第39話 入部の話 1
1
「迎えに来たぞ!紅」
多くの生徒が帰宅やクラブ活動に向かおうとしている放課後の1年2組の教室に明るい女生徒の声が響く。その声に振り向くとセーラー服ではなく学ランを着た姿。一瞬違和感を覚えるが、もう何度もその姿を見ている2組の生徒たちも段々と慣れてきていた。そして声をかけられた生徒、黒森紅は不思議そうに答えた。
「紫苑さん、迎えに来たって?なにか約束してたっけ?」
考えてみるが全く心当たりがない。そんな紅に、おいおい何言ってるんだ、とばかりの顔で紫苑が答える。
「何を言ってるんだ。君が来ないから迎えに来たんじゃないか」
「だから何処に?」
本当に何を言っているのか分からない紅。その顔を見てやっと不審を覚える紫苑。
「ど、どこって番長連合の集会に……」
「なんで僕が?また呼び出されたの?」
「なんでって、番長連合に所属したんだから集まるのは当然だろう」
そこまで言われてやっと紅も理解する。
「してないけど?」
「え?」
「番長連合に入ってないけど?」
「は?」
紫苑の中では紅は番長連合に入ったと思っていたようだが、紅にはそんなつもりはなかった。まだ全部を見た訳ではないが、生徒たちを護ろうという桜たち幹部の行いや考え方は立派なものだとは思う。しかし自分にそれが務まるとは思えなかった。そして考えた結果、やはり普通の部活に入ろうと考えていた。
「え、ど、どうして?だってあの日は教室に来ていたじゃないか」
紅の答えに動揺する紫苑。
「あの日は交野先輩に呼び出されて君を紹介されて、君たちの事情を聞かされただけだよ。僕の家族の事もあったしね。一番の問題だった月夜野さんの事も片付いたから、もう僕が行く必要はないよ」
実際に幹部たちでも手に負えなかった蛇の件が片付いた以上、紅や紅の父親の力はもう必要ない。そっち方面のことならともかく、番長連合が相手にするのは人間である以上自分が役に立つとは思えなかった。まだクラスメイトが残っている教室で蛇の話をするのもはばかられたので、自分は普通の部活に入る事を紫苑に伝える。
「そ、そんな!君はあんなに強いのにその力を活かさないなんて!君は番長連合に入るべきだ!」
正義感の強い紫苑は紅の言葉に納得できずにそう返す。だが紅としては力の強弱など関係ない。自分より強い者はいくらでもいるし、その意思のある者がやればいいと思っている。
自分は父や姉とは違う。仙人にはなれない。やがて父や姉とは違う生き方をしなくてはならない。そう、普通の人間の生き方だ。そのために紅はごく一般的な普通の大人になることを目指していた。普通に進学して、普通に就職、そしてできれば普通に結婚して普通に死ぬ。高校生で人生の最後まで考えているのはいかがなものかとは思うが。
自分が特殊な環境で育った事は今では理解している。幼い頃はそれが普通だと思っていた。だが実際は普通ではなかった。特別な父。特別な姉。そして特別ではない自分。それを理解した時、父と姉が急に遠い存在に感じた。父も姉も自分を愛してくれている。それは間違いない。だがどんなに頑張っても二人の様にはなれない事が分かった時から、紅は自分の道を探し出した。今はまだ力が無い。何をすればいいかも分からない。それでも特別ではない自分は普通に生きなければならないと考え、目立たない様に過ごしてきた。それが紅自身は理解していないが大きなコンプレックスとなっていた。
「僕の進路は僕が決めるよ。せっかく誘ってくれて悪いけど僕は番長連合には入らない」
そう言って席を立つ。
「ま、待ってくれ!わ、私は!」
紫苑が呼びかけるが、紅はそれには答えず教室を出て行く。
教室に残った何人かの生徒がそれを見ていた。紫苑が来たため残っていた有海も心配そうに成り行きを見ていたが、誘いを断って出て行く紅を見て安堵の表情を浮かべていた。
紅の出て行った後を見つめる紫苑が立ち尽くしていた。
2
先週一週間はクラブ活動の新入生歓迎週間だったが、その週にしかクラブに入れない訳ではない。クラブ数の多いこの学校ではその一週間では見学しきれず、その後にやっとクラブを決める生徒の方が多いくらいだ。
先週は入学早々何件もの事件に巻き込まれたため、全くクラブ見学ができなかった紅。今週になってやっと本来の自分の活動ができるようになったのだった。いくつか候補はあるが、自分の性格を考えてもあまり大人数での活動には向いていないだろう。興味があり、なおかつあまり人数の多くなさそうな部活。男子が多そうなイメージだが、もしかしたら音楽好きな女子も少しくらいいるかも知れない。男子高校生らしい淡い希望も抱きつつ、紅はジャズ研究部のドアを叩いた。
「はーい」
中からドアが開けられる。
「失礼します。見学を希望なのですが」
「ええっ!?ど、どうぞどうぞ!入って!」
上級生らしき女生徒が驚きながら紅を招き入れる。
(女子もいるんだ)
中に入るとピアノ、ドラム、コントラバスなどいくつかの楽器が置いてあり、サックスの手入れをしてる生徒とドアを開けてくれた生徒と合わせて5人ほどがいた。その全員が驚いた顔で紅を見つめる。
まさかの全員女子だった。
ドアを開けてくれた生徒に続いて部屋に入った紅を見つめたまま固まる部員たち。
「あ、あの、見学に来たんですが、もう遅いですか?」
想像していた反応と違い戸惑う紅。もしやもう部員の募集は締め切られたのだろうか?そんな事を心配しながら恐る恐る問いかける。
それは聞いてハッと我に返ったかの様に動き出す部員たち。
「いやいやいやいや、全然そんなことないよ。まだまだ募集中。なんなら年中募集してるから!」
「そうそうそうそう!実はまだ今年は誰も入部してなくて。いやー来てくれて嬉しいよ」
「君は初めて?何か楽器やってるの?」
一人が動き出すと他の部員たちもつられて動き出す。
「はい、えっと、独学なんですが、トランペットを少し。と言ってもミニトランペットですけど」
紅がなぜか申し訳なさそうに伝える。別に何も悪い事はないのだが、大型バイクに怯えるミニバイクの様だ。
「おお~、待望のトランペット!やったね部長!」
一人の生徒がそう言ってサックスを持った女生徒に話しかける。
「……」
しかし部長と呼ばれた女生徒はなぜが反応せず固まったままだ。
「部長?」
声をかけられても反応しない部長を他の部員たちが訝し気にのぞき込む。
やがて突然部長が黙ったまま涙を流し始めた。これには紅もギョッとする。
「あ~、なるほど……」
それを見た一人の部員が納得の声を上げる。
「え、先輩、どゆこと?」
それを聞いた他の部員が問いかける。
「彼を見てみ」
そう言って紅を見る。他の部員たちが揃って紅を見つめる。突然全員にじろじろと見られて困惑する紅。
「細身でちょっと気の弱そうな眼鏡男子。部長の理想100%やん」
「「「なるほど、確かに!」」」
ちょっと何言ってんのかわかんない紅。
「先週ちょろちょろと見に来てくれた子はおったけど、結局入部は無し。諦めかけたところに理想の男子。部長の涙も納得や」
全然納得できない事を言い出す女生徒。
(しまった、部を間違えたか……)
そうは思ったが、このタイミングで出て行くのもちょっと気まずい。とりあえず演奏くらいは見たいので、もう少しだけ様子を見ることにした。
「あの、演奏はここで?」
それほど広い部室ではないが防音になっており、この人数で演奏するには問題なさそうだ。ビッグバンドで演奏するにはとても無理そうだが。
「そうやね、うちはこれで全員やから。よかったらちょっと聴いてくれる?」
そう言って演奏の準備を始める部員たち。部長もやっと動き始める。
ドラムの合図で演奏が始まる。ジャズでは定番の曲で紅も知っている曲だった。
下手ではないが、部長以外は特別上手いという訳ではない。しかし何よりも全員が楽しそうに演奏しているのが好感が持てた。
「よかったら君も参加してみる。楽器ならあるよ?新しいマウスピースじゃないけど」
先輩が遠慮がちに聞いてくる。マウスピースは直接口を付ける物なので普通は共用はしない。気にする人は気にするが、紅は特に気にしないので借りることにした。
紅は誰かに習った訳ではないので演奏が上手い訳ではない。また一人で練習していたので人と合わせるのが得意ではない。初めにそれを話したところ、部員たちは納得してくれた。
「分かる。吹奏楽と違ってコミュ症多いよね」
ひどい偏見だ。
借りたトランペットを軽く試奏する。知っている曲を話して演奏が始まる。ぼっちプレイヤーの演奏に先輩たちは合わせてくれた。
失敗するところもあったが、演奏が終わる。
「いいじゃない!何より楽しそうに吹くのがいいね!」
全員が楽しそうに笑っていた。
ちょっと予想外に女子部員しかいないが楽しそうな部だ。本音は男子の友達が欲しかったのだが。男子が自分だけと言うのはかなり気を遣う事になりそうだ。理想は男子の中に可愛い女子部員もいてくれたらいいなぁ、なんて淡い期待を抱いていた紅だった。
「どう、入部する気になった?」
前のめりに聞いてくる先輩。周りの部員たちも目をギラギラさせている。その雰囲気はちょっと引くところはあるが、紅も乗り気だった。
「はい、ぜひよろしくお願いします」
「イエァーーー!!!」
突然拳を握りガッツポーズを決めて奇声を上げる部長。初めて聞いた声がこれだった。
ビクッと驚く紅。3年の先輩はそれほどでもないが、2年の先輩たちはちょっとビクッと驚いていた。
見た目は身だしなみも整い、非常に綺麗な先輩なのだが……。
涙を流す部長は放って置いて、もう一人の3年の先輩が話しかける。
「嬉しいよ。じゃあ入部届け渡すね。あ、ごめんね、そう言えばまだ名前も聞いてなかったね」
入部届を紅に渡しながら聞いてくる。
「あ、そうですね。自己紹介もせずすいません、1年2組の黒森紅です」
紙を受け取りながら答える。
だが、紅の名前を聞いた先輩たちが突然固まる。
「「え?」」
「え?」
その反応に戸惑う紅。
「どしたの先輩?」
2年の先輩たちも不思議そうだ。
ぎこちない動きで部長が動き出し、机に置いてあるプリントの束をガサガサとあさり出す。そして1枚のプリントを見つけ出しわなわなと震える手でそれを読む。
「ご、ごめん、も、もう一度名前を教えてくれる?」
「えっと、1年2組の黒森紅です」
それを聞いた部長がもう一度プリントを見る。
「えっと、黒いに木が3本の森に赤色のくれないでこうって読む?」
震える声で漢字まで確認する。
「あ、はい。それで合ってます」
「同じクラスにもう一人黒森紅くんっている?いるよね?」
何かにすがる様に聞いてくる部長。もちろんそんな事はあり得ない。仮に同姓同名だったとしても同じクラスにはならないだろう。それほど多い苗字でも名前でもない。
「いいえ、いませんけど……」
なんだか悪い予感がしながらそれに答える。
「ああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
手に持ったプリントをぐしゃりと握りつぶし膝からくず折れて奇声を上げる部長。血の涙まで流している。
さすがのこれには全員がビクリと驚き一歩後ずさる。
(ち、血の涙なんて初めて見た!)
「え、えっちゃん!」
床に血を垂らしながら四つん這いでひざまずく部長に駆け寄る3年の先輩。
えっちゃん部長は呪詛を唱えるかのような低い声で、
「……許せない、許せないわ、あの女ぁ!私の理想!私の憧れ!私の夢!気弱そうな細身の眼鏡男子にちやほやされる夢!演奏が上手くいかない後輩に手取り足取り楽器を教える……。そのためにいろんな楽器の練習をして人並以上になった!どんな楽器の後輩が来てもいいように!詰襟学生服男子から悩みを相談される優しい先輩……。さりげなく近づいてふんわりいい匂いがするようにちょっとお高いシャンプーだって無理して買ってるのに!手が触れてもいいようにお手入れは欠かさず、ちょっと良いハンドクリームも使ってるのに!ネイルにも時間をかけてるのに!おやつだって我慢してスリムな体型を維持してるのに!優しくていい匂いのする素敵な先輩に理性のタガが外れた細身マッチョな眼鏡男子にいつ迫られてもいいように下着だっていつも上下セットのかわいい奴なのに!……2年の時は女子しか入らなかった……、今年が、今年が人生で最後の……、学ラン眼鏡男子に迫ってもらえる年だったのに!!」
欲望を正直に告白する部長。内容以外は好感が持てます。
「えっちゃん……」
「「「部長……」」」
その告白に残りの部員たちは声を揃えて、
「「「「引くわ~」」」」
軽蔑の視線を向けた。
もちろん紅もドン引きだった。
しばらく非常に気まずい沈黙が続いた後、おもむろに部長がふらふらと立ち上がり紅の目の前に来て話始めた。
「……ごめんなさい、黒森くん。あなたを入部させることはできないわ……。私個人はあなたに、非常に、とても、ものすごく、どうしても、何があっても、どんな事をしてでも、いくら払ってでも入部してもらいたいのだけど、部長としてこの部を護らなければならないの。……本当に、本当にごめんなさい!」
そう言って泣きながら膝からくずれて紅の体にしがみつき、紅の腹に顔をうずめる。振りほどく訳にもいかず、どうしていいか分からずしばらく立ち尽くす。
やがて泣き止んだ部長がぼそりとつぶやいた。
「あ。いいおしり」
そう、部長の手は紅の体にまわされ、背中やお尻を撫でまわしていた。
3年の先輩がゲシっと部長を横から蹴り飛ばした。
「ちょっと失礼します」
そう言って紅はぐしゃぐしゃに握りつぶされたプリントを拾い上げ内容を確認する。そこに書かれた内容は、以下の様な物だった。
《 告
以下の生徒を入部させた場合、番長連合に敵対したものと見なす
1年2組 黒森紅
番長連合死天王筆頭 交野桜 》
ご丁寧にピンク色の和紙に桜の花びらの模様まで入っている。この全員がナンバーワンアピールもどうにかならないのだろうか……。
「これは……」
その内容に紅が絶句していると、部長が鼻血を拭きながら話しかける。
「今日のお昼にいかつい学ランの男子が私の教室まで来てね、あ、私ゴリゴリのマッチョは好きじゃないの。だから大丈夫よ。それでその手紙を置いて行ったの。他のクラブの部長の所にも行ってたみたいよ。黒森くん、あなた番長連合に目を付けられるって、一体何したの?」
自分の好みと、何が大丈夫なのかまったく分からない事を言いながら手紙の説明をしてくれる。
しかし、紅としてもなぜ自分の入部が邪魔されるのか全く理解できない。番長連合は生徒を護るのではないのか?
「すいません、この手紙もらっていきますね」
行きたくはないのだが、紅は番長連合室へ向かった。
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