第29話 四畳藩再動
◇
「ゲッホ、ゲホゲホゲホ!オサエモン、オサエモン?」
「んー?」
まだ瓦礫が残る封鎖区画・四畳基地での事務仕事。
内部事務という名の暇つぶしが出来るのは本当に暇な時だけであって戦の後は報告書の作成に追われるのが常であった。その報告書を必要とするのが他でもない秩序勢力の会津の殿様と、混沌勢力の内閣総理大臣の大久保、そして何処に隠れているのか定かでない中庸勢力の勝麟太郎である。
秩序と混沌と中庸、それぞれの象徴に報告書を書かねばならぬ。
でっち上げてもいいのだが、それをしてしまうとそれぞれの勢力のパワーバランスがおかしな事になってしまうので此処は真面目に記さねばならぬ。
まあ、何人殺したとか何発撃ちましたとかの報告は適当な数字を入れて誤魔化しておるが。
「喉が痛いよぅ。咳が止まらないよぅ」
「しょーがねーなぁー」
長船、財布から何かを取り出し声高に叫んだ。
「二千円んんんんんん!」
「それ、医者に掛かる為の治療費だよね…」
まず内科を受診して薬を貰うのが先決だ。流行の喉風邪なのか扁桃腺まで腫れるものなのかで処方箋は変わって来る。市販薬の風邪薬には菌を死滅させる成分が殆ど入っていないので市販薬を使う時は炎症を止める鎮痛薬を服用するのが良いのだが。
それでも医者が処方した物の方が安上がりで効能もピンポイントで的確だ。種子島は長船が渡した二千円を財布に入れ、そのまま基地外の医者の下へと駆け去って行った。基地というのは本当に便利な物であり都市機能が全て詰まっている。食堂から髷結い処から市役所機能まで持つ窓口が設置されておる。当然、軍医として働く長船も基地の中で働く事が決まっていた。
こうして報告書を仕上げればいつか師が眼を通す事もあるかもしれぬ。
カタカタとタイプライターを叩く音だけが司令室に響く。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
司令室にはグラウンドで走る防衛部の掛け声が入って来る。
夕焼けが長船を赤く染る。
日々の訓練は欠かせぬ。
会津から防衛部勤務として出張を命ぜられた若い侍は戊辰の戦の生き残りというよりはまだ訓練もままならない者が大半であった。白虎隊より二つ程度しか歳を重ねておらぬその者達を戦力として計上するには、まず重武装のまま普段通り動けるぐらいのスタミナと重武装に耐えるだけの筋力を身に付けて貰わねばならぬ。「この銃は僕、力が足りなくて持つ事が出来ません」などという青びょうたんは四畳には要らぬ。
タワーシールドとハルバードを片手で持つ事が出来るぐらいにならねば話にならぬ。
無論、それに加えて重いタクティカルスーツと更に重い防弾ベストを身に付けて行動するので装備可能重量も増やさねばならぬ。
兵は脳筋で良い。
つーか、脳筋でなくてはならぬ。
重い大盾を十全に扱えるようになって初めてテルシオ方陣が組めるのだから。まあテルシオ方陣が何で日本にあるんだよと言われたら長船が学んで来たからだと説明するほかないのだが。
夕焼けに照らされる事を少し鬱陶しく思いつつも、タイプライターを叩く。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
若い侍の活気に満ちた声に彩られ、長船の内部事務は静かに進んで行く。
「オサエモォーン…」
すると医者に行ってきたのであろう種子島がモコモコと着膨れした状態で司令室にやって来た。先程より顔色が悪い。どうやら会津解放の時の疲れが祟ったのだろう、思い切り熱が上がってしまっているようであった。
「なんだい?竜胆君?」
「薬飲んで部屋でゆっくりしてろって言われたけど暇で暇で仕方ねえんだよぉ…」
「しょーがねーなぁー」
長船、財布から何かを取り出し声高に叫んだ。
「二千円んんんんんんん!」
「今度はあれだな、安い中古のゲームでも買って来いって事だな?」
正解。五年ほど前のゲームであれば安くても充分に面白い物が多い。妻が具合を悪くした時は決まってアトリエシリーズであった。如何にして武器に全ての属性攻撃効果を付与するかが全てであろう。勿論防具にも全ての属性攻撃緩和を付与する事が望ましい。長船の場合は妻と違って兎に角も行動順を早くする為に速さを上げる効果を持つ物だけを装備させておった。ずっと私のターンこそ最強であると信じておった。
メルルが良い。
元気いっぱいで健康的だし、その辺は妻に似ておる。
メルルが良い。
結婚するならば、ああいう妻みたいな健康的な美人が良い。
そういえば妻もいつかアトリエシリーズの主役になりたいと無茶を言っていた。
貴方!
幕末期のアトリエシリーズの主役で私が出たいわ!
黒田美香のアトリエ!
ミカカのアトリエ!
無理?
まず語呂が悪い?
ハゲか貴様。
この屋敷は芋畑に囲まれてるんだぞ?
この屋敷は薬も調合してんだぞ?
薬を調合してるのは俺?
んじゃあれか?
ハゲゲのアトリエか?
誰が極道みてえな見た目の主人公に喜ぶんだハゲ。
ゲッホゲッホ!
あー辛い。
薬を飲んで寝てろ?
本当に貴方はハゲね。
体調悪くて休んだ時こそ女子は遊ぶんだハゲ。
ホリディー♪
今日はホリディ―♪
ハゲ。
仕事休んだんなら遊ぶな。終ぞ、そうは言えなかった。
しかしそれも幸せな平和な時間の話。
戦が始まってからは具合が悪いともいえずに鉄火場に立たなくてはならなかった。
そして妻は殺されたのだ。言葉にすれば何と陳腐な響きであろうか。
多くの者が妻を喪っている中で長船だけが妻を喪った事を理由として奮い立つ事を許されるという訳では無いが。そもそも誰かに許されながら生きるという事自体がこの世には無いのだから別に長船が奮い立とうと殺意をぶつけようとそれは誰にも責める事は出来ぬだろう。
責める理由など見つけようとすれば何処にでもある。
責める理由があればすぐさま責めるというのであれば、それはもうただのバカだ。
順当に生きている人間ばかりではない。レールから外れても必死で生きている人間も多い。武家崩れの元侍が商人に身を崩したなどという話は何処に行っても聞こえて来る。其処でその者を愚弄するような輩がいるのだとすればそれは個人の愚弄に非ず。全ての人という生命体への冒涜に相当するだろう。まあ、そういう輩というのは痛みに耐えかねている事が多いので一概に悪であるとも言い切れぬのだが。
救うべき民であったりするのだが。
誰彼構わず噛み付く者こそ。
ヒトに戻してやる事が必要で、ヒトに戻せるのも侍なのだが。
しかし維新志士のような数を積み重ねる事を何よりも重んじる者はそうした事に価値を見出さぬ。誰もがやりたくもない仕事をして、それでも笑顔を忘れない様にと生きている日常をバカにして自由民権を謳う。
民権謳う前にいっちょまえの民になれや。
そんな風に長船は思うのだが。
それも詮無き事。
維新志士などというのは暇を持て余した者の集まり。
本当に国の未来を案じているのは大久保と山縣、それと勝ぐらいのものだろう。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
報告書の作成が進む。白船や佐渡兵器の事を巧く誤魔化しつつ、何とかして如何にかして、如何様にかして、会津を解放しましたよ、と。
こんなものは報告書とは呼ばない。
日報とも違う。
好き勝手な事を徒然なるままに書きなぐったメモ帳だ。
覚書だ、こんなものは。
それでもこの報告書に隠された真意というか真相を解読しようとそれぞれの勢力は暗号解読班に様々な憶測と推測を任せて何とかしようとするのだろうが。いっその事、あぶり出しで何か書いてやろうかなとさえ思って来る。あぶり出しで『アホ』とでも書いてやれば過ぎる程に忙しい大久保辺りは高血圧が悪化し血管破裂で死ぬかもしれぬ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
報告書ももうすぐ出来上がる。報告書が上がれば長船はもうする事が無い。島に来た若武者を引き連れて和尚の店に行くのでも良いし、藤田を連れて和尚の店に行くのでも良い。
藤田は既に島のお巡りさんとして巡回任務に就いておる。順応性が早いのも新撰組なのであろう、購入したスクーターに跨り、銜えタバコで町を巡回する姿をよく見かけるようになった。
奥方のトキオさんからは妻を喪った事に同情され泣かれてしまったが。
何度見ても綺麗な奥様である。
奥州出身の女は歳を重ねる程に美しくなる呪いでもかけられておるのか。
それでも妻の方がムチムチだ。
それでも妻の方がボインちゃんだ。
ガラの悪い男の伴侶が美人でボインちゃんなのも幕末期から変わらぬ。
会津の町中に妻の似顔絵を彫った事は殿様に怒られてしまったが。
良い。
あの観光資源に乏しい町に観光スポットが出来たと思ってくれれば良い。
あの観光資源が喜多方ラーメンと円盤餃子と武家屋敷と阿武隈洞ぐらいしかない町にナスカの地上絵でも出来たのだと思って貰えりゃそれで良い。そもそも阿武隈洞が観光資源である事も相当危険だ。洞窟で観光。ダンジョンで観光。旅行を企画する者は是非とも阿武隈鍾乳石の近くにバブルスライムでも放っておくべきだろう。
それか一角ウサギ。
否。
ウサギは可愛いから軍隊ガニぐらいが好ましい。
斃したら塩を強めに振った熱湯に放り込んで食ってしまえば良い。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
「…オ、オサエモォーン…」
「今度はなんだ?」
着膨れした種子島がまたやって来た。襦袢とニット帽とマスクと寝巻とモコモコしておる。先程よりも輪をかけてモコモコしておる。顔色は真っ赤で更に熱が上がっているのであろう事を伺わせる。よく司令室まで歩いて来れたなと感心するばかり。まあ、あの状態でゲームを買いに行ったのかどうかまでは判らぬが。
「クリアしちゃったよぅ…。アクションを選んだからクリアまでサクサクだったよぅ…」
「しょーがねえなぁー」
その状態で買いに行ったようであった。
凄い根性である。
そして長船、何かを取り出し声高に叫んだ。
「俺が借りたアニメぇぇぇぇぇぇ!」
「又貸しじゃねえか!」
「観終わったらツタヤに返しておいてくれ」
「病人にお願いする事じゃねえぞ!」
返しに行くのが面倒なのだ。
病人だろうと押し付けてしまえば良い。
「老中、セレクトのセンスがまた良いですね。『クレヨンしんちゃん』とはなかなか抑えるポイントを抑えていると言いますか。四十度近い高熱が出て倒れてるってのにテンションが上がるじゃないですか」
「俺はこの歳で『クレヨンしんちゃん』観て泣いたからな…」
遠い目の長船。
最早、語る必要もあるまい。
野原家の大黒柱である彼が、日本を代表する侍となるキッカケを与えた珠玉の作品。
あの決め台詞を聞いた時、長船は泣いた。自分もいつか、言ってみたいセリフである。「家族がいる幸せを!お前にも分けてやりたいぐらいだぜ!」と。
きっと言う機会はやって来ぬ。
そもそも長船に家族はもう居ない。いや、居る。新たな家族は、島に出来た。
取敢えず、《妹》は四十度近い高熱で現在進行系で死にかけておるのだが。映画の『クレヨンしんちゃん』と『ドラえもん』は引率で仕方なしにと観た大人が泣くのだ。
幕末から変わらぬ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ、ターン!
ズィーコロコ。
バァーン!
まあ、タイプライターはバァーン!などとは言わぬが。
もう嫌になってタイプライターを壁に投げつけた訳でもないが。
漸く、報告書の作成が終わったのだ。
「うし。やっと報告書出来た。種子島、お前の部屋までおぶって行くから其処で待ってろ」
軍用ジャケットを羽織り、口元をマスクで覆う。
いくら近いとはいえ、流石に戦う医者が病人を歩かせる事は出来ぬ。
「…おお、これはこれはなんとお優しいお侍様じゃ。もう眼は霞み、立っている事もままならぬ。もし、其処の御方。出来れば我に卵粥と風邪に効く薬酒を用意しては貰えぬか…?出来れば卵粥の味付けは濃い目で…。ほうじ茶なんぞもあれば我は喜ぶぞよ…?あとハチミツたっぷりの紅茶とか、ハチミツたっぷりのパンケーキとかあれば我は喜ぶぞよ…?」
「それぐらいなら作っけど。そこまで熱が出るって事は完全に扁桃腺が腫れてるだろうからな。解熱作用のある薬酒も用意するか。ほら、俺におぶされ」
身を屈め、腰を低くする長船。
着膨れした種子島はグッタリとしたまま長船の背に乗りかかる。
細い脚を腕で固定し、長船は司令本部を抜けてアトリエを目指した。
会津解放後、島は新たな仲間を迎え入れ、優しい時間が過ぎていく。
しかし見事にその優しく腑抜けたところを突かれ、四畳は一気に危機に陥る。
その日の夕方。
防衛部は全滅したのだ。
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