第19話 これでこそセレストだ

 フェリックスは、セレストと、それからサメのぬいぐるみのボブと一緒に寝転び、本日九冊目の本を読んでいた。

 貧乏な探偵が死霊の依頼を受け、殺人犯を追いつけていくというハードボイルド小説だ。読み物としては面白いが、セレストの魔力を取り戻すのに役立ちそうもない。

 今日借りてきた本はどれも不作のようだ。

 まあ、初日から事態が好転するとも思っていない。

 明日はアカデミーをサボって、図書館で新しい本を借り、ついでに古書店も巡ってみよう。今まで真面目に授業に出ていたのだ。出席回数が足りなくなる心配はない。


「ああ、そうです、フェリックスくん。アスカム先生に死霊の魔眼と聞いたとき、心当たりがありそうな反応をしてましたよね。あれ、詳しく教えてくれませんか?」


「そう大した話ではない。アカデミーでも言ったが、子供の頃に読んだ本の主人公が、死霊の魔眼の持ち主だった。その主人公は死霊を仲間にしていた。あと確か、死霊を吸収すればするほど強くなっていたな」


「へえ。何歳の頃に読んだんです?」


「……十歳くらいだったか」


「その頃のフェリックスくんは、さぞ可愛かったんでしょうね」


「お前の興味の対象は、俺が読んだ本なのか。それとも子供時代の俺なのか」


「両方です。フェリックスくんが触れてきたものにも、フェリックスくんそのものにも」


「……そうか」


 セレストが自分に興味を持ってくれている。

 それが嬉しくて、照れくさい。

 彼女はどんな表情をしているのだろうと気になって、ふと視線を向ける。

 が、セレストは真顔のまま読書していた。

 なにやら腹が立ってくる。デコピンしてやろうかと思った。

 しかし右目の眼帯が痛々しくて、その気も失せる。

 さっき死霊を見てしまってから、セレストは家の中なのに眼帯を外さなくなった。


 落ち着いているように見えて、きっと内心は怖くてたまらないはずだ。

 守らなければならない。

 フェリックスの攻撃魔法は、死霊に擦ることさえできなかった。それでも、そばにいれば恐怖からは守ってやれるはずだ。


 フェリックスはふと二年前を思い出す。

 青空邸でセレストがドロシーに言った言葉。

 ――私より弱いのは論外です。いざというとき守ってもらえないじゃないですか。

 それを聞いたフェリックスは、セレストよりも強くなって、守ってやれる男になると誓った。

 そして今、セレストは弱い。いつの間にか望んだ状況になっている。

 ならば、このままでいいのではないか?

 魔法が使えない者が王妃でも、父はそう気にしないはずだ。もしフェリックスの読みが外れ、婚約を解消しろと言ってきたら……フェリックスは未来の王という立場を捨て、セレストを連れて逃げる。

 金がなくても幸せに生きているはずだ。二人とも王族の割にはたくましいと思っている。きっと、なんとかなるだろう――。


 と、そこまで妄想し、自己嫌悪に陥った。

 自分の都合しか考えていない。

 セレストは魔法道具を作るのを、あんなにも大切にしているのに。

 第一、婚約話がなくなれば、セレストの故郷への支援もなくなる。

 それを忘れて駆け落ちを企てるなど愚の骨頂。一瞬でも憧れた自分が恥ずかしい。


「おい、セレスト。俺にデコピンをしろ。なんならビンタでもいい」


「え!? 急になにを言い出すんですか……ある意味、死霊より怖いんですが……」


「深い意味はない。気合いを入れるためだ」


「はあ……ではデコピンです。えいっ」


 細い指が、額にペシッとぶつかった。まるで痛くない。


「そんなので気合いが入るか。もっと痛くしろ」


「いや、だから怖いですって。フェリックスくん、本の読み過ぎで疲れてるのでは? かく言う私は、もう眠気の限界です……そんなわけで、おやすみなさい」


 セレストは読みかけの本に栞を挟み、大きなアクビをしてからサメのぬいぐるみを抱きしめた。


「そうか。おやすみ」


「フェリックスくんも、そろそろ寝たほうがいいですよ。夜更かしはお肌の天敵だとドロシーが言ってました」


「お肌はどうでもいいが、もう少し読んだら俺も寝る」


 そしてフェリックスは十冊目を手に取った。

 セレストの寝息が耳に心地よい。読書が進みそうだ。


(ん? この本は)


 十冊目は小説だった。

 ある日、死霊の魔眼を宿してしまった少年が主人公。彼は鍛えた魔力を全て失ってしまう。霊が見えるせいで両親からも友達からも迫害され、村を追い出される。


「子供の頃に読んだのはこれか……」


 フェリックスは懐かしくなった。

 それにしても、この小説の作者は、なぜ死霊の魔眼というマイナーなものを題材にしたのだろうか。冒険小説の主人公なら、もっと派手な能力を与えればいいのに。

 目次を見ると、巻末に解説が載っているらしい。十歳のときは本文にしか興味がなく、解説など無視していた気がする。

 先にそちらを読むためページをめくった。


 解説いわく。

 この小説は五百年ほど前に書かれたもので、作者はこれを自分の体験談だと言って発表したらしい。しかし死霊の魔眼とは、死霊が見えるだけ。この小説に書かれているような多彩な能力はないというのが魔法ギルドの公式見解である。よって、この原稿は実話ではなく創作であり、体験談ではなく小説。読者はあくまでフィクションとして楽しむべきである――。


(なるほどな。では懐かしの小説を楽しむとするか)


 元のページに戻り、物語を読み進める。


 夜。眠ろうとした主人公の周りに、死霊たちが集まってきた。

 毎夜毎夜、自分を取り囲むその気配で眠れない。

 主人公は死霊を手で振り払おうともがく。しかし見えているのに触れるのは無理だった。

 頭がおかしくなりそうだ。

 頼むから消えてくれという思いが強くなっていく。

 ある日、殺意さえ込めて「消えろ!」と叫び、主人公は死霊を殴った。

 瞬間、死霊は本当に消えた。いや、主人公の手に吸い込まれたのだ。

 そして主人公は、魔力がわずかに戻ってきているのを感じ取った。


「ん……う、ん……」


 セレストが身じろぎし、ゆっくりと体を起こした。


「済まない。起こしてしまったか?」


「いえ……フェリックスくんのせいではなく……死霊の気配がするんです……」


 そう不機嫌そうに呟いて、眼帯を外す。

 部屋の一点を睨んだ。睡眠を妨害されたせいか、殺意がこもっていそうな目だった。


「腹が立ってきました。なんで私が、あんな黒いモヤモヤに怯えなきゃいけないんですか」


 セレストはベッドから這い出し、スタスタと頭を揺らさずに歩く。


「消えてください!」


 黒く艶やかな髪と、白いネグリジェのスカートが優雅に舞う。

 まるでダンスホールで見事な踊りを披露する淑女のようだ。

 だがセレストが披露したのは見事なストレートパンチだった。腰の回転も、足の踏み込みも、実に完璧だった。

 きっと死霊を殴ろうとしたのだろう。しかし殴れるわけがない。死霊には触れられない。フェリックスの氷魔法も素通りしたのだ。

 小説の主人公のように、手から吸収し、自分の魔力にするなんて、そんなことは現実には起こらない。そのはずなのだが。


「え! 本当に消えました……いえ、消えたというか、私の手に吸い込まれた……? なんだか魔力が戻ってきたような気がします!」


 フェリックスはこれまでの人生で、最大級に唖然とした。

 同時に、これでこそセレストだ、と奇妙に納得した。

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