第28話 空飛ぶサメと霊体の剣です

 ボブはサメのぬいぐるみである。

 その昔、セレストがドロシーと一緒に故郷の商店街で偶然見つけたものだ。

 つぶらな瞳のサメだ。ちゃんと口が開くのがよい。サメに食べられちゃうごっこができる。

 帝都に来てからも大活躍で、ベッドの真ん中に横たわり、セレストが寝ぼけてフェリックスにラッキースケベするのを防止していた。


 風呂上がりのセレストはベッドの上に座り、ボブの顔を見つめながら思案する。

 自分は新しい力を手に入れた。なので新しいことをしたい。

 そして一つ思いついた。

 フェリックスが風呂に入っている間に準備を整え、驚かせてやるのだ。


「ゴーストくん」


 ぽんっと白くて丸くて可愛い物体が現われる。

 セレストの意志に従い、ボブの口の中にもぞもぞと入っていく。

 ゴーストくんは物質化するほど密度が高い霊体だ。よって周りの物に触れたり持ち上げたりできる。そのくせ翼もないのに重力の支配から逃れ、自由に空を飛べる。

 そんなゴーストくんがボブの中に入って宙に浮かべば……一緒にボブも浮かび上がる。空飛ぶサメの完成だ。


 ボブはすいすいーと泳ぐようにして寝室を飛び回る。

 ここまでは簡単だ。

 セレストの企みは、もう一つ先にある。


 まずゴーストくんの物質化を解除。ボブがぽすんと床に落ちた。

 霊体は薄く広がり、ボブを覆い尽くす。

 その重なり合った状態で、再びゴーストくんを作り出す。ただし物質化するほど凝縮はせず、その一歩手前でとどめておく。


 するとボブはまた浮かび上がった。ただし、先ほどのように口の中から持ち上げたのではない。ボブ自身が浮力を持っている。

 そればかりか、ヒレがピコピコ上下するし、口を開いたり閉じたりできる。すべてセレストの自由自在。

 ボブと霊体の一体化は成功した。


 丁度、そこにフェリックスが帰ってきた。

 彼は空飛ぶサメに冷ややかな視線を向ける。


「驚かないんですか?」


「ふん。どうせ口の中にゴーストくんが入っているのだろう」


「おやおや。ではこの動きはどう説明しますか?」


 ボブはヒレでフェリックスの頭をなでなでする。それからカプカプと甘噛みする。


「やめろ。髪が乱れる。だが……どういう仕組みだ?」


 フェリックスはボブを掴み、顔や腹を見て不思議そうにする。


「ふふ。ちゃんと驚いてくれましたね」


 セレストはどんな技を使ったか解説する。


「私はこれを『憑依』と名付けました」


「物質と霊体の融合……その発想力とすぐに実現する技術は素晴らしいな。サメを飛ばすのは幼稚だが」


「なぜ最後に貶すんですか。嫉妬ですか?」


「いや、本当に幼稚だと思っただけだ」


「フェリックスくんは空飛ぶボブのよさが分からないんですね。ここまで価値観が違ったら、円満な夫婦生活を送れるか心配です……おいでボブ。分からず屋のフェリックスくんなんか放っておいて、二人で楽しい夜を過ごしましょう」


 すいすいーと帰ってきたボブを抱きしめ、セレストは目をつむった。

 ちょっと拗ねた感じを出したいだけで、本当に寝るつもりはなかった。

 ところが気がついたら朝だった。それもフェリックスに「いい加減に起きろ」と起こされて目が覚めた。

 自分では分かっていなかったが、遺跡探索やらゴーストくんやら属性変換やらと、一日で色々やり過ぎて疲れていたらしい。


 しかし、ぐっすり寝たので元気一杯だ。

 セレストはまた試したいアイデアを思いついたので、魔法剣を持って庭に出る。


「朝飯を食べないのか?」


「あとにします」


「せめて着替えろ」


「あとにします。だらしないと呆れるでしょうが、今は時間が惜しいです」


 ところが玄関を空けた瞬間、冷たい風が入り込み、セレストは体をこわばらせた。

 今は冬。帝都は温暖な気候で、雪があまり降らないが、それでも朝の寒さはネグリジェ一枚では耐えられそうにない。


「へくちっ!」


「やれやれ。お前と一緒に暮らすのは想像以上に退屈しない」


 フェリックスはそう呟きながら、カーディガンを肩にかけてくれた。


「ありがとうございます。お手数をおかけします。その代わり面白いものを見せて差し上げられると思います」


「そう願う。なにをするか知らんが、セレストが失敗する姿は、それはそれで面白そうだ」


「せっかく人が素直にお礼を言ったのに、またそうやって皮肉を……そんなんじゃ、いくら顔が綺麗でもモテませんよ」


「ふん。顔で判断する女など、こちらから願い下げだ。それに俺にはすでに婚約者がいる」


「へえ、奇遇ですね。私にも、くしゃみをしたらカーディガンを持ってきてくれる、優しい婚約者がいるんです」


「ほう、優しいのか。皮肉ばかり言うイジワルな男ではないのか?」


「そういう一面もあります。けれどイジワルするのは照れ隠しなのではと睨んでいます。どうでしょう?」


「……まあ、そういう一面もなくはない」


 フェリックスはごくわずかだが頬を朱にし、目をそらした。


「やっぱり照れてましたか。フェリックスくんも友達がいませんからね。それが急に私という友達ができて一緒に暮らしているんですから当然です。実は私も、たまに照れてるんですよ?」


「友達……か。今はそれでいい」


「はい?」


「なんでもない。いいから早くしろ。なにか見せてくれるのだろう?」


「それでは」


 セレストは魔法剣を両手で正面に構える。

 腰は落とさず、背筋を真っ直ぐ。

 ロングソードの基本の構えだ。

 この姿勢になると精神が研ぎ澄まされる。

 自分は魔法師であり、そして剣士でもあるのだと思い出す。

 吐く息が白い。冷気が布越しに皮膚へ伝わる。その冷たさが集中力を高めてくれた。


 まずはゴーストくんを呼び出す。

 その実体化を解除し、魔法剣に憑依させる。

 まだ変化はない。

 次いで、二体目のゴーストくんを追加で憑依。

 霊体が魔法剣に収まりれずにあふれ出た。

 そのあふれ出た霊体が霧散しないよう、刃の周りに薄くとどめる。

 更に三体目を追加憑依。

 魔法剣の中で圧縮され、高密度になった霊体が刃の先端から飛び出す。


「なっ!」


 フェリックスにも見えたようだ。

 ゴーストくんよりも強固に物質化された、霊体の剣。

 もともと八十センチ程度だった魔法剣の刃渡りは、今や三倍以上に伸びている。


「フェリックスくん。試し切りしたいので、氷でなにか作ってもらえませんか」


「……分かった」


 セレストより遙かに大きな氷の塊が現われた。

 それに霊体の剣を振り下ろす。

 切れ味は抜群。刃は氷の天辺から地面まで一気に両断してしまう。そしてセレストは間髪入れずに剣を振り上げた。

 結果、氷に刻んだ斬撃は『レ』の形となる。

 この巨大な剣がもし全て鉄で作られていたら、セレストといえど不可能な芸当だ。

 だが素材は霊体。重さはゼロ。ゆえに急激な軌道変更が可能なのである。

 しかも刃渡りが長いため、先端部分の速度は雷の如しだ。


「どうですか、フェリックスくん。もはや必殺技ですよ、これ。名前を考えなければ……フェリックスくん? 聞いてます?」


「あ、ああ……凄まじい威力だな……名前などより、朝飯が先だろう。いや、お前はまだ着替えてさえいなかったな。着替えて、顔を洗って、歯を磨いてこい」


「フェリックスくん、ドロシーみたいなこと言うようになりましたね」


「お前と一緒に住めば、誰だって言いたくなるだろうさ」


「はあ……私は人々から個性を奪う存在というわけですか。それは知りませんでした」


 セレストはフェリックスの忠告に従い、朝支度をした。

 もっと褒めてもらえると思ってました――と多少の物足りなさを感じながら。

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