第26話 ゴーストくんです

「私の魔力がもとに戻ったのはとても喜ばしいことです。フェリックスくんには大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました」


 セレストはぺこりとお辞儀する。


「本当に改まっているな。まあ、どういたしまして、と言っておこう」


「しかし不思議なんです。何匹目でもとに戻ったのかまでは分かりませんが……さっきからこんな感じでした。そのあと何匹も死霊を吸ったのに、魔力が強くなっていません」


 いくらなんでも、死霊を手から吸収するだけで無限に強くなれるとは思っていない。もしそうなら、死霊の魔眼はもっと重要視されているはず。

 死霊の魔眼は希少であり、その中でも 『死霊を吸収する』のに成功した者は更に少ないというのは分かる。しかし歴史上たった数人でも、無限に強くなっていく者がいたら、なにかしらの記録や伝説として残るだろう。

 つまり成長に上限があると考えるべき。

 だがその上限が、もとの魔力と全く同じというのも不思議な話だ。


「そうか。セレストはあの本を最後まで読んでいないのだな」


「ええ。それにフェリックスくんが内容を知っていますし、そもそも暇がありませんでした」


「もうここまで来たら、あの本の内容は全て正しいという前提で語るぞ。まずアカデミーの授業のおさらいだ。魔力には、魔法持久力と魔法瞬発力の二種類がある」


「はい。例えるなら、魔法持久力は貯水タンク。魔法瞬発力は蛇口ですね。タンクにどれだけ水が残っていても、蛇口が細いと一度に出せる水は限られてしまいます。ゆえに蛇口を太くするのは、魔法師にとって重要です。どれだけタンクにため込んでも、使えないなら意味がないですから……ああ、そういうことですか」


「そうだ。死霊を吸えば吸うほど、セレストの魔法持久力は増える。だが一度に使える魔力の上限は、お前自身の技術に左右される」


「言われてみれば簡単な話でした。なぜ気づかなかったのかと首を傾げるほどです。ですが死霊を吸収すれば、魔法持久力は増え続けるんですよね?」


「それも上限があるようだ。あの本では、いずれ死霊を吸ったそばから抜け出てしまうようになる。もともとの器を大きく超える魔力を内包できないらしい」


「つまり、持久力も瞬発力も、私自身を鍛えないと増えないというわけですか」


「そういうことだな。かつての魔法持久力をいくらか超えた辺りで、死霊を吸収できなくなるはずだ」


「やはりこの魔眼、役に立たないのでは……」


 セレストは右の瞼に触れる。

 魔法師の技量を磨き、そして死霊を集める。ただの二度手間だ。

 全く魔法を使えないという絶望的な状況を脱せただけで喜ぶべきだが、心に余裕ができると欲も生まれる。


「私は右目に変な模様が刻まれた上に、死霊が近くにいるとその気配に悩まされるというデメリットを背負いました。ならば対価としてメリットが欲しいところです」


「メリットはある。たんに死霊を吸って魔力を増やすより難しいらしいが、使えるようになれば日常生活でも戦闘でも便利な能力だ」


「ほほう。どんな能力ですか?」


「死霊そのものを操る能力だ」


「死霊そのもの……あんな黒いモヤモヤを操るのが、本当に便利なんでしょうか? 普通の人には見えないのに。せいぜい密集させて怖い気配を醸し出すくらいしか使い道がなさそうですよ」


「いや。あの本が正しければ、死霊で物質に干渉できるようになるはずだ。著者は人間不信になり、山奥の家で一人暮らしをするようになるが、死霊たちに囲まれて寂しくなかったと書いていた。家の掃除をさせたり、料理をさせたり、ある程度の自立行動をさせられるらしい」


「料理。すると、その能力を極めたら私も一流シェフに……?」


「著者いわく、何事も自分より上手にやらせることはできなかったそうだ」


 それは凄まじく残念だ。フェリックスに手料理を振る舞えると思ったのに。もっとも、死霊に作らせるのが可能だったとして、それはセレストの手料理とは言えない。どのみち不可能だった。


「逆に私にできることならできる……つまり魔法道具を作るのが捗るのですか? もの凄く便利じゃないですか、この魔眼。早くその能力の使い方を教えてください」


「よく回る手のひらだな」


「美点を見いだしたのに、意固地になって批判し続けるよりはいいでしょう」


「なるほど、それもそうだ。では、また授業のおさらいから入ろう。生物を構成する三つの要素を言ってみろ」


 生物を構成する要素など、細かく上げようとすればいくらでも細かくできる。どういう視点から語るかでも変わってくる。

 しかし魔法アカデミーの授業のおさらいで、三つと限定されたら、答えはおのずと出てくる。


「肉体、霊体、魂、ですね」


「さすがは学年主席。迷わず答えたな


 元と強調され、セレストは目を細めた。


「……では現首席のフェリックスくん。その三つの解説をどうぞ」


「まず『肉体』だが、これのは解説は飛ばすぞ。こうして目に見え、手で触れられる俺たちのことだ。これの解説は魔法ではなく医学の領分だろう」


 フェリックスの説明に、セレストは頷く。


「次に『魂』。意識や記憶といったものは、魂が担っている。つまり生物の本体と言って差し支えない。まあ、脳も同じような機能を果たすが。魂と脳は、お互いを補完し合っている。どちらかが傷ついても、どちらかが無事なら、ある程度は再生可能だ」


 セレストは一字一句逃さないように聞き耳を立てる。現首席の解説に間違いを見つけたら、ここぞとばかりに指摘してやろうと身構えていた。だが今のところ見つからない。むしろ、上手な説明ですね、と感心しそうになる。


「魂は、非常に傷つきやすい。手で触れることはできないが、魔力を使った攻撃で簡単に砕ける。そこで魂を包んで守るのが『霊体』だ。肉体、魂、霊体。この三つで生物は構成されている。普通、死ぬと肉体から魂と霊体が抜け出す。魂は、おおよそ四十九日ほどこの世界に残ってから、神の世界に旅立つと言われている。その四十九日間、魂と霊体が合わさった状態を『幽霊』と呼ぶ。そのあと魂が抜け、霊体だけが残る。これが『死霊』だ」


 マズい。丁度いい復習になってありがたいと思ってしまった。フェリックスには教師の才能がありそうだ。


「死霊の魔眼がなくても、その気配を感じることができる。また装置を使って観測もできる。ゆえに死霊の存在は大昔から確認されていた。霊体や魂も同じ。目に見えないものに対する探求は、多くの魔法師が取り組んできた。だから死霊の魔眼の持ち主を、血眼になって探す者もいるらしい。とはいえアスカム先生が言ったように、死霊の魔眼が前に確認されたのは百年前だ。探して見つかるものではないし、その持ち主の多くが心を病むのを考えれば、それを使って死霊の研究をするのは現実的ではない」


 完璧を超えていた。

 目に見えないものに対する探求の歴史など、授業で習っていないしテストにも出なかった。なぜフェリックスはそんなことまで語れるのか。

 戦慄したセレストは後ずさり、壁に背をつける。


「アカデミーで得た知識に、帝国図書館から借りてきた本の知識を加えて解説してみた。元首席の耳にはどう聞こえた?」


「……悔しいですが百二十点です。認めましょう。あなたが筆記テストのナンバーワンです。しかし図に乗らないでください。トーナメントで勝つのは私です」


 セレストの口から飛び出したセリフは、テストが終わるたびにフェリックスが放っていたのとそっくりだった。


「そうか悔しいか。お前が悔しがっているのを見るのはいい気分だ」


「フェリックスくんは根が優しいのに、私にイジワルする趣味があるのが欠点です……ところで死霊って、魂なき霊体だけの存在ですよね。霊体だけでウロウロ漂うものなんですか?」


「霊体にはわずかに、生前の痕跡が残るという。その痕跡が魂の代わりとなり、死霊を動かす」


「ふむふむ」


「そしてこれは授業でも習ったが、俺たちの魔力は、魂と霊体から湧き出しているとされている。セレスト自身が持っていた魔力は、その魔眼に吸われてしまった。だから今使っている魔力は、吸収した死霊たちのものだ」


「ええ、それは分かります」


「死霊を操る能力とは、死霊が放つ魔力を操るのではない。死霊そのもの……霊体そのものを直接操るのだ。霊体は、そのままでは触れられないし、普通の者には見えない。しかし凝縮すれば、擬似的に物質のようになり、触れたり見たりできるようになる……らしい」


「ここまでは大変分かりやすい説明でした。ありがとうございます。それで、どうやったら霊体を操れるのでしょうか」


「……やってみろ」


「はい?」


「だから、取りあえずやってみるしかない」


 ここまでは教科書にしたいくらいの解説だ、と心底から感心したのに。人が変わったように、急に雑を極めた。


「仕方ないだろう。そんな冷たい目で見るな。俺は本の知識を語っているだけなんだ。あとはお前自身の感覚に頼るしかない」


 本の知識を披露し終わったら頼りがいがなくなった。元学年首席としてそう指摘してやろうかと思ったが、すぐに思い直す。

 もしお互いの立場が逆だったとしたら、セレストはここまでスムーズな説明ができなかっただろう。

 あとはやってみるだけ。この状況に至れたのはフェリックスのお陰だ。批判すべきものは一つもない。


「では、やってみます」


 セレストは念じる。

 これまで吸い取ってきた死霊たちが、自分の中で漂っているのをイメージする。しかし〝自分の中〟とはなんだろう。肉体か、霊体か、魂か。

 魂は見たことがないのでイメージできない。肉体の中を死霊が漂っているのは嫌だし、そんな感じはしない。よって霊体だ。セレストの霊体に、死霊たちが混ざり、どんどん強く、大きくなっていく。

 その一部を「えいやっ」とむしり取り、粘土のようにこねて形を作る。黒いのはかわいくない。白くしよう。

 完成したものを、手のひらからポンと出すイメージ。


「わっ……本当に出ましたよ」


 それは人の頭と同じくらいの大きさの、白くて丸い浮遊物。目と口があって、微笑んでいるのが分かる。ちょこんと生えた二本の手がかわいい。足がない代わりに、尻尾のような細長いものがにょろにょろしている。


「なんだ、この一頭身は……?」


「ゴーストくんです。知りませんか? 子供向けの絵本に出てくる幽霊のキャラクターです。行方不明になった母親を探し、世界各地を旅するゴーストくんの物語は、涙なしには読めませんよ」


「そのゴーストくんは、母親と一緒に死んで幽霊になったのか?」


「いえ。幽霊のお父さんとお母さんの間に生まれた幽霊です」


「……幽霊が子を産むのか?」


「そう細かいことを気にしないでください。子供向けの絵本です。描いたのは魔法師じゃありませんし」


「それもそうだな。それにしても……俺もお前も、子供の頃に読んだ本で随分と助かっているな。その絵本のイメージがあったからこそ、一発で霊体を実体化させられたのだろう。読書は血肉になると父上がよく言っていたが、これほど実感したのは初めてだ」


「あ。ゴーストくんの絵本と出会ったのは小さいときですけど、今でも月に一回くらいは読み返してます」


「そうなのか」


「はい。涙なしには読めません」


「……待て。その歳になって子供向けの絵本を読んで泣いてるのか?」


「悪いですか?」


「悪いとは言わないが……毎回なのか?」


「そりゃ、涙なしには読めない傑作なので」


「……お前、大丈夫か?」


 あの冷徹王子が皮肉もなにもなく、ただ唖然とした表情を浮かべ、短い言葉を投げかけてきた。

 セレストは、いつも垂れ気味な自分の目がつり上がるのを感じる。

 するとゴーストくんも目をつり上げ、フェリックスをポカポカ殴りつけた。


「おい、なんだ、これは。くすぐったいぞ。止めさせろ」


「おお。ゴーストくんが私の意のままに……もっとポカポカしちゃってください。それ行けゴーストくん」


 霊体を操るのが楽しく、調子に乗ってフェリックスへの攻撃を続けた。

 だが、慣れない能力を使ったせいか、右目が熱を持ち始めた。

 セレストは目を回し、足下がふらつく。その状況で、眼前を死霊の群れが通り過ぎていった。

 魔眼に負荷がかかり、セレストはびったんと地面に倒れる。ゴーストくんは消えてしまった。


「右目がかつてないほど疲れました……出発する前、アスカム先生が注意してくれたのに……」


 フェリックスは大きなため息を吐きながら、セレストの右目に眼帯をつけた。そして背中におぶって、地下牢獄から脱出してくれた。

 家に帰ったらお詫びの印に、ゴーストくんと一緒に家をピカピカに掃除しようとセレストは決めた。

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