いちごジャム

第1話 赤いのは

「君も素直じゃないよね」


 本日、一族の長となった頼もしいガルーバンの姿を人影からひっそりと覗いていたムーアは、予期せず背後から掛けられた声にびくりと身体を震わせた。

 本日の主役であるはずのガルーバンが、ラキを抱えて早々に座を辞していくのを、何とも言えない思いで見送っていた最中のことだ。


「ズッソ、お前か」


 ムーアがホッと息を吐いたのは、たとえムーアがどんなに未練たらしい表情をしていたとしても、ズッソはそんなことを誰かに言いふらしたりするような男ではないと知っているからだ。

 そもそも人に対して関心が薄いのが、このズッソという男だった。

 森に溶け込む緑一色のトーガを好むこの男は、家柄も良く、ガルーバンの信頼も厚いのだが、とにかく女嫌いで有名だ。筋肉がつきにくい体質なのか、鳥人の男たちの中では細身の部類であるズッソだが、その繊細に整った一見優しげな容姿に惹かれる女は多い。

 だが、何とか食料の授受をしたいと寄ってきた女たちを追い返すこの男の毒舌は、氷のようだという。


若長わかおさのこと、残念だったね」

「はあ?」


 ムーアが驚いたのは、ズッソが人の色事に口を出すことなど想像もしていなかったからだ。言い寄る女たちには苛烈なまでに毒舌だが、自身に寄ってこない女に自ら話しかけるなどありえないと思っていた。


「まあ、ラキを徹底的に弱らせてわざわざ若長わかおさに好機を作ってあげたのは君だけどね」

「っ……」


 ズッソが言ったことは真実だ。あの色気より食い気のラキを前に、いつまでも手をこまねいていたガルーバンを、ムーアはほんの少しだけ手助けした。

 そんな形でもガルーバンの役に立ちたかったなどと、今思えばみじめでしかない。

 だがムーアには、もう他に選択肢などなかったのだ。

 ガルーバンがどれだけ長い時間、ラキを見守っていたのかをムーアは知っていた。

 知った上で、自分の方を見てほしいと泣いて縋るようなことも、無理矢理に食料授受をすることもムーアにはできなかった。

 だから、この失恋はまさに自身が招いた結果だったのだ。

 この誕生日に合わせて、ガルーバンがラキを手に入れるための行動に出るのであろうことは分かっていた。

 最近になって、ラキのあの美しい虹色の羽が、ガルーバンと過ごす時にだけピンク色にほんのり色づくのを、ガルーバンが溶けそうなほど甘い顔で見つめていたことも知っている。

 そんなガルーバンを、ムーアはずっと見ていたのだから。


「別に? あたしはただラキを痛めつけてやりたかっただけ」


 ラキが何者であるのか。

 そんなことは、ムーアにはどうでも良いことだ。

 地母神ちぼしんと讃えるものもあれば、伝説の天使族なのではないかと、神の裁きを恐れて近付かない一族の者も少なくはないが、ムーアは知っている。

 ラキは、ただのお人好しの食いしん坊だ。


「ふーん。まあ、それでもいいけど」


 くつりと笑いながらムーアの方に歩み寄ってきたズッソが、両手を開いてムーアの目の前に差し出した。

 甘い香りにムーアが目を丸くする。

 そこには、綺麗な赤いいちごが5つ乗っていた。

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