第33話 セレストの騎士になりたいのだ

 三時間後――。

 フェリックスは魔力も気力も全て使い果たしていた。

 岩を背もたれに荒野に座り込む。立ち上がるどころか、指一本動かせそうにない。


「いやはや、大したものです。私の猛攻を三時間も防ぎきるとは。フェリックス殿下が同期だったら、私のトーナメント四連覇はなかったかもしれませんね」


 そう語るドロシーは微笑みを浮かべている。息が乱れる様子はない。肌にもメイド服にも汚れ一つなく、それどころか靴も綺麗なままだった。

 つまり彼女はほとんど動くことなく攻撃を続け、対するフェリックスは走り回りながら回避と防御に専念させられた。


 ドロシーの得意属性は炎。フェリックスの氷との間に優劣はない。氷は炎で溶けるが、同時に炎も熱量を失うからだ。ゆえにこの勝敗の原因は、単純な力量差にある。

 フェリックスが放つ氷魔法は一方的に溶かされ、ドロシーの炎はいとも容易く届いた。

 足下が燃え上がり、あるいは爆発する。

 フェリックスがこうして五体満足でいるのは、ドロシーが素晴らしい技巧で狙いを外し、間違って当てることさえしなかった結果だ。手加減に手加減を重ねてもらい、ようやく生きている。


「そしてフェリックス殿下の弱点が分かりました。真面目すぎます。教科書通りです。魔法はもっと柔軟でいいんです。氷とは水の温度を下げたものという常識を捨ててください」


「どういう意味だ……水の温度が下がれば氷になる……教育を受けずとも、多くの者が経験から知っていることだ。それとも水以外の液体も凍ると言いたいのか……?」


「いいえ。そういう物理的な話ではありません。もっとトンチの領分です。そもそも考えてください。フェリックス殿下が私と戦っているときに出した氷は、水を凍らせたものですか? 違うでしょう?」


 確かに違う。水を凍らせようにも、この荒野には水たまり一つない。


「魔法で作り出す氷には二種類あります。すでにそこにある水を凍らせたもの。それから、魔力で作った擬似的な氷です。前者は本物なので溶けるまで氷のままですが、後者は偽物なので魔力が途切れたら跡形もなく消えます。つまりフェリックス殿下の氷魔法は〝氷のようなもの〟を作り出しているのであり、本物の氷を操っているわけではありません。まあ、こんな話は授業を真面目に聞いていれば分かるでしょうが、確認のためです」


「復習は重要だ……続けてくれ……」


「炎も同じです。なにかに燃え移って広がった炎は本物ですが、私の魔力で作った炎は擬似的なものです。だからこういう芸当ができちゃうわけです」


 ドロシーの手の動きに合わせて、炎が一本の線となって空中に伸びた。

 それは彼女の手から離れ、大蛇のようにうねり、宙を泳ぐ。

 そしてドロシーは、炎の大蛇に腰を降ろした。両足を地面から完全に浮かせる。なのに大蛇に支えられて落ちてこない。

 炎に座るなんて無理だと子供でも分かる。座れたとしても大火傷だ。しかしドロシーが作った炎は、人の体重を支えられる上に、腰かけた場所だけ熱くないという都合のいい炎だった。


「それは、もはや炎ではない……」


「いいえ。炎です。私は炎だと思っています。誰がなんと言おうと炎です。いいですか、フェリックス殿下に足りないのは図々しさです。魔法を覚えるための型は必要です。けれど初心者を脱したかったら、その型にはまってはいけません」


「なる、ほど……なんとなく理解した……と思う」


「結構です。しばらく自分で考えて、色々やってみてください」


「ああ……手間をかけさせた……ありがとう。ところで気になることがあるのだが……」


「なんでしょう?」


「ドロシー先輩は、それほどの実力がありながら……なぜメイドをしている? 別にメイドという職業が悪いと言いたいのではない……ただ、その膨大な魔力と技術を身につけるには……魔法に対する強い想いがあったはず。なのに、どうして魔法と無縁な職を?」


「上には上がいるからです、フェリックス殿下。」


 ドロシーは微笑みを消し、真面目な表情で呟いた。


「私はかつて、世界最強の魔法師を夢見ていました。魔法アカデミーでは最強になれました。だから図に乗っていました。卒業し、冒険者になって、そこら中に自分より強い人がいると知りました。しかし、それで絶望するほどヤワではありません。学校を卒業したばかりの小娘が苦戦するのは当たり前。努力をすれば、なんだって乗り越えられる。ベテランを超えられるはず。倒せなかったモンスターを倒せるようになるはず。けれど知っていますか? 強い敵を倒すとどうなると思います? もっと強い敵がでてくるんですよ。ハードルを越えると、次のハードルが出てくるんです。努力して努力して努力して、なんとか前に進むと、次の目的地は今まで歩んだ道のりを全て合わせたよりも遠い。世界最強の座を諦めない人たちは、そんな状況を楽しんでいました。その後ろ姿を見て、私は、心が折れました」


 フェリックスを圧倒するこの実力者が絶望を覚える世界。

 そんな場所もあるのか。想像さえできない。


「フェリックス殿下は力を求めていらっしゃる。それはどの程度の力でしょう? 今の自分を乗り越える力でしょうか。それとも世界最強の座でしょうか?」


「……言ったはずだぞ、ドロシー先輩。俺はセレストより強くなりたい。それだけだ。もしセレストが世界最強を目指すなら、俺はそれを阻み、奴を世界二位にしてやる。セレストが平凡な魔法師でいいと言うなら、その日常を守ってやれるだけの力が欲しい。俺はセレストの騎士になりたいのだ」


 ドロシーは口をポカンと開け、それから優しげに笑った。


「そうでした。フェリックス殿下は私のような虚栄心ではなく、恋心ゆえに力を求めていたんでした。くだらない話は忘れて、思う存分、突っ走ってください。私は帰ります。いつまでも店を休むわけにいかないので。なにか成果が出たら教えてください。見てあげます。いやぁ、それにしても、伝説の樹って私の代からあったジンクスなのに、まだ語り継がれてるんですねぇ」


 ドロシーは炎の大蛇に乗って、帝都へ向かっていく。

 しかし速度が出ない。

 座れる上に熱くない炎という複雑なものを具現化し続けるのはドロシーでも難しかったらしく、途中から普通に歩き始めた。

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