第32話 死人・岡田以蔵
◇
風切り音が鋭いのは踏み込みが鋭いからだ。
藤田の剣は踏み込みの勢いをそのままぶつける為に剣閃が遅れて風圧となってやって来る。人斬りはその藤田の剣を受ける事無く躱し続け、同じく型にハマらない剣を繰り出し藤田を襲う。
藤田は藤田で涼しい顔をしてその剣を躱し、更に自身の剣の勢いを増して打ち込むを繰り返す。
それは二人が踊っているかのような剣戟であった。
剣戟というには金属同士がぶつかり合う音が一切無いのだが。
同じ北辰一刀流でも藤田と長船ではまるで違う。
膂力を用いて相手をねじ伏せる長船は山本鉄舟に似ていると言われて来たが、元新選組の斉藤一の剣は左利きであるという利点を生かして理詰めで襲い掛かって来る。
鳥籠に要るかのような錯覚を覚える剣。
逃げ道を悉く奪う素早い剣。
しかしあの人斬りは野生の獣のような動きでその藤田が作り出した鳥籠に入る事を嫌う。新選組の伝家の宝刀である左片手平突きを出さない所から察するに、それだけ膠着状態に入ってしまっているのだろう。余計な動きをすればそれが仇となり斬られる事に繋がる。それはこの人斬りがそれだけ藤田と近い実力を持つ事を意味していた。
聞いた事はあった。
みすぼらしい身なりであり、その剣術は蹴りは勿論、唾を飛ばす事や砂を投げる事さえも技として使うような生き汚い人斬りが居たと。
そしてその者は親友である坂本と同郷の士でもあると。
人斬り・岡田以蔵。
剣術ではなく人をただ斬殺する斬殺術とでもいうような剣を振るう狂犬。
死んだ筈だが?
少なくとも土佐で幽閉され、処刑されたと聞いていたが。
何で生きておる?
そっくりさん?
そっくりさんにしては剣腕が達者なようだが。
それに。
顔色が悪過ぎるような?
病人というか。
死人というか。
「藤田殿。俺が変わりましょうか?」
「手出し無用。黒田は其処でタバコでも吸っていろ」
もう吸っておる。これ以上吸ったら具合が悪くなってしまう。喫煙は気力を持ち直すが体力を奪うのだ。それに長船は手持ちのマルボロを切らしておる。仕方なく長船は防波堤に座って二人の戦闘を眺めておった。
確かに会津のお侍様は石頭なのだが、藤田は殊に真面目過ぎる。
あの人、生真面目過ぎるのだ。
「おい以蔵!オメエなんで生きてんだ!」
「……………」
「無視すんな!」
「……………」
無視される。
ヒュオ!という風切り音ばかりが連続して届く防波堤。道場剣術はああいう型にハマらない者を不得手とする筈なのに藤田の剣はやはりキビキビと以蔵の逃げ場を塞いでいく。元々新撰組とは町外れの小さな田舎道場門弟の集まりであったと聞くが、意外にも東北出身者は多い。そもそも新撰組の前身になる浪士組を起ち上げたのも庄内藩の侍だったと聞く。
確か、清河八郎と言ったか?
直接の面識はないが。直接会った事があるのは目の前の斉藤一と副長の土方先生だけであった。土方先生の場合は会ったというか鉢合わせしただけなのだけど。
懐かしい。
鬼の副長というからにはどんな偉丈夫かと思えば厳しい眼差しこそありはすれ、優しげな風貌をした御方であった。局長の近藤先生とは一度お話する機会を設けてみたかったが、何とも悲しい事に先生は斬首されてしまった。大人しく捕まるぐらいなら暴れりゃ良かったのにとも考えたが、其処は残された隊士の事を思っての事だったのだろう。
坂本を親友とするのであまり仲良くは出来なかったが。
少なくとも見廻組の連中よりはずっと好感の持てる集団であった。
白に浅葱色でザンダラ模様の新撰組。
なんとも主人公っぽいカラーリングである。
黒に橙色でザンダラ模様の見廻組。
デザインした者は中二なのか。
そういえば、坂本を斬った佐々木という男も気になる。
あの者、坂本を斬った後の消息がつかめぬ。坂本を斬ったと思えば忽然と姿を消しおった。まるで坂本を斬る為だけに見廻組に入ったかのような、そんな気さえしてくる。
まあ、あの天パが死んだとは思っていないが。
「ふむ、埒があかぬな」
そういって藤田は間合いの外へと飛びずさった。
以蔵はおかしな恰好をして下段に構えたまま動かない。
あの下段の剣だ。
あの下段の剣が岡田以蔵の代名詞。
元々下段は邪剣などと呼ばれ、あまり道場主には良く思われない。
変則型の剣である為に基本から遠いからであろう。事実、長船は今まで下段の剣を使う者との仕合は殆ど経験が無い。それ程までに使い手の人口が少ない。だからこそ対峙した者は訳も解らないまま斬られてしまう。
「お!とうとう左片手平突きを出すんですか藤田殿!」
「黒田。どうやら私ではこの者は斬れぬ。交代だ」
え。
ええ~。
左片手平突きは?
牙突のモデルとなったあの技は?
見れるかと思っていたので残念な長船。
「お主も良いか?それに私はこれから町の巡回の時間なのだ。子供達の下校時間が迫っている。お主のような人斬りを斬るより交通安全を取り締まる方が社会貢献度は高いしな」
「…………生真面目だな…………。良いだろう」
それには同意した長船。
先輩に失礼だがバカかとさえ思った。
お巡りさん、それどころじゃねえだろとも思った。
殺人犯目の前にしてパトロール行くんかと内心ツッコんだ。
「…お前は会津の鬼黒田だな?お前を待っていた…」
「なんだ喋れるんじゃねえか。待ってろ今そっち行くから」
藤田とハイタッチをして交代。そのまま藤田は銜えタバコのままで中学生が身に付けるようなヘルメットを頭に装着して涼しい顔のまま停めていたのであろうスクーターで本当にパトロールに行ってしまった。
公務員なのに自由過ぎる。堅物なのに、マイペース。
涼しげな表情で、実は天然ボケ。藤田吾郎(斉藤一)。
結構、あの人もギャグ要員として使えるんじゃねえか?
何となく長船は日常パートにあの人も呼ぼうと思った。
この、人斬りを斬ったらだ。
けったいな格好をしておる。
岡田以蔵。
土佐勤王党構成員にして京では勤王党の政敵となる者を数多く斬った人斬り。殺す為の綺麗な剣ではなく生き残る為の泥臭い剣を使う事でも有名な、人を殺す事で生きる者。
「お前、死んだだろ」
「死んだよ、俺も勤王党も。今の俺は岡田以蔵に非ず。勤王党でもない。『死忘』の構成員に過ぎん。これまで同様に影となり人を斬る。ただそれだけの為に生き返ったのさ。生き返るも何も最初から死んでないというだけなのだがな。生者に殺されるより亡者に殺される方が都合が良いらしいのだ。この、幕末や明治という世の中は」
「俺も今まで新時代の幕開けを謳って人を殺す者を相当な数、殺して来たけどな。人殺して成り立つもんなんか何でも良くはならねえだろ」
結局それは壊れるだけだ。
気に入らない人間を殺して作り上げた世界なんぞ最初から破綻している。
「自慢か?」
「自虐だよ、お兄さん」
「だろうな」
「行き着く解答としては自殺なんだけどな、殺人ってのは」
「奪った命の重みで己が死んでいくからな。それには賛同する」
長船は煙草を吹かして言う。
まだ、やったりやられたりってのはしなくて良い。
岡田以蔵の服装もなんというか、けったいなものである。
チェック柄のシャツ。
チューリップハット。
「それになんだ、その、『死忘』ってのは」
「これからお前達が戦う敵の名だ。ここで俺に殺されなければお前は『死忘』と戦わなくてはならん。先代四畳藩藩主の意思を受け継ぐのであれば、お前が俺等『死忘』を止めねばならん。鬼黒田、五年前の戦の再現を食い止めねばならん」
五年前の戦。
何故、岡田以蔵がそれを知る?
つーか、やっぱなんで生きておる?
「お前、土佐で獄門に刑されたんじゃねえのか。坂本が嘆いてるんじゃねえの。あの天パ侍と親友って事になってんだから。それとなんだお前のその顔色は。肌もところどころボロボロ崩れてっしホッペの肉が削げて歯ぁ見えてんぞ?」
「死んでおらぬ。鬼黒田、俺達は死んでも死ねぬ。皆、取り込まれたのだ。組み込まれたのだ。この維新の流れ、始まりは何かを考えてみろ」
「安政の大獄。それを始めた大老の手先を京で暗殺しまくった事だが…?」
長船は刀を抜かない。
相手は人斬りだ。
リーゼントとは格が違うし桁も違う。
此方が抜く素振りをすれば一気に戦闘に入る。
今はまだ、対峙しておるに過ぎぬ。
出来ればそのまま回れ右して帰って頂きたいのだが。
そうは行かぬ。
確実に此処で死んで貰わねば後の憂いとなる。
そして。
この見た目。
死人がそのまま動いているかのような。
この非日常感。
「そうではない。維新の理由は黒船が来たからだ。ならば黒船が来たのは何故だ?」
「開国をしろと餅肌のオヤジが国に迫ろうとして来た。日米通商を目的として…」
実際はそうではないが。
通商和平など夢物語に近い。
現実として米国の属国になれと言われたのに等しい。
「ならば鬼黒田。お前は米国がなんの下調べもせずに黒船でこの島国に来ると思うか?開国を迫るのは何故だ?《国が閉じている事を事前に知っていたから》ではないか?」
「五年前の戦、先代は米国と戦ってたってのか!」
そんな事が世間に知れればこの国は確実に傾く。今でさえおっとっと!と滑り台のようになっておるというのに確実に断崖絶壁のようになってしまう。米国への反感が募れば新政府にさえ辞めろやと国民が騒ぐのは間違いない。
しかし、岡田以蔵が出した答えは違った。
「米国ではない。そもそも黒船が来たのはずっと以前の事だ。寧ろ米国は日本を守りに来たとも言えるだろうな。五年前、先代が戦っていたのは国家ではないんだ鬼黒田。かといって民族でもない。五年前、四畳藩は《勝者だけが総取りをする世を作る者》と戦っていた。俺が今属している組織の前身だな。『死忘』とは《勝者だけが総取りをする世》を是とする者の集まりだ。歴史の改竄を企てる者の集まりだ」
「資本主義、か…?」
しかしそんな乱暴な資本主義は聞いた事が無い。そもそも国民総選挙を狙う大久保卿はそんな事を望んでなどおらぬ筈だ。ネイションステイトを掲げる大久保卿には「いや、まずこの国にはステイトがねえよ。時空超えて道州制入れるつもりなんか」とツッコみたくはあったが。
それに以蔵の服装。
それは島の者と同じ。
如何にも動き易そうで軽そうな洋装である。
四畳藩以外であんな服装を手に入れる事は出来ぬ。
いや、四畳藩の物よりは少し生地が違うか?
粗いというか雑いというか。
四畳の洋服が百五十年後の物だと譬えるならば、以蔵の物は百三十年後のような。
洗練されていない感じが何処となくする。
「もしかして『死忘』も独自の文明を持ってんのか?」
「それに答える事は出来ない。知りたくば俺を殺し歴史を調べてみるのだな。いきなり急に歴史が変わったような事柄なんぞこの国には腐るほどにある。例えば三百年程前、武士の時代を何の前触れもなく終わらせたものは何か分かるか?」
「鉄砲伝来、か…」
「それも『死忘』の前身である組織がこの国に関わった結果だ。武士が邪魔だったのだろう。しかし武士はそれだけでは滅ぶ事は無かった。だから『死忘』は少しずつこの国から武士を殺して行こうと決めたんだよ。サムライという生き物を駆逐する為にな」
「なら黒船はその『死忘』ってのを倒しに来たのか?」
「日米通商和平が結ばれて困るのは『死忘』だった。この国を良いように作り変えて来たのが修正されてしまったのだからな。黒船来航時、この国では侍より商人が強かった。そうであろう?」
確かに。
商人が物乞いを斬り殺しても罪を咎められる事無く無罪放免になったような社会であった。
一部の豪商だけが他の者を食い物にするような優しくない社会であった。
「侍を根絶やしにする事は可能だったが、其処で歴史の修正が入った。安政の大獄以降、刀を手にする侍が活躍するようになったのだからな」
「幕末の動乱か…」
「だからこそ俺のような死んだ人間が必要になったのさ。混乱を利用してサムライを絶やすにはサムライの居ない国を作る事に加担するのが一番だ。お前がいう四畳の先代が戦ったのは『死忘』の一部、国を滅ぼす兵器を巡っての物であったと聞いている。歴史の改竄を望むのが我々『死忘』ならば、歴史の修正を行おうとしているのが幕僚の勝麟太郎や維新の三傑と呼ばれるようになった者であろうな。俺等のような末端は邪魔なモンを斬る為だけに生かされてる」
「お前だけじゃねえのか?」
「俺だけじゃないさ。『死忘』は深く根を張る毒の木のようなものだ。そして『死忘』の由来、俺等は死なないような薬で全身を侵されてるんだよ。戦う医者である会津の鬼黒田ならばそれがどういう薬か理解出来るのではないか?」
「阿片の有効成分抽出、だろうな…」
バカな。
師でさえ作る事が適わなかった。
まさか『死忘』の医学は四畳を上回っている?
バカな。
阿片の、それも凝縮されたものなんぞを打てばどうなるのか、考えるまでも無かろうに。
「そうだ。モルヒネというのだがな。俺等は死なないんだよ黒田。死ねないんだ」
「なんつー真似を…」
「だからこの島に伝わる自由剣、その秘剣。それを使って俺を土の下に戻してくれ」
「お前等、自由剣だけじゃなく秘剣の事まで知ってんのか…」
「語るには飽いた。仕合おう、鬼黒田。そして俺を殺してくれ」
そういって、以蔵は刀を構えた。
対する長船は抜かなかった。
勝負は一瞬で決する。
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