第13話 オルゴールをまだ使ってくれていました
セレストは心地よい目覚めを味わった。
なにせボブが腕の中にいる。
いつもと変わらない感触は、朝に平穏をもたらしてくれる。
何分かまどろんでから、セレストはボブを抱いたまま、上半身を起こそうとした。
が、ボブが妙に重く、動かせない。
なぜだろうと思い、自分だけ起き上がって観察すると、一目で答えが分かった。
フェリックスもボブを抱きしめていたのだ。
これでは彼ごと持ち上げないと、ボブは動かない。
「フェリックスくんの寝顔……初めて見ましたが……なんと可愛らしい……まだ起きないみたいですね。少しだけ失礼して……ちょんちょん」
セレストは婚約者の頬に、指先でそっと触れてみた。昨日、触った胸板は硬かったが、こちらは柔らかい。ずっとムニムニしたくなる。
「ん……なんだ……?」
調子に乗って突いたり摘まんだりしていたら、フェリックスが目を開けた。慌てて手を引っ込める。
「おはようございます、フェリックスくん。心地のいい朝ですよ」
「おはよう……お前は朝から元気だな」
フェリックスは眠たげに呟きながら、ボブを抱いたまま起き上がった。
氷の彫像のように美しい男が、寝間着姿でサメのぬいぐるみを抱いている。とてもシュールで愛らしい光景だった。
「ボブのこと、気に入ったんですか?」
「なんのことだ……あ、いや、これは……別に気に入ったから抱いているのではない。顔を埋められるなら、なんでもよかったのだ」
「はあ……なぜ顔を埋める必要が?」
「そういう気分の日がある。こいつは返す。サメとて、俺のような男に抱かれるより、若い女を好むだろう」
「そんなことはありません。フェリックスくんほどの美人なら、ボブだって大歓迎のはずです。ほら『男でも構わず食っちまうぜー』とボブがい言っています」
セレストはボブのヒレを掴み、上下にピコピコ動かした。
「俺はサメに食われる趣味はない」
フェリックスはボブをセレストの膝の上に乗せ、寝室を出て行った。
「かわいそうなボブ。都合よく一晩だけ抱かれ、捨てられてしまいましたね……」
セレストは哀れなサメのお腹を撫で回す。
せめて人間のいないところでリラックスして欲しいという願いを込め、ボブに布団を掛けた。
そして自室で着替える。その最中、右目が一瞬ズキリと痛んだ。
「?」
本当に一瞬だったので、セレストは目にゴミでも入ったのだと思い、気にとめなかった。階段を下りる頃には、すっかり忘れていた。
リビングに行くと、すでにフェリックスは着替えどころか、二人分のパンとホットコーヒーを準備し、新聞を読んでいた。
「ありがとうございます。明日は私が準備しますね。さすがの私も、そのくらいはできますから」
「そうか。なら頼む。それよりも……この記事を読んでみろ」
フェリックスは新聞の、とある小さな記事を指さした。
なんと、セレストとフェリックスの婚約について書かれていた。
「こんなのも記事になるんですね」
「俺たちは小国とはいえ王子と王女だからな。記事になっても不思議ではない。情報を流したのは父上だろうが」
「明日、アカデミーに行ったら噂されるでしょうね。まあ、無視すればいいんですけど」
「ああ。どうせ連中に、俺たちに直接話しかける勇気などないのだ」
つまり、今までとなにも変わらない。堂々としていれば、そのうち卒業だ。
むしろセレストとしては、卒業してからどうするかを考えてしまう。まだ青空邸を続けたいので、何年かは帝都にとどまりたかった。
ベイレフォルト国王は、どのタイミングでセレストの父を退位させるつもりなのだろう。
いつかその辺りを、しっかり話し合わないといけない。
朝食後、セレストは仕事に取りかかった。
今日はアミュレットを作る。素体となるアクセサリーは、宝石店に用意してもらった。銀細工のペンダントや指輪、イヤリングに髪飾り、ブレスレットなど。
ピアスはない。
店に並べる商品は、自分が欲しくなるものに限る。そしてセレストは皮膚に穴を空けるのが怖いので、ピアスをしないのだ。
リビングのテーブルに、アクセサリーを並べていく。
どれも小さな宝石がついている。
高価なものではない。
虫眼鏡でよく見れば傷が付いていたり、不純物が混じっていたりする。
宝石としては粗悪品で、むしろ土台となる銀細工のほうが高かった。
しかし日常的に身につけるには十分綺麗だ。
魔石ほどではないが、宝石はどれも魔力をため込む性質を持っている。
ポーションなどは一年もすれば魔力が抜けてしまい、効果が落ちてしまう。が、宝石は付与した魔法効果が、かなり長い間残る。
例えば、青空邸でいつも扱っている厄除けのアミュレットは、何百年も効果を発揮し続ける。もっと強力な、呪いを弾くなどの効果を付与すると、耐用年数は数年に落ちてしまう。それでも安い宝石が数年も保つのだ。
ただの厄除けのアミュレットに高価で希少な魔石を使い、客に高額を請求する店もある。だが、よほど強力な効果を求めない限り安い宝石で十分、というのがセレストの持論である。
「フェリックスくん。今日も私の作業を見物するんですか?」
「いや……俺には俺でやることがある。見物は少しだけにしよう」
「本当に物好きですね。こんな地味な作業、なにが面白いのやら」
セレストは指輪を両手で包み、胸の前に持っていき、目を閉じて祈る。
これを使う人に降りかかる悪運を少しでも減らす。そう願いを込めて、魔力を流す。
素材そのものが効能を持っているポーションと違い、真っさらな宝石に魔法効果を刻むのは、かなり神経を使う。
やっと一つ終わった。時計の針は十数分も進んでいた。
たかが十数分。しかし、その間、極度の緊張と集中を持続させるのは、とても疲れる。
セレストは全力疾走したような疲労感に包まれ、ソファーに体重を預けた。
「大変そうだな」
「それなりに。けれど仕事なので。ところでフェリックスくんは、そこに立ったまま、ずっと私を見ていたんですか? 飽きません?」
「セレスト。お前は、自分がアイテムに魔力を流している姿を見たことはあるか?」
「ありません。目をつぶっていますし。集中しているので、鏡なんて見る余裕ありませんよ」
「では知らなくて当然だな。飽きないぞ」
「はあ……そんなに面白い顔なんですか。あまりジロジロ見ないでください。表情からは読み取れないかもしれませんが、私にだって羞恥心はあるんです」
「そう言われても、見とれてしまうのだから仕方ないだろう」
「仕方なくはありません。見物の許可はここまでです。フェリックスくんもやることがあるんでしょう?」
「そうだな。お前の集中力を削ぐのは本意ではない。このくらいにするか」
そう言ってフェリックスは、セレストの向かい側のソファーに座った。
「あの。そこだと、ふとした拍子に目が合って、やはり気が散るんですが」
「注文の多い奴め」
フェリックスは隣に移動してきた。
これなら目が合う心配はないと安堵し、セレストは作業に戻ろうとした。だが、隣だと息づかいなどの微妙な気配が伝わってきて、これはこれで気が散る。
せっかく移動してもらったのに、別のどこかに行けとも言いにくい。
セレストは「これも集中力を高める練習です」と割り切ると決めた。
それにしても、なぜ自分はこんなにもフェリックスを意識しているのか。
一緒に暮らして、思ったよりも優しい人だと分かり、懐いてしまったのかもしれない。
もし自分に尻尾があったら、無意識にパタパタ振って、フェリックスにからかわれたことだろう。
犬じゃなくてよかった、とセレストは胸を撫で下ろした。
二つ目のアーティファクトに取りかかる。
作り終わった瞬間、隣から冷気が伝わってきた。いや、冷気はずっとあったのだが、作業に集中していたので気にならなかったのだ。
見れば、フェリックスの手のひらの上に、小さな氷が浮いていた。
球体だったそれはパリンと砕け、粉々になり、再結合して今度は円柱の形になった。四角くなったり、星形になったり、氷はめまぐるしく姿を変えた。
高い魔力制御の技術と、氷属性への魔力変換適性を持っている証明である。
「私もそうやって魔力をなにかの属性にして飛ばしてみたいです」
「お前のことだ。人を羨む前に、かなりの努力をしたのだろうな」
「それはもう。しかし駄目でした。魔力そのものは低くないのですが。どうしても無属性のままでしか扱えないんです」
「そうか……どの分野でも向き不向きがあるからな。魔法は特にそれが顕著だ。なにをどう頑張っても伸び悩む者がいる一方、それほど努力していないのに突然才能が開花する者もいる。セレストもある日突然、属性変換ができるようになるかもしれん」
「慰めてくれてありがとうございます。では天才になる日を待ちながら、目の前の課題に取り組むとしましょう」
セレストはアミュレット作成を、フェリックスは魔法の練習を、それぞれ続ける。
一時間ほど経った頃、セレストは作業を中断した。
「うーん……今日はいつもより疲れるのが早いです。特に右目がしょぼしょぼします……」
「目を擦るな。傷がつくぞ。疲れたなら休め。そこで待っていろ。いいものを持ってくる」
フェリックスは立ち上がり、そして小箱を持ってきた。
テーブルに置いてフタを開けると、静かな曲が流れ、疲れたセレストの体を包み込んだ。
「これ……フェリックスくんが初めて来店したときに買ってくれたオルゴールじゃないですか。まだ持っていてくれたんですね」
「捨てるわけがない。リラックスできるという効果に、嘘偽りはなかった」
「気に入ってくれたのに、なぜあれから店に来てくれなかったんですか?」
「……これを買ったとき、次の筆記テストでセレストに勝つと誓った。だが勝てなかった。次の次も。あの店に行くのは勝ってからにしたかった」
「そ、そんな理由で……負けず嫌いにもほどがあります」
「悪いか?」
「悪くはないです。子供っぽくて可愛いと思います」
「……別に可愛くはないだろう」
フェリックスは拗ねたように目をそらした。やはり可愛い。
冷徹王子にこんな一面があると知っているのは、アカデミーでは自分だけだろう。そう思うとセレストの中に、奇妙な優越感が湧き出てきた。
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