第3話 ここで会ったが百年目

 ついにこの日が来たのだとガルーバンは思った。ラキの母親が言っていたように、ラキは「この地に身体を馴染ませる」ことができなかったのだと。

 ぐったりと横になったラキの姿は、青ざめて頬もこけ、死期を目前にしたあの母親に良く似ていた。

 苦しいのか、ラキの空色の瞳から、涙がひとすじ流れ落ちた。


「今日で6日になります。もう何も食べることも飲むこともできなくなりました……」


 西の果てにある村の長の妻――ミミが、申し訳なさそうに首を横に振る。

 ミミが懸命に、ラキの看病をしていたことをガルーバンは知っていた。だから口唇を噛み締めて、ミミを批難しそうになる自身を堪えた。

 ラキの具合が悪いと報告が入ってから、ガルーバンは毎日のようにラキの様子を見に来ていた。

 父トウキには、自分が見ているから心配するなと伝えている。

 ラキがオレンジのカエルを生で食べたのだと聞いた時には、「またか」と思ったものだが、今回はいつものただの腹下しとは状況が違っていた。

 ヒューヒューと、呼吸音も怪しくなってきたラキのそばに腰を落として座り、ガルーバンはラキの手を握った。小さく柔らかな手のひらは、熱のせいでとても熱い。


「ラキ……」


 本当は「頑張れ」と言いたかったのだが、ガルーバンはその言葉を飲み込んだ。

 苦しむラキを前に、他に言わなければならないことがあるのではないかと思ったのだが、どの言葉もそぐわない。

 結局言葉もなく、ただ祈りを込めて握った手のひらを、ラキがギュッと握り返してきた。


「ガ、ル……」

「な、なんだ? ラキ」

「ラキ、ハラへった……」

「っ!?」


 掠れた声でラキが紡いだ言葉に、ガルーバンの胸が震えた。

 ラキはまだ生きようとしているのに、どうして勝手に諦めようとしていたのか。それはとてつもなく浅はかな考えだったと、ガルーバンは自身を恥じた。


 ――そうだ。俺がラキを守らなきゃ。俺、お前の母親と約束したんだ……。


「分かった。今、何かおいしいもの、探してくるな」

「おい、しいもの……」


 ガルーバンの言葉に、ラキが微かに頬を上げて笑った。

 すぐに飛び立とうとしたガルーバンを、ミミが止める。


「あ、あの……」

「いいんだ。お前がラキに尽くしてくれていることは分かっている。俺が、何か探してやりたい。それだけなんだ」


 ミミは出来うる限りの食べ物や調理法を試した上で、ラキがもう何も食べられないと言った。

 それが分かっていてなお、ガルーバンはラキが弱っていくところを、ただ何もしないで見守っていてはいけないと思ったのだ。


 ――何か、きっと何か方法があるはずなんだ。


 ミミがガルーバンを見送ってくれてから、半日があっという間に過ぎた。

 ガルーバンは自身の寝食を忘れていたせいで疲れ果てていたが、それでもどうしてもラキの元に何かを持って帰りたかった。

 だがその何かがまったく分からない。

 闇雲に飛び回ったところで仕方がないとも分かっているのに、ガルーバンはその何かを探し続けた。


 ――ラキを助けたい……。


 強い思いとは裏腹に、もう翼にも身体にも力が入らない。

 ガルーバンは森の中に、半ば落下するように着地した。


 ――あ……。


 足元にいたのは、ラキを今もなお苦しめている、あのオレンジのカエルだった。

 まさにここであったが百年目。ガルーバンは憤りをそのカエルにぶつけようと、着地した片足をそのカエルの上に持ち上げた。

 そのままその足を強く踏み下ろせばそれで終わりだ。

 だがガルーバンには、そのカエルの命を奪うことはできなかった。無駄な殺生はするなと、幼い頃から父トウキに教え込まれていたからだ。


「チッ」


 ガルーバンは下手くそな舌打ちをしてカエルの横に足を乱暴に下ろすと、しゃがみこんで悪態を吐いた。


「何なんだ、お前はっ! 全然うまそうじゃないくせに、なぜラキに食われたっ! なぜ逃げなかったっ! この愚鈍なカエル野郎がっ!!」


 そのカエルにしてみれば良い迷惑だ。身に覚えのないことでギャーギャーと罵倒され、意味が分からないことだろう。

 だがその時、ガルーバンの身にも意味が分からないことが起こった。

 感情が高ぶって溢れたガルーバンの涙が、オレンジのカエルの背中に落ちた瞬間、ケロロと鳴いたカエルの背中に小さな真白き羽がニョキッと生えたのだ。


 ――えっ!?


「うわっ!?」


 慌てて立ち上がったガルーバンの目の前で、カエルがゆっくりと飛び上がる。小さな羽がパタパタと羽ばたき、ガルーバンの目線の高さを超え、さらに1メートルほど上昇した先でカエルの動きが止まった。

 恐る恐るガルーバンが1メートル飛び上がると、オレンジのカエルは黄金の実にへばりついていた。その背中にはもうあの羽は影も形も見当たらない。

 ケロロとカエルは一声鳴くと、ピョンとカエル本来の跳び方で葉っぱと枝に飛び移って姿を消した。


 ――な、何が起こったんだ?


 ガルーバンの疑問に答えるかのように、目の前には黄金の実が輝いている。


「……梨?」

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