第24話 ゾンビが怖いので抱きついてもいいですよね?
地下牢獄を探索するにあたり、アスカムからいくつか注意を受けた。
まず、ゾンビが出る。個々の戦闘力は一般人以下だが、いきなり出てくるので驚いて腰を抜かさないように。
そして、死霊は恐らく大量にいる。なにせ死霊の魔眼を持たない者たちでさえ、恐ろしい気配を感じたり、妙な影を目撃しているのだ。もしかしたら魔眼に強い負荷がかかるかもしれない。疲れたらすぐに眼帯をつけ、退却すること。
三つ目。地下牢獄は複雑に入り組んでおり、あまり深く潜ると帰り道が分からなくなる。
「なので、私が探索して作った地図の写しを差し上げます。これに書いてない場所には立ち入らないように。どんな危険が潜んでいるか分かりませんから」
なにからなにまで世話になってしまい、本当に恐縮だ。
一礼するフェリックスの横で、セレストはペコペコと何度も頭を下げた。
一度、家に帰り、地下牢獄を冒険するための準備を整える。
まずは魔法ランタン。見た目は油を燃料とする普通のランタンと同じだが、中にある小さな魔石が光を放つ。魔石を交換しなくても千時間以上も持つ優れ物だ。油を燃やすのと違って熱を出さないから、腰にぶら下げても熱くないのもポイント。
次にセレストは魔法剣を持つ。
その見た目は、刃渡り八十センチの両手持ち剣。
王女であるセレストが外国へ留学するにあたって、エイマーズ王家に代々伝わる由緒正しき宝剣が貸し与えられた――というのではなく、帝都の鍛冶師に作ってもらった、ただの鉄の剣。
これといった装飾の少ない、いかにも量産品といった印象のロングソードだ。強いて特徴を挙げれば、刀身の根元に小さな穴が空いていることである。
その穴にセレストは空の魔石をはめ込み、魔法効果を付与し、魔法剣に仕立てたのだ。
まず一年生のとき『錆防止』を付与した。手入れをサボるつもりはないが、これで剣を長持ちさせられる。青空邸に並べるナイフを作る練習でもあった。
二年生で『刃こぼれ防止』を付与した。これで別の武器と激しく打ち合っても平気な耐久性を得た。
三年生で付与したのは『切れ味
セレストの技術の成長に合わせて、この魔法剣も進化してきた。いわば、アカデミーでの学園生活を象徴する剣なのだ。
ワンピースの上から腰にベルトを巻き、その左側に魔法剣の鞘を固定する。ランタンは左側。
「ほかになにが必要でしょう? テントとか、お鍋とか……」
「地下牢獄で一夜を明かすつもりはない。セレストはそれ以上、荷物を増やさなくていい」
そして馬を借りて、地下牢獄に向かう。
セレストは乗馬の経験がない。なので手綱を握るフェリックスの後ろに、おっかなびっくり抱きついた。最初は優雅に横向きに乗ろうとしたが、ずり落ちそうで怖かったので、足とスカートを広げて普通に跨がった。ちょっと恥ずかしい。
帝都を出て森に入る。フェリックスは馬を巧みに操り、木々をすいすいと避けて進む。
やがて見えてきた丘に、洞窟の入口があった。
それが古代文明の地下牢獄だとフェリックスは言う。
古代文明というのは、その名の通り、何千年も――あるいは何万年も昔に栄えた文明のことだ。
当時の国家は全て滅び、遺跡だけが残っている。文字の解読はあまり進んでおらず、なぜ滅びたのか分かっていない。
出土する遺物を見る限り、今と同等か、それ以上の技術レベルだったと推察されている。
アスカムの地図を頼りに、洞窟を進む。
入口付近はゴツゴツした岩ばかりで、自然に作られた洞窟と変わらなかった。だが、しばらく進むと、壁や天井が規則正しい石のブロックで覆われた。ここが人の手が入った場所なのだと分かる。
あちこちに鉄格子で閉ざされた小部屋があった。鎖で繋がれた白骨死体を見たとき、セレストは「きゃっ」と短い悲鳴を上げ、フェリックスの腕にしがみついてしまった。自分の口からこんなか弱い声が出たのが意外だった。
初めて死霊を見たときだって声は出さなかったのに。フェリックスが隣にいるせいで、気が緩んでいるのかもしれない。なにせセレストが魔力を失ってからずっと、彼は頼もしかった。しかし甘えるのが習慣になってはいけない。
セレストはフェリックスの腕から体を離す。
「あの。今のは媚びを売るために悲鳴を上げたのではなく、本当につい出ちゃっただけなので。今後はこのような失態を繰り返さないよう努力するので何卒ご容赦を……」
「……なぜそこまで申し訳なさそうにするのだ?」
「だってフェリックスくん、媚びを売られるのが嫌いでしょう? 今の私はぶりっ子みたいでした。本来の私は、自分の身を自分で守れる硬派な女です」
「硬派? エイマーズ王国では、サメのぬいぐるみを抱いてないと安眠できない奴を硬派と呼ぶのか。同じ公用語を使っているはずなのだがな」
「それとこれは話が別です。普段は硬くても、状況に応じて柔軟に」
「たんに節操がないと言うのではないか? こんなに不気味な場所なのだ。驚いて声が出るのは仕方ないし、しがみつきたければそうすればいい」
「いえ。死霊が出ようとゾンビが出ようと、黙々と対応します」
セレストは如何に硬派か婚約者に教えてやるため、今日はずっと堅物でいようと決意した。
その瞬間、地中から、自分とフェリックスの間に何者かが飛び出してきた。
骸骨のように細い。しかし骨の上には灰色の薄皮が残っている。ただ眼球はなく、その部分は底なしの暗闇があった。なのにこちらが見えているらしく、腕を伸ばして掴みかかってくる。
ゾンビである。
動く死体は、動かない死体よりずっと不気味だった。
セレストは悲鳴と心臓が口から飛び出しそうになるのをグッと堪え、鞘から魔法剣を抜き、敵の脳天に振り下ろる。
ゾンビは左右に切断され、地面に横たわった。
一撃必殺である。
一昨日、本を詰め込んだ鞄にズシリと重みを感じていたのが嘘のよう。培ってきた剣技を支える力が、体に返ってきた。それは誇りを取り戻したのと同じだった。
どんなもんですか、とフェリックスに誇ろうとした、その矢先。
必殺したはずのゾンビに、両の足首を掴まれた。ゾンビは真っ二つになりながらも動きを止めなかった。
あまりの不気味さにセレストは動けない。
するとフェリックスがセレストの腕を引き、抱き寄せた。
ゾンビの腕は簡単に千切れ、セレストの足は自由になる。
続いてフェリックスの魔力が広がり、ゾンビの全身を氷漬けにする。パキンと音を奏でて氷はゾンビごと砕け散った。粉々になると、もう動けないらしい。
「あ、ありがとうございます……二つに分かれたのに動くなんて……」
「正直、俺も驚いた。さすがは古代文明の遺跡だな。なにが起きるか分からん。やはり意地を張らず、怖ければ声を出して、しがみつけばいい。俺とて声を出すかもしれん」
「そ、そうですね……ここは支え合っていきましょう……」
よくよく考えてみると、自分たちはお互い、異性として意識していない。たんに人間として尊重し合う友達なのだ。ならば媚びを売るもなにもない。悲鳴を我慢したり、硬派ぶる必要などなかった。
セレストはドロシーに甘える感覚で、フェリックスの腕に思いっきり抱きついた。
ふと、これはいくらなんでも胸を押しつけすぎかもしれないと迷いが生まれた。
恐る恐るフェリックスの顔を確認すると、いつもの氷の表情だった。
どうやら、こんなのは全く問題にしないらしい。それでこそフェリックス。本物の硬派だ。
安心したセレストは、抱きつく力を強めた。
△
もちろんフェリックスの意識の九割九分は、腕に押しつけられたセレストの胸部に集中していた。
頼られたい、という願望から「しがみつきたければそうすればいい」と気軽に言ってしまったが、こんなに思いっきり来るとは思っていなかった。
なにか狙いがあるのかと勘ぐり、セレストの顔を見下ろす。
しかし、いつも通りの眠そうな無表情があるだけだった。男女を意識しているのはフェリックスだけらしい。
ならば「胸が当たっているから離れろ」と言うわけにもいかない。言ったらこちらが意識しているとバレてしまう。
そこでフェリックスは魔法で、髪の毛ほどの氷針を無数に作り、全身にチクチク刺した。その痛みでなんとか無表情をキープ。
が。
なぜかセレストは抱きつく力を強めてきた。
これはいけない。氷針の数を増やさなければ――。
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