第18話 死霊を見てしまいました

 セレストとフェリックスは帝国図書館で、合わせて二十冊借りた。本当は魔眼に少しでも関係ありそうな本は全て持ち帰りたかった。しかし一人十冊までというルールがあったし、実際それ以上は持ち帰るのが大変だ。


 内容は、最初からフィクションと銘打っている本。魔法書として出版されたが魔法師ギルドから『間違いだらけ』と追及された本。魔法師でない者が憶測で書いた魔眼の本――などなど。


 教科書や筆記用具を入れる鞄に、それらの本を詰め込んだ。鞄はパンパンになったが、なんとか本を傷めずに収納できた。

 ところが鞄を肩にかけた瞬間、セレストはずしりとした重さを味わって面食らう。

 たかが本十冊である。

 しかし魔力を失い、身体強化魔法を使えなくなったセレストは、それだけのことで体が傾きそうな負荷を感じた。


「貸せ。俺が持つ」


 フェリックスはセレストの返答を待たずに鞄を取り上げ、二人分を運び始めた。


「面目ないです。魔力がないと、私はこんなに非力なんですね……」


「そう、だな。俺も驚いている。気をつけろ。もし男に乱暴でもされたら……」


「それは大丈夫でしょう。こんな黒髪陰気になにかしたがる男性はいません。万が一、そんな物好きな人が現われても、フェリックスくんが守ってくれると信じています」


「そうか。では俺のそばを離れるなよ」


「はい」


「あと……黒髪とか陰気とか、あまり口にするな。少なくとも俺は、お前と一緒にいて気にならない。むしろセレストがことあるごとに自分の容姿を貶めるのが嫌だ」


「……はい!」


 セレストの容姿が気にならないと言ってくれたのは、ドロシーに続いて二人目だ。

 フェリックスの言葉が嬉しくて、頼もしくて、セレストは不謹慎と思いつつ、心を躍らせながら並んで歩いた。


「ところでセレスト。ドロシー嬢に、魔眼のことを教えなくていいのか? 家族同然の友達なのだろう?」


「……教えても心配させてしまうだけです。しばらく黙っています。この件が解決するか、もう解決できないと確定するか……ハッキリしてから報告します」


「そうか。そのほうがいいかもしれんな」


 ドロシーは魔法アカデミーの卒業生で、かなり強い魔法師だ。しかし研究者ではなかった。アスカム以上の知識を有していない。

 いたずらに心配をかけるより、今は問題解決に全力をそそぐべきだ。


 家に着いたセレストは、真っ先に風呂に湯を貼った。

 読書するときは、完全にリラックスした状態で、ほかのなににも縛られたくない。特に今は、大量の本を一気に読まねばならないのだ。コンディションを万全に整える。

 風呂から上がり、ふわふわのネグリジェに着替え、リビングに行く。


 すでにフェリックスは部屋着になって、読書をスタートしていた。

 その隣に座り、セレストも借りてきた本を読む。ひたすら読む。


 一冊目は、歴史に名を残した魔眼使いについての本だった。魅了の魔眼で周りの者を支配し、国を興した王がいた。しかし、その後継者は魔眼を受け継いでおらず、国はすぐに崩壊したらしい。

 二冊目は、魔眼の模様が刻まれたコンタクトのカタログだ。魔眼使いごっこができる。格好いい。だが今のセレストは、むしろ無地のコンタクトで魔眼を隠したい。いや、目にレンズを入れるのは怖いので、やはり眼帯のほうがいい。

 三冊目は、死霊のお祓いの仕方。肩こりが酷かったり、なかなか寝付けないのは、死霊に取り憑かれている可能性がある。そんなときは塩を撒くと死霊が逃げていくのだとか。塩の産地によって効き目に違いがあるらしい。なぜか味の違いも書いてあった。


「いくら読んでも、よさげな本に当たりませんね……」


「帝国図書館は一般向けの図書館だからな。まともな魔法書とふざけた本が混じって同じ棚にあっても仕方ない。司書の知識が追いつかんのだ」


 そう言いながらも、フェリックスは視線を動かさない。本を持つ手も、ページをめくる指も優雅だ。

 横顔は相変わらず綺麗で、理知的で、いくら眺めて飽きない――。

 と、芸術鑑賞をしている場合ではなかった。これら役に立ちそうにない本の中から、役に立ちそうな情報を見つけないと。

 集中力を高めるため、オルゴールのフタを開ける。

 七冊目を読み終わった。

 気がついたら外がかなり暗くなっている。

 フェリックスは立ち上がり、天井から垂れる紐を引っ張る。明かりが灯った。


「気分転換だ。風呂に入ってくる」


「どうぞ、どうぞ」


 セレストは広くなったソファーに寝転び、読書を続ける。

 ふと、なにかが動く気配を感じ取った。

 フェリックスが戻ってきたのかと思い、体を起こして部屋を見渡す。

 ところが部屋にいたのはフェリックスではなく、そして、人間でさえなかった。


 得体の知れない、黒い物体。

 大きさは人間の胴体ほど。手足はなく、ただの丸い塊だ。

 輪郭線がハッキリせず、もやもやと蠢いている。

 ただ顔だけはあった。真っ赤な二つの瞳が爛々と輝いている。

 怒っているのか、悲しんでいるのか、なにも読み取れない顔。

 その物体は宙に浮いて、部屋を無規則に漂った。


 なにか違和感がある。いや、こんな物体がいきなり部屋に現われた時点であり得ないのだが、そうではなく、あるべきものがないような……。


「そうか……影がないんですね……」


 天井から明かりが広がっているのに、その物体の影は床に落ちていない。

 そこにいるのに、いないのだ。


「上がったぞ。お前も入り直すか? ……セレスト?」


 フェリックスはセレストの様子がおかしいと気づき、急いで隣に来てくれた。


「どうした。なにがあった」


「あった、というか……今そこに、黒いものが浮かんでいるのですが……見えますか?」


 セレストは部屋の角を指さす。


「いや。俺にはなにも見えん」


「そうですか……じゃあ、あれが死霊なんですね……」


 セレストは自分の声が震えているのに気づく。

 死者の霊が見えるなんて怖い。想像はしていた。実物を前にすると、想像以上だった。


「あの場所にいるんだな。ならば」


 フェリックスはセレストが指さした先に、氷の矢を三連射した。そのうち一発が黒い物体の真ん中を射貫く。が、すり抜けてしまい、ほかの二本と同じく壁に突き刺さった。


「駄目です……命中したのに、素通りしました」


「ちっ。無駄に家を傷つけただけか」


 しかし、やがて恐怖は去った。

 黒い物体が、壁に吸い込まれるように消えてしまったのだ。


「もう大丈夫です……どこかに行っちゃいました……」


 安心して気が抜けたセレストは、フェリックスの肩に寄りかかる。それにより自分が今までどれだけ体を強ばらせていたかも自覚した。


「ん? どうして私と入れ違いにフェリックスくんが硬くなってるんですか? 死霊はもういませんよ?」


「別に硬くなってなどいない。お前の気のせいだ。続きは寝室で読むぞ。この部屋は縁起が悪い」


「ちょっと待ってください」


 セレストは台所から塩を持ってきて部屋に撒いた。死霊が消えた場所は特に念入りに。


「なぜ突然、砂糖を……俺がさっき読んだ本に、死霊の魔眼の持ち主は恐怖で精神を病むことが多いと書いてあった……セレストに限ってそれはないと思っていたが……まさか……」


「あ! これは違うんです! 私が読んだ本に、塩は死霊避けになると書いてあったので……別に頭が変になったわけじゃないので……って、これ砂糖ですか!?」

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