第2話:油断は大敵だった

 例の穴。

 神出鬼没で謎だらけの異物。

 これまで南を中心に度々観測されている。どのような仕組みで出現するのかは判らない。いつの間にか現れて、悪魔や魔獣を吸い込んで消えてしまう。どうして悪魔や魔獣を吸い込むのか。目的も、吸い込まれたもの達がどうなるのかも不明だ。何故か。

 吸い込まれたが最後、戻ってきたものが居なかったから。

 一昨日までは。


「とうとう、ここにも出ちゃいましたか」


 案内された先——座標から南の方向へ五キロほど離れた場所にある拓けた土地に、ぽっかりと穴が空いていた。

 直径が二メートル近くありそうな、黒々とした穴だ。しゃがみ込んで覗き込み、スマホのライトで照らしてみる。が、闇が広がるばかりで底が見えない。

 相当深いのか。あるいは底がないのか……。


「ああ。忌々しいことにな」

「被害は?」

「今のところ確認されていない」

「……なるほど。つまり被害が出る前に、と?」

「流石ボクの可愛い部下」


 理解が早くて助かる。と、右隣に立つアマイモンさんが頷く。

 淡々とした口調だが、声音には明るい色が感じられる。どうやら若干の機嫌回復に成功したらしい。

 しかし、申し訳ないがその依頼、全く出来る気がしない。


「誠に言い難いんですが、アマイモンさん。多分無理ですよ」

「何故だ? お前は何でも運ぶ優秀な『運び屋』だろう」

「『運び屋』じゃなくて『運送業』ね」

「どちらも同じだ」

「そうですけど」


 でも、心持ちが違う。『運び屋』なんて呼び方、如何にも怪しい。犯罪紛いの裏稼業みたいじゃないか。

 そう主張すると、きょとんとした表情で見下ろされる。うーん、デリカシーがない。


「でも、穴ですよ?」

「そうだ」

「どうやって触れるんです」

「触れる必要があるのか?」

「バカね、アンタ!」


 左隣に立つマノコが吼える。


「セイルの能力を知らないの? 上司のくせに!」

「知っている。『触れている、もしくは触れたものを瞬時に運ぶ能力』だ」

「穴にどうやって触れって言うのよ!」

「抉り取って地面ごと移せばいい」

「いやいやアマイモンさん、それはもっと無理です! どうやって地面から切り離すんですか!?」

「セイル、ボクは地を司る悪魔。何より肉弾戦が得意だ。ドカンと何発かやれば何とかなる」


 そう言って、握り拳を掲げるアマイモンさん。

 た、頼もしい! だけど、勝ち筋も可能性も全然見えないぞ!?

 寧ろ、土地をボコボコに破壊した事実にアマイモンさんの上司がキレた結果、アスモ先輩に叱られる未来しか見えない!


「だいたい、作業中にセイルお兄ちゃんが吸い込まれたらどうするのよ!」

「む。確かに」

「噂だと謎穴は、悪魔か魔獣を吸い込んだら勝手に消えるのよね?」


 左手で右肘を支え、艶々なピンクの唇に指先を添えたマノコが「なら、」と続ける。


「アマイモン——アンタが吸い込まれちゃいなさいよ」

「どうしてボクが」

「そうすれば、セイルお兄ちゃんやアスモさんがパワハラ上司から解放される。アタシも邪魔者が消えて、お兄ちゃんとイチャイチャ出来る。ハッピーエンドだわ!」

「ふざけるな。貴様が吸い込まれろアバズレ」

「アバズレって呼ばないでよクソ悪魔おとこ! アタシより小ちゃい脳筋バカ!」

「…………殺してやる」

「うわー! ちょっと!? 危険地帯で喧嘩するんじゃない!」


 慌てて立ち上がり、二人の間に割り込もうとした。

 が、振り返った瞬間に聞こえた『何か』に、思わず動きを止めてしまう。


『……■■■■』

「え……?」


 それは極めて小さいものだった。


(今のは何だ?)


 魔獣の鳴き声か?

 いや、違う。根拠はないが声のような気がした。アマイモンさんとマノコの喧騒から意識を逸らし、耳を澄ませる。


『……■……■、け……■……』


 相変わらず風はない。魔獣の気配もない。けれど、確かに聞こえる。一体どこから?


『……た■……■……■』


 神経を研ぎ澄ませ、あちこちを警戒する。視線を飛ばす。

 アマイモンさんが声に気付いている様子はない。何故? マノコが気付かないのはともかく、アマイモンさんが感知していないのは変だ。

 馬鹿にするわけではないが、彼女は悪魔としての等級が三人の中で一番劣っている。けれど、アマイモンさんは圧倒的に上級で、この地を統べる魔王——管理者だ。

 なのに、どうして


(もしかして、俺だけに聴こえている?)

『……■す……け……■…………た、』

「は」



『たすけて』



 はっきりと聴こえた。

 冷や汗が流れる。腹の奥が、胃の辺りが、四肢が、首から上が冷たくなって熱くなり、また冷たくなる。左胸の鼓動が速くなる。呼吸が乱れる。瞠いた目が閉じられない。唾液が干上がって口が乾く。喉が渇いて痛くなる。


 苦しい。


『たすけて』

  『たすけて』 『たすけて』

 『たすけて』『たすけて』『たすけて』 『たすけて』

『たすけて』『たすけて』 『たすけて』『たすけて』『たすけて』 『たすけて』『たすけて』

    『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』

『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』 『たすけて』 『たすけて』

  『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』『たすけて』 『たすけて』 『たすけて』



『 た す け て 』



「セイル!!」



 アマイモンさんが大声で俺の名前を呼ぶ。


 その時には、もう遅かった。

 俺は宙に浮いていた。見下ろして「ヒッ」と引き攣った悲鳴が溢れる。身体に、白い何かが巻き付いていた。それはだった。仄かに発光する白い手が、ぐるぐるとキツく巻き付いて動きを封じ、洋服のあちこちをガッチリと摑んでいる。

 手の出所を知ってゾッとした。それは丸く開いた地面——謎穴から伸びている。


「セイルお兄ちゃん、飛んで!!」

「飛べ! セイル! しっかりしろ!」


 二人の指示に、はっと顔を上げる。俺を救出するべく、この悍ましい正体不明の手に攻撃を仕掛けているらしい。しかし、それらは結界のような何かで完全に防がれている。——二人のもとへ瞬間移動して

 そう考えた瞬間、白い手が俺の首に絡み付く。


「が、ぁっ……!」

「セイル!!」


 そのまま気道を塞がれる。息が出来なくて涙が滲む。もがこうにも、全身から忽ち力が抜けて指先さえ動かせない。朦朧とする意識が一瞬、痛みで強引に戻される。髪でも引っ張られたのだろうか。もはや何も判らない。

 二人の声さえ聞こえなくなる。


『たすけて』

(だれだ)


 さっきからヨんでいる声は、誰だ。



 急降下する感覚に為す術もなく、俺は意識を失った。



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