第2話 漆黒令嬢は売られました

「セレスト。済まない。我が国はもうすぐ破産する」


 真っ先にセレストの父がそう言い放つ。

 衝撃的な発言ではあった。しかし予測の範囲に収まった。故郷の財政悪化は、セレストが帝都に留学する遙か前から始まっていたのだから。

 しかし――。


「だからそれを救うため、そちらのフェリックス・ベイレフォルト王子殿下と婚約して欲しい」


 続いて放たれた言葉は、セレストの予測と覚悟を容易く凌駕した。

 親が決めた婚約。政略のための結婚。

 自分は王族だから、そういうのに巻き込まれるだろうとは思っていた。だとしても、これは唐突すぎる。まして相手がよりにもよってフェリックス? 理解が追いつかない。


「エイマーズ王。そういう言い方では、セレスト姫が混乱してしまいますよ」


 そしてフェリックスの父親ベイレフォルト王は、柔らかい口調で事情を説明し始める。だが、いくら口調を変えても、セレストにとって少しも楽しい話にはならなかった。


 いわく。

 エイマーズ王国の食糧不足は慢性化し、その埋め合わせを輸入に頼り続けたせいで、国庫は完全に尽きた。

 このままでは大規模な飢饉が起きる。いや、すでに奪い合いが起きつつある。

 隣国の治安が乱れるのは、ベイレフォルト王国にしても歓迎しかねる。よって、全面的にエイマーズ王国を支援する。

 その代償として、近いうちにセレストの父親には王座から降りてもらう。そしてセレストに即位してもらう。これも暫定的な措置で、いずれはセレストの夫となったフェリックスが国王として統治する。

 二人の王が――いや、ベイレフォルト王が描いた未来の展望が静かに語られた。


「つまり、フェリックスくんが……いえ、フェリックス殿下がエイマーズ王家に婿入りするということですか?」


「いいえ。女王に即位したあと、あなたがベイレフォルト王家に嫁ぐのですよ、セレスト姫」


「それではエイマーズ王家が消滅してしまいます」


「そういうことになります。よって、そちらの国名を変える必要があります。分かりやすく、西ベイレフォルト王国でどうでしょう?」


 どうでしょうもなにも、これは国の乗っ取りだ。

 エイマーズ王国は経済が安定しない国だ。だが海がある。ベイレフォルト王国にはない。

 鉱物資源を輸出して利益を上げているベイレフォルト王国としては、港が欲しくてたまらないのだろう。


「お父様。本当によろしいのですか? 家と国を売り渡すのですか?」


 そうは言いつつ、セレストは家系にさほどの思い入れはない。だが祖国は好きだった。漁船が並ぶ王都の海が好きだ。一面に広がる麦畑が好きだ。そこで働く人々も好き。小さいけれど活気のある商店街が好き。


「……ワシのような無能が統治するより、有能な者に売ったほうが、国民のためになる」


 遠い目でそう呟いた父親を見て、セレストは反論する気が失せた。

 つまりもう気力の全てを使い果たしたのだ。天候不順が続いたのは別に父親のせいではないが、この程度の人が治めるより、別の誰かに変わってもらうべきだと同意した。

 あの土地で暮らす人々の衣食住を保証するのが最優先。

 そして貿易用の港を建設するにも、運用するにも、人手が必要だ。それはどこからか連れてくるより、今のエイマーズ王国の国民を使うほうが簡単だ。

 ベイレフォルト王家は、友好的な侵略をしてくれるに違いない。

 少なくとも、このやる気のない現国王よりはマシな国政をもってして。


「分かりました。その提案、お受けします……」


 セレストは計算を巡らせ、それが最善だと納得して頷こうとした。

 しかし、なぜか心にモヤモヤしたものがある。

 それがなにか分からないでいると、急にフェリックスが立ち上がって口を開いた。この場において初めての発言だった。


「なにを勝手に話をまとめようとしている。俺の意思は無視か。俺はまだセレストと婚約すると言っていないぞ」


 相変わらず氷の表情と声色だ。柔和な父親とは真逆である。

 セレストが彼を嫌っているように、彼もまたセレストが嫌い。

 そしてセレストにとってこの婚約話は祖国を救う手段になるが、フェリックスから見れば違う。港があれば国がより潤うにしても、ないならないでやっていける。

 重みがまるで違う。

 嫌いな女と婚約する理由がフェリックスにはないのだ。


「第一、セレスト。お前はなぜ納得しようとしている。エイマーズ王が売ったのは家と国だけではない。娘だ。娘のお前を売る父親を前にして、なぜ怒りを見せない」


 フェリックスはいつも怒ったような顔をしている。それが本当に怒るとこんなに眉間に皺が寄るんだな、とセレストは思った。怒っても綺麗なままだな、と呑気な感想まで抱いた。

 そして彼の言葉で初めて、父が娘を出荷したのだと認識した。長い間、国王と王女という関係でしか考えていなかったので、言われるまで分からなかったのだ。

 さっき感じたモヤモヤはそれだったのだと知り、自分の中にまだ父親に期待する部分が残っていたのだと意外に思った。そして期待はついに永久に失われた。


「フェリックス。急にワガママを言ってどうしたのですか。王侯貴族にとって政略結婚は当たり前。しかも自分のことよりセレスト姫の立場に怒っているように見えます」


「当然だ。俺は父上に逆らう余裕がある。ベイレフォルト王国は、この婚約が成立しなくても生きていける。だが彼女は違う。選択の余地がない。彼女の意思を無視し、このような要求をするのは不当だ」


「ほう……」


 凍てつく息子の眼光を、ベイレフォルト王は正面から受け止め、笑みを浮かべた。

 いけない。このままではこの親子の関係にヒビが入る。自分と父のようになってはいけない。そう思ったセレストは、フェリックスに視線を向け、首を横に振った。


「もういいです、フェリックスくん」


 怒りだした彼を見て最初、よっぽど自分と婚約したくないのだなと思った。

 けれど違う。彼は人間の矜持の話をしてくれている。

 セレストを嫌っているくせに、人間扱いしてくれているのだ。政略結婚の駒として見てくる父と違って。


「あなたの言うとおり、私には選択の余地がありません。ゆえに婚約をお受けします。それで祖国の国民が助かるのです。ならば喜んで。これは私の意思です」


「しかし」


「フェリックス・ベイレフォルト王子殿下。どうか私と婚約してくださいませんか?」


「……分かった。話を拗らせて悪かった」


 もしこの話が流れれば、セレストの故郷は更なる窮地に立たされる。それを理解したフェリックスは、それ以上なにも言わず押し黙った。

 婚約は成立した。

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