第4話 梨の実

 ガルーバンは、何が起きたのかを考えるのは後回しにした。もいだ梨は金色ではなく実際は黄色だったが、それもどうでも良いことだ。1分1秒を惜しんで、今までに飛んだことがないほどのスピードでラキの住むツリーハウスへ戻ったガルーバンは、家の入り口で泣き崩れるミミを目にして、心臓が止まりそうになった。


「ああ、ガルーバン様、間に合って良かった。もう、もう本当に最後です。どうか、お側にいて差し上げて下さい」


 まだ生きている。

 そのことだけが、ガルーバンにとって大事なことだった。

 ミミに言葉を掛ける間も惜しんで、飛んでいるのか走っているのか分からないほどにガルーバンは急いだ。

 青白い顔をしたラキは、もうヒューとも鳴らないほどに呼吸が浅い。

 これでは自分から梨を食すなど出来るはずもないと察したガルーバンは、絶望するより早く、自身が梨にかぶりついた。しゃりしゃりと細かく噛み砕いてラキを抱きかかえ、口移しで梨の果汁を与える。とても甘くみずみずしい梨だったが、ガルーバンには味などまったく感じられなかった。

 ただ黙って、ラキが梨の果汁を飲むのを待った。

 とても長い時間が経った。いや経ったように感じただけなのかもしれない。

 こくりとラキが小さく喉を動かした瞬間、ガルーバンは滝のように流れ始めた涙を止めることができなくなった。


 ――俺の、嫁だ。


 刹那、ガルーバンの胸に痛いほどに熱い思いが刻み込まれた。

 食料の授受がこれほど感動的なものだとは、まだ9歳だったガルーバンは想像してもみなかったのだ。

 もう一度、ガルーバンは梨の果汁をラキに与えた。今度はこくりとすぐに反応があった。

 嬉しくなってそれを繰り返すたびに、ラキは目に見えて回復していく。5回目になり、ガルーバンは噛んで柔らかくした果肉もラキに口移しした。果肉も力強く飲み込んだラキを見て、ガルーバンはもう大丈夫なのだと確信した。

 嫁であるラキを自身が守れたことに、無上の喜びが湧き上がってくる。

 梨が半分無くなったところで、ラキが嫌々と首を横に振った。どうやら今はもう入らないらしい。

 口移しの終わりを残念にも思いながら、ガルーバンがラキから顔を離そうとしたところで、拭う間もなく流れ続けていた涙がラキの頬に落ちた。


「……ガル?」


 頬に赤みも戻ってきたラキを、ガルーバンは感慨深く見つめた。空色の瞳が自身を見つめ返しているのが、どうしようもなくいとしい。


「ラキ……ッ」

「ないてる、のか? かなしい、ときは、おいしい、ものをいっぱい食べると、いいんだぞ?」

「そうか……」

「うん、そーなん、だ……」


 にこーっと嬉しそうに笑って、ラキはすうっと気持ちよさそうに眠りに落ちた。ガルーバンはようやく涙を拭ってから、ラキのふわふわの金の髪を撫でた。


 ――ゆっくり眠って、早く元気になれ。元気になったら、結婚の報告をしないと、だからな。


 だが、翌朝すっきりと目覚めたラキは、昨日のこともすっきり忘れてしまっていた。

 ガルーバンはほんの少しだけ落胆したが、それを前向きに捉えることにした。


 ――俺、ラキに惚れてほしい。そんで、にこーっと笑って「ガル、好き」って言われたい。


 「結婚はその後で良いや」、と気楽に思ったガルーバンだったが、それから16年もの長きに渡り、片思いに甘んじることになるとは想定外のことだった。

 ガルーバンはミミにも口止めをして、ガルーバンとラキがすでに食料授受を終えていることを自身の胸にしまうことにした。ガルーバンがあまりにも浮かれていたため、その日の夜には父トウキには、全部バレてしまっていたのだが。


「ラキにはぜったいに言うなよっ? 男と男の約束だからなっ?」

「ほう? ガルーバンも一丁前なことを言うようになったな。まあ良い、儂は口が固いからのう」


 そう言ってニヤリと笑ったトウキもまた、16年間という長い年月にこれから苦労することになるとは思いも寄らないことだった。



**********



 ガルーバンとラキが結婚生活を送るようになってふた月が経とうとしていたある日、口は悪いが気の利く夫婦の後押しにより、ガルーバンとラキはようやく真の夫婦となった。

 そのきっかけとなったのは、割とろくでもない下品な話なのだが、毒舌だが口が堅い夫婦により、誰にも広まることはなかったという。

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地母神と鳥人の掟 浦野 藍舟 @aishu_urano2016

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