍傷を負っていて、無惨の一言だった。

 それでも、背筋を伸ばしてそこに立つ彼女は、全てを賭けて手に入れるに値する美しさだ。

 しかしフェリックスは全てを賭けたのに、手が届かなかった。


「フェリックスくん。私――」


 私の勝ちです。そう言うのだろう。フェリックスは身構えた。

 だが、彼女の言葉はなかなか続かなかった。

 なぜか魔法剣を地面に落とした。そして涙も落とした。

 どうして勝ったほうが泣く?

 まさかフェリックスが弱すぎて失望したのか?


「私、フェリックスくんが好きです」


 スカートを両手で握りしめ、顔をくしゃくしゃにし、大粒の涙をぽろぽろと落とす。

 そこにいたのは漆黒令嬢と呼ばれる最強の女子生徒ではなかった。


「好き……それは、知っている……友達として……」


 フェリックスは混乱した。

 友達として好きという話は何度も聞いた。それをまた確認しただけで、どうして泣いているのだろう。


「違うんです……友達としてではなく……男性としてのフェリックスくんを好きになってしまったみたいで……いいえ、前からそうだったんです。私が気づいていなかっただけで……フェリックスくんから感じるドキドキやソワソワを友情だと思い込んで……けれど今日、戦って分かりました」


 セレストはそこで一度、言葉を切った。

 そして涙を拭い、真剣な表情でフェリックスを真っ直ぐ見つめる。


「私、フェリックスくんに、恋をしてます……!」


 その告白は、トドメの一撃になった。

 フェリックスの全身から力が抜ける。後ろによろめき、伝説の樹に背中が当たる。それでも体を支えられず、根元に座り込んでしまう。


「俺は、負けたんだぞ。セレストより弱い……いざというとき守ってやれない……そういう男は論外と言っていたはずだ……」


 するとセレストは不思議そうに目を丸くする。


「それは……もしかして、あのときの? 二年半も前の言葉を覚えていたんですか?」


「覚えているさ……それ以外、セレストの異性の好みを聞く機会がなかった。だから俺は、それだけを頼りに生きてきた」


 フェリックスは自分を嘲笑いながら呟く。


「どういう意味……ですか?」


「まだ分からないのか。お前らしいな。俺はずっと前からセレストが好きで、論外と言われたくないから、セレストより強くなろうとしていた」


「すると……フェリックスくんは二年半前から……私が好きだったんですか……?」


 セレストも力が抜けたのか、ぺたんと座り込む。


「そう言ってるだろう。何度も言わせるな、恥ずかしい……いや、何度も言いたかった。トーナメントで勝ち、堂々と『好きだ』と言いたかった。まさかお前から言われるとはな。嬉しくて嬉しくてたまらない。だが、どうして弱い男を好きになってくれたんだ?」


「弱くないです、とても強かったです! 私が勝てたのは魔眼のおかげです……そして魔眼を使いこなせるようになったのは、フェリックスくんやアスカム先生が助けてくれたからです。けど、フェリックスくんは魔眼がありません。この時点で私たちは対等な条件ではなかったんです。私が魔眼を使いこなせるようになったとき、フェリックスくんはどんな気持ちだったんですか? 私だけ新しい武器を手に入れて、一人だけ強くなって……どう考えても私はズルいですよ。なのにフェリックスくんは嫌な顔一つせず、手伝ってくれました。優しすぎます……」


 別に優しくはない。


「そのくせ私に勝つのも諦めていなくて、毎日遅くまでボロボロになるまで一人で特訓して……それを見て私は『頑張ってるな、凄いな』くらいにしか思っていませんでした。自分たちの間にある違いが分からなかったんです。けれど今日、戦って思い知りました。私がどれだけフェリックスくんに助けられたか、フェリックスくんがどれだけ凄いか……」


 別に凄くもない。


「かつて私は、自分より強い人が好きと言いました……深く考えていなかったんです。恋愛どころか、私は他人というものを真剣に考えていませんでした。それをフェリックスくんが気づかせてくれました」


「あまり持ち上げるな。俺がやったことは全て自分のためだ。魔力を失ったセレストに勝っても、俺が納得しない。強くなったセレストに、俺が勝ちたいから努力した。セレストを好きになったのも、セレストに告白したいと思ったのも、俺の都合だ。俺のためだ」


「なんで……フェリックスくんこそ、どうして私なんかを好きになってくれたんですか? こんな愛嬌がなくて、笑いもしない女のどこが……」


「まだ自覚していないんだな。接客するとき、たまに笑うんだぞ、お前」


「そう、なんですか……?」


「そうだ。お前の笑顔に、俺は一目惚れしたんだ。それから目で追うようになって、ますます好きになった。一緒に暮らしたこの二ヶ月間なんて、頭がどうにかなりそうだった」


「そ、そんなに私を好きなんですか……あの、私、自分が笑った顔って知らなくて……」


「ならば、今、笑え。そして俺の瞳を見つめろ。そこに映っているから」


「急に笑えと言われても……」


「無理なのか? セレストは俺を好きだと言ってくれた。俺もセレストが好きだ。こんなに幸せなことがあるか? なのに笑えないのか?」


「笑えないですよ。だって嬉しすぎて、泣いちゃいそうなんですから」


 そう呟いて、セレストは涙で頬を濡らしながら笑った。

 青空邸で見せてくれた笑顔より、更に眩かった。


「あ」


「それがお前の笑顔だ」


「これが……なるほど、悪くないです。フェリックスくんが一目惚れしちゃうのも、無理ないですね」


「急に強気になったな」


「だってフェリックスくんが好きと言ってくれた笑顔です。そりゃ自信が湧いてきますよ」


 今回の笑顔はすぐに消えたりせず、ずっと咲き誇っていた。


「セレスト」


「はい」


 彼女が油断している隙を突いて、その頭を抱き寄せる。唇に唇をそっと合わせ、すぐに放す。

 素敵な笑顔が消えた。驚愕に染まる。

 しかし後悔などない。むしろ誇らしい。


「勝ったのは俺だ」


 セレストを倒す。それは手段だった。

 フェリックスの真の目的は、論外と思われないこと。好きだと伝えること。そして両思いになること。

 目的は達した。ならば、この場における勝者が誰なのか明らかだ。


「はい。勝ったのはフェリックスくんですね」


 またセレストは笑った。

 次の瞬間、フェリックスの体に亀裂が走る。

 意識を取り戻した時点で、死にかけだった。無理に立ち上がったせいで、ダメージは更に広がった。

 よって生命維持の限界が来たのだ。

 仮想空間の肉体が砕け散り、現実世界に意識が戻る。


 このトーナメントの優勝者は、公式にはセレスト・エイマーズと記録されている。

 しかし決勝戦の当事者二人は、二人だけの結論を持っていた。


        △


 決勝戦の凄まじさは、終わった直後からもう伝説になっていた。

 生徒たちは隔絶したレベルを目撃し、それを目指そうと決意する者がいれば、あの領域には達せないから別の分野で頂点を目指そうと予定を立て直す者もいる。

 古くからアカデミーにいる教師は、ドロシー・テルフォードを思い出した。今日の二人はどちらも、かつてのドロシーを超えていたかもしれない。新しい才能が芽吹いたことを喜ぶ。


 そして激戦だけでなく、壮絶な『告白し合い』も講堂に中継されていた。

 細々と語り継がれてきた伝説の樹の噂は、爆発的に広まった。

 しばくの間、そこで告白する生徒が途切れなかったらしい。

 また、そこで決闘すると真の決着をつけられるという、別の噂も生まれた。


         △


 セレスト。

 それは『空』という意味。

 母親がつけてくれた名だ。


 セレスト自身は、名前の響きも意味も気に入っている。

 けれど母は娘の成長を見る前に亡くなってしまった。

 もし生きていたら、黒色の髪を生やした娘を見て、どう思っただろう。セレストはたまに妄想した。


 自分は空に相応しい人間に、きっとなれない。

 そう諦めていた。

 しかし、フェリックスのアイスブルーの瞳に映る自分は、まるで青空に羽ばたいているようだった。


 セレストを漆黒令嬢とさげすむ者は、もういない。

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実家が破産したので、漆黒令嬢は大嫌いな冷徹王子と婚約しました 年中麦茶太郎 @mugityatarou

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