第11話 私の作業を見物して楽しいですか?
フェリックスの家に到着したとき、セレストは「お邪魔します」と呟いた。
すると家主がジロリと睨んできた。
なにか怒らせるような真似をしてしまったと思い、反射的に「ごめんなさい」と謝る。しかし心当たりがない。不安が膨らんでいく。
「謝るほどのことではない。だが、ここはもうセレストの家でもあると言ったはずだ」
その言葉で合点がいった。
不安がどこかに消し飛び、逆に胸が温かくなった。
「それでは改めまして……ただいまです」
「ああ、おかえり。一緒に帰ってきた俺がそう言うのは妙だがな」
そう言ってフェリックスは扉を開ける。
スーツケースをセレストの部屋に持っていき、中からサメのぬいぐるみ〝ボブ〟を取り出す。
「フェリックスくん。これがボブです」
セレストはボブのヒレを動かし、挨拶させた。
「デカいな。お前の上半身よりデカいではないか」
「なのにスーツケースに無理矢理押し込んでしまい、ボブには本当に申し訳ないと思っています。とにかくボブが来たからには、寝ぼけてフェリックスくんに抱きつくことはもうないでしょう。安心してください」
「……そうか。それは安心だな」
フェリックスの呟きが、どことなく残念そうに聞こえた。
ベッドが狭くなるのが嫌なのかもしれない。
しかしボブを互いの間に置かないと、毎夜セレストが失礼を働いてしまう。目覚めるたびにしがみついていたのでは、さすがのセレストも気まずい。
「とても広いベッドです。少し狭くなるのは我慢してくれませんか?」
「その心配はしていない」
それはよかった。セレストは寝室に行き、ベッドの真ん中にボブを寝かせる。次にスーツケースから、仕事道具が入ったアタッシュケースを取り出す。
「私は今からお仕事をします。なのでフェリックスくんも好きなことをしていてください」
「そうか」
セレストは一階に降りる。
するとなぜかフェリックスがついてきた。
「見物しても面白くはないですよ」
「つまらんと思ったら書斎に引っ込む。俺の好きにさせろ」
見られると気が散るのに、と思いつつ、台所でガラスの小瓶に水道水を入れる。
それからリビングのテーブルに紙を広げる。五芒星が描かれた紙だ。
その上に黄金人参と、乾燥させた月光茸を置き、手をかざして魔力を流す。
セレストは魔力を属性変換して飛ばすのが苦手だ。つまり氷や炎などにし、攻撃魔法として放てないのだ。が、こうして近くのものに無属性魔力を流すことはできる。
魔力によって、黄金人参と月光茸が粉末になった。
その粉末を小瓶に入れ、水と混ぜる。本当は清らかな湧き水などが望ましい。しかし帝都の水道水が綺麗なのは、日常的に飲用して確認している。
小瓶にフタをし、振ってかき混ぜる。一見、粉が溶け、均一になったように見える。だが実際は水の中を漂っているだけだ。黄金人参も月光茸も水に溶けにくい性質を持っている。いずれ瓶の底に沈殿してしまう。
そこでセレストの魔力で粉の性質を変える。すると粉末はあっという間に消えてしまい、完全に水と混ざり合った。
この一連の魔力の流れにより、雑菌の類いが死滅している。フタを開けない限り、長期に渡って品質を保証できる。
これで完成だ。
セレストは慣れているので、数分で作れる。傍目には簡単そうに見えるだろうが、なかなか神経を使う。
上手くやるコツは、このポーションを買ってくれた人が、少しでも幸せになるのを想像すること。
自分の行いが誰かの助けになったら気分がいい。それと、お得意様が増えれば収入も増えるという打算も隠し味。
フェリックスは立ったまま作業を最後までジッと見ていた。
別にこちらが頼んだのではないが、なんとなく付き合わせてしまった気分になる。
セレストは彼が退屈しないよう、少し解説することにした。
「これは胃腸に効くポーションです。材料に使ったのは黄金人参と月光茸。どちらも栽培方法が確立されていません。特に月光茸は、月明かりがある夜にしか生えないキノコで希少です。しかし効果は抜群。そのまま食しても、胃もたれにや下痢に効果があります。それを混ぜ合わせ、更に私の魔力を瓶に閉じ込め、効能を更に高めました。青空邸の売筋ポーションの一つです」
「そうか。見事な手際だった。まだ見ていてもいいか?」
「いいですよ。次は火傷を治す塗り薬を作ります。あの、ずっと地味な作業が続きますけど、本当に見てるんですか?」
「俺の自由だろう。指図するな。いや……セレストの気が散るというなら出ていくが」
気が散る。それは確かだ。
けれどフェリックスは「見事な手際」と言ってくれた。
お世辞かもしれない。だが、それなら適当なタイミングで部屋を出て行くだろう。こうして見学を続けているのだから、本当に見事と思ってくれているらしい。
物好きな人だなと思いつつ、セレストは嬉しかった。
気は散るけれど、やる気が湧いてくる。
その日は、いつもより仕事が捗った。
△
基本魔法技術の授業は、魔法に関する様々な知識を総括的に学べる。要するに、広く浅くだ。
その中には、魔法道具作成の実習もあった。一年生の頃、アカデミーがあらかじめ用意した素材と、浄化済みの水を混ぜて、魔力回復効果があるポーションを作った。
その実習で、なにかの技能が身につくわけではない。ただポーション作りの流れを知れるというだけ。
大半の生徒にとっては意味がない。しかし中にはより深い知識と技能を得たくなり、魔法道具作成の授業を選択する者がいる。そういう切っ掛け作りのために、広く浅く学ぶのだ。
フェリックスは魔法道具作成に興味を持たなかった。
「こんなものか」と無感動に思っただけだ。
だが今、目の前でセレストが行っている作業には目を奪われてしまう。
人参とキノコを瞬時に粉末にしてしまった。あれは魔力のコントロールが上手い証拠。未熟な者がやれば、素材が部屋中に飛び散って大変なことになる。フェリックスが同じ真似をしようとしても、かなりの時間と集中力を使う。それをセレストは、ほんの十数秒でやった。
更に目を見張ったのは、ポーションに魔力を流すセレストの姿だ。
目を閉じ、祈るように両手で小瓶を包み込む。その表情は慈愛に満ちていた。
ポーションを使う者を心の底から想っているのだろうと想像できる。
本人は「地味な作業」と言っていた。
しかしフェリックスは、仕事をする彼女の姿を額縁にいれて飾りたいとさえ思った。
「フェリックスくん。そうジッとしていると飽きません?」
「飽きぬ。いいから続けろ。気を散らすな。お前が仕事をしないと在庫がなくなってドロシー嬢が困るのだろう?」
「はあ……フェリックスくんは、よっぽど暇なんですね」
暇ではない。読みたい本は山ほどある。魔法の練習だってしたい。
しかし、どうしてもセレストから目を離せなかった。
この姿を、ほかの男たちに見せたくない。
きっと黒髪だろうとお構いなく、誰もがセレストに見とれてしまうから。
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