第24話

 屋敷の納屋にはまだ愛馬がおった。どうやら誰かが餌を喰わせてくれていたようで痩せてはいたが健康そうであった。愛馬は主人の姿を確認すると涙を流して頭を擦りつけて来る。昔と違う少し力の入らぬ嘶きも愛おしい。長船は飼葉を充分に食べさせ、水を飲ませてやってから納屋の藁に武器の入った木箱を隠した。黒田家の敷地は無駄に広い。此処ならば敵が侵入すればすぐさま視認出来る。

「久しぶりだな、サツキ。少し力を蓄えてくれ。お前の力が必要なのだ」

 妻がいつも喧嘩をしておったメスの馬。それもズングリとした農耕馬ではなく、スラッとした筋肉が特徴の軍馬である。速く走る為の調教は軍馬師に任せておる。今は満足に食えずに痩せ細ったその体力だけを取り戻して貰おう。サツキが走るのは城の人間を解放してからだ。

 妻の声が、温もりが、この納屋にもあった。

 幻覚を見てしまう。

 それは幻覚と言うべきなのか、それとも導きと言うべきなのか。


貴方。

サツキと私、どっちが大事なの?

私?

イェーイ!

サツキがヤキモチを妬く?

妬けば良かろう。

勝者―♪

我、勝者―♪


 消える、妻の幻影。

 久し振りに見る美しい娘は笑っておった。

「お前は其処で静かにしておれ。サツキ、後で昔みたいに走って貰うぞ?」

 その優しい眼は長船によく似ておった。サツキは類稀なる速さを持つ軍馬であったが、気の弱さから他の馬を怖がり仔馬の頃より群れから離れておった。そういう所も飼い主である長船に似たのかそれとも似た者同士だから信頼を寄せてくれたのか、サツキは長船の言う事にしか耳を貸さない。軍馬師が頭を抱える程にワガママで甘えん坊な牝馬であった。毛色も稀少な白馬である。無論、長船は王子様と言うようなキャラではない。無理やり譬えるならば死神が駆る蒼白い馬に似通っているだろうが。

 長船は刀を抜かず、黒銃も抜かない。

 革のホルスターに入れた拳銃を抜き、見慣れた会津の町を静かに進む。


 やがて大きな爆音が町全体を揺らした。白船からの艦隊射撃が始まったのであろう。会津の町に居る新政府軍はそれこそ初めて黒船を見た侍の様に取り乱し駆けまわる。


 長屋と長屋の間からその様子を見ていた長船。巡回を続けるべきかどうかを悩み立ち尽くす傍に居る隊士に背後から忍び寄り、後ろ襟を左手で掴み右手の指を横から喉元に突きたてた。気絶させ、安全な家屋の陰に隊士を隠す。

 殺しはせぬ。

 こんな町外れで巡回をしているという事は元は農民なのだろうから。

 お主も居場所が無いならば四畳に来れば良い。

 木の板で入り口を封鎖された長屋ばかり、其処彼処に銃痕の残る住み慣れた故郷。長船はポーチに入っていた消音器を拳銃に取りつけ、構えたまま城を目指す。通りの新政府軍に向けて銃を構え平行移動で長屋裏から長屋裏へ移動。

 屋敷の裏手の装甲車は迷彩柄が機能している為かまだ発見された様子はない。義姉が戦闘を始めた瞬間、長船の潜入も強行に変わる。それは信号弾を撃つにしろ撃たないにしろ絶対に始まるのであろうが強行を行うのであれば少しでも城に近い位置からの方が望ましい。

 目的である城は黒煙に包まれ、美しかった白い外壁は無残に剥がれ骨組みが露出しておるような状態であった。

 それでも大きな銃声が聞こえるのは新政府軍のものではなく城の方からであったので、まだまだ会津の士は抵抗を続けておる証明であろう。

 高さのある帽子を身に付けた髭の軍人が近くに二名。

 正規の軍人だろう、持つ洋刀も拵えが豪奢だし柄巻も上等な物だ。

 屋根に上り、軍人二名の頭上に音を消して忍び寄る。

 どうやらこの二名は煙草を吸う為に大通りから脇道に入りサボっておるようだった。一名には頭に銃撃を喰わらせ、驚いたもう一名には飛び掛かり喉輪を喰らわせつつ地面に叩きつけた。頭を割り絶命させた軍人は装備を剥ぎ取り、長屋裏に二人の遺体を隠す。

 白船からの艦隊射撃の精度は悪くない。

 会津の町の外では土煙が天を衝くかのように舞い上がっておる。

 好機と見たのか飛び出して来た数人の会津の侍が新政府の軍人と切り結ぶ中、長船は見知った仲間の事を案じつつも身を伏せたままで城へ向かう。長船の目的は戦闘行為に非ず。城に入り会津の士に武器を渡し会津を解放する事だ。

 長船の刀がチャキと鍔鳴りをすると、共鳴したかのように妻の黒銃がカチャリと鳴る。

 黒銃は本来スリングを通す筈であるのであろう金属の輪っかをカラビナで接続し腰につけているに過ぎぬ。それは潜入に向いたどの姿勢でも動きの邪魔にならない工夫であったが、しかし刀を差しておると匍匐が出来ぬ。

 黒地の鉄鍔が腹に食い込み痛いのだ。

 真っ黒なツナギはある程度は長船の輪郭を誤魔化すが昼間の町中では逆に黒は目立つ。

 ゆえに日の陰になる場所を繋いで因幡の兎のように渡っていかねばならぬ。

 裏路地を巡回していた準隊士と角を曲がったところで鉢合わせ。長船は相手の小銃を両手でそれぞれ外側から円を描く様にしてバレルとストックを捻り奪い、奪った小銃の銃口で喉元を突き、銃底で倒れた相手の後頭部を打った。戦場に響く銃声は近いのだから長船が発砲する事で発見される事は無いだろうが、やはり準隊士は殺せぬ。

殺すのは正規の隊士だけだ。

 此処から先は入り組んでおり不意の遭遇戦が多くなる。

 住宅街奥の角でまた準隊士と鉢合わせ。驚きアタフタとする相手の首筋を叩き昏倒。城に続く道を塞いでいた隊士を引き付ける為、昨日飲んだビールの空き缶をあさっての方向に投げ、注意を反らす。長船はこういう単独任務が得意なのだ。それはそのままの意味で暗殺が得意だという事に繋がるのだが。

「ち。さすがに厳重だな」

 町を抜けて到着したのは城の正門。

 完全に門は閉じている。

 それに新政府軍の車輪付きの大筒が四門。その閉じた門に向けて放たれておる。

 正門が厳重なのは敵も味方もどちらもなので此処からの突破は無理だろう。ならば裏口かとも考えたが裏口こそ白兵戦の主戦場であろうから人が集まっておる事は間違いない。


 と。

 長船は視線を感じ、身を伏せた。

 上から、見られておる。

 恐る恐る視線を上げた先。

 其処には。

 実直そうで融通が利かなさそうな顔をした会津の侍が一人。

 この喧騒の中で唯一その者だけが長船に気付く。

 視線がぶつかり合う。

 長船は悪戯好きな子供の様に口を歪め微笑み。

 その者は静かに眼を閉じただけで全てを理解した。


 あの方ならば。あの方ならば自分の到着が何を意味するのかを理解し、そして理解したのであれば正門を開けて新政府軍を押し戻しに出る筈だ。

 ならばその混乱に乗じて城へ入る。

 その時はすぐに来た。

 正門が開いてすぐに城の中から外へ向かっての激しい銃撃が新政府軍を襲い、その援護射撃を受けた侍が十名ほど、外に刀を抜いて走り出して来た。

 長船は再度消音器が付けられた拳銃を使い、仲間を支援する。

 正門前の新政府軍は会津の侍と衝突する前に全滅。

 ボスッボスッと低音だけの銃声に仲間が何事かと視線を送り、そして皆が理解した。

 ある者は化け物を見たかのように驚き、ある者は眼を閉じて微笑み、ある者は静かに涙した。やはり長船は悪戯好きな少年を思わせる笑みを浮かべるだけで何も言わない。長船が城に入るとすぐさま正門は固く閉じられ、飛び出した会津の侍は一気呵成に突き進む。

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