第26話

 こうして戦の中に身を置くのは久方振りに感じておった。

 島に来てから喧嘩は経験したが、こうして砲弾が着弾し巻き上がる砂に顔を叩かれる事なぞ既に忘れておった。味方と敵の怒号が混ざり合い、それが町全体を覆い尽くす様な大きな獣の咆哮となる錯覚も暫く忘れておった。剣戟の鉄が弾ける音も匂いも、銃撃の硝煙の匂いと音も、血と泥と混ざり合った匂いも、島では感じる事が出来なかった。

 何処かで泣き声が聞こえた。

 視線をやれば、赤子を抱きしめた若い母親が座りこんで泣き叫び動かない。

 また別の泣き声が聞こえた。

 視線をやれば、会津藩士の亡骸に抱きついた老婆が泣き叫んで動こうとしない。

 世を良くしようと維新は始まった。

 それならばと舎弟分は城を解放し、時代は明治となった。

 長船が今を明治と呼ばない理由がこの泣き声だ。

 幕末から進んでいない。

 より良くしようとして、泣くのは力無き民。

 それを政と呼ぶ事だけは許せなかった。

 力無き民の為、力持つ者が泣く事が政と師は長船に教えた。

 ならば悲しみだけが疫病のように蔓延しているのは何故だ。

 良くしようと行動を起こし、良くなっていないのは何故だ。

 長船を見つけ、敵は一人と斬りかかるその顔が笑っているのは何故だ。

 多数派で個人を痛めつける事が楽しいと言いたがるその眼は人のそれではない。

 人がこんな畜生道に堕ちたのは何故だ。

 全部、戦が始まったからだ。

 護る為には剣を仕方なく手にしなくてはならぬ。

 誰も望んで剣を取り戦おうとはせぬ。

 それは解る。

 解らないのは、それを望む人間。

 戦を立身出世の好機と思う人間。

 そんな、新政府の軍人に囲まれた長船。

 皆が笑っておる。お前より俺の方が強いのだと眼が語っておる。

 数による優位性が全てだと。

 これから嬲り殺しにするのだと。

 笑っておる。


 侍は強い弱いじゃない。侍は勝つ負けるでもない。

 侍は正しいとか間違ってるとかでもない。

 日常の中で育んだ優しさを、誰の為に使うかだ。

 長船は此処で初めて。妻の形見を抜いた。

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