第5話 古物の侵食

 窓から差し込む光と鳥の鳴き声で目が覚めた。

 朝になるのは早く、先程目を閉じたばかりのような錯覚に陥る。


「あら、おはよう。よく眠れたかしらぁ?」

「おはようエレーラ。泊めてくれてありがとう。」

「気にしなくていいのよぉ。こっちにもメリットがあるんだしね。」


 昨日は散々な目にあったが、この約束がある内は大丈夫そうだ。敵意がないことにほっと胸を撫で下ろす。

 隣で寝ているはずのクレアの方を見てみるともうそこにはおらず、布団がもぬけの殻になっている。

 どこかに行ったのだろうか?


「あぁ、怪力ゴリラなら庭で剣を振り回してるわよぉ。ホント、野蛮よねぇ。」

「あ、あはは……」

 エレーラは意地悪そうに微笑みながら言った。仮にも公国の王なのだが、本人に聞かれたらどうなることか。


「朝ご飯できてるから、食べてから出発しましょ。」

 至れり尽くせりとはこのことか。のそのそと布団から抜け出し食卓に着く。

 食卓にはフランスパンのような固めのパンとトマトスープが置かれている。


 いただきます。と手を合わせてから食べ始める。

 途中で稽古終わりのクレアが合流する。

 香ばしいパンの香りが食欲をそそり、あっという間に完食してしまった。


「ご馳走様です!」

「ふふっ、お粗末さまぁ。さ、片付けてから準備して出発するわよ。」

「私はもう準備が出来ている。時は一刻を争うのだ。」

「はいはい、わかりましたぁ。」


 二人の掛け合いを見るとあまり仲が悪いようには見えないのだが。

 私も準備することはあまり無いのでほぼ完了している。

 エレーラはとんがった帽子を被り、ホウキを持っている。その姿は紛うことなき魔女である。


「さ、行きましょ。」

 エレーラが外に出てホウキを倒すとそのまま浮かび上がり、柄の部分に腰かけた。

「すごい……空飛ぶホウキだ……」

「疲れるから歩きたく無いものぉ。」

「横着な奴だ。脂肪の塊になるぞ。」


 クレアの言葉にじっと睨みつけるエレーラ。

「アンタこそ、そろそろ筋肉ダルマになるんじゃないのぉ?」

 売り言葉に買い言葉だ。二人の睨み合いでバチバチと視線がぶつかる音が聞こえるかのようだ。

 私は止めても仕方ないので放っておくことにした。


 急ぎつつ屋敷への道を戻っていく。

 深緑の森を抜け、夕刻が近づく頃には屋敷の前まで帰ってきていた。

 私は昨日ぶりに見たはずの我が家から嫌な雰囲気を感じ取り、玄関の扉をゆっくりと開き中を覗き込んだ。


 家の中はがらんとしており物音もしない。

 夕刻のはずなのに背筋が凍るような異質な感覚に震えが止まらない。

 ミアが寝ている私の部屋は玄関を入り手前側の右の部屋なのだが、そちらの方から気を感じる。


「ミツキ、来るわよ。」


 レヴィが言ってから遅れて邪悪な波動を感じる。そして次の瞬間、窓ガラスに何かが当たり割れる音が周囲に響く。

「…………あっ!!」

 窓にぶつかり飛び出した『何か』はシズルだった。身体を捻りながら着地する。


「シズル、大丈夫!?」

 私達は急いで駆け寄りシズルの身体の状態を確認した。外傷はさほどないようだが、明らかに憔悴しているのがわかる。

 ずっと、ミアのことを護ってくれていたのだろう。


「ミツキさん、お早いお帰りありがとうございます……カッコつけて3日間は遅らせると言ったものの、進行が早くて……すみません……」

「ううん、大丈夫!ありがとう、あとは任せて。」

 その言葉を聞いて安心したのかシズルは眠りに落ちた。


「クレア、シズルをお願い。絶対に護って。」

「案ずるな、任せておけ。」

 クレアにシズルを預け、割れた窓ガラスの方を見つめる。部屋の中は暗くてよく見えないが、明らかな悪意が渦巻いている。

「あら……やっとお出ましかしらぁ。」


 這い寄るように闇が近づいてくる。

 闇の中心から真白の手が伸びる。すると、窓の枠を掴みながらミアの身体が這い出してきて、どちゃりと地面へと落ちた。


 昔ホラー映画で見た霊のような動きに恐怖心が芽生えてくる。

「乗っ取られちゃったみたいねぇ。動きを止めないと解呪は難しいわ。」

 このまま戦闘になったとしてエレーラがやられるとマズい。解呪が出来なければこの勝負は負けなのだ。

 私が、やらなきゃ。ミアを助けるんだ。


「レヴィ、行こう。」

「加減できるほど容易い相手じゃないわよ?死ぬ気で行きなさい。」

「うん、わかってる。」


 地面を這っていたミアが糸で関節を引っ張られるようにして立ち上がる。なんとぎこち無い動きなのだろう。普通の人間が立つのとは違う、関節をあらぬ方向に曲げつつ聞いた事のないゴリゴリという音を響かせながら立ち上がった。


 レヴィを魔剣状態にし構える。禍々しさなら劣ってはいない。

「ギギギ……ギャギャギャ……!!」

 ミアが異質な嗤い声を上げながら90度に近い角度で首を傾げると、身体から艶やかな黒髪の束が何本も現れる。


 それはまるで伝承に出てくる龍の首のように、それぞれが意思を持つように蠢いていた。

 ミアの身体の後ろに人形が微かに見える。黒髪の和装をした小さい日本人形であり、ミアはあれに魅入られてしまったのだろう。


「グギギ……!!」

 黒髪の長さが伸びながら私を標的に襲いかかる。

「燃えろっ!!」

 レヴィから黒紅の炎を放ちながら横に薙ぐ。炎が黒髪を燃焼させいくつかは焼失したが、残った髪の束が分裂しながらあらゆる方向から迫る。


 地面を蹴りながら前転して回避しつつ距離を詰めるために走り出す。

 先程まで私がいたところにおびただしい数の黒髪が突き刺さった。

「後ろ!来てるわよ!!」

 レヴィの声で後ろを振り返ると、地面に突き刺さらなかった黒髪が進路を変更し後方から私を貫かんとしていた。


 踵を返しつつ身体を翻した反動で魔剣を振り抜く。

 しかし黒髪は硬く、ガキィと音を立てて刃が弾かれてしまった。

「……いったぁい!!」

 勢いよく振り抜いたことで反動により手に硬さが伝わり遅れて痺れがくる。


「ミツキ!!逃げろ!!」

「一一一一一!?」


 クレアが私を呼んだその時、髪がバッとまるでネットのように私の目の前で広がり視界を覆う。

 次から次へと黒髪が伸びてきてどんどん周りに巻き付き、いずれは綺麗な球体と姿を変えた。


「キャハハハハハハハ!!!!」


 周囲を完全に拒絶する真っ暗な闇の中で、ミアの甲高い嗤い声だけが聞こえていた。

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