第17話 まだ絶望はしません

 アスカムの研究室は何千冊もの、あるいは万を超える本が並ぶ場所だった。

 ところが所有者の生真面目さを反映し、床に積まれた本は一冊もない。全て綺麗に本棚に収まっていた。


「まずは二人とも座ってください。結構。では質問です。さっき言っていた、魔法道具を作るのに失敗して右目に魔力が残留したというのは嘘ですね」


 向かい側に座ったアスカムは、静かに質問を放ってきた。


「はい。本当は……魔眼が宿ってしまったんです。騒ぎにしたくないので眼帯で隠して……それで先生に相談しようと思って……」


「隠したのは正解ですね。あなたたち二人はただでさえ話題を集めやすい。婚約発表の直後でもありますし。それでは右目を見せてください」


 ここまで来た以上、ためらっても意味がない。セレストは眼帯を外した。


「失礼」


 アスカムは虫眼鏡を手に取り、セレストの右目をジッと見つめる。

 そして、かたわらにあった本を開き、そのページに書いてある魔法陣を指でトンと叩く。


「間違いありません。これです。セレストくんに宿ったのは『死霊の魔眼』です」


「死霊の魔眼……?」


 セレストにとって聞き覚えのない単語だった。

 だが、隣のフェリックスは顎に手を当て、なにか考え込んでいる。心当たりがあるのだろうか。


「知らないのも無理ありません。魔眼の中でも特に珍しいもので、前に確認されてから百年も経っています」


「どういう能力を持つのでしょうか?」


「その名前の通り、死者の霊が見えます」


 そんなのが見えたら怖くてたまらない。使い道がない魔眼があるのは知っているが、これは本当に役に立たなそうだ。


「アスカム先生。死霊の魔眼は、霊を観測し、操る力を持っているのでは?」


 今度はフェリックスが尋ねる。


「いいえ。できたら素晴らしいでしょうが、そういった事例を私は知りません」


「そうですか。子供の頃、そういう本を読んだ記憶があったんだが……」


「人の記憶は曖昧ですからね。子供の頃に読んだなら、それは絵本なのでは? お化けと友達になる絵本などがあったのでしょう」


 アスカムはそう結論づけ、更に話を続ける。


「セレストくんには辛い話でしょうが……過去、死霊の魔眼を宿した者は、魔力を完全に失っています。例外を私は知りません」


「……それは一時的にではなく? 私の今の状態は、ずっと続くのでしょうか……?」


「『死霊を見る』というのは、生と死の境界線を越える行いです。それには途方もない力を必要とします。セレストくんの魔力は全て、死霊の魔眼に吸われているのです。残念ながら、君はもう魔法を使えません。属性変換だけでなく、単純な身体強化も。物体を粉にするのも。魔石に魔力を注ぐのも。どんな初歩的な魔法も使えません。なのでアカデミーを卒業するのは難しいでしょう……ここまで来たら、卒業させてあげたいのですが……留年したところで魔力がなければ、どうにもなりません。自主退学も視野に入れたほうがいいでしょう」


 教師に改めてそう宣告されると、目眩がしてきた。

 だが、まだ絶望しない。

 アスカムは尊敬できる教師だが、魔法の全てを熟知しているのではない。どんなに偉大な魔法師でも、それはあり得ない。もし『魔法の全てを知った』と語っている奴がいたら、救いがたい自信過剰か、詐欺師の類いだ。


「待ってください、アスカム先生。セレストは真面目に出席している。筆記は前回を除いて、ずっと一位だ。トーナメントの優勝常連でもある。そして魔法道具作成においては、在学中から自分の店を持ち、立派に経営している。そんな模範的な生徒に退学を勧めるのか?」


「フェリックスくん。私は別に意地悪で言っているのではありません。確かにセレストくんは優秀です。私が知る中で一番かもしれない。ですがどんなに優秀でも、過去形になっては意味がないのです。卒業の資格を与えるには、その時点でそれに相応しい知識と実力を備えていると、アカデミーに納得させる必要があります。魔法を全く使えない生徒を卒業させてしまったら、アカデミーの信用に関わりますからね」


 どこかの研究機関や、国の宮廷魔法師に志願するとき、帝都の魔法アカデミーの卒業証書を見せれば、かなり有利になる。

 だが、今のセレストのような者を卒業させては、その信用にほころびが生じる。


「一つだけ、魔力を取り戻す方法があります。それは死霊の魔眼を手術で摘出することです。もしセレストくんが魔法の道に一生を捧げると決めているなら、そういう選択肢もあります。ですが言うまでもなく、髪や爪と違い、失った目は元に戻りません」


 目を摘出する。

 魔力を取り戻せるならなんでもするという覚悟だったが、片目を失うとなれば覚悟が揺らいでしまう。


 どうせもともと陰気な顔だから、更に酷くなっても大差ないと他人は思うかもしれない。それでも顔にぽっかり穴が空いてる自分を想像するのは恐ろしい。

 魔力があれば、魔法道具作成はできるだろう。

 だが視界の半分が消えるのは痛手だ。遠近感も掴みにくくなる。


 次のトーナメントで、フェリックスとちゃんと戦ってあげられない。

 それは『セレスト打倒』のために努力している彼に対し、とても罪深い行いに思えた。

 しかし右目を摘出せねば、勝敗以前に、魔法師でいることさえできない――。

 セレストは右目を押さえ込む。

 答えが出ない。


「……アスカム先生。あなたは豊富な魔法の知識を持っている。だが全てを知っているわけではない」


「無論です。全てを知る者など存在ません。おそらく神でさえ」


「ならば、セレストの右目を残したまま、魔力を取り戻す方法があるかもしれない」


「何事も可能性はゼロではなりません。ですが、卒業までに見つかるでしょうか?」


「だからといって、今から焦って自主退学したり、右目を抉る必要もない」


「確かに、これは一生ものの選択です。焦る必要はありません。ですが私は雇われた者として、セレストくんの魔眼をアカデミーに報告しなければなりません。魔力がないのは、授業中に多くの生徒に目撃されました。隠すのは不可能です。いずれセレストくんは、在学の資格なしと判断され、強制退学になるでしょう」


「いずれ、とは?」


「さて……こればかりはなんとも。卒業判定をするときか、その前か……」


「せめて、二ヶ月後のトーナメントまでは待って欲しい。そこでセレストが今まで通りの実力を発揮すれば、誰も文句を言わないはずだ。アスカム先生、お願いします。猶予を作ってください」


 そう言ってフェリックスは頭を下げた。

 セレストは驚いた。彼が人に頭を下げる姿を想像したことがなかった。しかも他人のために……セレストのために。

 慌ててセレストもフェリックスに倣う。


「二人とも、頭を上げてください。分かりました。なんとか時間を稼ぎましょう。私にもそこそこ発言力がありますからね。保証はできませんが、頑張ってみます」


「あ、ありがとうございます……!」


 自分のために動いてくれる教師がいる。それが嬉しくて、セレストは声をつい声を裏返らせてしまった。

 フェリックスも「ありがとうございます」と静かに呟く。


「礼には及びません。優秀な生徒にはしっかり卒業してもらい、このアカデミーの名声を高めて欲しいですから。ところで調べものをするなら、アカデミーの図書室ではなく、帝国図書館をオススメします」


「それはなぜでしょうか?」


 セレストは質問する。


「アカデミーの図書室も、私の研究室も、並んでいるのは学術的に正しいとされる魔法書ばかりです。そして『死霊の魔眼を宿したまま魔法を使う』というのは、今の魔法師の世界では不可能とされています。二人が求める知識はアカデミーからは発掘できないでしょう。私たち魔法師が与太話だと切って捨てた本の中にヒントがあるかもしれません。諦めてはいけませんよ。どんな分野でも、常識とされていたものが間違いだと判明し、理論が覆るのは珍しくありません。アカデミーにある本は私が調べるので、二人は別な角度からアプローチすべきと思います」


「アスカム先生……本当になにからなにまでありがとうございます。もし私が将来、有名な魔法師になったら、一番の恩師はアスカム先生だと宣伝しておきます」


「それはいい。そうしたら、私が書いた魔法書がベストセラーになって、老後が楽になりますね。では、私の老後のために頑張ってください」


 生真面目なだけの教師だと思っていた。だが実際は、こんなにも生徒に優しい人だった。

 セレストとフェリックスは改めて頭を下げてから、研究室を後にした。


「これほど尊敬できる教師なら、初めからそう言えばいいのだ。卒業間近になってからバラされては、なにか損をした気分だ」


 廊下を歩きながら、フェリックスは妙なことで立腹していた。


「フェリックスくんは素直なのかへそ曲がりなのか、分からない人ですね」


「……笑ったな」


「え。私、笑ってました? あの、馬鹿にしたんじゃないですよ……?」


「分かっている。セレストに笑う余裕ができて安心した。アスカム先生に相談したおかげだな」


「それもありますけど。フェリックスくんがずっと隣にいてくれたから、私はこんなに安心できたんですよ。ありがとうございます」


「……やはり、お前の笑顔は悪くない」


「また笑ってました? 自覚はないのですが……」


「自覚して笑ったら、ただの作り笑いだ。俺は媚びを売られても喜ばない。お前は天然のままでいろ」


 天然だという自覚もまるでないのだが。

 しかしフェリックスに、なにか一つでも気に入ってもらえた。それは想像以上に嬉しかった。

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