第33話 壱の秘剣 自由剣・食み風

 結果だけを伝えれば。

 長船は頬を斬られ、以蔵はボンッ!と音を立てて即座に首を飛ばされた。

 しかし長船の水心子は柄に納められているままだ。

 噴水のように肩口を平らにされた以蔵の身体から血が噴き出すのを確認した維新志士は何事かと後ずさる。驚いているのだろう事は間違いないのだが、一番驚いているのはその維新志士と切り結んでいる楓であった。

 それはその筈なのである。

 老中は会津から左遷された会津の侍である。

 幾ら戦を極めた鬼黒田とはいえ、そんな筈が無いのだ。


 自由剣・食み風。

 その秘剣を《島の人間ではない長船が繰り出した》のだから。


 腕を交差させるようにして顔を守る長船の残身。ヨロヨロと踏み込みの勢いのままに数歩歩き、そのまま倒れる以蔵の遺体。それを見た維新志士が何か言いかけ、そして以蔵の死亡を脳髄が理解したのか蜘蛛の子を散らすように逃げ出す彼等。背中から斬るのはあまりしたくないと言いたげに楓は逃げるリーゼントをつまらなそうに斬り続ける。

 長船は交差していた腕を解き、動かなくなった人斬り以蔵の傍に身を屈めた。


「これで満足か?お前を斬った秘剣は『食み風』っていうんだ。お前が望んでいた自由剣に伝わる秘剣だよ。もう生き返ったりすんな。男塾とかドラゴンボールみたいに死者がポンポン生き返ってくんな。お前の無念は充分に伝わった。人斬りしてんのって命を賭ける事が出来る組織が在ってこそだろ。お前は生き返った後も人斬りとしての存在だけを利用されてたんだもんな、そりゃ無念だったろ」


 殺した相手に優しく声を掛ける長船。

 気持ちを理解出来る相手として、志士の人斬り程に相応しい連中はいない。

 気持ちを共有は出来ぬが、痛い程に理解は出来る。

 信念に殉ずるからこその人斬り。

 その信念を崩され、それでも人を斬れなどと。

 その無念は量り知る事は出来ぬ。

 断末魔を上げるリーゼントが皆倒れ、楓が血振りをしながら長船の所へ歩いて来る。理解出来ぬ人斬りはコヤツだけで良い。左手で鞘を引き上げている事からも此処で長船を斬る意思は無いようであった。

「老中、なんで貴方が自由剣を振るう事が出来るのですか。以蔵を斬った剣は間違いなく『食み風』。そして自由剣の秘剣は仕込み無くして使う事は出来ませぬ」

 少し怒っておる。

 それはそうだろう、自由剣はこの島にしか伝わらぬ剣術だ。


「簡単だ。カミさんから教えて貰った」

「美香姉は門外不出の自由剣をペロッと老中に教えたのですか!」


 聞かずとも教えてくれたのだ。

 面白い剣術が在るの!って。

 ねえねえ面白い剣術が在るの!って。

 剣術ってか忍術が在るの!って。

 教えちゃおっかなー?って。

 どうしようかなー?って。

 それで長船が「忍術ならば他人に口外するものではない」と言うと。

 夫婦は家族で他人じゃないわハゲボケー!と泣き出したので仕方なく教えて貰ったのだが。

 泣かせたお詫びとして会津中の甘味処をハシゴする事になったのだが。

「夫婦間に秘密は無しってのが俺等の約束だったからな」

「んじゃ秘剣に必要な『仕込み』は何処で…?」

 其処で長船は自身の水心子を帯から外し、楓に放った。

 何処か不審な点は無いかと探る楓だが、見つからずに悪戦苦闘しておる。

「笄櫃んとこ、引っ張ってみ?」

「笄櫃。ペーパーナイフだのを仕舞う部位ですね。えっと…」

 日本刀の鞘の側面には少し盛り上がった小物入れとして使う部位がある。それを笄櫃と呼んだり高櫃と呼んだりするのだが、長船のその鞘は櫃に小さな円の装飾があった。

 指を通し、引っ張る事が出来るような。

 楓は不思議な顔をしながらその輪っかを引っ張る。

 するとビィィィィィィィとそのまま輪っかは音を立てながら何処までも伸びる。

 否。

 輪っかは伸びぬ。

 伸びたのは輪っかと鞘を繋ぐ何か。

「…これは…。鋼線ですね…。光が当たらないと視えない程に細いですが」

「医療器具なんだけどな。骨にガン細胞が転移した場合の手術ん時に骨髄だけ残して削ぎ落とすワイヤーソーって奴だよ。本来の『食み風』は三味線の弦を使うんだろ?」

「それか琴の弦とか、私のように鋼糸でも良いのですけど…」

 食み風は交戦状態で使う秘剣に非ず。本来は後ろから近付き、弦で首を絞め、上方向に力をかける事で窒息もしくは首を裁断するクノイチの技だ。

 しかし、長船が学んだ食み風はそうではなかった。

 妻がアレンジしてくれていたのである。

 味付けを変える。

 長船好みに。

 なんとも健気な妻だ。

 惚れた男の為なら不出の秘剣さえ勝手に味付けを変えるのだから。

「骨を削ぐ医療器具であるワイヤーソーの事をカミさんは知ってたからな。水心子を抜かなかったんじゃねえ。抜けなかったんだ。最小限の動きで最速の速さでその鋼線に一瞬でテンションをかけなけりゃ糸で人体を斬るなんて真似は出来ねえんだし」

「だから腕が斜めに交差していたんですね。右手で柄尻を押して鞘を押し下げ、左手で鋼線を思い切り引っ張る必要があるから」

 だから以蔵の剣が長船の頬を斬った。

 防御も躱す事も出来ないし、してはならなかったから。

 地面に脚が繋がったかのようにしていなくては相手の首を裁断するなど出来ないのだから。

 だからバイクを相手とする場合に道路にピアノ線を仕掛けるに近い。

 事実、食み風にはそういう場に仕掛けるという使い方もある。

「カミさん、暗殺術を相手の突進技に対するカウンター技にしてくれたんだよ。カマイタチか何かで首を飛ばされたかのように見える妖術としてワザと見せつけるように使えば、敵に恐怖が伝染して不要な戦闘を避ける事が出来るって言って」

「成程。だから同じ食み風でも私の物と老中の物では威力が桁違いだったのですね」

 それは少し違う。

 相手の力を利用する長船の食み風はその威力が敵の踏み込みに依存する。

「以蔵が殺す気で突っ込んで来た事が助かっただけだ。警戒されていたり摺り足を使われてたら食み風は敵にバレるからな」

 見切られるでも防がれるでもなく。

 バレる。

 正体が露見する。

 忍術である自由剣の秘剣はそれが一番怖い。

「昔、佐渡金山での重労働を罰とされ島流しにされた忍びが編み出した、誰でも自由に使える暗殺術。自由剣とはよく言ったモンだな。型が無い自由な剣技じゃなくて誰にでも自由に振るえるという制限フリーな剣なんだから」

「ええ。島の者は自由剣を上手下手の違いこそありますけどある程度学んでいます」

 考えれば解る事である。

 主君に仕え主君の考えを第一とする侍の国ならばこの島の文化を良しとしないだろうが。

 忍の国ならばどんな文化であってもそれが効率的で機能的ならばそれで良いのだ。

 雑賀の傭兵集団よりも忍は効率的であれば節操無く様々な技術に取り入れる。

 鋼線を使う暗殺術だけではない。

 自由剣には薬品を用いた間接的な暗殺術などもある。

「お侍様が忍術を学んでいるというのも変な話ですね」

「なんとも人を喰った殺人術だけどな。見えない鋼糸で斬るなんぞ人をバカにしておる」


 故に食み風。

 人を喰う風。


 熟練者ともなれば重石を糸の先に付け、対象に直接巻き付け輪切りにする事も可能だという。長船は其処までビックリな人間になるつもりは無かったので、食み風についてはそれ以上学ばなかったけれど。

 糸で輪切りとか、忍法でござるよニンニンとか、そういうのはしなくて良い。

 侍だし。

 妻が長船に近付いたのだって、四畳藩のクノイチとして危険分子であった会津の鬼黒田を監視する為であった事ぐらい解っておる。

 まあ、勝手に任務放棄して勝手に結婚したのだけれど。

 それでも先代は怒る事も無く黒銃を妻に贈ってくれた。

 そして妻は、こうして今でも長船を守ってくれている。

 戦闘後。

 岡田以蔵の亡骸を担ぎ上げ、長船は人目の触れない森の中にそれを埋葬した。

 その墓石の無い墓には木札だけが標となっておる。その辺の平らな板を突き刺したような簡素な木札には『真なる忠義者、此処に眠る』とのみ書かれてある。


 兎も角、四畳藩強襲戦。

 四畳老中・黒田長船   対   死忘人斬・岡田以蔵。

 _勝者、黒田長船。

 決まり手『自由剣 一之秘剣・食み風ヶ崩し 食み風改』


 この戦闘の終了はこれから歴史の影で暗躍する者達との戦いの火蓋が、知らずして斬って落ちた合図でもあった。

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