第4話 知らぬは本人だけ

 フェリックスはセレストに対して一度たりとも『嫌い』などと言った覚えはない。そういう態度を取ってはいるが、口に出せば本当に嘘をついたことになるので、言うわけがない。


 好きか嫌いかで問われれば、好きだった。大好きだった。

 あやうく筆記テストで一位になった勢いで告白しそうになるくらいには。

 だが筆記とトーナメントの両方で勝ってからと前から決めている。

 なのに告白する前に婚約してしまった。

 いまだに頭の整理が追いついていない。


 一方、セレストは腹が立つほど平然としている。目を閉じたと思ったら、もう寝息を立てている。

 緊張感というものが欠落しているに違いない。

 フェリックスはこの上なく緊張しているというのに。


 風呂上がりのセレストが寝室に入ってきた瞬間など、頬を赤らめないようにするのが大変だった。

 寝間着姿のセレスト。

 白いネグリジェだ。腕も足も覆われていて、肌の露出は少ない。布が透けているのでもない。それでもレースとフリルをあしらったそれは、セレストの愛らしさを引き立てていた。


 セレスト本人は陰気な顔と言っていたが、実に間違った自己評価だ。

 アカデミーで彼女の陰口を叩いている者たちさえ、黒髪ゆえの『暗い雰囲気』を貶しても『顔立ちそのもの』は貶していない。貶したくてもできないほど、セレストの容姿は整っているのだ。

 なのにセレストは自分が醜女だと思っているらしい。

 実際はフェリックスの人生で見た中で一番の美人だ。

 もし黒髪でなければ、彼女に言い寄る男は何ダースになっていたか。そもそも黒髪が不吉の象徴とされているのが分からない。こんなにも美しいのに。


 今夜は眠れないかもしれない。

 幸いなのは、こうして悶々としているフェリックスの気持ちを誰も知らないことだ。

 この恋心は胸に秘める。

 文武共にセレストを越えて、告白するその日まで。

 決して誰にもバレてはならない。

 なぜなら、純粋に恥ずかしいからだ。


        △


 セレストの父親エイマーズ国王は馬車の中で、ベイレフォルト国王に改めて念を押していた。


「国はあなたに全て差し上げる。だから一つ、約束して欲しい。国民の生活だけは守ると」


「分かっています。最終的には私の国民になるのです。それを虐げて、なんの得がありますか。私の人生は、非合理なことをするほど暇ではないのですよ」


「ワシ自身などよりも、よほど信頼できる言葉だ。あとは……願わくばセレストにも幸せになって欲しい」


 エイマーズ国王は、自分が王としても親としても落第だと分かっている。

 実際、生まれた娘が黒髪だと知って落胆したし、それを隠そうともしなかった。妻が死んだのも娘のせいだと思っていた。

 それで娘の世話も教育も、使用人たちに任せっきりにしていた。

 自分が親だという自覚が芽生え始めたのはセレストが十歳になる頃だ。今更どうやって父親面すればいいのか分からない。

 そのあげくに娘を売り飛ばした。

 フェリックス・ベイレフォルトには冷徹王子という異名があった。きっとセレストにとって辛い結婚になるだろう――そう思っていたのだが。


「一つ、確認したいのだが。あなたの息子……ワシの娘を……かなり好きなのでは?」


「ああ、気づきましたか。私も驚きました。冷徹王子などと呼ばれ、言い寄る女性を遠ざけていたのに……国王としてではなく父親として嬉しいです。あれは多分、幸せな結婚生活を送りますよ」


「そうか……それはワシも嬉しい……」


 エイマーズ国王は心の底から安堵した。だが一つだけ大きな懸念が残っていた。自分の娘の恋愛スキルだ。


「私からも一つ、確認いいですか? あなたの娘……私の息子の好意に少しも気づいてませんよね? あんなに分かりやすいのに……」


 ベイレフォルト国王といえば柔和な顔とは裏腹に、計算高く、狡猾な男として有名だ。そんな男が動揺している。

 自分の娘がうろたえさせているのだ。

 これが知略などでベイレフォルト国王を上回った結果だとすれば誇らしい。

 だが、恋に鈍感すぎて動揺されるのは、父親として不名誉だった。


「これもワシに親としての自覚が足りなかったゆえか……」


「いや……おそらく天然ですよ」


 二人の王を乗せた馬車は、かなり間抜けな会話の舞台になりながら、夜の帝都を走って行った。

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