Chapter1-3 エスケープ・フロム・ザ・シティ


 ビルの谷間から見上げる空はあまりにも小さく、拡散したサーチライトの色が滲む雨雲も相まって蓋を閉じた箱の中の世界に頭を押さえつけられているような錯覚すら覚える。 謳われる自由と栄華はあくまで放電するネオンの幻想だけのメガロシティ。


 これがガラスの街。


「お帰りなさいラスティ。 水温86℃ 油温98℃ メインバッテリー電圧13.8V サブバッテリー電圧12.9V アイドリング回転数安定 いつでも行けます」


 嫋やかな合成音声が刀のように鋭いカウルを纏った戦艦じみて巨大なバイクから再生される。


「ありがとうマリー、また頼むよ」

「お任せください」


「やあマリー、元気?」


 ラスティのレーサー"XION エンデバー1800"に搭載されたPAL AIに話しかける。 持ち主不在の時に通信越しで話すことは多いが直接会うのは久々だ。


「ラスティ様への伝言以外でお話するのは何時ぶりでしょうかMs.イノセント。

わたくしは何時でも元気です。 彼が事故を起こさなければ、何時までも」

「でしょうね。 相変わらず愛されてることで……カウルは綺麗だし、雨ばっかりのこんな街なのにフォークにサビ一つ無い、綺麗よ」


 ペイントの無い白いカウルはペダル周り以外の傷や汚れは見受けられない。 地表でガンガン撃ち合っては時に撃たれながら撤退しているヤツのバイクなのに、まるで企業の趣味人が休日に乗っては唾つけて磨いてるような美貌だ。


「惚気るつもりは御座いませんが、彼の運転、及び扱いはとてもマシン思いなものです。 緊急時以外に無理を感じる事はありません。 彼の為に仕えるならこの身が砕けたとしても本望です」


 おーおー甘ったるい。新婚みたいに色ボケしたPALなんてそんなお目にかかれるモノじゃない。


「こんな礼儀正しいPAL積んでるバイク初めて見た……」


 ルナも私と同じことで感嘆している様子だ。


「初めまして。 私はラスティ様の〈XION エンデバー1800〉搭載のPAL AI マリーです。貴女のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「遅れました、ルナと申します。 恐れながらも貴女のライダー、ラスティ氏の同業でございます」


 マリーの気品ある喋りにルナは気圧され気味だ。

 ……それはそうと受け答えを聞いてる限りでは、彼女は私みたいな路上のボンクラの生まれでは無いように思える。少なくともゲットー以外の……中流階級地区の生まれだろうか。 後付けで身につけたとしたら元企業か。


「Ms.ルナ。 此度は共に走れる事を光栄に思います。 共に走るこの道が貴女の良き体験になるように願っております」

「こちらこそMs.マリー、貴女のライダーに追走できる事を光栄に思います」


 ラスティがハンドルに付いたトグルスイッチを上げていく。 タンデムシートに取り付けられたタレットの銃座が左右に一回転した。


「マリー、クドーの診療所までの案内を頼む」

「承知しました。 経路を検索致します」

「イノ、お前のバイクはアレだ」


 指さされた指先を向くとーー



 ……この時代に三段シートってマジかーーー!!


 いや、マジかよ。 とっくの昔に絶滅した筈だ、三段シートは。

 車体自体はネオクラシカルの瀟洒なデザインなのに……思わずラスティを見るが「問題あるか?」と言わんばかりに肩をすくめるだけだ。


「あー……ヤンチャそうな子ね……どれどれ……」


 とりあえず跨って認証キーを差し込むとハンドルロックが解除された。


「ヨ! オレはついさっきおっ死んだマザーファッカー・バスタの〈シラドリ アスカ800〉PAL AIのファッカーダ! ヨロシクナ! お前が新しい飼い主カ!!??」


 やっぱりか……むしろこれくらいアホなPALのが普通な気もするかも、違うかも……。


「あー……ファッカー? 水温と油温、アイドリング安定性は?」


 下半身に伝わる妙な振動から嫌な予感しかしない。 ボディはそこそこ綺麗だが族車なんてのはコンディションは大抵クソだ。


「水温122℃! 油温は〜〜……油温は読めねえ! 電圧12.3V! 多分大丈夫ダ!走れるゼ!!!」


「はぁ……」


 呆れてため息が出る。 走れはするだろうが快適な旅とは程遠いだろうな。


「えーっと……ラスティ? 他の無い……よね〜?」

「残念ながらな。 他の奴らは逃げたか撃ち抜いたからな」

「相変わらず容赦ないねぇ」

「殺しの話カ! もっと聞かせロ!!!」


 メーター周りからキャンキャンと喧しい。


「お黙り、今からアタシがアンタの女王様のイノセントよ。わかったら返事しなこの野良犬!」


 サラブレッドをムチでシバく騎手よろしくエンジンを蹴る、 ポンコツAIは叩いて直すしか無い。


「ウー怖え!オレSM興味ないんだけどナ!逆らえねえヤ!!!」


 減らず口が止まるまで蹴るべきか? とりあえずタンクを殴る構えを見せる。


「イノ、ちょっと愛情に飢えてるだけだから優しくしてやれって」

「アンタはAIに優し過ぎなの!」


 そんな漫才をしてる間に痺れを切らしたルナが後ろに飛び乗り私の腰を掴む。 タンデムなんて何時ぶりだろうか。


「ラスティ、イノセント様への地図共有は如何致しましょうか?」

「俺から送る、ガイドと迎撃を頼むぞマリー」

「お任せください」


 ラスティがドラムマガジンを装填した対物ライフルを押し込みタレットの銃架に押し込みADDケーブルとセンサーモジュールを繋げた。


「〈BREACH FOR ALL .50〉の接続を確認しました。 タレットコンディションをテストします」


 銃を保持したタレットは銃口を上下左右に振る。


「………システム オールグリーン 残弾数30 警戒を開始します」

「よし、行くか」


 フルフェイスを被ったラスティがギアを入れる。

 メカニカルノイズの少ない、それこそマリーのように気品ある機械の音だ。


「マップOK、いつでも行けるよラス」


 座標を受信。 法定速度で30分程だが彼の事だ、守る気は毛頭無いだろう。私もミラーにかかった赤と白のやたら派手な半ヘルを被りゴーグルを付けストラップをロックする。


 臭え……風呂入ってないヤツのメットかよ……。


「ファッカー!いつでも行けるゼマザファカー!!」

「今度余計なこと言ったら初期化ブチ殺すするわよ」


 ラスティが走り出すと同時にギアを入れスロットルを開ける。 案の定排気は喧しい。しかし振動以外は存外にスムーズでノイズは少ない、とりあえずは問題無さそうだ。


「ルナ、しっかり掴まっててよ」

「がんばります……」


 バックパック越しに片腕で私にしがみつく細い腕は震えている。


『イノ、加減はするが無理があったら言ってくれ』

「いつものアンタの走りでいいよ、そっちのが楽しいから」


 ラスティが正確に速度とギアを上げていく。

 50……80……110km/h……

 こちらもギアを上げスロットルを開けていく。


「わ、わ、わ……」


 背中から小さな悲鳴が聞こえるが聞こえないフリをした。

 信号待ちの車列の間を縫うようにラスティが走る。若干減速しその後を追う。


「ヨー、中々オシャレな走りだナ!!気分いいゼ! 前の飼い主は無駄に回してたからこんな楽な走り久々だゼ!!!」

「いいから黙って!!!」


 背後のルナは肩に顔を押し付けて必死に風圧に耐えている様子。彼女の分のヘルメットは無かった。


『……ドローンが来てるな、まだ撃ってこないだろうが……』


 ミラー越しに後方遠方のハンタードローンの赤外線レーザーサイトを電子視認する。 私たちは未だ企業の警戒圏の中だ、橋を越えるまで気は抜けない。


 ラスティは車列を抜けたら信号無視で交差点を曲がるつもりだろう。マリーのサポートあっての走りだろうが、そもそもそういう奴だ。


 思った通りスムーズな減速からの急加速で交差点を曲がったので同じように減速しリアを沈み込ませ旋回、ギアを下げスロットルを全開まで捻り再加速し並走する。 タンデムのせいで小回りが効きにくい。


『やっぱりお前と走るのは気分がいい。以心伝心ってのはこういう事なのかもな』


 直後、ラスティは減速し15m後ろを走行する。


 少し待つと対物ライフルの発砲音が三発響いた。 マリーの迎撃能力は軍用タレットとそう変わらない。


『クリアー。 あとは橋まで一直線だ。何も無きゃこのままツーリングでもしたいんだがな』


 スロットルの煽りが耳に届いた矢先にラスティが前に出る。 1800ccの爆発的な加速はまさに瞬間移動に等しい。

前方車を右左と避けてさらに加速。メーターの針は150km/hを指し、エンジンの高音が耳を刺す。


 こんなクソな街でも、バイクで走るなら少しはマシに思えてくるから不思議だ。


 ーー特に追撃も無く時折車を避けながら暴走を楽しんでいると橋が見えてきた。


「診療所に着いたらアンタはどうするの」

『そのまま帰るさ、特に用もないし今日はよく働いた』

「コイツはどうしたらいい?部隊のモノに?」

『お前の好きにしていい。 ミッドサイドのアルに持っていけば何から何までやってくれる。 ナンバー抹消も、そのふざけた三段シートもな』


 随分と気前がいい。


「そ?ありがと。 丁度気に入ってきたのよね」

「オレはこんなドS女王様イヤだけどナ!!後ろのカワイ子チャンのモノになりてーヨ!!!」


 ファッカーがメーターから喚く。音量がデカすぎる。


「このポンコツPAL以外はね」

『連中の情報を持ってるかもしれん。 初期化の前にバックアップしてウィンストンに送っておいてくれ』

「りょ」


 埋め立て地の入江を跨ぐ大橋に辿り着く、時間帯もあり先行車がいないのを見たラスティがスロットルを全開に開ける、爆発的な排気音とともに凄まじい超加速で距離を開けられていく。

 闘争本能をくすぐられて負けじとスロットルを限界まで開けて加速を始める。


 160、180、200、218km/h……レブリミットが作動しエンジンがスタッカートの悲鳴を上げる。


「オーバーレブ!!オーバーレブ!!!そんな激しくしたらエンジンのチンポが擦り切れて無くなっちまうヨ!!!!ヘタクソ!!!ヘタクソ!!!」


 左ハンドルのボタンを探りPAL音声をミュート。


 タンデムじゃとても追いつけない、ソロでもどうだか……マジでバケモノじみたバイクだな……。


「ひっ、いっ…早っ、すぎっ」


 レッドゾーンの手前で震えるタコメーターの針同様にルナは震えて歯をガチガチと鳴らす。


「ラス、アタシの負け。 これ以上出されると追いつけないし、ルナがちびって大変な事になる」

『あ、悪い。170まで落とす』


 お互いにスロットルを戻し減速、オートクルーズを入れる。勝手に始まった勝負には負けたが清々しい。

 こんだけガラガラの道じゃドラッグレースよろしくブッ飛ばしたくなる気持ちはよく理解できる。


 ーーふと、橋のアーチの向こうを眺めながら思案する。 キラキラと虚しさすら感じる街並みを背景にナイトクルーズの船団の奥の工業地帯は有害な煙を吐き出し、日夜お構いなしに雨雲に重金属と酸を供給し続ける。


 ふいに噴き上げた海風が錆びた橋梁の匂いを纏い鼻腔に刺さり、思わずえづく、当然だが海水だって深刻に汚染されている。


 美しくマトモだった時代の世界がどんな匂いでどんな色だったのかを私たちは肌身では知らない。


 過去のアーカイブの写真やニューロゲームで五感に再現されるような世界や街並みが本当にあったのか、にわかには信じられない程に街は汚れ切っていて、歴史の正しさなんて1¥$エディの価値もなくなってしまった世界でこんなことを考えるだけ無駄なのかもしれない。


 ーーラスティが減速し始めた、意識を運転に戻そう。


『警戒圏は抜けたな、ようやく一安心ってとこだ』

「あー疲れた……ホントありがと」

『いいってことよ』


 橋の終わりを目の前にゆるゆると70km/hまで減速していく。

 ミッドサイドは色々と雑然としている街だ。 さっきまでの速度で突っ込もうモノなら一瞬で壁のシミになる。


 ラスティに続いて減速し角を曲がる。


 ポツ、ポツ、と雨粒がヘルメットを叩く。 やっぱり降ってきたか。雨の匂い自体はずっとしていた。


「傷濡らすんじゃないよ」

「うう、うん、はい」


 声をかけるがルナは気絶しかけてる。 無理もないか。


 この街の酸性雨は擦り傷にかかるだけでも焼けるように痛む、一体どれだけ汚染されてるのやら……。

 路肩のホームレス達は急いでバラックにブルーシートを被せている。昔から変わらない光景だ。


 視界内に通知タブが表示され、横長のチャットウィンドウが開かれる


 "kudoctoru // ガレージ開けてるから入ったらシャッター閉めて降りてこい"


 クドーからのえらく端的なメッセージだ、怒ってるだろうなぁ……。 今日何度目かのため息を吐いてウィンドウを閉じる。


「クドーがそのままガレージに入れって」

『了解、もう着くぞ』


 角地の古びたビルが目的地のクドー・ドクトルだ。


 ラスティが歩道を跨いでガレージに滑り込みエンジンをかけたまま降車、その横へとバイクを停めてエンジンを止める。


「クドー!品物は持っていくぞ!いつも助かる!」

声は地下室の階段へと吸い込まれたが、返事は無い。


 薬の切れ目と速度酔いで朦朧としているルナを引きずり降ろしている間に、ラスティは棚から小型アタッシュを取り出してサイドパニアに詰め込み、再びバイクに跨る。


「今日はありがと、二人とも」


「ああ、誰も死なずに済んでよかった」

「またお会いできる日を心待ちにしております。 Ms.イノセント、Ms.ルナ」


 壁に寄り掛からせたルナがにへらと笑ってサムズアップを返し


「……あざーー……スッ」


 気絶した。


「だらしのないヤツ」

「だいぶ頑張った方じゃないか?」


 やれやれと頭を揺らしながら端末を操作して通貨メニューを出し、適当な額を入力して送金を確定する。


「……受け取った。別に金なんていいんだがな、報酬ならさっき振り込まれたし」

「弾薬代と燃料代くらいは払わせて。互いに貸しはナシ、でしょ?」


 まあ、ね。と声なくお互いに頷く。


「じゃあ俺は行くよ。またなイノ」

「またねラス。お元気で」


 車道に前輪がついた瞬間、爆発的な排気の圧で私の髪が吹き上がる。 強まる雨煙が飾る明滅街灯の花道をラスティは音とテールランプの軌跡を置き去りにして一瞬で消えていく。

 その後ろ姿に再び生きて会える事を祈り、私は錆びついたシャッターを降ろした。

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