第12話 夕食は婚約者様が作ってくれました

「そろそろ夕食の支度をするか」


 セレストの作業が終わる頃、フェリックスがそう呟いた。

 それで初めてセレストは、外がすっかり夕焼けに包まれていると気づいた。作業をしていると時間を忘れてしまう。いつの間にか今日という日が終わりつつある。


「もしかしてフェリックスくんが作るんですか?」


 今日の朝食は青空邸に向かう途中、パンを買って広場のベンチで食べた。

 昼食は青空邸の帰りに見つけた食堂でとった。

 だから夕食も外で食べるものだと思い込んでいたのだが。


「帝都に来てからずっと一人暮らしだ。簡単な自炊ならできる。なんだ、疑っているのか?」


「はい。疑っています。あの冷徹王子が自炊……そんな偉そうな顔してるのに料理するんですか? え、本当に?」


「出会ってから一番失礼なセリフだな。婚約を破棄したくなってきた」


「そ、それはご勘弁を……申し訳ありませんでした。ビンタさせてあげるので許してください。ほかに私が差し出せるものがあれば、なんでも差し上げます」


 婚約破棄されたら、祖国の食糧危機も財政破綻も決定的なものになってしまう。

 セレストは本気で焦り、あたふたと手を動かした。


「若い女性が、そう簡単に『なんでも差し上げる』と言うな。婚約破棄は冗談だ。そこまで狼狽されるとは思わなかった。逆に申し訳なくなる。だが、そうだな。詫びをしたいなら、俺の料理を食え」


 フェリックスはいつもの凍てついた表情で睨んでくる。

 いや、いつも以上に凍てついていた。

 自炊能力を疑われたのが、かなり気にくわないらしい。

 逆らうと婚約破棄までいかないにしても、なにをされるか分からない。セレストは頷くことにした。


「あの、ちなみにメニューは?」


「カレーだ。市販のカレー粉を使うから失敗はまずない。安心したか?」


「カレー粉を使う以外に、カレーを作る方法ってあるんですか?」


「……いいか、セレスト。カレーというのはだな」


 カレーとは、インダラという国が発祥。複数の香辛料を使って味付けする料理で、その調合によってまるで別の味になる。誰でも安定して美味しいカレーを作れるよう、食品メーカーがカレー粉を製造し販売するようになった――という歴史を語られてしまった。


「ははあ、なるほど。私はてっきり、鍋に水とカレー粉と肉と野菜を入れて沸騰させたものがカレーだと思っていました」


「目眩がするほど大雑把だな。ポーションを作るときの繊細さはどこにやった」


「別にどこかにやったつもりはありませんが……」


「そうか……いや、いいんだ。お前が料理できないのは意外でもなんでもないからな。黙って座っていろ。作るのは俺だ」


 出会ってから一番失礼なセリフだった。

 セレストはなにか言い返してやろうと思った。だが料理の成功体験といえば、レタスを千切って皿に載せたくらいしかない。それさえもドロシーに「大雑把ですねぇ」と言われた。

 失敗体験なら山ほどある。切れ味を強化したナイフの試し切りで、大根とまな板をまとめて両断した。スープを煮込んでいる途中に考え事をし、水分を蒸発させた上に鍋に穴をあけた。肉を焼くときに裏返すという概念を忘れ、片側だけ黒焦げでもう片方が生のままというステーキのなり損ないを作った。

 あまり料理のセンスはないらしい。

 ドロシーからは「お願いなので私がいないときに台所に立たないでください。あの、本当に。冗談抜きで」と厳命されている。何事にも動じないドロシーが珍しく真顔で言っていた。いわく、料理の話というより、生き死にの話であるらしい。

 大げさな、と言いたかったが、自分がしでかしたことを思い返すと、黙るよりほかにない。


 こと料理に関して、セレストは誇れるものが一つもなかった。

 優位に立つには、フェリックスにセレストよりも絶望的な料理を作ってもらうしかない。


「いいでしょう。フェリックスくんのカレーを、味わってあげようではありませんか。ですがもし黒焦げになったり鍋に穴が空いたりしたら『ふふん』と鼻で笑ってあげます」


「よほど緊急の用事で台所を離れない限り、鍋に穴を空けるなどありえんだろう」


 そう断言された。

 あまりにもフェリックスが自信満々に言うので、セレスト以外の全人類がそうなのだと信じそうになった。


 台所に移動し、調理するフェリックスの姿を見物する。

 彼はジャガイモ、タマネギ、ニンジンを棚から出した。どれもポーションの材料になるような品種ではなく、一般的な市場で売られているものだ。


 トントントン、と包丁がまな板を叩く音がする。

 見事な手際だった。どうやら絶望的なカレーが完成する余地はないらしい。この時点で、料理人としてのセレストの敗北は決定した。

 だからこそ、少しはいいところを見せたいという欲が生まれた。悪あがきと言い換えてもいい。


「フェリックスくん。ジャガイモの皮むきくらいは私にもできます。任せてください」


 すると疑わしげな眼差しを向けられた。

 セレストは信頼を得るため、自信満々な顔を作り、再度「お任せください」と言って胸をドンと叩く。


「……分かった。ジャガイモは任せよう」


「承知しました。では準備するので、しばしお待ちを」


「なんの準備だ。必要なものは全て揃っているぞ」


「いえ。包丁を上手に扱う自信がないので……自前のを持ってきます」


 セレストは二階の自室に走り、魔法剣を担いで台所に戻った。

 そしてジャガイモを宙に放り投げると同時に、鞘から抜剣。

 刃を煌めかせる。

 培った剣技により、ジャガイモの皮はゴミ箱に。ジャガイモ本体はボールの上に落ちていく。


「ふふん。どうですか?」


「どうもこうもない。やはり、お前は黙って座っていろ」


「な、なぜですか……? 私の剣技はエイマーズ王国騎士団長から直伝された、由緒正しきもの。間違ってフェリックスくんや家具を斬ったりしません。ジャガイモの皮だってちゃんと綺麗にむけています」


 セレストに攻撃魔法の適性がないのは、幼い頃に判明していた。だが魔力で身体能力を強化したり、皮膚を頑丈にするといった芸当はできる。

 そこで国一番の剣豪である騎士団長に手ほどきを受けた。

 今やセレストは、十回に一度くらいなら騎士団長に勝てるほどの剣士になっている。


「そういう問題ではない。横でそんな巨大な剣を振り回されると、激しく気が散る。それと自分の婚約者が、包丁を扱えないから剣でジャガイモの皮むきをする奴かと思うと……悲しくなってくるのだ」


 セレストは別にフェリックスを悲しい気持ちにしたいのではない。

 そしてジャガイモの皮をむく自分の動きが大げさを極めているのも自覚していた。

 包丁をわずかに動かせば済むのに、なにゆえに全身を使い、ワイバーンを迎撃するが如き動作をしているのか。だんだん自分でも分からなくなってきた。


 一言でも反論すると自分の株を下げるだけと思ったセレストは、無言で剣を鞘に収める。

そしてカレーの完成を待ちながら、台所を観察した。


 フェリックスが大きな箱から生肉を取り出した。あれは冷蔵庫だ。魔石の力で冷気を作り、内部を低温に保つ魔法道具だ。冷たすぎると凍っていまうし、温かいと食品が傷んでしまう。一番重要なのは、効果を長持ちさせること。前触れなく魔石の力が消え、中身が全て腐りました――では怖くて使えない。

 セレストの技術では、まだ冷蔵庫を作れない。せっかくお手本が身近にあるのだ。存分に観察して参考にしよう。


 それからコンロ。これも作るのが難しい。冷蔵庫と同じく魔石を動力としている。火力が強すぎると壁や天井が焦げるし、弱いとロウソクの代わりにしかならない。そして、これも安定性が重要だ。火力が強くなったり弱くなったりを繰り返しては、とても料理には使えない。


 手本とすべきものを二つも見つけたセレストは、鼻息を荒くして観察を続けた。


 ところが、である。

 なぜかセレストの視線は、どうしてもフェリックスに向かってしまった。

 野菜と肉を切り、鍋のあく取りをし、完成したカレーを皿に盛り付ける。

 一つ一つは別に、さほどのものではない。だが全てを手慣れた仕草で行うフェリックスが、とても頼もしく見えた。


「どうした。食べろ」


「あ、はい」


 いつの間にかリビングに移動していた。綺麗にカレーが盛り付けられた皿が目の前にあった。

 スプーンですくって、パクリと一口。


「貶すところを探しているのですが、美味しいですね」


「そうか。口に合ったようで、なによりだ」


「美味しく作るコツとかあるんですか?」


「レシピ通りにやれば、誰だって安定した味になると思うが……まあ強いて言えば、セレストに美味しいと言って欲しい。そんな想いを込めたのがよかったのかもしれんな」


 フェリックスはそう言って、口の端を釣り上げた。

 ほんの一瞬の、わずかな変化だったが、確かにそれは笑顔だった。

 フェリックスの笑顔が自分に向けられた。

 その事実は、セレストの心臓に負荷をかけた。


「そう、ですか。ははあ、なるほど……」


 セレストは、自分の胸を苦しませている感情の正体がまるで分からず、気持ちのこもらない返事をするので精一杯だった。

 分かっているのは、このカレーが美味しい。それだけだ。


        △


 やらかした。

 自分が作ったカレーを黙々と食べながら、フェリックスは後悔していた。

 魔法道具を作るセレストの姿が美しすぎて、それに対抗したくて。自分も料理に想いを込めているのだ、と言ってみたかっただけだ。

 想いは暴走し、キザこの上ないセリフとなって夕食の席で炸裂した。

 それに対するセレストの反応は「そうですか。ははあ、なるほど」だけ。

 無感動。

 もしかしたら「なにを格好つけてるんだ、こいつ」と思われているかもしれない。

 恥ずかしい。

 さっさと風呂に入って寝てしまいたい。

 が、自分とセレストはベッドが同じだ。逃げられない。どうにもならない。


 ――いや、待て。


 今日からサメのぬいぐるみのボブとかいうのが加わった。

 セレストが寝たあとに、ボブを独占してやろう。ボブに顔を埋めれば、少なくとも現実逃避はできる。

 この際、ぬいぐるみでもサメでも、誰でもいい。

 フェリックスは、この羞恥心から己を救ってくれる相手を切望していた。

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