Chapter1-4 命
「全くお前さん達は昼も夜も、診療時間の概念もない」
通りの雑然とした饐えた匂いとは対照的に消毒薬の匂いが満ちた清潔な待合室に気絶したルナを担いでいくと、初老の顔に見合わないプロボクサー並みの剛腕にカドゥケウスのタトゥーを刻んだ白衣の男が"医"と書かれた扉の前で仁王立ちして待ち構えていた。
「ごめんって、寝てたんでしょ?」
「早くそいつをここに寝かせるんだ」
"診察室"の文字を赤い二重線で訂正して"処置室"と非常な達筆で書き直された案内板のついた部屋に通される。
医療用生体スキャナーと古いスパイ映画で見るような拷問器具じみた異貌の医療ロボが設置されたリクライニングベットにルナを寝かせて薄い肩を叩く
「うう…うーん……? ここは……?」
「ここは」
「ここはクドー・ドクトル、私は院長のクドウ ケンイチだ。 まずは君の名前を聞こう」
私を遮ってクドーは低音と威厳の、しかし確かな優しさにも満ちた声で矢継ぎ早に話し出す。
手出し無用と言わんばかりにメスじみて鋭い双眸が私を切りつける。 ここからは医者の領分だろう。
「…ルナ、です」
「コールサインではなくフルネームを。 カルテ作成の為だ、ご理解頂こう」
タンデムで血まみれになったバックパックを置いてから椅子は無いかと探しているとルナは心底嫌そうに奥歯を噛みながらこちらを見る。
私は指を自分の耳に突っ込んで「聞かないよ」の意思表示で返事をする。
「……」
控えめに動く唇の動きで何となく想像はつくが、何も聞いてないフリをした。本名なんて誰だって他人に知られたくはない。
クドーがパイレックスタッチキーボードをタイプし終わったのを確認して指を抜く。
「では診察を始めよう。 このケーブルを君の生体ADD端子に。 ICEを迂回した接続許可を」
そう言って立ち上がり、白い鍵付き医療品棚へ向かう。
医療用生体スキャナーは接続が完了したのかルナのインプラントとリアルタイムのバイタルデータを表示した。
クドーは私たちがよく世話になる『表の』医者だ。 その辺の得体の知れないクリニックによくいる無免許独学で患者の体を弄る医者とは全く違う、正しく医の道に殉じている人間。
こんなクソみたいなストリート以外……それこそ企業の医療モールでも十分通用するだろう。
それがなぜこんな地域で開業して闇医者じみた事をしているのか、付き合いは長いが未だに理解出来ない。
「まずは点滴を。これは輸液と抗生剤だ、銃弾による傷は清潔とは言えない上、君は雨を浴びた。もし感染を起こしたら……場合によっては命の為には切断しなくてならない。そうならない為の処置だ」
手持ち無沙汰を見兼ねたのか、クドーは分厚いインプラントカタログを私に投げ渡してさらりと恐ろしい事を言う。
腕がもげたってインプラントか再生すれば済むでしょ? と心のどこかで思いながらカタログの〈脳・神経〉のページを開く。
「君たちの様な稼業の人間は大抵、口を揃えてこう言う『インプラントすればいいだろう』と。 だが、出来る限りは生まれ持ったままの肉体でいるに越した事はない。 例え再生組織でも長年付き合ってきた肉体とは神経伝達と感覚が微妙に異なるものだ」
お見通しのようでこめかみがむず痒い。
ルナは不安そうにコクコクと頷きながら無事な左腕を消毒されている。
「神経系インプラントにも不調があるな、手当てが終わったら自動診断でチェックしよう」
今から何をされるのか分かりやすくて助かるな、と思いながらペラペラとページを捲っていると一面広告が目を引く。
ーーNeuro Skyの全身神経アンプリファイア。
ここの製品は性能良いけど認知がバグるらしいんだよな…… ページを捲る。
ーーDeepDiverのSD-50
ルナのメインデッキか、スペックを確認する。
……民生用のネットダイバーデッキで処理能力は型落ちギリギリの安かろう悪かろうなデッキ。とても戦闘向きではない。 ページを捲る。
ルナとクドーは色々と喋っている。
ーーリコール情報
とりあえず私の神経系インプラントは……問題無い。次のページに指を掛ける。
ハサミが包帯を切る音を聞き取る。
「イノセント。この処置は君がやったんだな?」
その声に微かな怒気を感じた。
「え? 止血はちゃんとしたはずだけど」
「……後で話が有る」
いつの間にかマスクと拡大鏡をつけて青いニトリル手袋を嵌めたクドーはピストル型注射器と止血ベルトを手にルナの傷に向き合う。私の処置に不手際があったのだろうか?
「これから右腕全体を麻酔をして銃弾が通った箇所を綺麗にする。 もし怖いなら、私の手元は見ない方がいい」
「全身麻酔は……?」
「少し高く付くが、君に支払える能力が有るならやろう」
「やめときます……」
今にも泣き出しそうな声と視線を受け取る。
「アタシだって何回もやってもらってる。 安心しなって、親知らず抜くのと同じで2分もすれば慣れるから」
……正確には諦めがつく、だ。
ダイヤルを回す音の後、注射器のエアピストン音とルナの鳴き声が控えめに響いた。
「麻酔OK。 挫滅部位を確認、血管は……」
クドーの独り言とトレーの上の金属音が忙しない。
この仕事の通過儀礼だなぁ……私も初めての時は怖かったっけ。 死ぬ死ぬ騒いでたら先輩に絞め落とされて気づいたらここだ。
名前を聞かれた時もルナと全く同じ問答をした覚えがある。
……古傷が疼いたのでカタログを読んで気を紛らわせる。
剪刀が組織を切る音に混じって電気メスの熱で焼けた血の匂いが時折鼻を突く。気分のいいものではない。 しばらく焼肉は食べたくないな……。
……特に興味を引くインプラントも見つからないので全く入れる気が無い〈生殖器〉のページを面白半分で眺めているとロボットの起動音が聞こえた。
「ダメになった組織は綺麗に取り除いた。 これから血管と筋肉、欠けた骨を再建する為にコイツに処置を引き継ぐ。私は少し席を外すが、もし気分が悪くなったらこのボタンを押してくれればすぐに戻る」
ルナは諦めの境地といった表情で呼び出しボタンを受け取って天井を眺めている。
「話をしようか、イノセント」
目も合わせずにクドーは足早に待合室へ出ていった。 とてもじゃないが茶化せる雰囲気ではない。
ーークドーについて行くとこじんまりとした、しかしながら日本的で品のある院長室へと通された。
「飲むか?」
「いや、いい」
バーボンの瓶をチラつかされたが断る。
クドーは革張りのソファに腰掛けたが、もたれる事なく両膝にゴツい肘を乗せて手組みしている。
小さな溜息の後、話が切り出された。
「あの処置の仕方はやめろと前にも言ったはずだ、なぜ拘る?」
そう来ると思った。
「道具も軽いし、ちゃんと血は止まるじゃない」
「運良く止まっただけだ。 太い動脈からの出血だったらタンポン程度じゃ絶対に間に合わない。 確実な処置をしろと何度も言ったはずだ」
しかし、どうにも普段の説教とは雰囲気が違う。
「……何に怒ってるの?」
網膜を貫通して脳の奥にまで達しそうな程に鋭い眼差しに息が詰まる。
「この稼業を初めて何年目だ?」
「8年と少し」
「今までは一人で動いていたのか? それとも誰かが守ってくれていたのか?」
「……基本は一人」
まるで職務質問か尋問だ……。
「そんなお前に後輩が出来た」
「まだ決まったワケじゃない。 今回は救出でたまたまーー」
「そういう話じゃあない」
「……」
暫しの沈黙の後、クドーが湯呑みの茶を啜る。
「お前さんもそろそろ人を教え導く立場なんだよ、ウィンストンの口振りを聞いていればわかる。 そんなお前の間違った処置のせいで撃たれた後輩を救えなかったらどうする?」
「どうって……」
口から出かかった「そんな事は茶飯事だ」という禁句を寸で喉の奥へと飲み込む。
「……お前の先輩は今まで何人いた?」
ぐわりと心拍が乱れる。その話はやめて欲しい。
「……覚えちゃいないよ」
「何人がお前を守って死んだ?」
やめてくれ……
「……」
口が動かない。
頭の奥の、頭蓋内インプラントの配線が疼きだす。
「……何人が、今も生きてる?」
「……2、3人。後は死んだか、消された」
侘び寂びと湿度空調の効いた空間にじっとりとした重い沈黙と酸性雨の雨音が満ちる。
額装された医師免許状と"医道"としたためられた掛軸が飾られた床の間では信楽焼のタヌキが気まずそうに首を傾げていた。
「そういう事なのだよ、イノセント」
いつの間にか私は床を睨んでいた。
顔を上げるとクドーは怒りというよりは、親が子に何かを諭し付けるような顔付きだ。
「医術は死者を救えない、インプラントは生きていなきゃ機能しない。 どれだけ技術が人の限界を超えても……死は絶対に超えられない」
ーー脳裏に死んでいった人達の青褪めた死顔が高速でフラッシュバックする。
ドローンに背後を取られた私の盾になってマシンガンで蜂の巣になったあの人。あの時の血の雨。
致命的なマルウェアを送信された私の回線に無理やり割り込んで脳が爆ぜたあの人。あの時の脳漿の飛沫。
企業部隊の斬撃で胴と首が離れ離れになったあの人。あの時の眼の凍りつき。
グレネードで………
……血と脳組織と肉片で飾られた記憶達だ……
「……あぁ」
止まっていた息を吐き、吸う。咳き込みかける。
頭蓋内のインプラントの疼きが止まない、出来るなら掻きむしって一思いに引っぺがしたい。
手が頭に向かおうとするのを堪える。
「今更稼業を辞めるつもりは無いんだろう?」
怒気が消え、鋭さを収め憐れみすら帯びた眼差しが却って痛い。
「……地上での生き方なんてもう忘れたよ、今更……」
「なら、生き残る術を正しく身につけるんだ。コレは、私からの一個目の処方だ」
乱れそうになる呼吸を気力で押しとどめて白衣のポケットから取り出された見覚えだけはある小さなスプレー缶を受け取る。
「使い方は後でもう一度教える。処置室に戻るぞ」
ーー脳の疼きに耐えかねて戻る途中の手洗いを借りて顔を洗う。
先の戦闘で受けた頬の掠り傷に水道水が沁みた。痛みが無きゃこのまま忘れていた傷だろう。
肉体、命。 この世界でどこまでも廉くどこまでも省みられないモノ。生の喜びよりも死の恐怖と悲しみを強く脳に刻んで、他人に刻みつける稼業。
友人達の死を背負う苦しみに目を背けて自分は孤独だと嘯く在り方、ロクな終り方は出来まい。
洗面台の磨かれた鏡の向こうから私を睨みつける私は私自身に何を、思うのか……過去の……あの頃のあの日の……私が見たら……
……これ以上はやめよう、ドツボにハマったらヤバい、事になる。
薬が切れ、かかってるのかこの手の、思考がやたらと浮かぶ、頭の中の痒さが痛、みに変わってきた、そろそろ、足してお、くか……。
本来の薬の用法、用、量、は、最早、覚えていない。 とっくの昔、に私の肝、臓はコイツを代謝する事に最適、化されて、いる。
注射、器を握る手が震え、る。 ネオベンゾ系の、離、脱症、状 to 地上、恐、怖症.の…、……脳の、疼きは、これか…、…
刺 orhy/w す、押a@mamt す、血 管が、
沁みる。
「……ゲホッ、ああ……うん……うん」
被りを振り洗面台に唾を吐いて水を流す。鏡に映る私だけがこの無様な光景を見ていた。
まだ治ってなかったか、地上に降りたらこうなると忘れていた訳ではないが……。
ジリジリとした焦燥感と乱れ切った心拍が徐々に落ち着いてくる。 相変わらず不便な体だ。
処置室に戻るとルナは傷を手縫いされてる最中だった。 クドーが握る鉗子は自動ミシンの如き正確な縫幅で縫合針を刺しては糸を手繰るのを繰り返している。
「今日の昼過ぎまではこのまま入院してもらう。上肢固定もそれまで。 骨折には生体フォームを充填した上に再生促進剤も使ったからギプスは三日で取れる。 ただし、ぶら下がったり銃が撃てるようになるまでは二週間。 しばらくは不便だろうが、しっかり栄養と休息を取る事だ」
流石に慣れてきたのか、はたまた興味本位かルナは自身の腕を行き来する針先を眺めている。
「物理タイピングはいつから出来ますか?」
「痛みが悪化しなければ明日から大丈夫だろう」
私は椅子に置いたカタログをクドーの机に返してから腰掛けた。
「イノセント、座ったままでいいからこっちに来てスキャナーに接続してくれ。処置が必要だ」
「処置? 何の?」
「恐らくだがルナ君の神経マルウェアが伝染している。 ADD直結したんだろう?」
「あー……」
自覚症状は全くない。……いや、さっきのアレは関係あるのか? 考えながらルナの隣に移動してスキャナーのケーブルを引き出し、頸のADD端子に接続する。
「そこまで悪さをするようタイプじゃないが、定期的に情報を抜いたりデッキに負荷を掛けるようなモノだ。 お前さん達にとっては致命的だろう。 ついでにインプラントのファームウェアも見てやる」
「ソナーか……」
ルナがやたらと追い回されていた理由に合点がいった。
ドローンか企業のネットかは定かではないが、ハッキングの為にネットダイブして感染、位置情報を特定された結果……ってとこだろう。 連中も面倒なことをしてくるモノだ。
クドーがタイピングを終えると視界に管理者権限ダイアログが表示されたので許可する。
「……ファームウェアが旧いな。ちゃんとチェックしろとアレほど……更新する。一瞬OSが落ちるぞ」
「安全な回線が見当たらなくてね」
「探す気が無かったの間違いだろう」
ド正論。言い返す隙もない。
とりあえずルナに八つ当たりしよう。
「……ルナちゃ〜ん? ハッキングは便利だけど気をつけなさいよ? 今度ファイアウォールを替えてもらーー」
「その相談ならちょうどさっきしました、あと無理なちゃん付けキモイです」
修飾子付きでピシャリと切り返される。
今日一日分の仕返しか?
「あーー……そう、そりゃよかった、わね」
マジで隙が無え……どうにもならねえ……。
「ファイアウォールならお前さんのも定義ファイルが旧すぎて体に入ってるだけでロクな仕事をしていない。 人をどうこうを言う前に自分がちゃんとしたまえ」
あまりにも無慈悲な追撃に口が装填不良を起こした。
マジで何も言えねえ……。
反論できない苦しみを噛み締めながらインプラントOSの再起動を待つ事にした。
ルナが医療ロボにギプスを巻かれている間にインプラント周りの処置が終わり、さっきのスプレー缶についての講習を二人一緒に受ける。
「それは軍用の応急処置キットだ。受傷部位にスプレーする事で止血、消毒、麻酔が全て済む。 銃創や深い傷にはノズルを差し込んで泡が溢れるまで注入。 肉が捲れるような傷はたっぷりとスプレーして包帯で固定すれば仮接着される。 使った直後はひどく痛むだろうがーー」
あの説教の直後だ。今までは流し聞きしていたが流石に真面目に聞く。
「ーーすぐに特殊フォームと止血剤により確実な止血が行われて、痛みも止まる。 傷口にタンポンを捩じ込むよりは遥かにマシで、確実だ」
「……イノセントさ〜ん……?」
二人からの視線の圧で99%レシオの.zipファイルになりそう。
とりあえず反省している素振りを見せる。
「よし……術式全て完了。 上階の401号室にこのまま入院だ。部屋に着いたらケーブルを接続して休みなさい」
「本当に助かりました……」
腕を吊る器具を付けられながらルナは実に申し訳なさそうにしている。
さて、帰るか、あの家は……とりあえず家賃だけは払ってた筈だが……ああ、バックパックが血まみれだった。 明日バリスティックで買い替えるか……。
「イノセント、雨は朝まで止まない予報だ。 ルナ君の病室のソファで良ければ休んでいくといい」
予想外の申し出だった。
「いいの?」
厳しいし愛想も悪いけど根っこはほんと優しいんだよな……この街じゃ絶滅危惧種だ。
「ああ、後……とりあえずの食事だ。二人とも何も食べてないのだろう?」
机の足元の冷蔵庫から真空パックのXXLサイズブリトー(プロテイン増量チリチキンタコス味)と三角パックの牛乳を2個ずつ渡される。
どこまで優しいんだ……。目の奥がじわりする。
「何から何まで助かるよ……いつもありがとう」
「気にするな。じゃあ、おやすみ」
「……おやすみなさい、クドー」
涙が出そうになるのを堪え、ブリトーを抱えながらルナの点滴スタンドを引いて私達はエレベーターへ向かった。
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