第34話 おしまい
◇
春の魚は鰆だというが、春はサバの圧し寿司を食べるのが黒田家であった。長船しか産まれなかった黒田の家ではひな人形を飾る風習は無かったが、梅が咲く頃になるとサバの圧し寿司を屋敷の縁側に座り妻と二人で食べておった。
妻は物凄い力で押すので桶の底が抜けてしまうなんて事は毎年の事であり、それでも「ふんぬぅ~!」と全体重をかけて作る圧し寿司は限界まで圧縮されており食べごたえがあって美味かった。たった二年の間の夫婦生活であったが。濃密な二年であった。それは泣きたくなるぐらいに幸せな時間であった。
島の屋敷にて。
長船、サバの圧し寿司を食べておる。
作ってくれたのは妻の姉。
妻と同じように「ふんぬぅ~!」と全体重をかけて作る圧し寿司は、やはり桶の底が抜けてしまって上手く圧力が掛からなかったが。
それでも同じ味であった。
身が早いサバは酢で〆る事で保存が効く様になるが、妻も義姉も親の仇の様な濃度の酢で身を〆るので食べると咽る。しかしこの圧し寿司はワサビ醤油にニンニクを摩り下ろして食べるのが美味いのだ。
ちなみにシメサバもワサビ醤油とニンニクで食べるのが美味い。
酒は何でも合う。
洋酒である『すこっち』とかいうものには合わなかったが。
まあビールと冷酒に合えば充分であろう。冷酒に合う肴は例外なくビールにも合うのだ。肉豆腐とか、キンキの煮付けとか。最近は楓の影響かZIMAを飲む事も多い。
全く、日本酒党であった頃が懐かしい。
島にやって来てからは酒であれば何でも飲むようになった。
蒙古の馬乳酒でさえ手に入るこの島で長船は世界中の酒を飲んでは胃を病んでおる。
戊辰の戦はこれからどう変わるのであろうか。
会津には佐渡兵器を充分に配備させたし、使用する弾薬や火薬も定期的に供給させるようにと藤田と共に白船を使った海路で行う事を決めた。会津を旧幕府側の前線拠点とすれば新政府は悪戯に兵を消耗するだけの戦を辞めるであろうか。それでも幕閣の内部に新政府に抵抗を続ける会津を非難する人間が多くいる事からも、いずれは会津は新政府の手に落ちる事となろう。
別に良いのだ。会津が新政府の土地になろうと旧幕府の土地であろうと。
長船は自分のように愛する者を失う人間を増やしたくないという気持ちだけで戦っておる。それでたまたま出身地の会津を支援したというだけであり、痛ましくも会津で夫を失った女達は島に移住させ基地の女子寮にて生活をして貰っておる。基地の居住区はまだまだ人が住めるだけの余裕はある。会津だけではなく各地で家族を喪い路頭に迷わねばならなくなるような者を島に連れて来なくてはならぬ。
先代が関わっていた五年前の戦の事もある。種子島に貰った兵法書には装甲車よりも強力な機動兵器である『戦車』、そして戦を決定づける『空の黒船』なる兵器の運用方法も記述されておった。
まだまだ封鎖区画には何かが眠っておるとしか考えられぬ。発掘調査は進めねばならぬだろう。凶星を落とす兵器などがもしも本当にあるのだとすれば長船は先代の意思を引き継ぎなんとしてでも阻止せねばならぬ。国を焦土に変える兵器など存在して良い筈が無いからだ。しかしそれにはまだまだ島の技術力は足りぬ。白船は動いただけ。白船が本来の姿で使え、そして守りの切り札でもある『イージス』とかいう術を使えるようになったわけではない。
そして何より岡田以蔵。
この国には『死忘』なる組織がおると。
アヤツは言っておった。
もう少し情報を引き出すべきであったか。食み風を使ってしまった事が悔やまれる。
もう少し戦闘を長引かせ会話をしていれば何か解ったかもしれぬ。
秘剣は使えば必ず相手が死ぬ必殺の暗殺術。
出し惜しみをしておけば良かったと後悔する。
今は水心子の鞘に食み風に用いる鋼糸が戻っておる。一体誰が想像出来るであろうか?
島の住人全員が自由剣の継承者であるなどと。
島の住人全員が五年前の戦を経験していたなどと。
長船。
独り、屋敷の縁側に座り月を見ておる。
限界まで圧縮された圧し寿司を食べながら、月を見ておる。
楓は美空と何処かへ逢引をすると言って出かけてしまったし。
義姉は独り身でありながら若妻会の寄合があると言って出かけてしまったし。
種子島は何だか近くに居るとムシャクシャするので追い返したし。
藤田殿はそもそも屋敷に来なかったし。
和尚と五右衛門さんは店で働いているのだろうし。
長船は独りで月を見ておる。
否、納屋兼厩舎にはサツキ。
傍らには柴犬のナナが寝ておる。
ワサビ醤油とニンニクでサバの圧し寿司を楽しみながら。
胡座を掻いて座る縁側には刀と黒銃。
ふと、妻が好む御香が香ったような気がした。
夜風に黒銃が晒されたからか。
それとも会津を救った事を妻が祝福してくれているからか。
お前。
俺はまだ其方には行けぬ。
暫く独りにさせる事、許せ。
今暫く寂しい思いをさせる事、許してくれ。
俺にはやらねばならぬ事がある。
連中はこの島を必ず狙って来るだろう。
俺には守らねばならぬ者がおる。
だからお前。
あと少しで良い。
三途の川は渡らないでくれ。
渡る時は手を繋いで一緒だ。
閻魔様に怒られる時も手を繋いでいよう。
獄卒に責めを受ける時も手を繋いでいよう。
お前はどの地獄に行くのかは解らぬが。
俺は恐らく阿鼻地獄であろう。
人を殺し過ぎたのだ。
閻魔様に飛び掛かったりしないでおくれ。
それと奪衣婆とけんね翁の老夫婦には一緒に謝ろう。
寂しいからって暴れないでいてくれ。
なに。
俺もすぐに其方に行く。
待たせてすまぬ。
近く、其方に行くから許せ。
◇
休みの日は朝からビール。
長船は四畳の文化に慣れ親しんでいた。
すると爆音が屋敷の外から聞こえた。
この音、楓のトミマキだろう。
「老中。急を要するお話が」
「なんだ。今日は休みだろ」
「よくない知らせにございます」
「会津は救ったし以蔵は倒したし、自由剣の秘密は守れたし、四畳にも人がドシドシ来てるし、暫くは何もねえだろ。種子島は封鎖区画の管理人になってくれたし、義姉上は義姉上で相変わらずボインちゃんだし、藤田殿も警察官として島を守ってくれてるし、会津の未亡人は紡績工場だの郵便局だの河川管理事務所だので働き始めたし」
ビール。四本目。しかしそれを長船が飲む事は無かった。
楓の言った言葉で我を忘れたからだった。
「倒幕の要。坂本竜馬が生きているとの事にございます。既に新政府は行方を眩ました坂本を保護する為に動き出し、旧幕府側は坂本を処刑する事で士気を上げようと考えている様子。そしてあの死忘なる組織も同じく坂本を追っているとの事。江戸に潜伏する五右衛門殿からの報告です、情報は精確かと」
そっか。やっぱ、生きてたか。
世は明治と人は言うが、明るく治めていると誰が思うだろうか?
燻っておる、其処等で火種ばかりが燻っておる。
ならば火種に燃ゆる水をかけるも一興。
火種そのものである坂本。
火種そのものである長船。
二人の英雄が再会する時、世に燻る火種は大きく燃え上がる。
四畳藩奮闘記 ~自由剣 食み風~ 居石入魚 @oliishi-ilio
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