第30話 ライバルが強くなるのは望むところ。けれど――

 モンスターにとって人間はとても美味いらしい。

 一度人間の味を覚えると、そればかり狙って狩りを繰り返す。

 今回のケルベロスもその類いだろう。

 街道で待っていれば、人間が勝手に近づいてくると学習したのだ。

 今のうちに討伐しなければならない。街道で待つよりも、人口密集地を襲ったほうが早いと学習する前に。


 ケルベロスがいる場所は、山の麓だった。

 標高はさほど高くないが、それでも雪がうっすらと積もり、針葉樹は砂糖をまぶしたように白く染まっている。


 その白銀の世界に、黒い三つ首の獣がいた。

 首の高さは二階の窓ほど。四足歩行でそれなのだから、もし後ろ足だけで直立したら、どれほどになるだろうか。三つの顔にはそれぞれ凶悪な牙が生えそろっている。


 フェリックスがセレストを連れて到着したとき、ケルベロスは丁度、食事の最中だった。

 足下には甲冑の残骸。折れ曲がった剣。赤く染まった雪原。

 五人の冒険者の集団が、それを遠巻きに震えながら見ている。食われているのは仲間なのだろう。彼らの鎧と武器は、質が良さそうだ。まともな装備を揃えられるのは、彼らが優れた冒険者という証拠。なのに恐怖で動けずにいる。

 フェリックスとセレストは、そんな冒険者たちの横を通り過ぎた。


「お、おい! あのモンスターが見えないのか……この街道は通れねぇぞ!」


 一応、若者二人の命を気遣う余裕が残っていたらしく、絞り出すように言葉を発する。


「ご安心を。私たちも冒険者で、そして魔法師です」


 そう言いながら、セレストは右目の眼帯を外す。優雅な仕草だ。おそらく格好つけてやっているのだろう。


「魔眼、解放」


 芝居がかった声だ。しかし整っているのに表情がない顔は、彼女に神秘性を与えていた。おまけに丁度よく風が吹き、長い黒髪を揺らす。


「おお……」


 冒険者たちから声が漏れる。セレストの美しさに見とれたのだろう。

 続いて、魔法剣が勝手に鞘から抜けて宙に浮き、彼女の右手に収まる光景に絶句した。

 フェリックスはそれが霊体を使った手品だと知っている。それでも不気味に見えた。種を知らない冒険者たちには、ケルベロスとセレスト、どちらがより恐ろしく映っているのか。


 魔法剣から、雪よりも白く輝く霊体の刃が伸びる。

 ケルベロスが反応した。

 三つの首が全てセレストを見つめる。そして口の端を釣り上げ、ニタリと笑う。

 気配に反応できても、相手の実力までは分からなかったらしい。新しい餌だと思い込み、牙を剥きだしにしながら、こちらへ走ってきた。振動で周りの木々から雪が落ちる。


 同時に、セレストが踏み込んだ。黒い髪がなびく。風で粉雪が舞う。一瞬にして敵の眼下に飛び込む。

 一応、ケルベロスも反応らしきものをみせた。首を下に向け、頭に噛みつこうと口を開ける。

 しかしケルベロスが動けたのはそこまでだった。

 すでにセレストは剣を振り抜き、三つの首を根元から一撃で切断せしめていた。

 その四肢から力が抜け、くずおれていく。三つの首は斬撃の勢いにより、空高く舞上がっていた。

 街道の脅威は去ったのだ。

 ただ一つ。

 セレストに向かって滝のように落ちていくケルベロスの血を除いて――。


「あ」


 セレストから間抜けな声が聞こえた。

 立ち回りから見て、胴体と首が自分に当たらないよう計算していたのは分かる。だが首を撥ねれば、巨体に見合った量の出血が起きるのは失念していたようだ。


「やれやれだ」


 フェリックスの魔法により、ケルベロスの傷口と血が凍り付く。

 間一髪のところで婚約者の全身とドレスが赤く染まるのを防いだ。


「ありがとうございます、フェリックスくん。一人でも楽勝だと思っていましたが……最後に助けられてしまいました。私もまだまだです」


 戻ってきたセレストは、面目なさそうに目を伏せる。


「まったく。お前は成績優秀で、実力も申し分ないのに、どうしてそう危なっかしいんだ」


「なぜでしょう。フェリックスくんが後ろで見守ってくれていると思って、油断したのかもしれませんね」


 セレストはいつもの眠そうな無表情でフェリックスを見上げてきた。

 なるほど、油断をしそうな性格だ。それで全身血まみれの危機に直面した。

 逆にいえば、その程度。

 あの巨大なケルベロスを相手にして、命が危うくなる局面は一瞬たりとなかった。


 フェリックスはセレストを守れていない。もし先ほどの戦いに参加していたら、むしろ足手まといになっていた。

 あの長い刃渡りなのに、質量は普通の剣と同じ。そのくせ切れ味は極上。斬撃の速度に対応できる気がしない。


 セレストはトーナメントで三回連続優勝。フェリックスは三回連続二位。戦うたび、僅差で勝敗が決まった。地道な努力を重ねれば、あとわずかで追いつけるという希望があった。

 しかし今、二人の差は決定的に開いた。


 セレストは魔眼を使いこなし、どんどん強くなるのが楽しくて仕方ないのだろう。

 だから二人の間に生まれた実力差に考えを巡らせる余裕がない。

 もしここで本気で戦ったら、フェリックスは数秒も保たない。胴体を真っ二つにされてから斬られたと認識し、そして死ぬ。

 もちろん実際は、フェリックスを殺してしまうと気づいたセレストが直前で刃を止めるだろう。

 そして彼女のフェリックスに対する評価が、ライバルから、気遣いの対象へと落ちるのだ。


 ――私より弱いのは論外です。いざというとき守ってもらえないじゃないですか。


 フェリックスの行動原理を決定づけたセレストの言葉が、また脳裏に蘇る。

 強くならなければ。

 魔眼を得て急成長し、いまだ天井知らずに伸び続けるセレストより強くならなければ。


 たんに勝つだけなら、魔力を失った彼女をそのままにしておけばよかった。しかし、それでは駄目だった。セレストより強くなるとは、そういう意味ではない。

 憧れてしまうほど華麗な強さを誇るセレストを正面から打ち破る。その儀式を終わらせないと、フェリックス自身が納得できない。

 よって後悔などしていない。

 ライバルが強くなるのは、むしろ望むところ。当初の予定通り、上回ればいいだけのこと。

 けれど、一体どうやって?

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