第31話 もがき足掻く
セレストが一人でケルベロスを倒したと、冒険者たちが証言してくれた。なのでギルドはすぐ報酬を払ってくれた。
平民なら一年は家族を養っていけそうな額だった。
セレストはそれを辞退せず、正当な対価として遠慮せずに受け取る。
「ふふ。金貨が一枚、金貨が二枚……」
そして彼女は、家のリビングで何度もその枚数を数えた。
声は笑っているのに、顔がいつもの無表情なので、横で見ていると不気味である。
フェリックスは、自分の婚約者がなぜ漆黒令嬢と呼ばれるのか、その理由を分かりたくないのに分かりかけ、憂鬱になる。
「これだけあれば、魔法道具を作りたい放題です。けれど貯めておくべきでしょうか。いつかは帝都を去ってエイマーズ王国に帰るのですし……そうです。店の移転費用にしましょう」
「お前は今の時点で王女で、そして次は女王になる。なのに自分の小遣いで店を作るのか」
「当然です。自分で稼いだお金でやらないと面白くありません。それに女王になっても、実権はフェリックスくんのお父様が握るのでしょう? 邪悪な専制君主になって、国民の血税を自分の趣味につぎ込むような真似はさせてもらえないはずです」
「青空邸のような小さな店を税金で作ったくらいで、邪悪扱いしてくる奴はいないと思うが。しかしセレストの言いたいことは分かる。要するに自分の力でやってみたいのだな」
「その通りです。ああ、でも……税金を投入して青空邸を大きくして、大儲けして、そのお金を武器に、エルマー陛下から実権を取り戻すというのはアリかもしれません」
「……そうなった場合、俺との婚約はどうなるのだ?」
フェリックスは、セレストの発言がただの妄想だと分かった上で「婚約解消など冗談でも言わないでくれ」と切実に思った。
「うーん。生涯独身を貫きたいという信念はありません。かといって恋愛したいとも思いません。なのでフェリックスくんを婿としてもらってあげましょう。エルマー陛下が反対しても大丈夫です。その頃の私は国営企業『青空邸』を巨大に成長させ、帝国をも上回る力を得ている予定ですから」
「それほどの女王がいたら、俺よりもいい男が勝手に寄ってくるのではないか?」
「なるほど。けれど私はフェリックスくんがいいです。友達として気心が知れてますから。私、フェリックスくんのこと、好きですよ」
そう言いながら、セレストは金貨をテーブルに積み上げる。
フェリックスはなにも答えない。
三秒後、彼女は髪を揺らしながらフェリックスを見つめた。
「あの。好きなのは私の一方的な気持ちでしょうか? やはり友達だと思っているのは私だけで、フェリックスくんはいまだに私を嫌いだったりしますか……?」
「いまだもなにも。俺はセレストを嫌いになったことはない。筆記でもトーナメントでも勝てないから、イラついていただけだ。俺もお前が……好きだ」
するとセレストはホッと胸を撫で下ろした。
「よかったです。ちゃんと友達同士でした。友達のまま結婚というのは妙ですが、政略結婚した夫婦は、友達以下の関係のまま生涯を終えるケースもあると聞きます。それに比べたら私たちのなんと恵まれていること。ずっと仲良くしてくださいね」
「ああ……」
好きだし、仲良くしたい。
言葉にすれば同じだが、セレストとフェリックスが想っていることは違う。
その違いを告白したい。
ゆえにフェリックスは決意した。
「セレスト。お前は明日からアカデミーの授業に出るのだろう? 俺は一人でサボる。もう残りの授業を全てサボっても、卒業できるからな」
「こら。前にも言いましたが、卒業できればいいというものではありません。魔法の知識と技術を学ぶために私たちは帝都まで来たのです。遊びほうけるなんて、お姉ちゃんが許しません。めっ、ですよ」
セレストは迫力のない顔で叱ってきた。
「お前は俺の姉ではないし、俺は遊びに行くのではない。トーナメントに向けて、秘密の特訓をする。授業に出るより、よほど有意義だ」
「あ。なるほど。それは有意義です。フェリックスくんがどんな技を身につけるか楽しみです。それで秘密の特訓とはどんなことをするのです?」
「お前、さては秘密という言葉の意味を知らないな?」
そして次の日の朝。
アカデミーに向かうセレストと途中で別れ、フェリックスは一人で帝都を歩く。
すると肩にフクロウが降りてきた。
「おはようございます、フェリックス」
父親のエルマー・ベイレフォルトの声だ。
「おはよう、父上。街道の一件か?」
エルマーはフクロウの使い魔を複数使い、情報を集めている。冒険者ギルドの騒ぎを聞きつけるなど、造作もないだろう。
「はい。冒険者の間では、かなり話題になっています。黒髪の美人が一撃でケルベロスを倒したと。よかったですね、婚約者が美人と評判になって」
「……あいつは客観的に見て、容姿が整っている。アカデミーの連中は漆黒令嬢などと呼んで、なんとか嘲笑おうとしているが……外の人間が美人という感想を持つのは当然だ。眠そうな顔ではあるがな」
「はい。朝から惚気をありがとうございます。そして、おめでとうございます。あの本の通り、セレスト姫は魔力を取り戻せたのですね」
「いや。セレストはすでに本の著者よりも強い」
「ほう……それは興味深い。ところで、そのセレスト姫は? まさか喧嘩ですか?」
「違う。セレストは真面目にアカデミーに行った。そして俺は、一人で向かう場所がある」
「ふむ。なぜ一人である必要が?」
「……俺はこのままではセレストに勝てない。だから教えを請う必要がある。もがき足掻くことになるだろう。そんな姿をセレストに見られたくない」
「なるほど。では私も去るとしましょう。婚約者に見せたくないなら、親にも見せたくないでしょうからね」
エルマーは思ったよりも物わかりがよく、フクロウを羽ばたかせてどこかに飛んでいった。
婚約してから父親が妙に優しくなり、しかも裏がなさそうなので、フェリックスは気持ち悪さを感じていた。これまで国を経済発展させるため冷酷な行いを重ねてきた反動で、急に善行に目覚めたのだろうか。
(まあ、なんでもいい。今の俺が必要としているのは、この場所だ――)
フェリックスはとある店の前で立ち止まる。
その看板には〝青空邸〟と書かれていた。
「いらっしゃいませ……あら、フェリックス殿下。セレスト様は? お一人ですか? さてはプレゼントを買いに来ましたね? けれど、この店にある品は全てセレスト様が作っているので、それを本人に送るのはどうかと思いますよ」
そう言って出迎えてくれたのは、栗色の髪の女性。三十歳手前くらいの美人。
なにやら勝手に物語を作り、人差し指を立て、したり顔で説教してくる。
「ドロシー嬢。あなたにお願いがあって来た」
「おやおや? もしかして、デートのお誘いですか?」
ドロシーは口元に手を当て、いたずらっぽく笑う。
「そうだ」
「ふぇっ!?」
笑みは驚愕に早変わりする。
「いえ、あの。フェリックス殿下はイケメンなのでデートしてみたい気持ちはありますが、いけません、あなたにはセレスト様がいます! そ、それに歳の差が……年上に憧れちゃう時期もあるでしょうが冷静に考え直してください! セレスト様だってあれで笑うと可愛いんですよ! あと料理は壊滅してますがそれ以外の家事は上手ですし、頑張り屋ですし!」
「そう慌てないでくれ。からかってくるから、少し反撃しただけだ。デートの申込みではない。それと、セレストの魅力は分かっているつもりだ。俺はアカデミー卒業生のあなたに教えを請いに来た」
「私が、フェリックス殿下を? またまた冗談を。セレスト様と優勝争いをしているフェリックス殿下に私なんかが、なにを教えたらいいんですか?」
「トーナメント四回連続優勝。この偉業を成し遂げたのは、アカデミーの歴史であなた一人だけらしいなドロシー・テルフォード」
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