第37話 決勝戦です

 セレストが立っているのは、見慣れた中庭の複製だ。

 綺麗に整えられた芝生。噴水のある池。オシャレな東屋もある。

 小鳥のさえずりがするこの場所をセレストは気に入っていた。昼休みはよくベンチに一人で座り、売店で買ってきたパンを食べた。当然、周りの生徒から陰口が聞こえて来るが、気にせず黙々と食べた。


 しかし、まれに冷徹王子ことフェリックスが現われ、無断でベンチの横に座ってくるのは気にくわなかった。「人間が寄りつかないくせに、小鳥は肩にとまるのだな」と嫌味を言ってくる日があれば、黙って弁当を食べて去って行く日もあった。

 あのときは嫌がらせをされていると思い込んでいた。

 けれど今にして考えると、フェリックスが話しかけてくれるから、三年間に耐えられた気がする。

 完全な孤独であったら、もっと辛かった。


「フェリックスくん。たまに話しかけてくれたのは、もしかして友達がいない私を気遣ってくれてのことですか?」


 中庭の奥から現われたフェリックスに語りかける。


「ふん。ただたんに暇だっただけだ。あまり図に乗るなよ」


 久しぶりに「図に乗るな」を聞いた。なんだか愉快になってきた。


「そうですね。フェリックスくんも私と同じく友達がいないので、暇な時間は多かったでしょう」


「暇か。俺にとって暇とは、なんとか作り出すものだった。いくら頑張っても、セレストの背中に追いつけなかった。時間が足りることなどなかった――」


 フェリックスは目を伏せ、自嘲しながら語る。

 それはセレストにとって、想像の外側の言葉であった。自分とてサボってきたつもりはない。勉強はしっかりやった。魔力を毎日鍛えたし、剣術も怠らない。青空邸の仕事もあった。けれど、忙しすぎて目が回ると思ったことはない。

 自分と彼の時間感覚は、そんなにも違うのか。

 なのに自分は、フェリックスに勝ち続けてしまった。

 感じる必要はないと分かっていても、セレストは罪悪感のようなものに襲われた。


 だが、セレストの不安を打ち払うように、フェリックスは微笑む。今度は自信に満ちた強者の笑みだった。氷と炎を混ぜ合わせたような、冷たくて熱い、不思議な表情。


「――しかし今、ようやく追いついた。勝つのは俺だ」


 高らかな宣言。

 それを聞いてセレストは、自分の顔が自然と微笑んだのを感じた。


「あなたの努力に敬意を表し、全力でお相手いたします。けれど勝つのは私です。お覚悟を」


 セレストは眼帯を外し、魔法剣を地面に突き刺し、空いた両手でスカートを摘まみ会釈する。

 まるで舞踏ダンスに誘われ、それを受ける令嬢のように。

 実際、二人はこれから踊るのだ。

 魔力と魔力を、技術と技術を、お互いの三年間をぶつけ合い、華麗に壮絶に武闘ダンスする。


 仮想空間にブツッという音が広がった。外と音声が繋がった印だ。続いて今日のトーナメントの司会進行役を務めるアスカムの声がする。


「両者とも、用意と覚悟はいいですね? 武器の使用、急所への攻撃を含めた、全てが認められます。それでは、試合開始!」


 尊敬する教師の合図で、火蓋は切られた。

 まず挨拶代わりに仕掛けたのはフェリックスである。

 見える範囲の全て、つまり中庭と校舎が凍てついた。セレストは即座に空中に逃れる。わずかでも遅れていたら、足首が氷に飲み込まれていただろう。

 だがセレストの反応が遅れるわけがないのだ。お互いの息はぴったりだ。相手が次になにをしてくるか、よく分かる。なにせ二人は長年の宿敵パートナーだから。


 セレストが着地する場所を狙って、フェリックスは鋭く巨大な氷柱を生やした。そのまま落ちれば、串刺しどころでは済まない。股から脳天まで真っ二つ。

 そう来ると分かっていたから、セレストは応えられる。

 落下しながら剣を横一文字に振り抜いて体を半回転。魔法剣を調整し、鈍器のように切れ味を落とす。結果、氷柱は魔法剣との激突で砕け、無数の破片となってフェリックスに向かっていく。


 その氷の破片は、空中で溶けた。

 なんとフェリックスの眼前に炎の壁が現われ、全て溶かしてしまったのだ。


「いつの間に炎属性をそんな威力で使えるようになったんですか?」


 氷の地面に着地し、あらゆるものを警戒しながら、セレストは問いかけた。

 もう長年の宿敵同士の気心の知れた対話は終わり。

 ここから先、お互い、未知が待っている。挨拶は終わったのだ。


「この二ヶ月間だ。俺はセレストに勝ちたくて、あらゆることをやった。出し惜しみはしない。一気にたたみかける」


 また地面からフェリックスの魔力を感じる。

 しかし今度は、セレストの足下からではない。それ以外の全て、、、、、、、

 氷の柱が無数に生え、セレストを取り囲む。光が乱反射して、なにがどうなっているか分からない。フェリックスはこの混乱に乗じて攻撃してくるつもりだろうか。


「ならば、破壊するまでです!」


 セレストは魔法剣に霊体を集中させ、五メートルの刀身を作り出し、そして振り下ろす。

 真正面の氷を打ち砕く。

 狙い通り……あまりにも狙い通り、それは成功する。

 自分の刃の切れ味が素晴らしいのは知っている。それを計算に入れても奇妙だ。フェリックスが自信満々に作り出した氷の森が、剣の一振りで易々と抉れるわけがない。

 と。

 斬った氷柱の全てが、一斉に爆発する。

 その瞬間をセレストの動体視力は捕らえていた。

 割れた氷の中から、炎が吹き出してきたのだ。


 凍っていた炎が外気に触れて溶け、爆発的に広がった――。


 物理現象としてはあり得ない。しかし魔法の世界ではあり得る。

 氷は水が凍ったもの。では凍るとはなにか? 静止や停滞とよく似ている。

 場が凍る、という言い回しがある。なにかの理由で気まずい雰囲気になり、まるで時間が止まったような雰囲気になることだ。

 凍らせるとは、なにも物質だけを対象にした話ではないのだ。時を止めたっていい。

 フェリックスは爆発寸前の炎を氷で包んで、時を止めた。

 セレストがそれを砕いたから爆発した。


 トンチや屁理屈の部類。

 だがフェリックスがそうできると強く信じていればできる。現にそうなっている。


 セレストは飛び退き、ほかの氷の影に隠れて爆発をやり過ごす。

 ところが隠れた先もフェリックスが支配する領域だ。セレストがなにもしていないのに、勝手に氷が砕け、また爆発が起きた。


「――っ!」


 今度は反応できなかった。魔力で皮膚を硬くし、辛うじて防御は間に合ったが、衝撃で地面を転がってしまう。


「型にはまらない魔法……存在は知っていましたが、まさか同じ学生であるフェリックスくんが使ってくるとは思いませんでした」


「褒め言葉として素直に受け取ろう。なにせ相手は、死霊の魔眼を史上最も使いこなす魔法師だ。型くらい破らねば、勝負にならない。さて、どの氷を起爆するかは俺の意思一つ。お前から攻撃しても爆発するし、なにもしなくても爆発する。光の乱反射で俺の位置は分からない。この状況に、どう対処する?」


「それは、こうです!」


 セレストは霊体の刃を更に伸ばし、一回転する。

 それにより、周りにある氷全てを打ち砕いた。全てが爆発する。


「馬鹿な!」


 馬鹿ではない。いつ爆発するか分からないものに取り囲まれるくらいなら、こっちから爆発させてやる。自分で爆発させるなら覚悟も決まる。

 セレストは身を小さくして、迫る熱波と衝撃に耐える。

 耐えながら思う。

 なんて力強いんだろう、と。


 炎を凍らせるという奇抜さは、あくまでおまけだ。

 本当に素晴らしいのは、この爆発を支えているフェリックスの膨大な魔力だ。

 かつての彼に、これほどの魔力はなかった。たった二ヶ月で何倍に増やしたのか。それはどれほどの努力か。


 セレストも強くなった。だが魔眼が宿ったからできたこと。

 死霊を吸収し、その霊体を操るという技があったからこそ、セレストは強くなった。


 フェリックスは違う。なにか新しい武器を得たわけではない。

 ただ頑張った。それだけ。

 努力の量と質が違いすぎる。

 かつてないほどに尊敬の念が湧き上がり、同時に、好きという感覚が強くなっていく。その『好き』は、今まで感じたのとまるで違うような、同じなような――。


(勝たせてあげたい)


 これほど頑張っているフェリックスを勝たせてあげたい。

 けれど彼が勝ちたいのは手加減したセレストではない。

 魔眼が卑怯とか、霊体を使うのはズルいとか、そういうセレストの感傷はセレストの身勝手だ。

 ゆえに全力で、彼の全力を迎え撃つ。


 爆発が終わった。周りに氷はもうない。

 フェリックスの姿が見えた。

 セレストはそれに向かって真っ直ぐ走る。


「正面からとは舐めているのか?」


 こちらを迎撃するため、下から横から上から後ろから、四方八方から氷の槍が迫ってくる。


「いいえ、私も実は四方八方です」


 セレストのロングスカートから、一ダースのナイフが飛び出した。

 それら全てにゴーストくんが憑依している。とはいえ、ゴーストくんは宙を漂うことはできても、あまり素早く動けない。いくらナイフの数が多くても、ふわふわ浮かぶだけでは武器になり得ない。

 だからナイフには小さな魔石を組み込んでおいた。魔石に注いだのは、風の魔力。それを解き放ち、ナイフは疾風を放って加速する。その軌道を制御するのがゴーストくん。


「隠し球か!?」


「知らなかったんですか? 女の子のスカートの中は、秘密が詰まってるんです」


 セレストは氷槍を魔法剣で砕く。予想通り爆発し、吹っ飛ばされた。ダメージはそれだけだ。

 一方フェリックスは、高速かつ複雑な動きで迫るナイフの数々に翻弄されている。

 全身を氷で覆えばナイフは防げる。しかし、それではどうしても動きが一瞬止まる。止まればセレストにとって攻撃の機会。決着の瞬間と言い換えてもいい。


 よってフェリックスは全身防御ができない。

 頭と心臓の急所だけを氷で覆い、それ以外の全身でナイフを受け止めた。

 明らかに内臓まで達した。

 のみならず、ナイフが刺さった衝撃で彼の体は浮き上がり、校舎に突っ込んでいった。

 軽いナイフでも速度が乗れば、恐るべき運動エネルギーとなる。まして一ダースだ。人間一人を投げ飛ばす威力になるのは必然だ。


「やりました……!」


「まだだっ!」


 校舎が破裂し、フェリックスが飛び出した。

 幾本ものナイフが刺さって出血しているのに、その傷を凍らせて止血していた。

 フェリックスは一直線に向かってきた。

 殴りかかってくるのか? それとも至近距離から魔法を使うつもりか?


 否。

 どちらでもなかった。

 フェリックスの傷口を覆う氷が、全身に広がっていく。全身を覆ってもまだ成長を続け、彼は巨大な氷の円錐に包まれていた。

 幅はフェリックス一人分。長さはよく分からない。とにかく長い。巨大だ。

 その氷の円錐の後ろで大爆発が起きた。それを推進力にして急加速。

 なんとフェリックスは、自分自身を氷の弾丸にして突進してきたのだ。

 戦術もなにもない。理知的とは到底言えない。だが速かった。横にも後ろにも回避は間に合わない。

 ゆえにセレストに残された選択肢は一つだけ。ただ迎え撃つ。魔法剣に霊体をありったけ込めて振り下ろす。それ以外の選択肢を全て奪われた。追い込まれたのだ。


 真っ向勝負。力と力のぶつかり合い。

 刃と氷が激突する。

 これぞまさに三年間の集大成。どちらが勝っても恨みっこなし――。

 本当にそうなのか?

 セレストには魔眼がある。その時点で真っ向勝負とは言えないのではないか?


 そんな疑問を吹き飛ばすほど、フェリックスの突進は力強かった。

 お前の心配は些事だ、と。いいから乾坤一擲を見せてみろ、と。

 そう叫ぶような全力全開。

 戦いのさなかだというのにセレストは、フェリックスと過ごした日常のような安心感を覚えた。なにも躊躇せず、彼の一撃に、自分の一撃を合わせる。


 フェリックスは力強かった。

 わずかでも気を抜けばセレストは押し倒されていた。

 けれども――。

 氷が割れる。彼が反動で吹き飛んでいく。校舎が更に壊れる。


 もう、フェリックスの魔力をほとんど感じない。それでも油断せず、セレストは魔法剣を握りしめ、ゆっくりと歩いて行った。

 決着をつける。つけるのだ。つけなばならない。決着をつけたかったはずだ。

 今日この日の決着を、楽しみにしていたはずだ。

 なのにセレストは、涙を堪えるのがやっとだった。


 そして涙と一緒に、知らなかった感情が溢れ出しそうになる。

 いや、これはずっとセレストの中にあったのだ。無知すぎて気づけなかっただけだ。

 自覚してしまった以上、もうただの友達ではいられない。

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