第38話 猫の話 6


 桃香の部屋に入ってみたかったが、昨日までならともかく、今朝の件があったので桃香の家を訪ねる勇気が出ない紅だった。そんな事を迷っていると覚が思い出したように声をかける。


「猫っていえば、関係ないとは思うんだけど昨日……」

 そう言って昨日の帰りに、公園で桃香と二人で猫の死体を埋めた事を話した。


 それを聞いた紅は少し考えこみ、二人に持ちかける。

「見に行こう。案内してくれる?先輩も来てもらえますか?」

「おう」

「もちろん。こっちからお願いするよ」

 そうして3人でその足で公園に向かった。



 覚を先頭に猫を埋めた雑木林に入る。

「……ここだ」

「確定だね」


 3人が見つめる足元には掘り返されたような穴があった。いや、掘り返されたというよりは中から何かが這い出したような跡だった。


「まだ、生きてたって事かい?」

「そんなはずは……。俺も触ったけど、もう硬くなって冷たかった。専門家じゃないけどあれで生きてたとは思えない」

 穴を見つめながら覚がつぶやく。


 紅は眼鏡を外し、穴の周辺を見ている。

「なにか分かるかい?」

「あまり大した事は。だけど他の動物が掘り返したのではなさそうです。自分で出たみたいですね」

「死んでたんだよね?」

「死んでたんでしょうね」

「……」

「……」

「いやいやいやいや。待って待って。いろいろおかしいから。なんで死んだ猫が自分で出てくんの?ただの猫でしょ?」

 当然の桜の疑問。

「さあ?僕に言われても。ただの猫だったかもわかりませんし」


「もう!もう!またそんな言い方して!友達できないぞ!」

 ほっぺたを膨らませながら文句を言う桜。

「友達は関係ないでしょ!実際見てもない猫のことなんか分かりませんよ!」

 紅からしても死体すら見てないのであくまで推測しかできない。なのにこの言われよう。


 だが、その二人の違和感しかない会話を聞いていたもう一人が問いかける。

「なぁ、どういうことなんだ?二人はさっきからなんの話してるんだ?ただの猫の死体を埋めた話だろ?それがどうして桃香が危ないって話になるんだ?クロ、お前は何を知ってるんだ?」


 不安そうに問いかける覚に立ち上がった紅が振り返る。眼鏡を外した紅が何も言わずにじっと覚を見つめている。

(……誰だ、こいつは?)

 そこに立っているのは、教室で見かける気の弱そうな少年ではなかった。夕暮れが迫り、薄暗くなった雑木林の中でたたずむ不思議な少年。

 さらにその横にはいつもの明るい笑顔ではない、真面目な顔をした桜。その二人が無言で覚を見つめていた。

 心臓が早まる。まっすぐ立っているはずなのに地面が揺れている気がする。

(違う。この二人は違う。この二人に比べたら、俺は……普通だ)

 もう1秒遅かったら覚は倒れていたかも知れない。そんな時、静かに紅が声をかけた。

「……行こうか」

「そうだね」

 そう言って二人は明るい方へ歩き出した。覚は黙ってそれに続いた。





 紅は準備があるから一度帰って再度集合を提案する。

「先輩も来ますよね?」

「もちろん。アタシの方がお願いする立場だよ」


「俺も行く」

 覚が強く同行を望んだ。

 だが紅は少し困った顔で桜を見る。正直何かあった場合来られても足手まといにしかならない。できるなら大人しく待っていてもらった方が助かるのだが。

 桜もそれは理解しているが、好きな子を助けたい弟分の気持ちを考えると連れて行ってやりたかった。

「アタシからも頼むよ。何かあったらアタシが守るから」


 二人から見つめられ紅が折れる。

「分かりました。でもおそらくですが、守るような事にはならないと思いますよ」


「そうなの?こないだの蛇の時みたいに、」

「あんなのそうそうある訳ないでしょ!て言うか、もう僕の人生であんなのと戦う機会はないですよ!」

 疑問を呈する桜に切れ気味でかぶせる。


「いつもより強い銃を持って行くつもりだったんだけどいらない?」

(この人も結局脳筋か……)

 かわいそうな人を見る目で桜を見る。


「え?え?何その目?アタシなんかおかしなこと言った?」

 なぜそんな目で見られるのかさっぱり分からない桜。

 ため息を隠しながら、

「……念のため、この間の銃だけ持ってきてください。多分使わないと思いますが」

 残念そうにつぶやいた。


「なぁ、蛇とか銃とかって、何があったんだ?」

 さっきから不穏な単語しか出ない二人の会話に不安そうに問いかける覚。

 だが二人は顔を見合わせ曖昧に笑うだけだった。



 一旦帰宅し夜中に再度集まる3人。一応動きやすい恰好で、との紅の指示で桜も覚もスカートではなくジーンズを履いている。桃香の家から少し離れた所で落ち合い、桃香の家に向かう。

 桃香の家に着く前から、もうそれが始まっているのが全員に分かった。


『フゥーー!!』

 桃香の家の正面から見た側面。桃香の部屋の下になる塀の上で、背中の毛を逆立てたタマが声を上げて威嚇していた。

 その視線の先には二本足で立つ猫。おそらく元々は白い毛だったのだろう。だがその体は土で汚れ、口の周りは血と唾液で汚れていた。そして濁ったうつろな目で桃香の部屋の窓を見上げながら、何度も窓に向かって飛び掛かろうとするのだが上手くいかず塀に戻るというのを繰り返していた。

 特に大きい訳でもない普通の大きさの猫。素早く動く訳でも力強い訳でもない。どちらかと言えば普通の猫よりも遅いだろう。おそらくその体はもう碌に動かないのだろう。その猫にすら何のためにここに来ているか分かっていないのではないか。そう思わせるような姿だった。


「あれは……」

 桜が悲しそうに紅に振り返る。

「どうしたら止めてやれるんだ?」

 覚が紅に問いかける。


 桃香の家と隣の家の間の狭い道を通ってタマのそばに紅が近づく。

「タマ」

 呼びかけると、紅をチラリと見てタマは少し離れた。


 持ってきたカバンから大きな布の袋と、お札の様な一枚の紙を取り出す。窓を見上げながら塀の上をうろうろする猫に近づき、その体にそっとその紙を貼りつけた。

 すると今まで動いていた猫は突然動くのを止め、パタリと倒れた。

 紅は布袋を地面に置き口を広げる。そして塀の上に倒れる猫の体をそっと持ち上げて袋に入れた。ゆっくりと口を閉めて、その袋を持って二人の所に戻って来た。


「それで終わったのかい?」

「はい。多分。じゃあ行きましょうか」


「行くってどこへ?」

 あまりにも不可解な事態があっさり終わった事に、却って不安そうな覚が問いかける。



 3人は最初に猫を埋めた公園の雑木林に来ていた。夜の公園の雑木林は照明も届かず真っ暗だった。紅の持って来た懐中電灯で照らしながら袋ごと猫を埋めなおす。

 猫を埋め終わり、3人は雑木林を出て照明が届く公園内を歩いていた。


「あれでもう出ないのかい?」

「おそらく大丈夫だと思います。絶対とは言いませんが」

「あのお札は?」

「……そういう知り合いから貰いました」

「……いろんな知り合いがいるんだね。友だ、」

「もうそれはいいから!」

 何を言われると思ったのだろうか。


 今まで黙っていた覚が立ち止まり口を開く。

「……なあ、桃香は良い事をしたんじゃないのか?」


 二人も立ち止まり覚を見た。

「なあクロ、あれは悪い事だったのか?なんであの猫は桃香の所に行ったんだ?お礼?復讐?あいつは生きてたのか?死んでたのか?俺にはなんにもわからないよ!」


「……僕にも分からないよ」

 静かに答えた。


 桜が覚に近づき、やさしく頭を撫でてその頭をそっと胸に抱きよせる。

「お前も桃香も良い子だよ」




 翌朝登校前に桃香の家の前に立ち寄る。塀の上でタマが伏せていた。自転車から降りた紅がジッとタマを見つめる。タマも暫く紅を見た後、ゆっくりと立ち上がりぐ~っと伸びをする。


『すまんの』

「いいよ」


 その時、玄関の扉が開き桃香が出てくる。

「行ってきまーす。って、あれ!?黒森くん?どうしてうちに?」

 そしてタマを見つめる紅を見てクスクスと笑う。

「猫を見てたの?その子うちの子なの。タマって言うの。可愛いでしょ?わたしより年上でもうおばあちゃんなんだけどね。タマ、行ってきます」

 そう言って優しくタマを撫でる。


「もしかして有海ちゃんを誘いに来てくれたの?きっと喜ぶよ」


 嬉しそうに言う桃香に、ちらっと後ろを振り返ってから言った。

「うん、先に行くよ。またあとで」


「え?ちょっと、黒森くん?」

 一緒に行こうと思っていたのに置いて行かれ戸惑う桃香。すると紅が行った反対から声がかかる。

「桃香」

 振り返ると自転車に乗った覚がいた。

「あ、さーくん。おはよう」

 挨拶するが何かいつもと様子が違う覚。

「さーくん?」


 覚は自転車から降り、少し迷ったように一旦立ち止まり、何かを決心したように桃香の前に歩いて来た。

「さーくん?」


 少しうつむきながら、思い切って桃香の手を握り言った。

「……一緒に、行こう」



 くわ~っとタマがあくびをした。

 




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