第10話 髪切りの話 10
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「お姉ちゃんごめんね、お待たせ。」
「お待たせ、です」
「だいじょぶだいじょぶ、ちゃんと時間通りだよ」
謝る輪と桃香に笑顔で桜が答える。
「さ、自転車取りに行こ」
「はーい」
「……ねえ、輪ちゃん。それやっぱりちょっと、アレかな……」
桃香が遠慮がちに声をかける。
「……うん……」
そう、自転車に乗るにあたり、ロングスカートは危険なため輪は着替えていた。いや、着替えたと言う表現は正確ではないかも知れない。
スカートを脱いでいた。もちろん駐輪場で着替えるような、そんなはしたない真似はしない。
スカートの下に自転車に乗るためのレーパン、レーサーパンツを履いていた。レーサーパンツとは、サドルに当たる股の部分にパッドの入ったスパッツの様な物である。ぴったりと体にフィットして股の痛みを軽減する。
邪魔なスカートを脱いでバッグに入れる。髪を下ろしヘルメットを被る。それは問題ない。問題は組み合わせだった。下はレーパン。上はセーラー服。
ちょっとアレだった。
「準備できたかい」
クロスバイクを押して、ヘルメットを被った桜が二人の所にやって来た。
セーラー服にレーパンで。
「いける気がしてきた」
「ええ~」
「あの、えっと、桜さん、いつもその恰好なんですか?」
「ん?これ?そりゃそうだよ。あんな長いスカートで自転車乗ったら危ないよ」
桜はカラカラと笑う。
(わたしが変なのかな?)
少し自分の常識を疑う桃香だった。
「でもお姉ちゃん、もう帰って大丈夫なの?お仕事は?」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ、これもお仕事だよ。最近物騒な事件が起きてるからね。わが校のかわいい生徒を送って行くのもアタシのお仕事だよ」
そう言って男前にウインクする。
「今日は公園を通って帰ろうか。少しお話しでもしながらね。さ、行くよ」
「いくら広くても3人で横に並んでたら、邪魔になるからアタシは少し後ろを歩くよ」
3人で自転車を押して公園内を歩きながら桜が言う。
「桃香はどこを見に行ったんだい?」
「あ、えっと、文芸部に。」
「あー、桃香本好きだもんね。あれ?文芸部?……まあいいや。他にも行くのかい?」
「どうしようか迷ってます、わたしも何か新しい事やってみようかなって」
「おー、いいねぇ。色々試してごらん。輪はどうだった?」
「あたしは狙撃部に。楽しかった」
「あー、あそこはサバゲ部から分かれたんだよね。なんか変わりもんが多いんだよ」
クラブ見学の話をしながらのんびりと歩く。
輪と桃香は楽し気に。
桜は周りを警戒しながら。
(そろそろ、釣れてくれるといいんだけど)
二人で並んで自転車を押してゆっくりと歩く。メットは脱いでハンドルにかけている。
「……ねえ、黒森くん。ボクあの時の事、ホントによかったのかまだ考えてるんだ」
入学前。ちょうど桜が満開の公園。昨日はやや肌寒く感じた風が今日はやけに暖かい。
午後になり、紅は学校までの通学路の下見に来ていた。まずは予定の最短のルートで時間を計る。帰りは走りやすそうなルートを選び、途中で家と学校の中間あたりにあるこの公園に立ち寄っていた。歩いて来るには遠いので頻繁に来るわけではないが、たまに自転車で足を伸ばす事もあった。
2つの野球場に複数のテニスコート、陸上競技場もあり、中には川も流れている大きな公園だ。小さいながら雑木林もある。公園のはずれの方は民家からも離れており、大きな音を出しても迷惑は掛からない。よく音楽を趣味にしている人たちが演奏している。
桜の咲いている辺りは人が多かったが、公園の外れ、桜の無いこの辺りに人影はほとんどなかった。
紅は楽器を取り出し、演奏を始める。
パチパチパチパチ
何曲目かの演奏が終わったところで拍手の音が鳴る。
そちらを見ると、小学5,6年くらいの女の子が手を叩いていた。
男の子っぽい恰好をしているが、太もものあたりまである長い髪と愛らしい顔立ちで、男の子と間違うことはないだろう。
見られているのは知っていた。演奏をしていたら見られたり、声を掛けられるのも珍しい事ではない。特に暇を持て余した老人は結構頻繁に話しかけてくる。
「上手だね。すっごくカッコよかった!」
笑顔で褒めてくれるその顔は、お世辞ではなく本当にそう思っているようだった。
「ありがとう」
これだけ素直に言われるとさすがに嬉しくなり、紅も笑顔になる。
「コルネット?トランペット?ちっちゃくてかわいいね」
紅の持つ楽器を見て女の子が問いかける。
「ポケットトランペットとかミニトランペット、になるのかな」
「へー、そんなのあるんだね」
女の子は年上の男性相手に、特に警戒もせずに話しかけてくる。ちょっと心配になるくらいだ。紅も普段は割と人見知りで、話しかけられても軽く挨拶を返す程度だが、年下の女の子相手なので優しく相手をする。
そうしてしばらく女の子と話していると、少し離れた所から声を掛けられた。
「おーい、君たち」
見ると、そこには出勤前なのか帰宅途中なのかはわからないが、制服に大きめのリュックを背負った一人の警察官がいた。
別に悪い事をしている訳ではないのだが、なんとなく緊張する二人。
「はい、なんでしょう」
大人が相手なので、少し改まって紅が返事をする。
「君たち、ここにはよく来るのかい?最近市内に通り魔が出るって話なんだ。僕たちもできるだけパトロールはしているけれど、あまり人気の無い所に行かない様にするんだよ。
特にお嬢ちゃん、今日はお兄ちゃんが一緒だからいいけど、一人で人がいない場所に行っちゃだめだよ」
警察官が優しく女の子に説明する。
すると、女の子が少し怒り気味に答える。
「ボクたち兄妹じゃないよ。ボク、もうすぐ高校生なんだから」
「「えっ」」
紅と警察官が同時に驚く。
「同い年……」
「あ~、やっぱりボクの事中学生と思ってたんだ。なんだか小さい子に話すみたいに優しく相手してくれるなぁって思ってたら」
そう言って不満げに紅を軽く睨む。
中学生ではなく小学生と思っていたが。
「あはは、ごめんよ。そうか、兄妹じゃないのか。デートかい?」
「違うよ。さっき初めて会ったばっかりだよ。トランペットの音が聞こえたから見に来たの」
「そうか、知り合いじゃないのか」
そう言って警察官が女の子を見つめる。
「あの、なにか?」
じっと女の子を見る警察官に紅が問いかける。
「ああ、いや、とにかく暗くなる前に帰るんだよ」
そう言って警察官は立ち去った。
なんだか変な空気になったが、女の子はまた紅に話しかけてくる。
「さっき同級生って言ってたけど、この辺りに住んでるの?ボクもすぐ近くに住んでるし、この公園にもよく来るんだけど会ったことないね」
「ここからは少し離れてるんだけど、今日は通学路の下見なんだ。帰りに家と学校の間にあるこの公園でちょっと練習してたんだ」
「へー、間ってことはこの近くの学校?」
「近くと言うか、自転車で少し走るけど皇立大阪高校ってところだよ」
「ホント!?ボクも一緒だよ!うわー、すごい。入学前から友達になっちゃったね!」
無邪気にはしゃぐ女の子。いきなりの友達宣言。すごいコミュ力だ。
「ボク、穂村有海。」
嬉しそうに自己紹介する有海。この状況で答えない訳にはいかない。
「黒森紅、だよ」
「よろしくね、黒森くん。一緒のクラスになれるといいね!」
そうして話し込んでいるうちに、空が赤くなってくる。
「あ、もうこんな時間だ。ごめんね、せっかく練習してたのに長い事邪魔しちゃって」
申し訳なさそうに謝ってくる。
「大丈夫だよ」
邪気の無い相手だからか、紅も珍しく自然に話せて楽しかったのでこれは本心である。
「じゃあ、ボク帰るね。またね」
手を振りながら立ち去る有海。
有海を見送り、もう少し練習するか迷ったが、結局は帰る事にして楽器を片付ける。そうして少し遅れて、有海の帰った方向へ自転車を押して行く。
そしてしばらく歩くと、その声が聞こえた。
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